死ねぬ戦い
ネームドモンスター。
聞き慣れぬ呼称に、レントは強敵との出会いを予感した。
だが、今は死ぬ事は許されない。
背後で震えているらしい少女は、ネームドモンスターとやらにはどう足掻いても勝てないのだろう。彼女を無事に地上に送り届けるまで、レントは死ぬつもりなどなかった。
「ふふっ。死ねない戦いですか。誰かを守るために戦うなら、フドー神様も喜んでくれますかね」
「なんで笑ってるのよ・・・」
「気にしないでください。逃げてもいいですが、迎えに行くまで怪我はしないでくださいね?」
「戦うって言うの?」
「当然。逃げても神官殿の足では、追いつかれるでしょうから」
「・・・1人で逃げればいいじゃない」
「家訓でしてね。誰かを見捨てて逃げるくらいなら、その場で己の首を掻き斬れと」
少女は頭1つ高いレントの横顔を見上げ、その微笑みに背を押されたように前に出た。
レントの右に立ち、右手の杖でドン、と大地を突く。
「右手を出しなさい」
「何を?」
「いいから早く!」
レントが右手を出すと、少女は左手でその手を強く握った。
予想もしなかった事態に、レントの顔が真っ赤になる。修行と勉学しか知らなかったレントは、もちろん異性の手を握った事などない。
僕と違って、ずいぶんと柔らかい。そう思うと、さらに耳まで真っ赤になった。
「照れてんじゃないわよ、こっちまで恥ずかしくなるでしょ!」
「ご、ごめんなたい・・・」
「噛んでるし。我等、今日の苦難を共に越え、命を同じくする2人なり!」
「えーっと、演劇ごっこなら後にしてもらえますか?」
「演劇ごっこじゃなくて、パーティー結成! 早く復唱しなさい、ネームドモンスターが来る!」
「はあ。我等、今日の苦難を共に越え、命を同じくする2人なり。って、頭の上に変なの出ましたよ?」
「上から名前とレベル、クラス、HPバー、MPバーよ!」
少女の頭上には、シーナ、レベル5、治癒術師とあり、HPバーに15、MPバーに30と数字が出ている。
「便利ですね。よろしくお願いします、シーナさん」
「アンタ、25レベルって・・・」
シーナは驚愕に目を見開いている。
「昔、大虐殺をやらかしたんですよ」
「趣味の悪い冗談はやめて。そんな人間は、探索者になれないわ」
そこまで話すと、道の先から毛むくじゃらの大男が姿を現した。
「ハーゲンティ。HPは200。なるほど、ネームドモンスターというのは、名前とかHPバーとか見えるんですね」
「パーティーを組めば、ゴブリンのだって見えるわよ」
「なにそれズルい・・・」
「神様だって、迷宮に1人で入る阿呆なんていないと思ってたんでしょ!」
「そうですか。回復が必要ならお願いします。疾く駆けて、我は斬るなり、風誘う、ネルタの種の、舞うが如くに、【風舞の脚】」
「なんのスキルよ?」
「動きが速くなるんです。では、行ってきますね。トライアンエラ。うん。師匠に比べたら、まるで怖くない」
走る。
まさに疾風と言うべき動きを、シーナは目で追う事すら出来なかった。
「シッ」
レントの刀がハーゲンティの腿に食い込む。
その深さからレントは骨まで断ち割れると確信し、そして裏切られた。
回転しながら距離を取ろうとするレントに、ハーゲンティの拳が迫る。唸る音さえ聞こえるそれを紙一重で避けながら、レントはその腕に刀を叩きつけた。
「やはり斬れませんか。骨が硬いというのは、思ったより厄介ですね」
後ろに跳んで呟くレントを、シーナは信じられない思いで見つめていた。
シーナは動かないのではなく、動けない。
通常パーティーであれば、回復の必要がなければ治癒術師とて杖で戦闘に参加するが、ハーゲンティとレントの戦闘に割り込めば、1秒と経たずにシーナは死ぬだろう。
またレントが突っかける。
斬るのが目的ではなく、肉を削ぐのが目的であるようだ。
ハーゲンティが拳を振り回す度に、血が雨となってレントに降りかかる。
「ネームドモンスターってのは、失血死しないんでしょうかねえ!?」
「知らないわよ、でもHPはあと半分! 死なないで、レント!」
もちろんです、そう声を上げようとしたレントが、大きく距離を取ってシーナを庇う位置に移動した。
ハーゲンティの体が、黒い光を放っている。
闇よりも濃いその光は、レントの脳裏に警鐘を鳴らすには充分な禍々しさだ。
「何が起こるんでしょう?」
「第2形態・・・」
黒い光が、弾ける。
視界を塗り潰されても瞬きをしなかったレントが見た物は、背に翼を生やした牡牛のモンスターだった。
名前は変わらずハーゲンティ。
だが、半分まで削ったHPバーは全回復しており、その数値も300と強化されている。
「迷宮って、本当にデタラメですね。【光属性エンチャント】」
「嘘、剣術系クラスがエンチャント魔法なんて・・・」
レントが走る。
ハーゲンティは、姿勢を低くして角で刀を受ける気のようだ。
「【硬化】、【水面斬月】!」
レントのスキルが、ハーゲンティの角に吸い込まれる。
角は切り落とされて飛び、さらに頭蓋を叩かれてハーゲンティはふらついた。
