◆第71話◆
――な、何で? 何でこんな事になるの?
優子は安西のアパートの小さな部屋で、忍と一緒に並んで座っていた。
小さなテーブルを挟んだ向かい側には、篠山の姿もある。
近くの神社に忍と初詣に行ったら、篠山と安西も来ていたのだ。
――しくじった……もっと遠くへ行くべきだったんだ。あたしとした事が、安西と同じ場所へ初詣に行ってしまうなんて……
新しい住宅街が出来る以前から在るその神社は、意外に大きい。
図書館の先を少し行くと小さな丘が在る。
何時もは閑散とした場所だが、鳥居の入り口から出店が並んでいた。
石段が延びる先は林に囲まれた平地になっていて、再び大きな鳥居を潜る。
古びた神社を取り囲むように出店が立ち並ぶそこは、参拝者も多く人混みで溢れていた。
何人かの同じ学校の連中を見かけたが、気付かれず、又は知らない振りで通り過ぎる事ができた。
それなのに、安西とは鉢合わせをするかのように、本当にバッタリと出合った。
もはや知らない素振りなど出来る状況ではなかった。
「あけましておめでとう」
安西はすかさず言った。
こんな時でも彼女は冷静だ。
4人で東屋に座って話しをしているうちに篠山が言った。
「これから安西の家で飯食うんだけど、お前らも来ないか?」
彼にしてみれば気を使ったのだと思う。
自分の家には招く事は出来なが、安西の家なら忍も大丈夫だと思ったのかもしれない。
もしかしたら、安西と忍の事を知らないのかもしれない。
相変わらずアパートの敷地に在る枯れ木が、魔女の邸宅のように物寂しげに佇んでいた。
でも……
優子は安西の部屋に入って直ぐに気付いた。
篠山は幾度と無くこの部屋に来ている……
――ていうか、あたしがこの前来た時の物寂しげな雰囲気が無いじゃん……
何だか部屋の中が明るい。
畳の上にはグレーの絨毯が敷かれ、小さな茶箪笥も在る。
――カップもグラスもやたら増えてない? ていうか、全部二人分ないか?
優子は正座をして周囲を見渡していた。
「ハイ、どうぞ」
安西は3段の重箱を出してきて、テーブルに広げた。
――お、お節? 安西、お節作れるの?
「すげえな」
篠山がそう言って割り箸を割る。
「いま、お雑煮作ってるから」
安西はそう言いながら、小さな台所を行き来する。
「あ、あたしも何か手伝おうか?」
「あら、優子も料理できるの?」
安西が振り返って笑う。
――料理ぐらいできるっつうの……お節は判んないけどさ……
「優子の料理は、意外とうまいよ」
忍が言った。
「へえ、俺も食べてみたいな」
安西の鋭い視線を他所に篠山は無邪気に笑って、伊達巻をくわえる。
「じゃあ優子、お餅焼いてくれる」
安西の声に優子は立ち上がりながら
「お餅どこ?」
「ああ、冷蔵庫に入れて在るよ」
篠山が応える。
――あ、あんた、餅のありかまで知ってるのか?
優子は台所で小さな冷蔵庫を開けた。
優子は台所にある小さなオーブントースターで餅の焼け具合を見ながら、奥の部屋で談話する忍と篠山の姿を何度も見る。
何のわだかまりも感じない、以前と変わらない二人がそこにはあった。
優子は安西に背中を突かれて振り返る。
「餅、やばいよ」
「あっ……」
優子は慌ててトースターの扉を開けて、餅を取り出した。
――うわっ、ヤバ……黒くなってる……
膨れ上がった餅は、片面がガリガリに硬くなって焦げている。
「それ、あんた食べなさいよ」
安西は小さな声で、冷たく言った。
陽が暮れる頃、優子と忍の二人は安西の家を後にした。
篠山が出入りするあの部屋は、もう孤独の砦ではなかった。
忍に思いを寄せながら過去にすがって生きていた頃に比べると、安西はふっくらとした笑顔を見せるようになった。
忍との過去にすがるという事は、結果として自分の過去も忘れられないという事なのだ。
今の安西は、閉ざされた長い孤独からちょっぴり解放されたのかもしれない。
優子は何故だかそんな事にホッとして、古い塀の向こうのアパートを振り返った。
「どうした?」
忍が声をかける。
「うん、何でもない」
優子は少し先で止まった彼に小走りで追いつくと
「高森は、安西の部屋に来た事あったの?」
「ああ、前に一度だけね」
「そっか」
澄み渡る寒空を見上げる。
「何時とか、訊かないの?」
忍は優子を見つめた。
「別に、いいよ。何時でも」
優子は白い息を吐きながらそう言って笑うと「今年はいい年になるといいね」
忍はそんな彼女を見つめて「ああ」と応えた。