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甲冑の騎士、秘密を明かす

 (今日もいらっしゃらなかった……)

 外の猫に餌をやり終え、裏戸を開けて台所に入ると、セレスティーヌは息をついた。

 夏の強い日差しに慣れた目には、屋内はことさらに薄暗く感じられる。


 あの日から何日経っただろう。そろそろ半月くらいになるだろうか。

 あの頃咲き誇っていたオレンジの花は、とうに散ってしまった。

 もうリシャールは来ない。それでいい。そもそも、自分がそう仕向けたのだ。

 そう自分に言い聞かせても、いつの間にか彼女の目は、物陰にあの甲冑の姿を求める。

 リシャールはどうしているだろう。元気にしているのだろうか。

 猫の姿を探し、追い求めたりは、もうしていないのだろうか。

 彼は猫を見て心を楽しませる場所すら失ってしまったのだろうか。自分が関わってしまったばかりに。

 だとしたらわたしは、なんて馬鹿なことをしてしまったのだろう。


 子猫のティグルに餌をやり終え、使った皿を片付けようとしていたときだった。

「セレスティーヌ、お前に客人だ」

 ファビアンが台所の入り口に姿を現し、セレスティーヌに声をかけた。

 軽く手を拭い、服の埃を落として、叔父について広間に向かうと、見慣れた甲冑姿が目に入った。

「セレスティーヌ、君と話をしにきた」

「リシャール様……」

「ファビアン、例の部屋を貸してほしい。その……外には漏らしたくない話なのだ」

 ファビアンはかぶりを振り、応えた。

「姪は若い娘です。

 私がついていながら、若い男性と人目の届かない部屋で同室するなど、この子の両親が知ったらなんと思うでしょうか」

「あ……」

 指摘されて初めて気づいたのだろう。リシャールは一瞬当惑し、慌てて言葉を加えた。

「いや、そうではない。そういうつもりではないのだ」

「そうなのかもしれません。しかし私には、この子に対する責任があります」

「あなたの姪に不埒な真似はしない。何なら同席してくれてもいいのだ。『イルカ』のファビアン」

 リシャールは『イルカ』という言葉にやや強調するような響きを込め、ファビアンの名を呼んだ。その呼びかけを耳にし、ファビアンはかすかに身じろいだ。

「わかりました。ただ、『誓言』をいただいてもよろしいですか」

「そうだな。無理からぬことだ」


 リシャールはしばしの間、考えをめぐらせるかのように押し黙った。やがて、右手を胸に当て、息を深く吸い、ゆっくりと言葉を発した。

「我が騎士としての名誉と、我に血と命を与えし二親の名に懸けて、我は誓う。

 この屋根の下で、『イルカ』のファビアンの姪セレスティーヌに対し、我、リシャールが不埒を働くことは決してない」

 深く、厳かな声だった。

「これでいいか?」

「充分すぎるほどです」

 ファビアンは、リシャールに軽く頭を下げた。そして顔を上げ、感慨深げに呟いた。

「あなたは真面目なお方です。あなたならば、私の姪に不名誉を与えるような真似はなさらないでしょう」



 上階の廊下のどん詰まりまで来たところでリシャールは足を止めた。右手にある小さな扉を開くと、振り返ってセレスティーヌを差し招いた。

 室内に入ると、リシャールは念入りに鍵をかけた。そして扉の脇に掛けられていた護符のようなものを手に取り、何やら小声で呟いた。

 部屋の四隅がかすかに輝き、ぼんやりとした光の柱が立ち上がる。光の柱は部屋を構成する直線をなぞり、一瞬強く光ると、すぐに消えていった。

「念のため、ちょっと魔法の防護を使っておいた」

 もの問いたげに見上げるセレスティーヌに、リシャールはそう応えた。


 セレスティーヌは部屋を見回した。

 部屋は狭くて暗かった。よく見れば、窓というものが一切ない。

 薄暗がりの中、リシャールは小さな丸テーブルに歩み寄り、ランプのような形をしたガラス製の器の上に手をかざした。

 ふんわりと淡い光が灯り、薄暗かった室内をぼんやりと照らし出す。

(魔法……?)

