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鼠の歌  作者: 足立かおる
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黒と金



「ちょっと待ったー!」


 少女がレントの背嚢を掴んで、全力で引っ張る。

 レントはびくともしないが声をかけられたのには気づき、素直に止まって少女に向き直った。

 長い金髪の少女は回復職の人間が信仰するサーフィス神教の神官服を着ていて、それがレントの心を激しく掻き回す。

 口を押さえて嘔吐をこらえる。胃が、飛び跳ねているのではないかとレントは思った。


「ど、どうしたのっ!?」

「・・・なんでもないですよ。何用ですか、神官殿」

「具合が悪いなら、回復魔法を」

「っ、やめろっ!」

「ひっ・・・」


 決して大きくはないが怒気の込められた声に、少女が怯えて後ずさる。


「・・・失礼。世の中には治して欲しくない痛みもあるのです。それに、僕は怪我も病気もしておりません。では、これで」

「ま、待ちなさいよ。アンタ、初心者でしょ!」

「それが何か?」


 レントは少女を見ずに言う。これ以上心を掻き回されたら、彼女に失礼な事を言ってしまうかもしれない。視線は、迷宮の入り口に固定されたままだ。


「初心者はこの広場でパーティーを組んで、それから迷宮に入るのよ。モンスターが多くなる深夜を狙ってこれから人も増えるから、大人しくパーティーを探してから迷宮に入りなさい」

「深夜を狙ったりはしません。ただの見学です。探索は明日の朝からするので、少し中を見てくるだけですよ」

「1階層だってモンスターはいるのよ!」

「鼻が利きますので、すぐに逃げます。では」

「待ちなさいったら!」


 少女がレントと迷宮の入口の間に移動する。

 愛らしい顔立ちの少女だ。回復職にしては勝ち気が過ぎるかもしれないが、それが彼女の魅力でもあるのだろう。大きな背嚢を背負って、小柄な彼女の身長ほどの木製の杖を持っている。


「おえっ・・・」

「大丈夫っ!?」


 まさか貴女を見ると吐き気がするんですとは言えず、レントは必死で吐き気をこらえる。


「とりあえずあっちで休みましょう。そんな状態で迷宮に入るなんて、自殺行為でしかないわ」

「・・・お願いですから、放っておいて下さい。探索は自己責任だと、ギルドで言われましたが?」

「見過ごせるわけがないでしょう! サーフィス様に仕える私は、諸人を救い癒す義務があるのよ!」


 レントが歯を食いしばる。その音が響くと同時に、少女はレントの顔を見た。

 櫛を入れられた短くも長くもない黒髪が、戦闘前の肉食獣のようにわずかばかり逆立っている。吊り上がった切れ長の目から零れたのは、一筋の血の涙だった。


「どいて下さい。僕は、貴女を傷つけたくない・・・」


 低い声に押され、少女が道を開ける。

 レントが迷宮の闇に消えると、少女は腰を抜かして座り込んだ。


「邪魔だっ!」


 鉄を仕込んだ編み上げ靴で蹴り上げられたゴブリンが、天井にぶつかった衝撃で爆ぜた。

 血の雨の先へと、レントが進む。

 洞窟のような迷宮1階層の地図は、わずか3エルという価格で売られている。食事としては最安の拳大のパンとカップ1杯のスープが、安い店で5エルもあれば食えるのにだ。

 その地図すら買えないレントは、やり場のない怒りに任せて闇雲に道を行く。

 また現れたゴブリンを1刀で斬り伏せ、曲がり角を右へ。


「トライアンエラ。やっと、落ち着いたな・・・」


 愛刀を抜いたせいか、レントはいくらか落ち着きを取り戻していた。

 洞窟の壁に凭れ、水筒の水を口に含む。1階層はゴブリンのみで、それも出会うのは1匹だけらしい。そこまで推察すると、ある事にやっと気がついた。

 迷宮で得た物は、ギルドで買い取りをする。つまりはモンスターを倒して何かを奪うか迷宮の中で何かを探し、探索者はそれを金に変えるはずだ。

 来た道を戻り、脳天から股まで斬り下ろしたゴブリンの死体を調べていく。

 唯一身に付けていた腰ミノまでどかしてみたが、金になりそうなのは錆の浮いた手斧だけ。半信半疑のままそれをアイテムボックスに入れ、また歩き出す。

 30分程も歩き回ると、ようやく2階層へと続く階段を発見する事が出来た。


「行くか退くか。怒りで我を忘れ、最初の方の道は覚えていない。僕はダメですね、フドー神様・・・」


 等間隔に並んでいる光石の明かりで、指輪を眺めてみる。

 その白さに安堵してか、レントは2階層への階段を下りた。

 

