◆第28話◆
少しずつ、高森忍という人間が明らかになります。
「あたしに触らないで!」
母親は少年に言った。
少年は差し出した小さな手を慌てて引き戻す。
……僕はお母さんと手を繋いだ事が無い……僕はお母さんに抱きしめられた記憶が無い。
少年は困惑した。
母親は拒絶を繰り返した。
自分の子供を抱けない。
自分の子供に触れられない。
自分の子供を愛せない……
愛する事は努力で補えなかった……それは、こころの奥底から自然に湧き出るものだから。
いくら義務感や責任感で後押ししても、どうにもならないのだ。
少年が5歳の時に母親は家を出て行った。
……僕は人に愛される人間になりたかった。母親が僕を愛せなかったのは、きっと僕のせいだ。
だから、誰にでも愛される人間になる必要があった。
勉強も運動も誰よりも優れた完璧な子供。誰からも好かれる清い子供。
小学校も中学も、みんなが少年を見ていた。
……みんなが僕を見ていた。担任も学年主任も、友達の親さえも……
中学の時に最愛のパートナーを見つけたと思った。
純真無垢な彼女を僕は愛し、彼女の愛を求めた。
でも違っていた。
彼女は恋という感情に溺れるだけで、愛は無かった……
そして周りの人間は本当の自分を見ようとはしない。
そんなものには興味はないのだ。
少年は再び優等生の仮面を被った孤独という塊の生き物になった。
周囲から注目される視線だけが、密かな彼の心の癒しとなっていた。
実際自分でも、何処からが仮面で何処からが生身なのかもう判らない……
しかし、高校へ入るとみんなが自分を見ているわけでは無い事に気づいた。
自分に興味を示さない連中がいることを知った。
……何も感じない彼女の心に、俺は入り込めるのだろうか……彼女は本当の俺をどう受け止めてくれるだろうか。
* * *
結局日曜は暇だったので、優子は忍と出かけた。
まだ美菜が洋服を縫っている状態だから、自分たちには特にやる事がない。
本当は教室の飾りつけなども考えないといけないのに、あと1週間で何とかなるだろうとみんなが思っていた。
忍が行きたいと言うのに付き合って、表参道の古着ショップへ二人は入った。
「古着好きなの?」
忍の小奇麗なイメージからはあまり想像できないが、よく見るとジーンズは古着っぽい。
「ああ、けっこう買うよ、古着」
忍はそう言ってジーンズの山となった棚を抜けてハンギングのコーナーを物色する。
優子は初めて入った古着専門の店内を珍しげに眺める。
薄っすらと洗剤か何か薬品のような匂いが店内を埋め尽くしていた。
奥の方には、意外とレディース商品も多い。
彼女はラメの入ったセーターなどを手にとっては、元に戻す。
ブラブラしながらキディーランドにも入り、久しぶりに竹下通りなども通ってみる。
相変わらず人の頭が凄い。
途中で路地へ入ると、忍に促されるまま雑貨店に入った。
――なんでこんな路地裏の店知ってんだ……?
とある売り場に行くと、忍は迷いもせずに商品を手に取る。
「お、お香好きなの?」
「ああ、けっこう買うかな。部屋で焚くと意外と落ち着くよ」
最近はお香といっても、フルーツ系など甘い香りも多い。
優子も彼につられるように何点かお香を買ってしまう。
――こんなの部屋で焚いたら、煙くならないのかしら……
店を出ると、正面で誰かが声を上げた。
「あっ、優子じゃん」
優子は目の前の二人を凝視した。
路地は影っていて、目の前にいる女性の茶色いはずの長い髪が大分黒く見えた。
「す、鈴香……」
クラスメイトの千葉鈴香は、全体的にひょろ長い彼氏と一緒に歩いて来た。
「何? なんで高森と優子が一緒なの?」
鈴香の瞳は興味と驚きでイッパイの輝きだ。
学校内で男女が付き合う場合、二通りが存在する。
1つは自他共に認める公認カップル。この場合は違うクラスや違う学年同士が付き合う場合が大半だ。
そしてもう1つは、お忍びカップルだ。
これは周囲の連中には内緒で付き合うパターンで、同じクラスや、その他知られたくない立場同士の場合が多い。
何気なく何時の間にか付き合い出すパターンも、このケースになる事が多いのは確かだ。
「あんたたち、何時から?」
「ち、ち、違うんだよ。あたしたち、そんなんじゃないのよ」
「じゃあ、どうして二人でこんな所歩いてるのよ」
――ああ、こんなメジャーな場所には来るんじゃなかった。ていうか、東京はこれだけ人口がいるのにどうして知り合いにバッタリ会っちゃうかなぁ、もう……
「これは、その……」
「まあ、いいじゃん。そんな事」
忍が笑って言った。
「別に悪くは無いけどさ、高森って変わった趣味なんだ」
鈴香がそう言ってクスリと笑う。
――そりゃあ、どういう意味だよ。
「そんな変わってるかな?」
「変わってるよ。先週だってD組の佳穂にコクられたんでしょ? 彼女だってけっこう人気高いから、かなりイイ線いけるって噂だったのに」
――なんだそれ? 全然知らなかった。こいつ、そんなに頻繁にコクられてんのか?
優子は思わず忍を見上げる。
もちろん彼が校内で人気の在る事は充分知っているが、まさかコクって来る勇者がそう頻繁にいるとは思わなかったのだ。
――いつの間にコクられてんの?
つまり、安西が言った親衛隊とは過去忍に振られた連中を指すのだろう。
親衛隊と言うよりは、彼と一線を越えて親しくする連中を妬む輩だ。
「へぇ、優子がいるから断ったんだ」
鈴香は薄っすらと笑いを浮かべて二人を交互に眺めた。
忍は意味深な笑みで「さあ、どうかな」
――ど、どうかなって、なに? でも、確かにあたし、まだあんたと付き合うか決めてないんだよね……
優子は忍から視線を離せなかった。