18、料理も気持ちも
ふと気が付くといつの間にか眠っていたのか、ベットに横になっていた。
「……あつい」
それもそうだろう。
しっかりと肩まで布団をかぶっていたし、今日も今日で寒いという訳ではなかった。
首から下がもう汗でびしょびしょだ。
でもそのお蔭もあってか、熱自体もかなり下がっているような気がする。
だるさも、節々の痛みも今は無い。
体の調子はすっかりいつも通りと言う感じになっていた。
でも、汗の所為で肌に張り付く下着やらシャツのべとついた感覚は何とも言えない不快さを覚える。
これがスポーツでかいた汗ならまだ気持ちよさがあったんだろうけど……
でも今はまずお風呂で体を流そう。
そう思って、着替えとタオルを手に一階まで下りていこうとすると、いつもとは違った匂いについ足が止まる。
「この香りは……シチューだ」
カレーやハヤシライスの匂いもそうなのですが、鍋で煮込んでいる時の匂いはどうしてこうも鼻孔をくすぐるのでしょうか。
止めた歩みを再開して、匂いのする台所へ少し速足で向かいます。
そこには、気だるげに鍋の底が焦げ付かないようシチューをかき混ぜる兄さんがいました。
私に気が付くと、火を止めいつもの笑顔を向けてくれます。
「おっ、七羽。起きて大丈夫か?熱はどうだ? ちゃんと測ったか?」
と矢継ぎ早に質問を投げかけてくる兄さん。
それに私は大丈夫だよと言って兄さんのところまで歩いて行って、火を止めた鍋の中身をのぞいてみる。
具材のたくさん入った少し黄色めのシチューが余熱でふつふつと煮立っていてとてもおいしそうだった。
「昼もお粥だったから腹減ったろ? 今から食べるか?」
兄さんは優しく私に問いかけてくれる。
「すぐに食べたいんですけど寝ているうちに結構汗をかいてしまったせいで、ちょっと気持ちが悪いので先にお風呂に入ってきますね」
「そうか、わかった。じゃあ、出たら食べられる様に準備しておくよ」
「はい。わかりました」
そう言ってお風呂場まで移動して、洗面台の鏡に映る自分の顔を見てみるとやはり真っ赤になっていた。
だってそうでしょう!
眠る前まであんなにいっぱいキスしたんですよっ!
私だって緊張しますからっ!
それになんだか黙ってると、その、兄さんの唇に視線がいってしまって、なんだか引き寄せられるような感覚が……
って、さすがになんでもない時に唇奪いにいくとか節操なさすぎですってば!
でも、兄さんの唇、
「やわらかかったなぁ……」
ちがいます、ちがいますって!
あぁもうっ、とにかく今はお風呂です!
お風呂でスッキリして一回リセットしないとです。
*****
脱衣所の方から風呂場への引き戸がガラガラと開く音が聞こえてくる。
七羽は風呂に入ったようだった。
その瞬間俺は、全身の力が抜けその場にへたり込む。
「あぁ……緊張した」
だってそうだろ!
ついさっきまで熱いキスを何度も何度も、息も絶え絶えにになるくらいしてた相手がですよ、シチューが焦げ付かない様にかき混ぜて、無になってた時に不意打ちの様に現れるとかっ!
ダラダラ散歩してたら突然目の前の民家が大爆発起こした時くらいビビったわ!
まぁそんなことはなかなか起こらないだろうけど。
ともあれ、まずは晩飯の準備だ。
無心でかき混ぜた甲斐もあって焦げ付かずにいい感じのシチューが出来上がった。……とは思う。
テーブルに食器を用意して、七羽が飲む夜用の薬も置いておく。
良くはなったのだろうけど、直った訳じゃないから忘れないようにしないとな。
それと、風邪の時はリンゴが良いらしいから食後に出せるように切っとくか。
準備って言っても、後はシチューをよそればそれで終わりだしな。
リンゴを二つ冷蔵庫から取り出し、ショリショリと皮をむいていく。
ここで気になった奴もいるだろう。ちょっと前に俺は料理が料理が出来ないと言ってたのに何で皮むきをそんなに器用にできるのかと。
もちろんその考えは御尤もだが、料理が出来ないからと言って皮むきが出来ない訳ではないのだ。
俺がいつもうまくいかないのは味付け。
だが勘違いはしないでほしい。
けして、砂糖と塩を間違えただとか、異常なくらい見た目がアレになるという訳ではない。
見た目は普通だし、匂いもいい香り。
でも、ひと口食べると誰しもが……ん?ってなるのだ。
原因はわかっている。
いつも普通に作るのは味気ないと思ってしまい、香辛料や調味料などを何となく感覚で数種類入れてしまう事にあるらしい。
例えばカレーだが、一昔前にインスタントーヒーを入れると味に深みが出ると言っていたのを思い出してそれを投入、次に優しい味わいになるという事ではちみつ少しとリンゴのすりおろしを投入、本場さながらの味わいを出すためにターメリックだのクミンだのの香辛料を4種類ほど投入、コクが出ると評判の近所のとんかつ屋で手に入る自家製特濃ソースを少々投入、日本人にはこの味が欠かせないとの事で醤油を投入、最後にまろやかさを追加するために牛乳を入れれば完成だ。
どう考えても旨そうになる要素しかないはずだろ?
