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娘、甲冑の騎士について知る

「甲冑の騎士様? ああ、リシャール様のことね」

 セレスティーヌの問いに、『海豚とオリーブ亭』の先輩給仕であるマノンはそう応えた。

「初めてだとびっくりするわよね。このあたりの名物みたいな方だけど」

「そうなんですか?」

「あんな格好でガッシャンガッシャン歩き回ってる人なんて、そういないもの。

 このダルジャンの街ではけっこう有名なんだけど、セレストちゃんは他所から来たばかりだものね」

「ええ、叔父さんたちはよくしてくださるし、お店の仕事も楽しいですけど、まだここのことがよくわからなくて」


 『海豚とオリーブ亭』の店主ファビアンは、セレスティーヌの母方の叔父に当たる。

 十五歳になったセレスティーヌは、食堂兼宿屋を経営する叔父の下に奉公に出された。いい年齢の娘をいつまでも手元に置くわけにもいかないという、現実的な事情によるものだ。

 地元で嫁ぎ先を探すのではなく、あえてダルジャンに住む親戚に託したのは、娘により多くの可能性を与えたいという思いもあってのことなのだろう。


 セレスティーヌの故郷は麦畑の広がる、のどかな田舎の農村だ。

 漁港とオリーブの木立と、今は滅び去った古の帝国の『遺跡』をその誇りとする王家直轄領ダルジャンは、気候や風景はもとより、その賑わいも人々の暮らしぶりも、故郷の村とはまったく違っていた。

「すぐ慣れるわよ。セレストちゃんはしっかりしてるし、飲み込みも早いし、なによりかわいいし。

 姪っ子じゃなくても店長は大歓迎したと思うわ」

 この女性は、出会った当初からセレスティーヌの名前を縮めてセレストと呼んでいる。身内にはたいていそう呼ばれていたので特に違和感はないが、まだよく知っているとは言いがたい人物から愛称で呼ばれるのは、少し照れくさくもある。


「かわいい……でしょうか」

 自分の容姿に関して、セレスティーヌはいまひとつ自信が持てない。

 晴れ渡った秋の空を思わせる瞳の色と肌の白さは、自分でもまあ悪くないのではないかと思える。だが、金の髪はパサパサした髪質も相まって、麦わらそっくりだ。肌も確かに色白には違いないが、大量の雀斑が鼻から頬にかけて顔面を占拠しており、見苦しいことこの上ない。鼻はやや低く口は大きく、なんだかバランスが悪い。愛嬌はあっても、洗練された美しさとは程遠い。


「ええ、かわいいわよ。とても、ね」

 そう語るマノンこそ、とても美しい人だ。セレスティーヌはそう思う。

 漆黒に近いダークブラウンの髪はあくまでつややか。彫りの深いはっきりした顔立ちに少し浅黒い肌は、南国の生まれを思わせる。引き締まってメリハリのあるしなやかな体つきは、蠱惑的でありながら、そのきびきびした動きとさばさばした態度で、男たちの誘惑をうまくはぐらかし、隙を与えない。

 四つ年上の十九歳だということだが、四年後に自分がこんな大人っぽい女性になっているとは、とても思えない。


「セレストちゃんは、ちゃんと育てられた子って感じがして、そこがいいのよね。

 客商売ではあるけれど、うちの店、いかがわしい方面には手を出さない方針でしょ。

 そういうきちんとしてる感じ、すごく大切なの」

 そう言って、マノンはにこりと笑いかけた。


「そうそう、それでリシャール様のことだったわよね」

 あたしもあまり詳しくはないけれど、と前置きして、マノンは甲冑の騎士について知っていることを語り始めた。


 甲冑の騎士リシャールは、王国の北部に領地を持つ、さる名家の子息であるらしい。年齢はおそらく二十代の前半。優れた剣の使い手として知られているとともに、その実直な人柄と堅実な手腕が評価を受け、叙勲からの年数も浅い若者であるにもかかわらず、国王陛下ご本人から目をかけられていたという。

 このダルジャンには代官ロベール卿の補佐役として赴任した。『遺跡』と呼ばれる地下迷宮の安全保持がその主な任務であり、自身もしばしば『遺跡』の探索に向かっているようだ。


