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娘、甲冑の騎士と出会う

 その人物を最初に見かけたのは、セレスティーヌが『海豚(いるか)とオリーブ亭』で働き始めて三日目のことだった。


 なんだろう。あれは。


 うららかな春の昼下がり、冒険者の宿屋『海豚とオリーブ亭』の裏口で、集まってきた猫たちに残飯をやっていたセレスティーヌは、思わずその空色の目をしばたたかせていた。

(甲冑……甲冑の騎士?)

 板金鎧(プレートアーマー)で全身を完璧に覆った人物がぬっと突っ立って、じっとこちらを見ている。フルフェイスの兜に頭部もすっかり覆われているので、年齢や性別も定かではない。


 ここ、ダルジャンは冒険者の街でもある。

 なかでも『海豚とオリーブ亭』のあるこの界隈は、『遺跡』と呼ばれている地下迷宮にほど近い。武装で身を固めた人間を見かけるのは日常茶飯事だ。

 しかし、眼前に立つ人物が身につけている甲冑は、そこいらの冒険者が纏っているものとはかなり違っていた。

 全身を覆う板金鎧。

 『魔法復興』以前の時代の騎士が、合戦場で身につけていたようなしろものだ。昨今でも、高位の騎士が儀仗用として着用することならあるだろう。だが、戦時でもないときに、街のど真ん中で目にするようなものでは、決してない。

 実際、この辺りの冒険者たちは、皮鎧や鎖帷子といった、もっと安価で実用的な装備で迷宮に向かっている。


(まさか『遺跡』から出てきた『生ける甲冑』(リビングアーマー)じゃないよね?)

 そういう怪物がいるらしいということは、セレスティーヌも聞いたことがある。

 だが、『遺跡』の周囲はかなり念入りに警備されている。化け物が迷い出てきて市中をうろつくようなことは、まず考えられない。

 しかし、思わずそんな考えが浮かんでしまうほど、その姿は異色で、目を引かずにはおかないものだった。

(えっとえっと、どうしよう……)

 『生ける甲冑』ではないにせよ、目の前の人物が思いっきり怪しいのは間違いない。

(やっぱり、声をかけてみないといけないよね)

 正直言って、あんな不審人物にはあまり関わりたくない。

 とは言うものの、『海豚とオリーブ亭』に用があってここにいる可能性もある。店に雇われている身としては、無視するわけにもいかないのではないか。


 そんなことをぐるぐる考えながら、甲冑の騎士の様子を窺っていた、そのとき。

 残飯を食べ終えた猫が一匹、甲冑の騎士の足元に歩み寄っていった。

 ガシャン

 金属音がした。

 甲冑の騎士が首を回し、足元に視線を落としたのだ。

 ガシャンガシャン

 また音がした。騎士は足を曲げ、地面に膝を突こうとしている。

 フギャッ

 突然の金属音に驚いたのだろう。近づこうとしていた猫は、毛を逆立て、背中を丸めて飛びのいた。

 伸ばしかけていた手を空中で止め、騎士はその場で硬直した。


 兜のせいで騎士の表情は見えない。だが、なんとなく伝わってくるものがあった。

(ああ、もしかしてこの人は)

 逃げ去っていく猫を見つめ、騎士は深く息をつく。

(単に猫たちを見ていただけなんだろうか)


 猫は金属臭も騒々しい音も好きではない。あんな全身金属の塊みたいな物体に、好んで寄りついたりはしない。

 甲冑の騎士もそんなことはわかっていたはずだ。だから遠巻きに眺めていたのだろう。それでも近づいてきた猫がいたので、つい手を伸ばそうとして。

「あの……」

 セレスティーヌは甲冑の騎士に歩み寄り、声をかけた。

「うちの猫……じゃなかった。うちの店に、御用のある方でしょうか?」

「あ……」

 呼びかけられるのは予想外だったのか。甲冑の騎士はとまどったような声を洩らし、娘に顔を向けた。

「君はこの店の人か? 見覚えがないのだが」

 兜のせいで少しくぐもっているが、その声は若い男性のものだった。やや低めの、落ち着いた雰囲気の声だ。

「わたし、セレスティーヌっていいます。三日前からこちらで働いてます」

「そうか。いや、用というほどのことではないのだ。市中見回りの途中、少し立ち寄っただけで」

 猫が見たかったんですよね。うちの店の周り、たくさんいますもの。

 そう問いかけてみたい衝動に駆られた。だが、何となく憚られて、セレスティーヌは騎士の言葉にただ頷いた。


 その時。

「リシャール様! こんなところにいらっしゃったんですか」

 突然、大声をあげて走り寄ってきた者がいた。

 年の頃は十三、四歳といったところ。一目で貴人の従者であることが見て取れる、瀟洒(しょうしゃ)ななりをした少年だ。


「あ、アラン……」

 ずいぶん走り回っていたのだろう。少年の短く整えられた栗色の巻き毛はてんでに乱れ、汗で前髪が額に張り付いている。

「ちょっと目を放した隙にふらふら出かけないでください。心配するじゃないですか」

 息を切らしながら少年が言った。

「すまない。だが、市中の見回りに出ることは言い置いたはずだが」

「僕を置いてかないでください。お願いですから」

「いや、私は別にひとりでも」

「ダメです。万が一のことがあったらどうするんですか。

 それに、ひどい方向音痴だってことも、もう少し自覚してください。

 『遺跡』でも、何度も何度も迷子になってるって、報告受けてますから!」

「……街中は地下迷宮じゃない。そう迷うものでもないし、迷ったところでたいして問題は」

「それに、けつまづいてすっ転んだり、変な女に引っ掛けられたりでもしたら」

 最後の言葉を口にしながら、少年はぎろりとセレスティーヌを睨みつけた。


 そんなんじゃないのに。

 反駁したくなったものの、セレスティーヌは喉から出かかった言葉を飲み込んだ。年少者とはいえ、自分より明らかに身分が高い者に口ごたえするのはためらわれた。

「少し心配性が過ぎるのではないか。つまづいて転ぶのはともかく、変な女とやらが私に寄りつくとも思えないが」

 甲冑の騎士は困ったような調子で応えるが、少年の勢いは衰える気配もない。

「とにかく!」

 少年は騎士を正面から見上げ、有無を言わせぬ口調で宣言した。

「ひとりで勝手に出歩かないでください。

 リシャール様の身にもしものことがありでもしたら、僕は皆様にどうお詫びしたら……」

 甲冑の騎士は押し黙り、少年を見下ろす。

「……そうだな、すまない」

 穏やかな、本当にすまなそうな声でそう言うと、騎士は少年の背にそっと手をあて、なだめるように軽く叩く。

「心配をかけたな。戻ろうか」


 顔を上げ、セレスティーヌに向かって軽く目礼すると、騎士は少年とともに立ち去っていった。

作中に見られる猫の餌やりは、この架空世界における風習に基づくものです。猫に与えている食べ物に関しても同様です。

現代社会における外猫への対応として、作中のようなあり方が正しいと考えているわけではないことを、お断りしておきます。

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