◆第91話◆
試験の間、優子は帰りにそのまま表参道まで行って、2時間うろつき、それから家に帰って翌試験の勉強をした。
彼は何時もいないまま、出会う事は無かった。
一日中張り込みたいけれど、試験が終わるまではそうも行かない。
試験が全て終わった日、一葉と里香がカラオケと買い物へ行こうと優子を誘う。
彼女も少し息抜きがしたいと思ったし、明日からいくらでも忍を探せると思うと、小休止のつもりで二人に付き合うことにした。
渋谷まで出てカラオケをした後、暫くブラブラしていた三人だが、マックに入って他愛無い話が飛び交う中で、里香が唐突に表参道に行きたいと言った。
「オープン以来行ってないからさ。久しぶりに行こうよ」
表参道ヒルズの事だ。
半日一緒にいて、他愛無い話を積み重ねた事で気持ちが何時もより開放されたのか、優子もついでのように突然切り出す。
「実はさ……今高森って、表参道にいるみたいなんだ……」
「はあ?」
一葉が声をだす「高森は病院でしょ?」
「実はさ……」
優子は自分でも納得していない事実を話して聞かせた。
高森が一度目の形成手術の後、病院を抜け出して姿を消した事。どうやら、篠山の家が所有しているアパートに隠れている事。
「なんで言わなかったの?」
一葉はコーラのカップを手で潰す勢いで言う。
「だ、だってさ……なんて言ったらいいか判んないし、あたしも何だかわけ判んなくて」
「じゃあ、早く行ってみよう」
「一葉、それは無いよ」
里香が言った「表参道までは一緒に行っても、高森の隠れてるアパートにあたしたちが行くのはマズイって」
「そ、そうか……」
一葉はコーラの残りを、音を立てて啜ると
「とにかく向おう」
そう言って立ち上がった。
優子は二人から離れて、高森のアパート。正確には彼のアパートではないのだが……そこへ行って見る。
しかし、ヤッパリ高森の姿も気配もそこには無かった。
――いったい何処に行ってるんだろう。本当にここに隠れてるの?
優子は別行動の友人たちが気がかりで、アパートの周りをぐるりと廻ると、その場を後にした。
「どうだった?」
一葉と里香の待つ場所で合流する。言葉を発したのは一葉だ。
優子は小さく頭を横に振って、わざと明るく笑う。
「やっぱりいなかった」
「そうか……」
三人は明治通りと表参道が交差する歩道橋を登って、西の空に沈みかけた太陽を眺める。
高層ビルの黒い影の谷間に、オレンジ色の夕日が浮かんでいた。
優子は手すりに片手をかけると、もう一方を前方に突き出して宙を掴む。
手が届きそうなほど、夕陽が大きかった。
一葉も手すりに腕ごと絡めるように、身体をくっつけた。
「楽しい試験休みも、優子には苦難だね」
「そうでもないけど……」
「優子も新しい男捜せばいいのに」
里香が背中で手すりに寄りかかる。
「あんたと優子は違うの」
一葉が里香の腕を押した。
ビルの長い陰は、街並に逸早く暮色を忍ばせ、車道を行き交う車にはヘッドライトがポツポツと燈り始めていた。
後を行き交う同じ年頃の声が、高い笑い声と共に過ぎてゆく。
「あっ」優子が小さく叫んだ。
「なに? どうしたの?」
一葉は優子に振り返ると、彼女の視線を追う。
「あのバイク……」
「バイク?」
歩道橋の直ぐ下の車道に、信号待ちで停まったアメリカンタイプの大型バイクが見える。
そのアイドリングは、周囲の喧騒から秀でた音を奏でていた。
「あれ、高森だ」
「うそ?」
一葉が首を伸ばして覗き込む。
「ゼッタイ高森よ。あれ、篠山のバイクだもん」
「ああ、言われてみれば篠山らしい音がしてるかも」
一葉と一緒に、里香も身体を返して車道を見下ろした。
「優子、行かないの?」
「そうだよ、あんた、早く行きな」
一葉が優子の腕を取る。
「えっ、で、でもさ……」
「バカ、早く行けって」
一葉は彼女の身体を手すりから剥がすように腕を引っ張ると、背中をバンと叩く。
「早く、信号変わっちゃうでしょ」
一葉はモタモタしている優子の腕を掴んだまま走り出した。
サラリーマンと肩が触れて「あ、ごめんなさい」と言いながら、意識はそれどころではない。
「早く、早く!」
階段の手前で優子の腕を放し、背中を再び叩いて強く押す。
交差する信号が黄色になって、右折の矢印が点灯する。
「早く走れ。早く!」
優子は一葉に後押しされて、階段を駆け出した。
「もっと速く走れ!」一葉の声が再び背中を押した。
肩に掛けたスクールバッグを握り締めて、優子は一段とびで階段を駆け下りる。
階段を上ってくる人波を掻き分けると、それらの視線が行き過ぎる彼女を追った。
不完全燃焼で燻されていた想いが、唐突に湧き上がって真っ赤に燃え上がる。
鼓動が跳ね上がって、激しく胸を叩くのは走っているからではない。
想いに決着をつけたい……いや、そもそも想いに決着などつけられるのだろうか……
ローファーの踵が、足から外れそうになって浮き上がった。膝上丈のスカートが、走る風で舞い上がる。
歩道を横切るとき、信号が青に変わるのが見えた。
優子は止まらなかった。
以前の彼女なら、諦めて立ち止まったかもしれない。
しかし、今の優子には彼と歩んだバックボーンと、背中を押してくれる友人達がいる。躊躇する事無く、そのままの勢いで車道へ飛び出して、停止線の最前列にいた忍のバイクの前に飛び出た。
ダダダダッと、ハーレーのエンジン回転数が上がった。
唸りを上げたバイクは走り出そうとしたが、直ぐにブレーキを掛けて止まる。
沈むフロントホークと一緒にグッと前方に揺れたヘルメットが、優子を見つめた。
「忍! 高森忍!」
優子は肩で大きく息をしながら、周囲の喧騒に掻き消されないように、仁王立ちのまま精一杯叫んでいた。
心臓が張り裂けそうなほど騒がしい動悸を奏でて、バイクの騒音までをも飲み込む。
ヘッドライトの燈した車の群れが傍らを次々に流れて、優子は光の帯に包まれた。
何時もお読みいただき有難う御座います。
加筆・修正の調整にもよりますが、あと2話で完結予定です。
渦巻く展開にお付き合いくださる読者の方々に、大変感謝いたします。