◆第34話◆
上履きの上には封筒が置いてあった。
優子は思わず周囲に人影が無いか見渡す。
下駄箱の並んだ昇降口は見通しが利かないが、自分の他に人の気配は無かった。
その時、生徒が二人入って来たので、優子は動作を止めて固唾を呑む。
1年生らしい彼女達の話し声に混じった笑い声は、靴を履き替えるとそのまま廊下を去っていく。
優子は封筒に手を伸ばして、それを掴んで取り出した。
宛名も差出人もない、青い横型の封筒だ。
「今時こんなのって、あるのか?」
優子は思わず呟いた。
――いや、誰かの悪戯だ。そうだ、安西かもしれない。
優子はとりあえず中を確認しようとした。
「優子、おはよう」
その声で、優子は慌てて封筒をカバンのポケットに無理やり突っ込む。
「あ、ああ。おはよう」
昇降口に入って来たのは一葉と美菜だった。
学園祭の一般公開は、それなりに人が来る。
他の学園祭とも日程がバッティングしているが、若い連中などはハシゴも当たり前なのだ。
「ていうか、ここ、客層おかしくない?」
一葉が不意に言った。
見渡せば何だがリュックを手にした男が多いし、何処で買ったのか丸めたポスターなんかも持っている。
何より、いつの間に妙な臭いが立ち込めて、さり気なく窓を開けたところだ。
「やっぱ、一部の客層に支持されるのかな……」
美菜が呟くように答えて、苦笑する。
「なんかさ、よそよそしい振りして、何気に写メとかイッパイ撮られてんだけど……」
「仕方ないよ。スカートの中だけ気をつけよう」
一葉は美菜の言葉に小さく肩をすくめると「あの手に持ってるの、何かな?」
「あれ、きっとアニメ部で売ったポスターだよ」
「みんな持ってない?」
「何か人気アイテムなんでしょ」
「アニメ部なんて在ったっけ?」
一葉と美菜の会話に優子が声を挟む。
「同好会から、先月部に昇格したんだって」
趣味の関連か、美菜はその辺の情報に詳しかった。
――別に、アニメ部もポスターにも罪はないんだけどさ……あんたら、とりあえず髪とかせって感じ……
空いたテーブルを片付けに行く優子にも、携帯カメラのレンズが向けられていた。
――うわぁ、撮ってるよ。思いっきり撮ってる。あたしも、とりあえず撮られるレベルなのか? ていうか、このメイド服がそんなにいいのか?
優子のクラスの模擬店も、客層こそ片寄ってはいたがそれなりに繁盛して、廊下際で販売したクレープもずいぶん売れた。
お昼休みは面倒なので販売用のケーキやクレープでみんな腹ごなしをして間に合わせる。
そのうち、優子はカバンのポケットに入れた手紙の事もすっかり忘れていた。
簡単な後片付けが終われば今日はもう下校だ。
イベントに参加していない連中は点呼も終了して、一足先に下校している。
優子は売り上げを持って職員室に行った帰り、一階の階段上り口で男子生徒にぶつかりそうになる。
「あ、すいません……」
ギリギリで避けた優子は思わず反射的に謝る。
――あぶなっ、なにこの人……なにヌボ〜っと突っ立ってるの?
その男子生徒は、俯き加減で優子を見ていた。
といっても、彼の方が背は高いから、結局優子が見下ろされているのだが……
なんともいえない平凡な男だ。頬とおでこに僅かなニキビ跡がある。
――なんでじっと見るのよ。あたしだけが悪いわけじゃないし、ぶつからなかったじゃない。
優子は彼の視線が気味悪くて、足早にその場を去って階段を駆け上がった。
背中から「あの……手紙……」と微かに聞こえた。
――手紙? 何の事だ? なんだあの人?
大掛かりな後片付けは、明日できるのでとりあえず模擬店の連中は解散した。
「ちょっとトイレに寄る」
一葉にそう言った優子は、カバンを抱えたままトイレに入った。
さっき1階でぶつかりそうになった男の言葉を後で思い起こしたら、心当たりがある。
――手紙……そうだ、今朝手紙もらってたんだ。えっ? あの人なの?
彼女はカバンのポケットからあの青い封筒を取り出す。
ラブレターなのだろうか……だとしたら彼女はそんなものは初めて貰うので、少しだけ心がはしゃいだ。
いったい何が、どんな事が書いてあるのか……? 優子は封筒を開けて中の手紙と取り出して開く。
『キタ――――――――――(°∀°)―――――ッ!!』
――な、なにコレ……?
便箋には、ちょうど真ん中辺りにそれだけが印刷されている。おそらくパソコンのワープロで書いて印刷したものだろう。
周囲に他の文字は無い。
優子は思わず深い溜息をついた。
少しでも高揚した気持ちで手紙を開いた自分が、バカみたいに思えた。
――なんなのコレ……何を意思表示してんだよ。いたずらなのか? ていうか、あの男の仕業なの?
優子は一階でぶつかりそうになった男を再び思い出す。
足早に階段を駆け上がる優子には、背中から確かに「手紙」という言葉が聞こえた。
そして、模擬店に来ていた連中からぼんやりと彼の姿が浮かぶ。
それは、驚くほど掠れた記憶だが、僅かに放課後ぶつかりそうになった男と重なった。
――あの人、そう言えばお店に来てたかも……
便箋に注いだ視線を下げると、末行には杉浦健也と名前が書かれ、携帯とPCのメールアドレスが記載されていた。
この難解な言葉だけで、何をどう対処したらいいか判らない。
乱雑な手つきで手紙を封筒に戻しながら、優子は思わず
「メールなんてするか」