◆第9話◆
遅い帰り道。
優子はまたもや偶然高森忍に会う。
彼は信じられない言葉を口にするが……
放課後、家庭科実習のレポートを集めて職員室に持って行った帰り、体育館寄りの階段を使って教室に戻ろうとした優子は、二階の踊場で足を止めた。
この学校は、一階と二階の両方から体育館に出入りできる。
体育館の二階には、女子用の更衣室が在るからだ。
そして、その通路の先に妙な人だかり。
溢れるようなレベルではないが、なんだか黒や茶色の頭が扉の窓ガラス越しにうごめいている。
理由は判っていた。
バスケ部が紅白戦をするらしいという情報は、自然と優子の耳にも届いていた。
二年の相手は事実上引退した三年だ。
もちろん高森を見に来る連中も多いが、三年にもこの学校TOPレベルのモテ男が二人いる。
こういう場では、普段そんな素振りを見せない連中もどうどうと彼らを眺める事ができるのだ。
――どうせ、バスケなんてろくに知らないくせに……
優子は肩をすくめると教室へ向う。
正面から一葉が来て
「ああ、優子。試合もうやってるのかな?」
もちろん、バスケ部の事だ。
「知らない」
「ちょっと見てくるから、待っててね」
――おいおい、これから一緒に買い物行く約束だろ。
体育館に向って走る一葉の背中を、優子は無言で見送った。
その日、学校帰りに久しぶりに一葉と買い物に出た優子は、日が暮れる頃に地元の駅に戻って来た。
一葉がバスケ部の試合を20分も見ていたので、その分出かけるのも帰ってくるのも遅くなったのだ。
小さな人波に紛れるように駅のロータリーを出て国道を渡ると、スポーツ用品店から忍が出てくるのが見えた。
一瞬足取りを緩める。
周囲の人の流れが彼女を追い越して四方に分かれてゆく。
優子は何故かとっさに気付かない振りをして歩くペースを戻すと、そのまま歩道を進んだ。
――うわっ、あたし何こそこそしてんの。でも、何て声かけたらいいか判んないし、こんな時は気づかない振りがいいよね。それがベストよね。
一緒に横断歩道を渡った小さな人波は散り散りになって、優子の前方に数人の人影があるだけで、彼女の周囲には誰の姿も無かった。
「五十嵐ぃ」
後から声が小走りで近づいて来る。
――な、何であんたはわざわざ追いかけて来んのよ。別に一人で歩いて帰ればいいじゃん。
「あ、ああ。高森……今帰り?」
仕方無しに、優子は振り返って微笑む。
――あっ、あたし今高森って呼び捨てにした? でもいいよね。同級生なんだしさ。
「ああ。五十嵐も今日は遅いんだな」
忍はそう言って、優子の隣に並んだ。
「うん、ちょっと友達と買い物」
「そうか」
そう言った後、忍は少しの間沈黙する。
――ほらほら、話す事無いならあたしに並ぶなよ。間が持たないんだからさぁ。あんたが話さなきゃ、あたしは話すこと無いんだよ。
「あ、あしたから試合?」
結局優子は、沈黙に耐え切れずに自分から声を出した。
「あ、ああ。見に来る?」
――何であたしが区の総合体育館まであんたの応援に行くのさ。
「あ、あたし。あんまりバスケット解んないから……」
「そうか……」
優子が盗み見るように見上げると、忍は少し淋しげな笑みを零した。
――な、なによ、それ。その哀愁を纏った笑みはなに? まさかあたしに応援して欲しいってんじゃないでしょ?
どうせクラスの何人かは応援にいくだろうし女バスだっているんだし、それにあんた、他の学校からだって応援される事ぐらい知ってるんだからね。
「月曜は学校だろ?」
忍は正面に向き直って言った。
「う、うん。何か火曜を振り替えにするんだよね……運動部の為でしょ?」
「ああ、そうだろうね」
月曜日は本来祝日で学校は土曜日から3連休なのだが、運動部は新人戦大会の為休む事ができない。
そこで、月曜日に一般生徒の授業を行い振り替え休日を作るという学校側の配慮だ。
優子は忍と肩を並べながら、何だかよく判らない気分に煽られて少々困惑していた。
忍が漂わせる雰囲気に何かを感じていたのだ。
――なんだこの雰囲気は……何だか妙に気まずいような、甘酸っぱいような雰囲気……あたし超苦手なんですけど。
「火曜は、暇?」
「はあ?」
優子はあからさまに髪を振り乱す勢いで忍を見上げた。
――な、何いっての? 何であたしにそんな事訊くわけ? 理由を最初に言えっての。理由が解んないと、答えるのが怖いでしょうが。
「ど、どうして……?」
「暇だったら、どっか行かない?」
忍は真っ直ぐ前を向いて歩きながら、サラリと言った。
――何言ってんのコイツ。何でそんな事サラッと言っちゃってるの? 何だ、誰かを誘ったけど都合が悪かったって言うパターンか? それとも完全にあたしをからかってるのか?
「ど、ど、何処かって?」
「いや、ほら。部活もないしさ、気晴らしっていうか」
「ほ、ほ、他の人誘えばいいじゃない?」
――(思考不能)
「そうなんだけどさ……五十嵐は忙しいの?」
――答がおかしいだろう。だから、どうして他の奴を誘わないのかってあたしが訊いてんだよ。何であたしを誘うわけ?
「べ、別に用事は、無いけど……」
――うわっ、言っちゃったよ。行きたいのかあたし。高森と出かけたいのか?
「じゃあ、決まりな」
――はあ? 何が決まったの? 何時決まったの?
ずっと前を向いていた忍は優子を見下ろすと
「じゃあ、火曜日は10時に駅前な」
――ええぇぇぇぇぇ!! 決まったの? そう決まったの?
「じゃあな、行きたいとこ考えておけよ」
忍はそう言って路地を曲がっていった。
何時の間にか家の近所の別れ道まで来ていたのだ。
優子はちょっぴり引き攣った笑顔で、反射的に手を振っていた。