32、「それだけ」
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…
あれから数分か?
いや、たぶん数十分経っただろうか。
俺は………生きている。
当たり前だろって?
確かにそうだな。
世界で一番安全だと言われる日本で何をバカなことを言ってるんだと思ってるだろう。
そう、それが当たり前だ。
でも、しかしだ!
俺は危うく俺の大事な何かを殺されそうになったんだ!
そこにうつ伏せで倒れている御堂 守に!
何で倒れてるのかって?
そんなん俺が知るか!
さっきまで襲われそうになってたんじゃなかったのかって?
そうだよ!襲われそうになってたよ!!
だからなんだよ!
俺が悪いってのか!
文句あるなら言ってみろ、コラぁ!!
………すみません。
取り乱しました。
はい、あ、なんでこうなったのかですよね。
正直に答えます。
あのですね、まずなんですけど皆様もご存じの通り、俺は身動きを取れない状態にされたわけですよ。
あ、今も取れないんですけど。
で、身動きの取れない俺に、そこに転がってる御堂が、
「サクマ……僕のものになれ」
って感じで迫ってきたわけですよ。
顔を真っ赤に染めて、荒々しく肩を上下させながらハァハァと艶かしい息遣いで、ですよ。
一歩一歩ゆっくりと踏み出すたびに荒くなる息遣いと上下に揺れる胸部に付いた高級メロン様。
何かを失う恐怖でガリガリと削られていく俺の精神。
もはや発狂寸前。
と、その時でした。
糸が切れたのです。
御堂の。
真っ赤な顔のまま「キュ~……」と可愛らしい声を漏らして、失神してしまったのですよ。
呆気にとられる俺。
予測でしかないのですが、たぶん刺激が強すぎたのか急に恥ずかしくなったのか目を回してしまったのだと考えられます。
でもって、急に安堵した俺も疲れからなのかそれと同時に気を失った、というわけです。
はい。
ということで、よぉ~くわかったろ?
何がって?
まだ危機は去ってないんだよ。
あれからそれなりに時間が経過しているときたら、いつ御堂が目を覚ましてもおかしくないだろ!
はやく、はやくここから脱出せねば。
とはいっても動くのは首から上と腰くらいだからなにもできないんだが。
ついでに言えば壁にくっついた状態だから、ここから動くことすらできない。
ならばありったけの声を張り上げてみようかと考えたが、ココは防音設備が必要以上の部屋だったということを思い出す。
しかも、叫べばすぐそこで倒れている御堂も起こしてしまいかねない。
詰んだ。
いや、すでにこうなる前から詰んでいたのかもしれない。
ふふっ……
何だろう急に涙と笑いが込み上げてきたぜ。
「誰か助けて……本当は七羽に来てもらいたいけど、この際、笹塚さんでもいいから……」 ぼそっ
「お呼びでしょうか、朔真様」
「つぅぇぇぇい!! んな、なんで!? なんでここに!?」
ぼそっと呟いたらいきなり下からニュッと現れたからマジでびっくりしたよ!
変な声まででちゃったよ!
「なぜ、と言われましても、初めからこの部屋におりましたので」
「………え? 居たの?」
「はい、はじめからおりました。僭越ながら申し上げますと、事の次第もすべて見ておりますのでご安心を」
「ノォォォォォォォォォォォォ!」
恥かしっ!
俺と御堂のやり取りの一部始終を見られてたなんて。
この先生きていけない!!
………程ではないが、さすがにねぇ。
俺にだって羞恥心くらいはあるってもので。
って待て待て!
今スルッと大事なとこ聞き流すとこだったぞ。
この執事一体この部屋のどこに―――
「いたのか、でございますか? 」
心の中で思っていたことを先読みされたことについてはスルーだ。
ちょっと前に似たようなことがあったし。
気にしたら負け。負けなのだ。そう強く思うことにする。
で、俺が心の中で自己暗示をかけている中、笹塚さんは胸ポケットからスッとハンカチを出すとパサリと広げ、それで顔を隠してから部屋の隅に陣取ように移動していた。
「はい、このようにここにおりました」
「なるほど! そうすれば顔も隠れるし壁と一体化してるからわかり辛いと言うことですね」
「さすが朔真様、素晴らしいです」
「………………」
「ってなるか!! 壁と一体化なんかサラッサラする気ないだろ!だいたい壁の色は白で服は黒の燕尾服って時点でもろバレだし、しかもこともあろうにハンカチの色がピンクって!! もうなんなのってレベルでおかしいでしょ!? ねぇ!? ってかなんで俺の考えてること先読みできたわけ!?」
だってそうでしょ?