で、俺が自信満々に夕食に出したそれを食べた母親のひとことが、「薬の味がする……」だった。
確かにそんな感じはした気がするがそこまでかと思ってしまった。
まぁ次の日に食べたら、確かに漢方の味がしたのは間違いなかったわけで。
たぶん、作っている時は味見のし過ぎで下がマヒしていたのだろう。第三者の意見は大事です。
それからというもの、なんど作っても薬の味がするという俺の料理は母親に封印され、手伝うときはもっぱら皮むきと下準備のみとなったという訳なのだ。
と、まぁ話が長くなってしまったが俺が出来ないのは味付けのみなのでその他は出来るという事。
今回のシチューはパッケージの通りに作って、俺オリジナルの味付けにしてはいないからたぶん問題はないだろうと思う。
とか思いながら、最後ひとかけらの皮をむき終わり、それを塩水に投げ入れると、ちょうど七羽が風呂から出てきたようで濡れた頭をタオルで乾かしながら、台所の俺のところもでやってくる。
その顔はほんのり赤く染まり、濡れた髪から見えるうなじにドキリとさせられてしまい、ついつい明後日の方向を向いてしまう。
「私もお手伝いしますよ兄さん」
「だ、大丈夫だって、あとはシチューを持っていけばいいだけだからさ」
「で、でもここまで作って下さったんですし、よそるくらい私にもできますからやらせて下さい」
「いや、いいって。七羽はせっかくだから座ってろよ」
と、互いに鍋のフタに手を伸ばし、図らずも取っ手と互いの手をぎゅっと握りしめてしまう。
あっ、と思って互いにサッと手をひっこめる。
流れる沈黙。
横目でちらりと七羽を覗き見ると顔を真っ赤にしながら俺が触れた方の手をぎゅっと握りしめていた。
なんだかムズムズとした雰囲気になってしまった。
「な、なぁ、ほら、座ってろって。まだ本調子じゃないんだからさ」
「う、うん。そうしますね。ありがとう、兄さん」
赤い顔のままありがとうとほほ笑む七羽のあまりの可愛らしさに、思わず俺は細い肩を抱き寄せて、唇に軽くキスをした。
触れたのは一瞬。
でも、またしてしまった。
そうなると何かが外れた様に、互いにまた求めるように深く長いキスを交わす。
数分の間重ねられた唇を、名残惜しそうにゆっくり離していくと、なぜか七羽は怒っていた。
「七羽? どうした? 嫌……だったか?」
「……はい。すっごく嫌でした」
俺はその言葉に言い知れないショックを受ける。
己の欲望に任せて七羽を汚してしまったんだと後悔する。
俺は、縛りカスの様になってしまった声で小さくゴメンと呟く。
だが七羽の怒りはまだ収まっていない。
「なんでいきなりこんなことしたんですか…… なんでここでしたんですか……」
うまく口が開かずに押し黙ってしまう。
「なんでですか。私は……私は必死に我慢してたのにっ!」
「へ?」
と、プンプンと言った感じで怒りを表現する七羽。
あれ?嫌だったんじゃないの?
「えっと、あの、七羽? 俺とキスするのが嫌だったんじゃないのか?」
「そんなわけないじゃないですか! 会うたびに……顔を見る度にキスしたくなっちゃうからせっかく我慢してたのに、なんで兄さんからしてきちゃうんですかっ! そんなことされたら、もう、我慢……出来なくなっちゃうじゃないですか…………バカ兄さん」
「………かわいい」
「あの、ありがとうございます………じゃなくて、私は怒ってるんです! 兄さんの所為で私が我慢できなくなっちゃうんですから!」
そう言う事だったのか。
まぁ確かに所構わずキスしたいからと言ってチュッチュしてたらいろんな意味で良くない。
それに俺達の場合は兄妹だから尚更だ。
家の中だからいいものの、慣れてくると外でもしかねない。
七羽の言う通り俺がいけなかった。
少しそういう事に対して軽率すぎたかもしれない。
「ごめん七羽。確かにどこでもしていいってわけじゃないよな。これからは気を付けるようにするから」
「……本当ですか?」
うるうるとした目で上目使いに見つめてくる七羽。
うっ……かわいい……
っといかんいかん!また意識がトびそうになった。
先ほどの反省はどこへやら、恐ろしすぎるくらい可愛いなぁ七羽は!
となると俺の返事など、「うん、まぁ、程々に?」と微妙にお茶を濁すような感じにしか返すことが出来ない。
七羽はと言うと、
「程々じゃダメです! したいときはちゃんとしたいんだけど、とか言ってからにして下さい! いきなりだとドキドキし過ぎて私もダメになっちゃいます……」
「………」
「兄さん? 聞いてます?」
「なぁ、七羽……」
「なんですか?」
「したいんだけど……」
「いきなりですか!? もうっ! いくらなんでも急すぎですっ!」
とか言いながらもクイっと顎を突き出してくる。
そこに俺は軽く口づけをする。
「七羽が可愛すぎてすぐしたくなっちゃうな。ごめんな」
「もうっ……でも、私もですからおあいこですね」
二人でほほ笑みあい、食べようと言ってから時間がたってしまった事を思い出し、夕食をとることにした。
七羽は俺が作ったシチューをおいしいと言ってたくさん食べてくれた。
今回、俺はわかったことが一つある。
素直に作れば料理はうまくなるという事。そしてそれは気持ちも同じ。
素直になれば、いらない言葉や強がりなんていらないという事だ。
でもたまには、ちょっとしたアクセントに何かを入れてみたいとは思う。
もちろん、入れすぎには注意してだけど。