◆第33話◆
午後一になって、優子にとって来て欲しくない相手がやって来た。
忍もそうだが、もう独り逆の意味で関わりたくない人間がいる。
「あら、似合ってるじゃない。アホっぽくて」
窓際のテーブルに着いた安西は、優子を見上げて言った。
少し前からお客の出入りが増えて他の連中は手がいっぱいの為、優子が来るしかなかった。
――ふん、どうせ笑いに来たんでしょ。
「ご、ご注文は?」
「どうして優子だけそんな変なもの頭に着けてるの? もしかして意外と趣味?」
安西はプッと笑って黒髪をかきあげる。
――趣味のわけないだろ。ていうかこのネコ耳って、誰にたいして責任者を識別させてるんだ?
確かに考えて見ると、優子のネコ耳姿に責任者を認識させる要素はない。
「一応、責任者って事で……」
「ノリノリでいいじゃん」
――あたしの何処がノリノリに見えんのさ。コンタクト忘れたのか?
「あ、あたしは嫌なんだけど……」
安西はチーズケーキと紅茶を注文する。
「そう言えば、ご主人様とかって言わないじゃん。あんたたち、メイドなんでしょ?」
――間違ってもあんたにだけはゼッタイ言いたくない。
「あ、ここは形だけだから……」
「なあんだ、もっとちゃんとしてるのかと思ったわ」
――知るか、だったらあんたがこの服着てみろっての。
「な、なかなかまとまりがなくてそこまでは……」
優子は苦笑して安西のテーブルを離れた。
その後も最初に出て行った鈴香たち仲間が戻って来ず、昼過ぎには意外とお店は込み合って優子たちはかなり忙しい思いをした。
教室の出入り口付近でやるはずだったクレープの販売は、結局出来ずに終わる。
ケーキや飲み物は既製品だが、クレープだけはその場で焼いて販売する予定だったのだ。
店内の注文だけは、美菜が何とか焼いていた。
2時過ぎになって店も空いた頃、先に出て行った連中の中で鈴香だけがようやく戻って来た。
一葉は何か文句を言っていたが、優子はもちろん強く言う事など出来ない。
「ていうか、舟越は何処?」
鈴香はそんな言い訳をして、一葉の言葉を回避していた。
確かに鈴香の言葉でみんな思い出したが、舟越の姿は見ていない。
帰りの点呼の時に担任に訊いたら、風邪で休みだそうだ。
きっと明日も風邪は治らないのだろうと、優子たちは顔を見合わせた。
帰りの点呼の後、優子たちは直ぐには帰れない。今日の後片付けと、明日本番の準備があるのだ。
そう、学園祭のイベントは一般公開が本番で、前日の校内公開は練習のようなものだ。
そこに忍がふらりと顔を覗かせる。
「あら、どうしたの?」
一葉が声をかける。
「いや、どんな様子かなって思ってさ」
「優子なら明日の食材の確認に行ってるよ」
鈴香がうっかり声を出した。
その場にいた全員が振り返る。
もちろん、どうして優子? という眼差しで忍を見る。
「いや、別に用はないから」
忍は軽い笑顔で手をあげると「じゃあ、頑張れよ」
そう言って、教室から出て行った。
……高森、優子に会いに来たの?
一葉は彼が立ち去った出口の先を、少しの間見つめていた。
陽が大分短くなって、5時を回ると空は暮色に染まって微かに星が瞬きだす。
優子は電車を降りると雑踏に混じって駅の階段を上る。
改札を抜けた通路で、小さな子供が駆け足で彼女を追い越す際に転び、弾ける様に泣き出した。
「ほら、泣かない、泣かない」
優子は反射的に子供の腕を掴んで起こしてやる。
彼女もしゃがんで彼と目線を合わせ、膝の辺りなどを見るが擦りむいたりはしていなかった。
「男の子でしょ。痛くても少しくらい我慢しなさい」
「うるせぇ、ブス!」
子供はそう叫ぶと、優子の手を振り解いて再び駆けて行った。
――親何処だよ? ていうかあのガキ、今度会ったらゼッタイ殺す。
優子は溜息まじりで立ち上がると、ロータリーに下りる階段に向って再び歩き出した。
階段を下りて駅を出ると彼女の前に影が立ちはだかる。
「よお」
「た、高森」
「1本前の電車だったから、待ってたよ。学校の前だと一葉とかが一緒だと思ってさ」
――な、何? 何かいかにも突然でちょっとビックリ。
「か、一葉は用事があるって、途中で別れたよ」
「そうなんだ」
「部活あったの?」
「ああ、ランニングだけ」
優子はどうして忍がわざわざ待っていたのか訊きたい気持ちでイッパイだったが、何故か訊けなくて違う事ばかり声に出す。
思った事を言葉に出来ないのがとてももどかしい。
「明日で終わりだな」
「うん。何かやっと終わるって感じ」
さり気ない会話と共に、二人は自然に歩き出す。
「明日も朝早いのか?」
「まあね、準備があるから」
「帰りは?」
「えっ?」
横断歩道の信号は青なのに、思わず優子は立ち止まる。
「青だぜ、渡ろう」
忍に促されて、優子は慌てて歩き出す。再び肩を並べる彼女に忍は再び訊く。
「明日の帰りさ。遅いの?」
「き、今日より早いのかな……片付けは月曜だし」
「じゃあ、たまには帰りに何処か行かないか?」
「か、帰り?」
――こ、これってもしや、せ、制服デートってやつか? でも、そんなのなんだか恥ずかしい……ていうか、どうしよう。
「べ、別にいいけど」
「じゃあ、明日はここのホームで待ってるからさ、電車乗る頃メールくれよ」
忍はそう言って別れ道で手を上げた。
優子は明日もメイド姿をする事に重い気持ちでいたが、放課後の事を考えると途端に心は軽くなってふわふわと浮き上がるような高揚感を僅かに感じる。
込み上げる笑顔を抑えながら、家までの路地を何となく足早に歩いた。