あんな普段から見無い様な奇抜な姿した人いないでしょ?
しかも”ど”が付くほど発色が良いピンクのハンカチで顔隠すとかもうどうかしてるでしょ?
そう思わない?
「いやはや、そうは言われましても、実際には朔真様に見つかりませんでしたので。 ですがさすがにこの偽装では無理があったかもしれませんね。朔真様が他の何かに気を取られていなければ気がついたかもしれませんね」
ニコリと笑う笹塚執事。
で、他の何かと言われ焦る俺。
頭に浮かぶのはもぎたてのメロン二つ。
…………
………
……
「いやぁ~完璧な溶け込み具合で全く気が付かなかったですよ! さすがは笹塚さんだ!実に素晴らしい!」
急によいしょする俺。
今俺にできることは、これしかないのだ。
不自然だと感じる笹塚さん参上には目をつむるしかないのだ。
クッ………
「お褒めに預かり光栄に存じます」
「いえいえ、ご謙遜を。あのぉ~ですね、せっかくここにいらしてるのでお願いがあるのですがよろしいでしょうか」
「はい。何なりとお申し付けください」
めっちゃゴマ擂った甲斐があったのかすんなりと俺のお願いを聞き入れると言ってくる笹塚さん。
怪しい……
が、今はいち早くここから脱出しなければ!
「では、この拘束をはずして―――」
「その前に一つだけ、私からもお願いがあります」
来たよ、キタキタ!
やっぱり何かあると思ったんだよ!
やっぱあれか?
ココから出して欲しければ守様と結婚しろとか、出してはやる代わりにおまえはこれから御堂家の使用人だとか、言われるのか!?
うぐぅ……
悩んでも仕方がない。
背に腹は代えられんのだ。
「……なんでしょう」
俺がそう一言答えると、笹塚さんはツカツカと目の前まで歩いてにっこりとほほ笑む。
「もう一度、もう一度だけで結構です。 守様にチャンスをお与えください」
「えっ? それだけでいいんですか?」
「はい。 それだけで結構でございます。 ただ覚えておいて頂きたいことがございます。朔真様には ”それだけ” のことでも、守様にとっては大きなことなのです。そしてそれはこの世の中に山ほどございます。本人にとっての小さなことが他人にとっての大きなことであるように……です。 老いた者の言葉と思ってもらって構いませんが、何かの時には思い出していただければと思います」
ゆっくりとした口調で語る笹塚さんの言葉は、俺の心の中にしっかりと響き渡った。
御堂との話はあの時に終わったのだと拒否をしていた俺。
だけど、御堂はあの時のあの瞬間から始まったのだ。
勝手に終わらせて、勝手に隅に置いていた俺の勝手な考えを攻めもせずに教えてくれた笹塚さん。
やっぱり、俺はこの人には敵わないな。
だから俺は、
「はい、わかりました」
と、答える以外はしなかった。
笹塚さんもただ、にっこりといつもの笑みを浮かべてゆっくりと軽く頭を下げる。
固定された俺の手足をほどいて俺を解放すると、ドアまで歩いていき扉を開く。
「どうぞ」と外へ出るように促す笹塚さんに、「御堂は……」と尋ねると、またゆっくりとした口調で、
「私がすべてをお伝えします。朔真様はごゆっくりお休みください。お気遣いありがとうござます」
と優しく返してくれた。
俺も「はい」と一言返し、扉を閉めてもらった。
閉まった扉の向こうにいるであろう笹塚さんと御堂に「おやすみなさい」と小さく囁き、その場を後にした。
でさ、良い終わり方した後に言うのもなんだけどさ……
あれ…… あそこって俺の部屋じゃなかったっけ? どこで寝ろと?
途方に暮れ、お決まりとなったいつものため息を深く深く吐き出すのだった。