「50も減ってる。スキルが有効なのかな?」
「スキルなしでネームドモンスターの肉を削ぐなんて、レントにしか出来ないわよ・・・」
「そうでもありませんけどね。さあ、殺し方がわかれば、こっちのものです。煉獄の」
詠唱はさせぬとでも言うように、立ち直ったハーゲンティが突進する。
「焔に灼かれし」
ハーゲンティの目を狙ったレントの一撃は、まぶたを閉じるという方法で防がれた。
毒づけば詠唱が途切れる。
レントは用心深く構えながら、ジリジリと円を描くように動いていた。
「日々在りてこそ、悪鬼を滅す」
またも突進。
闘牛士よろしくそれを避けたレントに、通り過ぎたハーゲンティの後ろ足での蹴りが飛ぶ。
だがそれも、レントは華麗に躱しきった。
「秘奥は我に、神よご照覧あれ」
さらなる突進。
躱した先のレントを狙っていたように、ハーゲンティの残る角が振られた。
HPを半分以上も減らしながら、それでもレントは苦痛の叫びをなんとか飲み込んで着地。
ハーゲンティは追撃を選ばず、あろうことかヘイトを一切稼いでいないシーナに狙いを変えた。
翼が唸る。
小屋のような巨体が浮き上がってこちらに飛ぶのを見ながら、シーナは自分がこれから死ぬのだなと他人事のように思った。
宿屋の父と主婦の母の末娘として生まれながら、治癒術師というクラスを得ていた。学校代わりにサーフィス神殿に通ううちに他者を癒す事に喜びを覚え、どうせなら誰よりも苦労している人達を癒やそうとマクレールに来た。
探索者になって2年。ようやくレベル5になり、顔見知りと即席パーティーを組んでの5階層ボス狩りも安定してきた。
でも、それももう終わり。
「さよなら、レント・・・」
「【煉獄葬滅斬】!」
無数の斬撃がハーゲンティを襲う。飛んでいたハーゲンティは地に叩きつけられ、為す術もなく斬撃をその身に受けている。
残った角が落ちると威嚇するように立ち上がって吠えたが、レントの斬撃はまだ終わらない。
吠え声の途切れぬままHPバーは砕け、音を立ててハーゲンティは地に崩れ落ちた。
「レント! 【ヒール】、【ヒール】、【ヒール】。まだ足りないっ、【ヒール】、【ヒール】!」
シーナは泣きながら、一心不乱に治癒魔法を使う。
レントがもういいと言ってもその手を振り払い、HPが全快するまで魔法を使うのを止めなかった。
「ありがとう、もう大丈夫ですよ」
「痛いところはない?」
「ええ。戦闘前より元気です」
「よかった・・・」
レントの胸に手を当てて治癒魔法を使っていたシーナが、安心したからか体の力を抜く。
胸に寄りかかった格好になってしまったシーナを、レントは何も言わずに抱きしめた。
「なっ・・・」
シーナは顔を真っ赤にして硬直する。
男の胸に抱かれているのだから、経験のない少女なら誰だってそうなるだろう。
離しなさい、そう言いかけたシーナの頬に、温かい何かが落ちて首筋まで伝った。
愛撫にも似たその感触にシーナが身を震わせると、レントのか細い声が聞こえる。
「・・・られた。今度は、助ける事が出来たんだ。マリサ・・・」
レントは泣いている。
涙は後から後から落ちてシーナの頬から首へと落ちていくが、シーナは苦笑しながらそれを受け入れた。
レントが呼ぶマリサがどこの誰かは知らないが、その人はもうこの世にはいないのだろう。
その人を助けられなかったレントがシーナを助け、その人の名を呼びながら、その人の代わりにシーナを抱きしめて泣く。
シーナは最後だと思った時、出会ったばかりのレントの名を呼んだのにだ。
男ってこんな生き物なんだなと思うと、もう少しだけ泣かせてあげてもいいかなと思った。
「ご、ごめん。僕・・・」
「いいよ。助けてくれて、ありがとう」
シーナの指がレントの眦を拭うと、レントはそっと目を閉じた。
「妹が、いたんだ・・・」
「マリサさん?」
「うん・・・」
「きっと、褒めてくれるね」
「そうかな・・・」
「そうよ」
言いながら、レントの頬の涙を拭く。
マリサという人が妹と聞いてどこかで安心した自分は、酷く薄汚い女だとシーナは思った。
「剣を持ってるのにエンチャント魔法を使うし、たった1人でネームドモンスターを倒してしまう。レントって何者なの?」
「僕は僕さ。ただのレント。探索者のレントだ」
「えーっと、演劇ごっこなら後にしてもらえますか?」
「気障だった?」
「ちょっと。ううん、かなりね」
笑い合う。
春の森の中に、楽しげな2人の笑い声がしばらく響いた。
「ねえ、気がついてる?」
「ネームドモンスターの横にある箱かな」
「うん。神様はね、素晴らしい戦いをした探索者に宝箱をくれるの。どれも、すっごく貴重なんだから。開けてみるといいわ」
「そう、だね。うん、そうだ」
もう少しだけ、このままでいたい。
そんな気の利いたセリフはレントには考えもつかないし、ちょっとだけ期待したシーナもそれを引き出す術となると想像もつかない。
抱擁は途端にぎこちなくなり、どちらからともなく体を離した。