 古の帝国の遺産である魔法とそれに基づく技術は、歴史上の長い空白を経て、今から百年ほど前に再発見された。研究が進むことにより、魔法は徐々に生活の中にも拡がり始めている。だが、庶民が日常生活の中で使用するには、いまだ高価で貴重なものだった。

 そんな魔法の力を、リシャールは先ほどから惜し気もなく使っている。

 リシャールにとっては、魔法などありふれたものなのかもしれない。そう思い至ると、ちくりと胸が痛んだ。


 リシャールはテーブル横に置かれた椅子を示し、セレスティーヌに座るように促した。

 もう一脚の椅子を壁際から引き寄せ、リシャールはテーブル越しにセレスティーヌと対面するように座った。

「……何から話せばいいのだろう。いざ話そうとすると、難しいものだ」

 迷いためらった後、リシャールは考え込みながら言葉を紡ぎ出した。

「まずは詫びたい。アランから聞き出した。あの子が君に何を言ったのか」

「謝っていただくようなことは何もありません。アラン様のおっしゃったことは正しいです。

 わたしは、リシャール様のことを何も知りません。いえ、知ろうともしませんでした」

「それは君のせいではない。むしろ私のせいだ。私が知られまいとしていたから」


 思い当たるところがあった。

 リシャールは自分について語ることを避けている。そのことにセレスティーヌはうっすらとではあるが気づいていた。

「それでも、知ろうとすればよかったんです」

 避けていたのはリシャールだけではない。セレスティーヌもまた、置かれている立場を直視することを避けていた。隔たりがあることを知りながら、気づかずにすませようとしていた。


「いや、違う。そうではない」

 驚くほど真剣な口調で、リシャールは言った。

「私には敵がいる。私と近しい者は、その敵の標的とされるかもしれない」

「敵……?」

 意味を把握できず問いかけるセレスティーヌに、リシャールは頷いた。

「そもそも私は君に近づくべきではなかった。

 これ以上関わらず、君から離れることこそが、本当は正しい選択なのかもしれない。

 私のことを知って欲しいなどと思うのは、独りよがりな私のわがままだ。だから……」


「いいえ、話してください」

「セレスティーヌ?」

「知らないでいるのはもう嫌です。それに、いまさら突き放さないでください」

「そうか、そうだな」


「では……まず、この甲冑の話からはじめようか」




 おそらく人の噂にもなっていることと思うが、この甲冑は、いわゆる魔法の品物(マジックアイテム)だ。強力な魔法が宿っていて、私の身を守ってくれている。

 私の叔母――母の妹にあたる人に、いわゆる賢者、すなわち、古の帝国の魔法を研究している方がいる。叔母は、私を守るために、自分の研究成果のありったけを詰め込んで、この甲冑を作り出した。


 この甲冑は『不壊(ふえ)の甲冑』と名づけられている。あらゆる刃と、あらゆる魔法を退けるのだそうだ。また、所有者本人が外そうと思わない限り、その身から勝手に剥がされることもない。

 どこまで本当かはわからないが、確かに今のところ、この甲冑はその言葉通りの威力を発揮している。

 魔法には常に代償が必要だ。強力な魔法には、それに見合った対価が望まれる。

 この甲冑に宿る守りの力を発動させるためには、この甲冑を所持する予定の者が、強力な『誓言』を立てなければならなかった。

 叔母が用意し、私が立てた『誓言』の内容はこうだ。

『親族以外の女性の目のあるところでは、決してこの甲冑を外してはならない』

 もし『誓言』が破られたならば、魔法の力はすべて失われる。この甲冑は、単に私に身の丈の合った大きさの、魔力を帯びていない普通の甲冑となるだろう。まあそれでも、けっこう性能のいい防具ではあるだろうが。

