◆第75話◆
自分にはもう何も無い。
いままで自分を際立たせていたのは、自分自身の努力の成果だと思っていた。
それを自負する事で、再び頑張る事ができた。
しかし、少し違っていたようだ。
容姿というモノを考えなかった。
生まれ持ったものだから、別段意識した事はないのだ。
いや、判っていた事だ。
自分に近づく女性たちが自分の容姿に引かれてやってくる事を、前から知っていたではないか。
だから、優子に声をかけたのだ。
彼女は自分の容姿に興味がなさそうだったから……
しかし、そんな試すような事が出来るのも、所詮この姿があったから。
身体はいい。
洋服で何とかなるだろう。
しかし、左半分の顔はどうにもならない。
形成手術を繰り返せば元通りになるらしい……しかし、今は両親のいない身でそんな代金が払えるわけも無い。
ここに入院する医療費だってバカにはならないだろう。
これくらいなら、薗辺さんたちが払ってくれる。
しかしそれ以上を求める事はできない……
もう自分には何もないのだ。
きっと優子も離れてゆくだろう。
この顔を見れば……
忍はシミひとつ無い病院の白い天上を眺めながら、毎日同じことを繰り返し考えた。
* * *
1月も末になると、風は上空の寒波に煽られて凍てつく景色をセラミックのように冷たいモノへと変える。
放課後、優子が通りを歩いて駅前まで来ると、車道に車が停まった。
甲高いホーンが短く二度鳴って彼女を呼ぶ。
優子は何だか判らずに反射的に振り返るが、そこに在るのは見覚えの無い車。
いや、見覚えはある。
そこに停まっていたのは、テレビや雑誌で見た事があるイタリアの高級スポーツカーだったから。
跳ね馬の黄色いエンブレムが輝いている。
歩道側のドアが開くと、ペッタンコなその車内から長身の男が出て来た。
優子も見た事があった。バスケ部の3年生……中村輝だ。
以前、一葉に付き合ってバスケ部の紅白戦を見た時に、華麗にコートを走っていたのが印象的だ。
優子は無言で彼を見上げた。
忍や篠山よりも大分背が高い。
「やあ、五十嵐優子さんだよね」
「は、はい……」
彼は自分の車に寄りかかると「どう? 最近元気ないみたいだけど」
――どう? て、何? ていうか、アンタと話すの初めてなんだけど……
「高森の彼女でしょ?」
真冬の陽射しに、彼の白い歯が光った気がした。
「いや……彼女っていうか……」
「何気に有名だよ。キミ」
――有名? あたしが?
「高森が入院して落ち込んでるようだし……」
中村はポケットに手を入れると
「気晴らしにドライブでもどう?」
――だから……なんでほとんど初対面のあんたとドライブするのよ。
「いや、あの……けっこうです」
中村は部活をやっていた頃より伸びた髪をかき上げて
「噂通り、謙虚なんだな」そう言って笑った。
――いやいや……誰だって初対面の男の車には乗らないって……ていうか、今時は乗るの?
「フェラーリに乗る機会なんて滅多にないよ」
中村は、わざとらしくおどけて見せる。
「あ、あたし車はよく判んないし……」
「でもさ、塞ぎ込んでばっかりじゃ疲れるでしょ?」
優子は彼の後にある腰ほどの高さの車を眺めた。
周囲の景色を取り込んだ黒いボディーは、まるで熔けかけのキャラメルのように艶やかだ。
中村輝……一葉から噂は聞いたことが在る。
3年生の中で一番人気の彼は、人当たりもよくて女の子に優しい。
悪い話は全く聞いたことが無かった。
もちろん、一葉自身も直接話しをした事はないのだろうが……
優子は周囲を見渡してから、空を見上げた。
「ね、少しドライブしよう。帰りは送って行くからさ」
初対面の篠山雄二郎よりは好感が持てたのも確かだったが、何だか腑に落ちない胡散臭さが漂っている。
しかし……優子はやはり、心のどこかで気分転換を望んでいたのかもしれない。
中村輝は絶妙なタイミングでそれを突いて来たと言えるだろう。
「じゃ、じゃあ、少しなら……」
――ていうか、こいつも金持ちボンボンなんだ……うちの学校って、お金持ちの子供多いのか?
優子は再び周囲を見渡すと、辺りに同じ学校の生徒がいない事を確認して、車の右側に回りこんだ。
中村は素早く右側に回ってドアを開けてくれた。
車内を見下ろすと、かなり地面に近い場所にシートがある。
「最初にお尻から」
中村が促した。
優子は言われたように、お尻からシートに潜りこむ。そう、乗り込むと言うより、潜りこむ感じだ。
「きゃっ!」
思った以上に実際の座面は低くて、尻餅でも着くようにストンッとシートに着座すると、思わず両脚が開いて浮き上がった。
彼女は慌ててスカートを抑えて足を降ろす。
――うわっ、ヤバイ。いまパンツ見えた? 見えたよね?
彼女は紅潮した顔で上目遣いに中村を見上げる。
「大丈夫? 足、中に入れて」
中村は普通の笑顔でそう促す。いかにも慣れている感じだ。
優子はゆっくりと両脚を車内に引き込んだ。
何時もお読み頂き、有難う御座います。
もう暫くお話は続きますので、宜しくお願いいたします。