土下座その21
俺は土下座の姿勢のまま、目をぱちくりさせた。
隣を見ると、カマキリじいさんも土下座の姿勢のまま顔だけ上げて、目をぱちくりさせていた。その度に、深い目尻のシワが開いたり閉じたりしている。
我々は現実を受け入れられず、数分間無言のまま、見つめ合った。
「二人とも、何見つめ合っているんだい? 気持ちが悪いなぁ」
後ろから声をかけられたので、振り向くと、そこには村正教授がいた。
村正教授は眼鏡をクイッとあげて、大きな口を三日月みたいに広げて笑った。
「ハクシュウ。何があったのか、話してごらんよ」
「え、ああ。天狗が、その、天狗が、つむじ風が吹いて、その、クルミさんを、その」
俺は寝起きのぼんやりとしたタイミングに秘密を訊ねられて、それにうっかり答えてしまったマヌケなスパイのように、たどたどしい口調で事情を説明した。
そして、話をしている間に、急に意識がハッキリとして、現状を把握できた。
「た、大変だ! クルミさんが天狗にさらわれた!」
俺は事態の深刻さにようやく気づき、あわててしまい、思わず屁をこいた。土下座の姿勢はおしりに空気が入りやすいので、どうしても屁が出てしまう。
「クルミさんが天狗にさらわれた。それはなかなか、面白い話だね」
村正教授は鼻をつまんでニヤリと笑った。
「く、クルミ~。く、クルミ~。く、クルミ~」
カマキリじいさんは壊れた人形のように「く、クルミ~」と繰り返すだけで、まったく使い物にならない。
俺は村正教授と建設的な会話を始めた。
「村正教授、全然面白い話じゃないんだよ。はやくクルミさんを取り戻しに行かないと。くそ、天狗はどこに行ったんだ」
「ああ、天狗なら、あの『きのこ山』にいるよ」
村正教授は南の方角にある山を指さした。
「あの山に天狗がいるのか?」
「ああ、いるよ」
「よし、善は急げだ。行ってくる」
俺は立ち上がり、きのこ山に行こうとした。しかし、村正教授にスーツの裾を引っ張られた。
「ちょっとまちなよ。何する気? もしかして、天狗と戦うつもりじゃないだろうね? 人間じゃ天狗には勝てないよ。むちゃくちゃ強いからね。神通力も使える。勝ち目のない戦いはおすすめしないよ」
「ははっ。まさか」
俺は鼻で笑った。
「土下座をしに行くんだよ。決まってるじゃないか」
「決まっているのかい?」
「そうだよ。だって、土下座しかできることがないのだもん」
「いや、考えれば他にもできることはあるよね。頭を使いなよ。人間なんだから」
「そういうのは、教授、お前に任せる」
教授は驚いた顔をした。そして、春にタンポポが咲くように笑った。
この男は意外と、よく笑う男だな。
「ハクシュウ、君みたいなアンポンタン、初めてだよ」
「ハハッ、それは土下座人間にとって、褒め言葉だよ。じゃ」
俺は今度こそきのこ山に向かって進もうとした。しかし、やはりスーツの裾を引っ張られた。
「まちなって。天狗は土下座でどうこうなる相手じゃない。あの『はぐれ天狗』からクルミさんを取り返すためには、黄金を用意するか、もしくは他の天狗に助けを求めるしかない。天狗っていうのはね、黄金を食べるんだけど……」
村正教授は急に『知識をひけらかしたいスイッチ』が入ったらしく、俺のことなど無視して話し始めた。