 人類の半分は女性だ。実際問題として、この『誓言』は、人目のあるところで鎧を外してはならないと言っているに等しい。


 叔母がこの魔法の甲冑を作り出そうと考えた理由、そして、私が、行動に多くの制限を加える不便なものを受け入れた理由――それは、私の出生と深く関わっている。

 私は、少しばかり入り組んだ関係の下に生まれついた。そしてそれ故に、私を疎ましく思う者や、私を利用しようとする者が存在している。


 私の父母は、図らずも恋に落ち、互いを求め合った。だが、父母の恋は、周囲から祝福されるようなものではなかった。

 母は婚姻関係を結ばずに私を産み、そのまま亡くなった。つまり、私は私生児だ。そして、父には既に妻子がいた。つまり、私は不義の子でもある。

 寄る辺のない赤子を憐れに思ったのだろう。母の兄――つまり私の伯父は、私を引き取り、自分の二番目の息子として育ててくれた。

 伯父夫婦は優しかった。実子であるいとこたちと分け隔てすることなく私を育ててくれた。だから、幼い頃、私は自分が養父母の実の子ではないなどと、思いもしなかった。

 ただ、口さがない人というのはどこにでもいる。人の噂によって、私は次第に事実を知るようになっていった。


 十五歳になったときのことだ。養父は私に実父の名を明かし、親子として対面できるよう、取り計らってくれた。

 私の血縁上の父は、何というか……地位と身分のある方だった。

 あの方は私を息子と――ご自分の血を分けた存在であると認められた。私が息子であることを、公けにすることも考えておられたようだ。

 だが、私は実父の子として生きることを拒んだ。周囲の状況を鑑み、受けるべきではないと判断したからだ。

 いや、幼く頑なだったからだろうか。十五年も経ってから、いまさら我が子よと呼ぶ人を、どこかで許しがたいと感じていたのかもしれない。


 二十歳になり、騎士として叙勲されるにあたって、私は誓いを立てた。

 『生涯、富貴を求めず、弱き者を守ることに努め、王国に忠誠を誓う』と。

 私はこの誓いを違えるつもりはない。

 王国に仕える騎士のひとりとして、生涯を過ごす。それ以上を求めるつもりなど決してない。

 だが、それを信じようとはしない人々がいる。

 私は今までに何度か命を狙われている。そういった『敵』を避けるために、叔母はこの甲冑を――強力すぎる力を秘めた魔法の甲冑を――作り、私に与えたのだ。


 正直に言おう。この甲冑は不便で仕方ない。

 だが、簡単に脱ぎ捨てるつもりはない。私を信じず、理不尽に私の命を狙う者などに、むざむざ殺されたくはないから。

 自分の命が惜しいだけではない。力を尽くして、私を守ろうとしてくれる人たちがいるから。

 いや、私を利用しようとする者たちのほうではない。実の父の名とは関わりなく、この『私』を守ろうとしてくれる人たちだ。私はその人たちの思いに応えたい。


 ただ、単に暗殺者から身を守るためのものとしては、この甲冑はかなり不便だ。込められた魔力も強力すぎる。

 ひょっとすると、叔母は単に自分の研究成果を実地で試したかっただけなのだろうか。そんな気がしなくもない。


 ともあれ、せっかく得た力なのだ。どうせならば有効に役立てることはできないだろうか。

 そう考えて、『遺跡』探索に関わる任務を志願した。『遺跡』には未知の魔法や化け物も存在している。この甲冑の力は、あそこではとても役に立っているのだ。




「こんなところだろうか」

 長い話を語り終え、リシャールは息をつく。


 アランの言っていた意味がわかった。

 甲冑の来歴もリシャールの生い立ちも、セレスティーヌの日常からは遠いものだった。まるで、悲しくも数奇な運命を背負わされた物語(ロマンス)の主人公のようだ。

 だがそれは、リシャールにとっては物語ではない。現実なのだ。


 何よりも、リシャールは物語の主人公にしては、あまりにも綻びが多い。

 魔法の甲冑を纏いながら、こっそりと猫の姿を追いかける。アランの話によるならば、迷宮の中で再三道に迷ったともいう。

 真面目で礼儀正しくて、懸命で不器用で、どこか滑稽な、普通の人間だ。

「その、何というか、すまない」

「どうして謝るんですか?」

「いや……こんな話を、一方的に押し付けてしまった」

「いえ、ありがとうございます、リシャール様。話してくださって本当によかった。でも、こんな大切なことを、なぜわたしに?」


「……知ってもらいたかったのだ。他ならぬ君に」

 リシャールの声は大きくはなかった。だが、不思議と力強さを感じさせた。

「君はあの日、私に手を差し伸べてくれた。

 異様な風体の私を避けるでもなく、私自身すらはっきりとは気づかないでいた望みを叶えようとしてくれた。

 それは私にとって、とても……有り難いことだった」


 思い出がよみがえる。

 初めてリシャールが猫に餌を与えた日、彼は緊張していた。身じろぎもせず、息を継ぐことも忘れ、猫の動きを目で追っていた。そして猫が去った後で、セレスティーヌに感謝を伝えた。

 あのときの彼のしぐさを、声を、セレスティーヌは今も鮮明に覚えている。


「何も言うまいと思っていた。何も知られまいとしていた。

 体ばかりでなく、心にまで鎧を纏い、それで通そうとしていた。

 自分の身を守るためにも、相手を危険にさらさないためにも、そうあるべきだと思っていた。

 最初はそれほどつらくはなかったのだ。それがもう習い性になっていたから。

 だが、君が離れていって、私は気づいた。

 私は君を失いたくない。そしてできることなら……」

 続く言葉を言いかけて、リシャールははっとして口を閉ざした。


「リシャール様?」

 突然押し黙ったリシャールに、セレスティーヌは不思議そうに問いかけた。

「……そろそろ下に戻ろう。ファビアンに心配をかけてしまう」

「叔父さんは心配性ですよね」

 セレスティーヌは笑いながらそう応えた。

 リシャールも軽く受け止め、笑って相槌を返すだろう。だが、そんなセレスティーヌの予測に反し、リシャールは黙り込んだままだった。

「……いや」

 沈黙の後、リシャールは聞き取りにくい小さな声で呟いた。

「ファビアンは正しかった。あの『誓言』は確かに必要なものだった」

「え……?」


 問い返そうとするセレスティーヌに構わず、リシャールは椅子から立ち上がると、まっすぐに扉へと向かった。

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