◆第3話◆
夕食後、優子は勉強机に向かい、古文のノートを広げていた。
古文の教師は、今時? と思うほど小テストが好きで、度々自慢のマックで作った答案用紙で生徒たちに嫌がらせをする。
しかし、期末、中間考査のほとんどは同じ問題が出るので、考え方によっては楽な教科かもしれない。
明日もその小テストがあるので、優子はノートの文訳を頭に叩き込む。
彼女が平凡なのはテストの成績もそうで、悪くも無く、良くもない。
200人ほどの同学年の中でちょうど真ん中辺りで、女子だけで見ても、やっぱり真ん中なのだ。
彼女にしてみれば意外と勉強している気がするが、それで成績が並みというのはもしかして自分の頭の構造がヤバイのか? と思って見たりもする。
不意に携帯の着信音が鳴った。
通話の着信は何週間ぶりだろうか……
優子は真っ先にそんな事を思いながら携帯を手にする。
一葉からはよくメールが来るが、電話はほとんどない。
もちろん、アドレスのメモリには十数人の番号が入っているが、滅多に着信が来る事はないのだ。
液晶モニターには相手の名前が出ていない……
――チッ、イタ電か? それとも間違い電話?
知らない相手から電話がかかるほど、自分が社交的で無い事くらいは、優子自身が一番判っている事だ。
そう思っている間に、コール音は切れた。
「やっぱりね」
電話を何時までも取らないからコールが切れただけでごく当たり前の事なのだが、彼女は何となく声に出してそう言った。
しかし、再び携帯の着信音が鳴る。
――な、なによ。しつこいわね。ふん、だったら相手になってやる。エロオヤジ。
彼女の中では、もはや勝手に電話の相手はエロいオヤジになっていた。
「もしもし」
わざとくぐもった声で電話に出る。
「あれ? あ、あの……五十嵐優子さんの電話ですよね」
聞き覚えの在るムカつくほど爽やかな声が聞こえて、優子は気が動転した。
――こ、こ、こ、こ、この声って……いや、似てるだけ? それとも、電話機のせい?
「あの……もしもし?」
再び電話の声が聞こえた。
「五十嵐優子さんはいらっしゃいますか?」
「あ、あの……あたしですけど」
優子は何時のも学校での話し方に自然に切り替わる。
「ああ、俺。高森だけど。悪いね、こんな時間に」
電話の相手は間違いなく高森忍だった。
「ううん、別にいいけど……どうしたの?」
――ヤベェじゃん。なになに。何で高森があたしの携帯知ってんの? どうしてこんな時間にかけてくんの? もしかしてあれ? 実は前から好きでしたとか、そういうノリなやつ? 困るよ、そんなの急に言われたって。
「実はさ……」
――マジで?
「どうしたの……?」
「言い難いんだけど……」
――ついにあたしにも春が来るの? しかもこんなとびっきりの春が、こんな秋晴れの夜に?
電話の向こうで彼は言った。
「明日、古文の小テストあるだろ」
「はあ?」
優子は、思わず気の抜けた声を出す。
脳内が一瞬真っ白になって、大急ぎで思考を再構築する。
――こ、古文のテスト? って明日の小テストだよね? なんでそんな事であたしに電話するの? 高森があたしに勉強の事で何の用?
「俺、学校にノートを忘れて来たみたいでさ、いま気付いたんだ。出来たらコンビ二でノートのコピーもらえないかな」
――な、なんであたしなの? そんな事誰にだって頼めるじゃない。なんでそんな事であたしに電話してくるのよ。
「で、でも……」
優子は何時ものように小さな声で応える。
「ああ、実はさ、五十嵐の家って、ウチの一本先の通りなんだよ。大通りへ出る角にちょうどコンビ二もあるしさ」
――な、なによ。ビックリするじゃないの、もう。ていうか、近いだけで電話よこすか? 学校ではほとんど話した事もないのに。
「駅向こうに安西の家が在るけど、ちょっとアイツには声かけ難くてさ」
浮かない声で忍は続けた。
安西ひとみは同じクラスで、女子の中では学年トップの成績をとっている。
男女合わせても、何時も忍の次なのだ。
ただ、イマイチ性格はよくない。
――しらないよ、そんなの。あたしには声掛け易いっての? 大人しくて影が薄いし、ちょうど近場で使い勝手がいいとでも言うの?
「うん……いいよ」
優子は再び小声で言った。
――ああ、もう。そう言うしかないじゃん。しょうがないじゃん。けちんぼ星人にはなりたく無いじゃん。
「サンキュウ、助かるよ。じゃあ、これから五十嵐の家まで行くから」
「えっ、今すぐ?」
「ああ、だって歩いたって5分もかからないぜ。すぐ行くよ」
忍は明るい声でそう言うと電話を切った。
「ちょ……」電話はもう切れていた。
――な、なんでそんなに早いのよ。意外とせっかちなの? もう、なんで今すぐなのよ。
優子は着替える為に慌てて携帯のボタンを押した。
――ああぁぁぁぁぁ! しまったぁ…………電話帳に登録するんだった……せっかく向こうから電話が来たのに。一葉に自慢できたかも知れないのに。もちろん用事の内容はごまかしてさ。
携帯を見つめた優子は、ひとつ息をつくと
「まっ、いいか」
そう呟きながら、ジーンズに履き替える為にジャージを脱いだ。