土下座その12
「ふん。土下座なんぞしおって、貴様にはプライドがないのか」
カマキリじいさんは面白くなさそうに鼻をフンと鳴らした。
「土下座を、知っているのですか?」
今確かに、カマキリじいさんは『土下座』と言った。角ありの亜人も土蜘蛛様も「日本語」を話していたから、まさかとは思ったが、ここは、日本なのか?
少なくとも、土下座という文化があり、日本語という言語を話す地域ということは確かなようだが……。
「知っておるわ。相手に謝罪をするときに使う、卑しい行為だろう」
「それは間違いです!」
俺は思わず声を張り上げていた。
カマキリじいさんは少しだけ動揺し、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたが、すぐに威厳を取り戻した口調に戻った。
「何が間違いだと言うのだ」
「まず、土下座とは謝罪をする行為ではなく、相手に許しを請う行為です。謝罪の意は一切ありません。それは土下座にとっての不純物です。相手に許してもらうことが目的なのです。謝りたい気持ちなど微塵もない。それともう一つ、土下座は卑しい行為ではありません。土下座とは、武器です。目的を達成するための、美学を伴った武器なのです」
俺はつらつらと力説した。
「武器」
カマキリじいさんは「武器」という言葉にだけ反応し、呆けた顔で壁のシミをぼんやりと眺めていた。
「そうです、武器です。土下座は武器なのです」
「ワシも、土下座すれば良かったのだろうか。あのとき、プライドなど捨てて、無様に土下座をして懇願すれば、彼女と結婚できたのだろうか。子供もいたのだろうか」
カマキリじいさんは首がそのまま折れるのではないかと心配になるほどの勢いで、項垂れた。その背中には哀愁が、その脇からは加齢臭が漂っていた。
俺はここで、あることを閃いた。
土下座の力を使って、このカマキリじいさんに恩を売るのだ。
ここでこのカマキリじいさんに恩を売っておけば、いろいろと役に立つだろう。この先、俺は元いた場所に戻れるかどうかもわからない。おそらく、当分はこのわけのわからない世界で生活をしなければいけないのだろう。
そうならば、少なくとも、住む場所と食料の確保が必要になる。
そして、カマキリじいさんは、俺に衣食住を与える権限を持っている。現時点では最も土下座するに値する人物と云えるだろう。それに、このカマキリじいさんはやさしさを隠せない人間だ。
見ず知らずの行き倒れの人間をここまで運び介抱してくれたのだ。それはつまり、やさしさという付け入る隙があるということだ。
いつだって、やさしさという隙間に、土下座は入り込む。
土下座は武器であり、処世術であるということを、身をもってわからせてあげましょう。
「あの、あ、名乗り遅れました。わたくし、土屋白秋と申します。あなたが私をここまで運んでくれたんですよね」
俺は声色を一段あげて、擦り寄るような声で自己紹介をした。頭の中では慎重に卑しい算段をしながら。
カマキリじいさんの懐に入るには、言葉選びを間違えてはいけない。
「うむ。そうだ。重かったぞ。老体にはちとな」
カマキリじいさんは話題が変わったことに少しほっとしたのか、顔をあげて虚勢を張った。
「御名前を教えていただけますか」
「ふん。名乗ったところで、すぐに忘れる。ワシはすぐ死ぬ。死んだらワシの存在はすべて、貴様の頭の中から消去される」
話題が変わってほっとしたくせに、すぐに自虐に走るところが、非常にめんどくさいジジイだと思ったが、そんな感情はおくびにも出さないように細心の注意を払う。
「私は忘れません」
「テキトウな嘘をつくな! この世界のルールは絶対だ」
「大丈夫です。テキトウではありません。ちゃんと根拠があります」
「何? 根拠だと?」
「ええ、あなたは、これから結婚して、子供を授かるのですから」
「な、ど、どやって」
俺は土下座しながら、にやりと笑った。
「土下座に不可能はありませんゆえ」




