◆第5話◆
カーテン越しに、微かな月明かりが透けていた。
小さな虫の声が、窓を通り抜けて部屋の暗がりに染み渡る。
――どうしてこんなに胸がドキドキするんだろう。
その夜、優子は布団の中で目を瞑ったまま、ふと考えていた。
何時ものように瞼は重いのに、胸の奥がキュッと締め付けられるように苦しくて、何だか鼓動が早く感じる。
男の子と並んで歩いたのは、おそらく中1の時以来だった。
中学校に慣れた頃になると、みんな形だけの彼氏彼女として付き合いだし、一緒に下校したりするのだ。
優子も他に漏れず、告白を受けて一緒に帰る彼氏を見つけた。
しかし、外での優子の口数の少なさは今に始まった事ではない。
たいしたボキャブラリーを持っているわけでもない中学生男子と一緒にいても、盛り上がるどころか、何時も沈黙の嵐だった。
付き合いだして直ぐに遊園地へ行ったりもしたが、たいした会話もないまま適当に乗り物に乗って帰ってきた。
男の子が何かを話しても、自分の事だったり、リアクションに困る事だったり。
もちろん、別に好きなわけでもないのでそんな相手の話に興味も湧かないし、なんだか疲れる男だと思った。
次の週、彼は人伝にとりあえず時間を置こうと言って来た。
……それって、あたしが振られた事になるの?
優子はこの頃から、男子に対して不信感を抱くようになり、会話さえあまり交わさなくなった。
それは高校へ入っても同じで、今更男子生徒と楽しく話す事など出来ないと思っていた。
それでも、何時かはステキな彼氏が出来るだろうと、矛盾した期待を抱いたりもする。
――でも、アイツといるのは、ちょっとだけ楽しかったな。
優子は目を閉じたまま、布団を引っ張って頭まで被った。
* * *
「昨日は有難うな。おかげで汚点をつけなくて済んだよ。五十嵐の字も凄く読み易かったしさ」
翌日の学校。4時間目の古文が終わった後、忍の方から優子に声をかけてきた。
周囲の視線が一斉に自分に注がれているような気がして、優子は思わず俯いた。
――ば、バカじゃないの。なんで、こんなにイッパイ人のいる前で話しかけんのよ。みんな見てるじゃない。判ったから、早くあっち行って。
確かに珍しい光景を見る視線が周囲から注がれていたが、別に全員が見ているわけでもない。内気な優子の過剰反応だ。
「う、うん……」
優子はそれだけ言うと、一葉の方へ歩いて、一緒に教室を出た。
「何? 優子、高森と何か在ったの」
階段を下りながら一葉はすかさず訊いて来る。
「な、何でもないよ」
「えぇ、だって、じゃあなんで高森から優子に話しかけるのよ。しかも、何であんたが逃げるように立ち去るわけ?」
彼女をよく知る一葉は、なんだか異常に興味を示している。
別に忍だってクラスの大半の連中と会話は交わすのだが、男子とはほとんど雑談なんてしない優子に声がかかったと言うのが問題なのだ。
相手が高森忍とあっては、尚更興味を惹かれる。
――ま、まずい。一葉は興味深々だよ……なんとかしらばっくれて、この場の一葉の興味を他に逸らさなくちゃ。
「ああ、なんかさお腹減ったね。やっぱりテストで頭使ったから、何時もよりお腹がへるのかなぁ……何たべようか」
一葉は何時に無く長ゼリフを吐く優子の顔をマジマジと横目で見つめた。
「あんた、昨日何があったの? 白状しなさい」
彼女はそう言って優子の腕にガッチリと腕を絡めて密着してきた。
「ちょっと痛いよ。っていうか重いよ」
一葉は体重を優子に預けてもたれかかるように歩いた。
並んだ二人は自然に優子の方へ進路が傾くが、真っ直ぐ学食の購買へ進むには一葉を押し戻さなくてはいけない。
「じゃあ、正直に言いなさいよ」
「わかったよ……もう」
優子と一葉は購買でサンドイッチと飲み物を買うと、校舎と体育館の間に在るベンチに腰掛けた。
優子はコーヒー牛乳のパックにストローを刺し込むと少しずつ吸いながら、昨日の出来事を一葉に話して聞かせた。
「へえ、高森の家って、優子んちの近くなんだ」
1年の時からクラスが一緒の一葉も、優子の家には何度か行った事がある。
そして一葉はサンドイッチを頬張って、無言のままそれを飲み込むと優子の肩に手を掛けた。
「でもさ……期待は禁物だよ」
「はあ?」
――べ、別に期待なんかするか。だから言いたくなかったんだよ。
「高森がいくら普通の男子と違うと言っても、おかしな方向に違うとは考え難いでしょ」
――そりゃ、どういう意味だ?
「えっ?」
優子は一葉に向って怪訝そうな笑みを零した。
彼女は少々哀れみの笑顔で、優子の肩を再びポンポンっと軽く二度叩くと
「あんたはただ便利に使われただけだって事。変な期待しちゃダメだよ」
――きぃぃぃー! なんて失礼なやつ。あたしだって薄々は気付いてるんだから追い討ちかけるなっつうの。
「わ、判ってるよそんな事。誰も期待なんかしないよ」
「でもあれか、優子は元々男に興味ないんだもんね」
「う、うん……まあね………」
優子は食べかけのツナサンドを口に頬張った。