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琥珀色の風  作者: 徳次郎
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◆第83話◆

 二月の末、優子は何時に無くソワソワした。

 忍が1回目の形成手術をする事が決まったらしいのだ。

 彼とは一度会ったきり優子は病院へ行かなくなった為、手術の事は舞衣に聞いた。

 最近は忍についての事は、直樹を経由せず舞衣が直接優子の携帯に電話をしてくれる。

 ただそれは、直樹が直接伝えて欲しいと舞衣に言ったからだ。

 少しでも人伝でなく、出来るだけ忍に近い身内から伝えてあげたいと思ったからだ。

 優子は忍が形成手術を受けて少しでも傷が癒えたなら、再び会えると信じていた。

 優しい笑みで自分を見つめ、またのらりくらりとした感情を表に出さないような曖昧なアプローチで自分を誘ってくれると信じていた。

 あのミデアムレアのような彼のアプローチは、今思えば過剰なプレッシャーもなく心地よくさえ思えた。

 経過が順調なら、来週の予定らしい。

 優子は学校へ行ってもどこかソワソワして落ち着かず、何か違う事で気を紛らわせようとしたが、それすらもままならない。

 里香の彼氏の話しを聞いてみたり、一葉のたあいもない流行の洋服や人気アイドルの話しを聞いてみたりしても、やっぱりどこか上の空で頭の中には留まらない。

 そんな日々を過ごすうちに、あっと言う間にオペの日は訪れた。



 その夜、舞衣がわざわざ優子の家を訪れる。

 忍の怪我の原因について未だに責任を感じている彼女が僅かでも出来る事は、彼と優子の橋渡しなのだ。

 直樹の部屋で床に腰掛けながら、三人でコーヒーを飲む。

「とりあえず手術は成功だって言ってました」

「そう……よかった」

 舞衣の言葉に優子は安堵の息をつくが……

「でも……少なくともあと二回は手術が必要だって」

「そうなんだ……」

「でもさ、逆に言えば手術を重ねればちゃんと治るって事でしょ?」

 二人の重い表情に、直樹が言葉を挟む。

「うん……」

 優子も舞衣もなんとなくおざなりに頷く。

「次は経過を見てからだって」

「そうだろうね」

 優子の不安は数知れなかった。

 ――このまま3学期を全て休んだら、進級でないんじゃ……でも、成績がいいから大丈夫なのかな……

 いったい彼の姿が元通りになって学校に復帰するのは何時の事なのだろうか……

 優子はそんな予想もつかない先が、不安で仕方がない。

「気長に待つしかなんだろうね」

 それでも優子は舞衣に気を使って、明るく言った。

 彼女だって責任を感じて不安でイッパイのはずだ。

 とにかく、全快する事に希望を膨らませるしかないのだと思った。

「そう言えば、今日佐助の散歩に行ったら、垣根の隙間から出て来た猫が佐助の顔にいきなり飛びついてさ」

 直樹が、明るい話題を提供しようと切り出す。

「佐助の顔に猫が? それヤバイよ」

 優子が言った。

 佐助は猫が苦手だ。

 何故かは判らないが、猫より犬の方が強いという基本概念を知らないみたいで、昔からそうなのだ。

 だから、猫を見ると動作が止まって、それが通り過ぎるのを待つか、気付かないフリをしてやり過ごす。

「ああ、だから佐助は急に走り出したの?」

 舞衣が笑った。一緒にその場にいたのだ。

 佐助の顔に飛びついた猫は再びジャンプして、直ぐ横の家のガレージの脇を通って姿を消した。

 ビックリして気が動転した佐助は、脇目もふらずに一目散に走り出した。

「佐助はね、たぶん犬のかたちをした別の生き物なのよ」

 優子はそれが真実であるかのように、背筋を伸ばして言う。

「別の生き物って何だよ?」

「そ、そんなの知らない」

 直樹が呆れ顔で肩をすくめる。

 舞衣は、二人の姉弟の会話を聞いて、再び声を出して笑った。



「今日は有難うね」

 玄関先で、優子は舞衣に言った。

「機嫌のいい時を見て、優子さんの事言ってみます」

「ううん、いいよ。あたしの事は言わなくて……」

 優子は今の忍の心に触れる事が怖かった。

 それが間接的とはいえ、複雑な彼の心情の中に入り込む勇気は無い。

「きっと、忍くんも気を落としてるから……本当は優子さんと話ししたいんだと思う……」

「うん……ありがとう」

 優子は舞衣に笑顔を見せると

「別に、あたしも辞めたわけじゃないからさ。チャンスを覗うよ」

 ――ていうか、あたし何言ってんだろ……これじゃ、まるであたしが彼にラブラブみたいじゃん……

「判りました」

 舞衣が小さく微笑む。


 月影に照らされた雲がゆっくりと動いていた。

 何だか久しぶりに見上げた夜空は澄んでいて、鮮やかに浮かんだ月面の模様が見える。

「あんた、ちゃんと送ってきなよ」

 優子は直樹に向っていった。

「今更大丈夫だって」

 直樹はそう言ってニットキャップを頭に被る。

 優子が「じゃあね」と手を振ると、舞衣も笑顔で手を振って庭を出て行った。

 黒く艶やかな髪が揺れていた。

 二人の姿を目で追いながら、優子は玄関を入る。

 庭先にいる佐助も、舞衣と直樹の姿をゆらゆらとシッポを振って見送っていた。



 自室へ戻ると、ベッドに腰掛けて彼女は考えた。

 うっかり出たさっきの言葉……

 何時のまにか忍に追いかけられる日常が当たり前になって、突然それを失ってしまった。

 そしてあの日々はもう戻らない……

 そう思うと、彼に追いかけられたあの頃が懐かしくて遠い日々の幻想のように脳裏に蘇える。

 もう戻らないのだろか……あの曖昧で複雑で、オレンジの皮をむいた時に香るような甘酸っぱい思いは、もう出来ないのだろうか……

 ――そんな事ない……忍はぜったい元にもどるよ。

 あまり考えないようにしていた事を改めて思考すると、暗たんとした未来と果敢なげな思い出だけが頭を過る。

 ――しちゃえばよかったのかなぁ……

 何故か胸の奥が、苦しくなった。

 まるで肺が萎んでゆく気がした。

 優子は忍の事を考えて、初めて目の奥が熱くなった。

 自分でも何だか判らないうちに、ほろりと雫が零れ落ちて、慌てて頬を拭った。






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