「で、あの鎧なんだけど、どういうわけだか絶対に脱がないのよね。

 照ろうが降ろうが、『遺跡』の中だろうが、いつもあの格好」

「なんででしょう。不便じゃないのかな」

「不便でしょうとも。暑いし重たいし。

 でも、脱げない事情があるみたい」

 マノンは声量を落とし、囁くように言った。

「これは噂なんだけど、あの鎧には強力な魔法がかかってるんじゃないかって」

「まさかそれって、呪いの品物(アイテム)かなんかですか。

 一度身につけたら絶対にはずれないっていう」

「じゃなくて、むしろ祝福のほうかな。

 強い魔力を与える代償として、何か制約が加わるとか、そういったやつ。

 魔法とかって、あたしもそんなに詳しくないけれど」

「そういうものもあるんですね」

「一応、リシャール様の鎧は脱げないわけじゃないみたいなのよね。

 けど、脱いだところを誰かに見られちゃいけないらしいの。

 でもね、ほら、鎧を脱がないと不都合なときってのもあるじゃない。

 街中でそういった事態に陥ったときの避難先として、あの方、うちの店に部屋を確保していて」

「脱がないと不都合な事態……?」

「怪我をしたりとか病気になったりとか。

 まあ、いろいろあるけれど、緊急を要する事態として考えられるのは、急に用を足したくなった時とかかしら。

 小さいほうなら、まあ、甲冑を身につけたままでもどうにかなるでしょうけど、大きいほうとなると、ね」

「あ……」


 マノンの言わんとすることに思い当たり、セレスティーヌは思わず顔を赤らめた。

 甲冑姿を見ただけでは、そんなことは思いもしなかった。だが、言われてみればたしかに大問題だ。


「まあそんなこんなで、あの方はうちのお得意様でもあるわけ。

 とは言っても、例の部屋を実際にお使いになられたことはほとんどないんだけど」

 そうかもしれない。そういった『不都合』のたびに、わざわざ宿屋に駆け込んで専用の部屋を頼まねばならないというのは、かなり気恥ずかしく不便なことだ。そんな事態に陥らないよう、普段から細心の注意を払っているに違いない。


「アラン君だっけ。あの従者の子がいつもついて回っているのは、たぶんその辺りを心配してのことじゃないかしら。

 甲冑って、ひとりでは簡単に脱ぎ着できるようなものじゃないけれど、見知らぬ人間に脱ぐのを手伝わせるわけにもいかないみたいだから」

 セレスティーヌはいきなり睨みつけてきた少年を思い出した。

 あのときは理不尽だと思う気持ちが先に立ち、少年にいい印象を持つことができなかった。だが、事情を聞いてみれば、少年の気持ちもわからなくはない。


「まあ、あの子に関しては別の噂もないわけじゃないけれど」

「別の噂、ですか」

「あのね、リシャール様は西区のお屋敷にお住まいなのだけど、そこの使用人、どういうわけか男性ばかりなのよね。女はひとりもいないのだそう。

 だから、あの方はそういう性癖の方なんじゃないかと言われていたりも」

「そういう性癖って?」

 言わんとすることがよくわからない。セレスティーヌはきょとんとした表情で問いかけた。

「ああやだ、ごめんなさい。

 セレストちゃん、わからないならわからないほうがいいわ。

 でも、そんなところもすっごくかわいい」

「そういう言い方、子供扱いされているようで、ちょっとかなしいです」

「あー……、ごめんごめん。そうじゃないの。そうじゃないんだけど」

 んー、そうねえ、と考え込みながら、マノンは言葉を継いだ。

「つまり、女性よりも男性のほうが好きな男性って言えばいいかしら」


 ぼんやりとだが、おおよその見当はついた。だが、どうもぴんと来ない。今までセレスティーヌの周囲には、そういった趣味嗜好の持ち主はいなかった。いや、ひょっとしたらいたのかもしれないが、だとすればその存在にまったく気づかずに過ごしてきたのだろう。

(都会の人って……変わってるんだ)


「ああ、つい余計なことを言っちゃったかも。こんな変な噂話まで聞かせてしまってごめんなさい。

 実際には、たぶんあの方、そもそも色恋の話自体にとことん疎いんじゃないかと思うのよね。

 少なくとも、真面目でいい人なのは間違いないと思う」

 それは何となくセレスティーヌも感じていた。甲冑の騎士の声はとても穏やかだったし、目下(めした)のアラン少年に対して、真剣に謝っているように見えた。


「あの……、あの方、猫がお好きなんでしょうか?」

 いささか唐突な問いかけだっただろうか。

 セレスティーヌは口に出してから後悔し、口ごもりながら言葉を足した。

「この間初めてお見かけしたときのことなんですけれど、わたしが猫に残飯をやっているのをじっと見ていて。

 最初は正直、薄気味悪いなって思ってたんです。

 でも、もしかしたら、ただ猫が見たかっただけなのかなと思ったりもして」


 マノンは驚いた表情を浮かべ、セレスティーヌをまじまじと見ている。

「どうなんでしょう。マノンさんなら何か知ってるかなと思ったんですけど」

「ああ、ほんと、セレストちゃんって、なんていい子……」

 マノンはしみじみとした調子で呟いた後、気を取り直したように続けた。

「うん、そうね。たぶんリシャール様、猫好きだと思う。あたしも気づいてた。リシャール様、猫が見たくて、うちの店の裏手をぶらぶらしてることがあるみたい。恥ずかしいのか、言いにくいのか、そんなときはたいていアラン君を連れてこないのよね」

「そうなんですね。やっぱり」

「けど、それに初対面で気づくセレストちゃん、けっこうすごい。誰にでもできることじゃないのよね。そういうのって」

「そうなんでしょうか?」

「うん、そうなの!」


 憧れの先輩は思いのほか自分を高く評価しているようだ。

 正直、どのあたりを買ってくれているのか、セレスティーヌにはよくわからない。だが、自分が受け入れられているという感触は、なんとも嬉しくて、ほんのりくすぐったく、心地いいものだった。

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