◆第50話◆
翌日、優子はブラウスの上に学校指定のVネックのセーターを着てからブレザーを羽織った。
窓の外に広がる水色の高い空は、いかにも寒空だった。
そろそろブラウスとブレザーだけでは風が肌に沁みてくる。
――ババシャツはまだ早いよね……でも、そろそろ出しておくか。
チェストの中を覗き込む。冬物が入った場所なので、久しぶり開けた引き出しだった。
――ぎゃあ、か、カビが生えてる……なんで?
白と生成り色は平気なのに、何故か黒と紺色のヤツには白い斑点が出来ていた。
優子は慌ててそれらを掴んで階段を下りると、洗面所へ駆け込んで洗濯機へ放り込む。
――あたしの箪笥って、そんなに不潔なの? ちゃんと洗濯してから入れたよね……
「どうしたの? バタバタして」
母親の杏子が洗面所に顔を覗かせた。もうパートへ出かける準備をしている。
「な、なんかさ、あたしのシャツにカビが」
杏子が洗濯機を覗き込んで
「あら、これ洗剤の残りじゃないの?」
そう言って、指で白い斑点をなぞる。
「なぁんだ、そうなの?」
「そうよ。そそっかしいわね」
杏子は軽い声を出して明るく笑った。
――ていうか、その前にちゃんと濯いでよ……ビックリするって。
優子は朝食のパンを齧って、早々に家を出る。
何時もの事だが、直樹はもう家を出た後で、彼女は駅まで小走りだ。
駅の階段を駆け上がって改札口の手前まで行くと、前から来た男に突然声を掛けられる。
「あっ、優子じゃん」
優子はビックリして一瞬立ち止まった。
この時間、今まで知った顔になんて会った事がないのに、確かに同じ学校の制服の男だ。
それでもパッと見誰だか判らない。
それは、金色だった髪の毛が真っ黒だったからだろう。
優子はほんの少し彼を凝視して
「あっ、あんた……」
――髪の毛真っ黒! ていうか、何であたしを下の名前で呼ぶんだよ。
声をかけて来たのは、昨日の放課後に会った篠山雄二郎だった。
金髪だった頭は染めたのだろう。不自然なくらいに真っ黒だ。
時間が無いので二人共改札を抜けて足早にホームへ降りると、丁度電車が入って来た。
「か、髪、染めたの?」
電車に乗り込んでから直ぐ、優子が訊いた。
「ああ、昨日相談室でグダグダ注意されたからね」
「そんな真っ黒じゃなくても、大丈夫よ」
「でも、駅前の薬局に行ったらこの色だけ半額で売ってたから」
――そういう問題か?
「そ、そう……」
優子はとりあえず頷いて見せる。
「この電車で間に合うの?」
「え、ええ。一応は」
――おいおい、転校初日だろ。もっと余裕もって登校しろよ……
優子は窓の外を眺める雄二郎を見上げた。
ちょうど忍と同じくらいの背丈だろうかと、そんな事を思う。
しかも、よく見るとちょっとイイ顔だ。一重の目は涼しげでいかにも今風だし、眉はカットしているかのように、きりりと整っている。
――いや、あの眉は絶対カットして整えてるよ。
喉仏が妙に逞しく見えて、優子は小さく頭を振った。
――高森は意外と中性的なのかな……
「よかった、優子がいて。昨日一度行ってるけど、初日の登校は緊張するしね。かといって一緒に登校する知り合いもいないし。ていうか、駅同じなんだな」
――なんだか男のくせに朝からよく喋るなぁ。だからもっと余裕持って行けって……ああ、この男と駅同じなんだ……
「そ、そうね……」
優子は短く応えて小さく笑った。苦笑と悟られないような微妙な苦笑いだった。
駅を降りて足早に学校へ向う。
「なあ、優子は部活とか何かやってるの?」
「べ、別に何も」
「そうかぁ、同じのがよかったなぁ」
――はあ? 同じってなんだよ。女と男じゃあ文化部しか一緒に出来ないだろ。
優子は教室に入って自分の席に着くと、思わず息をついた。
――なんか、面倒なのと知り合っちゃったなぁ。今までならゼッタイあんなのと知り合わなかったのに……どうなっちゃってんの?
しかし、それだけでは終わらなかった。
三時間目が終わった休み時間、一葉が声をかけてきた。
「ゆ、優子、誰かが呼んでるよ」
「何? 誰?」
「知らない……見た事無い人」
「見た事無い?」
優子が教室の出入り口を振り返ると、そこには雄二郎がいた。
――な、なんだよアイツ。なんなの? ナニ休み時間に顔出してんのさ。
雄二郎は優子と目が合うと笑顔で手招きする。
優子は仕方なく彼に駆け寄ると、小声で
「なによ、何の用?」
「ああ、悪いけど現国の教科書ある?」
「はあ?」
「なんか俺、忘れたみたいでさ。借りられるような人、優子しかいないし」
雄二郎がそう言って笑う。忍に負けないほどの爽やかスマイルだ。
優子は溜息をつくと、自分の机から教科書を取り出して雄二郎に手渡す。
「サンキュ」彼はそう言って足早に戻っていった。
――ヤバイよ。なんでいきなり懐かれてんの? あたしってそんな声掛け易いタイプじゃないだろ……
「ちょっとちょっと、今の誰? 二年生? 見た事ないんだけど」
一葉がさっそく寄って来た。
周囲にいた女子も、一葉の問いに密かに聞き耳を立てる様子が判る。
「て、転校生だって」
優子は出来るだけさり気なく言う。
「転校生? 何組?」
「B組らしいよ」
「なんで優子ったら、もう仲良しなの?」
「な、仲良しじゃないよ。昨日ちょっと話しただけ」
優子は忍の視線が気になってさり気なく見るが、彼は全然興味が無い様子で、他の男子と笑って何かを話していた。
「なんか、意外とイイ男っぽいじゃん」
一葉の瞳が何時に無く輝いている。
「そ、そう?」
――さすが目ざといよみんな。だから興味深々なのね……でも、アイツの正体はパツキンヤンキーってカンジよ。
授業が始まって少しすると、優子の所に小さな手紙が二つ回ってきた。
ひとつは一葉で
『さっきの男。名前教えろ!』と書いてある。
優子は一葉をチラリと見て、もうひとつを広げる。
『あんたも、じっさい男好きなのね』
――うぐっ……このいかにも硬質な筆跡……安西だな。
優子は、一葉とちょうど教室の真反対にいる安西を見る。
向こうはチラリと視線を交わして嘲るような笑みを零した。
――あの女、あたしのおかげでちょっとは助かったのに、マジでなんとも思ってないな……
優子は仕方がないので、一葉には雄二郎のフルネームを書いた手紙をまわした。
安西には半ばヤケクソで『モテル女は辛いよ』と書いてまわしてやる。