土下座その19
ようやく、美少女が登場します。
カマキリじいさんは恥ずかしそうにうつむいて黙る。初心かっ!
「まさか、好きな人などいないなんて言わないですよね? 六十過ぎたら恋をしていけないなんていうルールはありませんよ。恋に年齢は関係ありません。さあさあ、教えてくださいな」
俺はにやにやしながら急かした。
「いやだ」
カマキリじいさんはそっぽを向いて拒否した。
「今、いやだと言いましたね? つまりは、いるんですね、好きな人が。いないなら、いないと答えますもんね」
「うるさい!」
カマキリじいさんは拗ねた子供みたいに地団駄を踏んだ。
しょうがない。それならば、実技演習といきましょうか。
俺はその場に土下座をして、お願いした。
「どうか、教えてください!」
まわりにいる人間にも聞こえるように、わざと声を大きくする。
「な、や、やめんか! こんなところで……」
土下座しているので直接見えないが、カマキリじいさんが狼狽しているのが感じ取れる。周りの人間の視線も感じる。カマキリじいさんはきっと、この周りの視線に耐えられないはずだ。
「わかった、教えるから、教えるから、土下座をやめろ!」
俺の予想通り、カマキリじいさんは他人の痛い視線にまったく耐性がなかった。すぐに根負けして、俺に手をさしのべてくれた。ああ、ちょろいちょろい。
「これが、土下座の力ですよ、先生」
俺はにやりと笑い、わざとらしく言った。
「うるさいわ。この小悪党め」
カマキリじいさんはやり場のない憤りを発散するように、俺の頭を小突いた。痛い。
俺とカマキリじいさんは欅の木の下にあるベンチに移動して、座った。爽やかな初夏の風が通り過ぎ、欅の葉を揺らした。
「で、どこの誰なんですか? 思い人は?」
俺は土下座で汚れたスーツを払いながら訊ねた。
「…………あの娘だ」
「え?」
カマキリじいさんは蚊の泣くような非常にちーさい声で呟いた。俺は思わず聞き返した。
「だから…………あの娘だ」
カマキリじいさんは前方にあるベンチを指さしながら、先ほどよりは少し大きな声で言った。
俺はカマキリじいさんが指さす方を見た。
――そこには、本の世界に没入している、美しい少女がいた。
「ロリコン趣味ですか?」
俺は少女があまりにも美しかったので、思わず二度見してから、カマキリじいさんのキタネェ横面を見て、ここが現実の世界であることを認識してから、軽口を叩いた。
「バカもん。あれでも彼女は二十五の、立派な女性だ」
俺は改めて女性を見た。見た目はかなり幼い。まだ十五、六にしか見えない。
髪はラピスラズリのように魔力を持った青色で、キレイに編まれた三つ編みだ。頭には麦わら帽子をかぶっていて、初夏の日差しがいっそうやわらかく彼女を包んでいる。本に視線を落としている伏し目がちな瞳は、宇宙の果てのように、深く暗い。そしてまた、宇宙の果てには何があるのだろうかという好奇心をくすぐるような妖艶さもある。鼻筋はキレイに通っている。唇は赤富士のように赤い。肌は雪のように白く、手足は細長い。彼女は白いワンピースを着ていて、まるで物語のヒロインが、間違えて小説の中から出てきたのかと錯覚してしまうほどに――美しかった。
「美人な人ですね」
俺は思わず、嘘偽りのない感想を言っていた。
「そうだろう。あれほどの美人、なかなかおらん」
カマキリじいさんはなぜか嬉しそうに誇った顔をした。その顔を見て、カマキリじいさんがどれだけ彼女のことが好きなのか、なんとなく想像できた。
「彼女……なんて名前なんですか?」
俺は彼女にずっとピントを合わせたまま、ぼんやりと訊ねた。




