◆第57話◆
11月も下旬になると、朝に頬を叩く風がいっそう冷たく感じるようになり、駅までの徒歩がやけに遠く感じるようになる。
それでも優子は、玄関から出た瞬間の張り詰めたような冷たい空気が少しだけ好きだった。
暫く経つとやっぱりただ寒いだけなのだが、家を出た一瞬の冷たい風は何処か清楚で、自分の心までもがちょっぴり清められる気がする。
* * *
優子は一葉と学食へ行った帰り、二つの校舎を繋ぐ渡り廊下で一人の女生徒とすれ違う。
一瞬自分に視線が刺さった気がした。
――あの女、前に駅で絡まれた時に一緒にいた奴。のような気もするんだけど……
既に優子の記憶は朧になっていた。
優子は振り返って彼女の後姿を見つめるが、やはり今ひとつ確信が持てなかった。
あの日他校の男子生徒に襲われた事は一葉にも話していない。
安西も篠山もその辺はおそらく誰にも言わないだろうと、根拠の無い確信があった。
以前なら想像するだけで面倒くさそうな出来事が、今は優子に降りかかってくる。
しかし、実際その場に立ってみるとどうと言う事はない。
その証拠に、彼女はあまり深くは考えていなかった。
いろいろ気になる事は多いが、それを常時考えるような事はしないのだ。
それは優子の単純さなのか、十代である為の柔軟性なのかは判らない。
少し先で、隣にいない優子に気付いた一葉が振り返る。
「どうしたの? 優子」
「ううん、何でもない」
彼女は小走りに一葉に追いついた。
5時間目が始まる直前、教室のドアから篠山の顔が覗いた。優子は何だか久しぶりに彼の姿を見た気がする。
それに気付いた忍も軽く手をあげたが、立ち上がったのは安西ひとみだった。
手には数学の教科書。
――な、なんで? どうして安西が篠山に教科書貸してるの?
安西に手渡された教科書を手に篠山は頭をかく仕草をしている。いかにも安西に何かを言われている様子だ。
――安西が誰かに教科書貸すの、初めて見た。
「ねえねえ、安西が篠山に教科書かしてるよ」
口の中で飴玉を転がしながら一葉が言った。
「う、うん……」
優子は頷く事しか出来ない。
――な、何かあったの? あの2人。どうしちゃったんだろ。
「あぁあ、今度はあたしが安西に睨まれるのかな」
一葉はそう言って、座っていた優子の机からポンと足を着いた。
「えっ? どうして一葉が睨まれるの?」
「バカねえ、あたしだって篠山ちょっと狙ってるよ。優子と並ぶにはそれしかないじゃん」
――な、なんであたしに対抗すんのさ。ていうか、そんな理由で相手選ぶなよ。
「そ、そうなの?」
「うん」
一葉が明るく応える。
それが冗談なのか本気なのか、優子には判別できなかった。
それにしても、篠山と安西……普通だったら教科書なんて、昔なじみの忍に借りるのが自然の姿だろう。
もしくはやっぱり、この学校で最初に知り合った優子。一度貸している事もあるし。
それなのに安西に教科書を借りるというのは、やはり何か在るような気がした。
確かに安西が篠山と上手くいけば、忍とのしがらみも消えるかもしれない。
しかしそんな事よりも、何処か孤独な安西に微かな光が注いだような気がしたのは確かだ。
放課後、一葉は掃除当番だったので優子は先に独りで昇降口まで来ていた。
「一緒に帰ろうぜ」
背中から声が聞こえて優子が振り返ると、篠山が立っている。
――まぁ、暫くほっといたから、たまにはいいか。
しかし、その隣には安西ひとみの姿があった。
――ゲッ、な、なんで安西が? て、やっぱそう言うことなの?
思わず視線を泳がせる優子に安西は
「無理やりよ。別にあんた達と帰りたいわけじゃないからね」
――うわっ、別にそこまで言わなくてもさ……
何だか判らないうちに、優子は安西と篠山と一緒に駅まで歩いた。
三人は違和感丸出しで歩く。
「二人って、もしかして仲悪いの?」
篠山が何でもない事の様に明るく訊く。
「な、なんでよ」
安西が振り返った。
「いや、さっきから2人は会話しないからさ」
「別に仲良くないだけよ。話す事もないし」
――あたしだって、別に話す事なんてないさ。ていうか、仲が悪いんじゃなくて、相性が悪いんだよ。
「じゃあさ、これから俺んちに来ない? 二人共」
――な、何でそうなるんだよ。どうして安西と二人で行くの? アンタと安西だけでいいじゃん。あたしいらないじゃん。
「な、何であたしも?」
優子はとりあえず声を出した。
「あれ? 優子はこの後何か用事とかある?」
――どうしてそんな訊き方するの? そうそう用事のある日常なんて送ってないっつうの。そんな訊き方されたら断れないじゃん。
「いや、別に……ないけど…」
「じゃあいいじゃん。暇なんでしょ」
――まるであたしが暇人みたいじゃん。
「あたしは塾があるから……」
安西が言葉を挟んだ。
――チッ、自分だけ忙しい人生送ってると思うなよ。
「じゃあさ、また今度って事で……」
そう言いかけた優子の声に安西が声を被せる。
「だからちょっとだけね」
――行くのか、安西……行きたいのか? 今こそあたしを邪魔にしろよ。あたしは別に行きたくないんだよ。
大変申し訳ございません。
多忙と体調不良の為、少々更新ペース遅れます。
それでも読んでくださる方々に大変感謝いたします。