「うへぇ・・・」


 階段を下りきらずに2階層を覗いたレントは、そんな声を漏らす。

 それも仕方のない事だろう。

 2階層の壁は墓石。ご丁寧に、生前の名や享年まで刻まれている。

 そして1階層では光石だった明かりは、墓石の前に立てられたロウソクだった。

 足音を殺し、レントは進んでみる事にする。


「敵はやっぱり・・・」


 独り言を吐くと同時に、レントの鼻に酷い臭いが届いた。


「土に還りしはずの身は、願いを忘れ、神さえ忘れ、揺蕩いながら滅びを夢む、其を導けや浄化の光、【光属性エンチャント】」


 べチャリ。ペタ。べチャリ。

 レントの行く手を阻むのは、腐って男女の違いすら判別できなくなった死体だ。


「どうか、安らかに・・・」


 振り上げた両手と共に、ゾンビの首が飛ぶ。

 光属性のエンチャントがなくとも、首を飛ばすか斬り刻むかすればゾンビを倒す事は可能だ。だがこの大陸では古来より、ゾンビとなった死者は光属性の攻撃で倒せば成仏できると信じられている。

 大陸中にモンスターがいた時代からの言い伝えだが、もちろんその真偽は定かではない。

 ゾンビの首が飛んだ先で、カチリと音がした。

 見れば首は消え、小さな淡く光る石が落ちている。これが墓石に当たり、音を鳴らしたのだろう。レントは鎮魂の祈りを捧げてから、それをアイテムボックスに入れた。


「エンチャントはまだまだ保つ。やっぱり詠唱すると、効果時間が段違いだ。僕は未熟者だな」


 無詠唱で詠唱と同じ効果時間を得るなど、古の英雄でも無理な話だろう。だがレントはそれを知りながら、その高みを目指しているようだ。

 光属性のエンチャントで輝く刀に吸い寄せられるように、ゾンビ達はレントの行く手に現れては首を飛ばされていく。

 3階層への階段を見つけるまでに10以上のゾンビを斬り、レントは同数の淡く光る石を手に入れていた。


「お次は、と。森の獣道ね。太陽の光にしか思えないけど、ここは地下なんだよね。・・・当たり前だから、か」


 木々は青く高く、木漏れ陽は優しく揺れる。


「風まであるのか。森の感じは、セムスンド地方を思い出すな」


 モンスターの姿はない。

 あまりに穏やかな散歩のような道行きに、レントは心が晴れ渡るような感覚を覚え始めた。


「故郷は平和で、僕は散歩に出ている。この道の先にはうちの城があって、父上と母上、それにマリサが僕を出迎える。ふふっ。そんな夢ばかりなら、眠るのも辛くはないね」


 そんな独り言を漏らしながら歩いていると、煉獄のサムライであるレントの研ぎ澄まされた五感が、何者かの気配を察知した。次の曲がり角に、何かが潜んでいる。

 顔色も、足音の強さや速さも変えず、静かに刀を抜く。

 曲がり角まで3歩。そこで、レントは駈け出した。

 方向転換しながらの、突き。


「きゃあっ!」

「マリサ・・・じゃない。入り口の神官殿じゃないですか」


 ぺたりと座り込んでしまった少女は、恨めしげに突きつけられた刀とレントを見上げている。

 レントが差し伸べた手を無視して、少女は自力で立ち上がった。


「体調は良くなったようね」

「おかげさまで。パーティーとはぐれたのですか?」

「別に」

「別にって・・・」


 レントは決して鈍感な人間ではないと、自分では思っている。どうやら少女は立腹しているようだ。

 だが、何に腹を立てているかまではこれっぽっちもわからなかった。


「一緒にパーティーを探しますよ、神官殿」

「結構です」

「いけません。ヒーラーはパーティーの要なのでしょう。神官殿がはぐれている時に、仲間が怪我でもしたらどうするのです」


 成仏して下さいと願いながら戦闘を繰り返したせいか、それとも穏やかな心情でもういない家族を思い出したせいか、少女を見ていてもレントの心は拒否反応を起こさない。

 ならば、少女を放っておくという選択肢はレントにはなかった。


「・・・だもの」

「はい?」

「だから・・・」

「えーと、もう少し大きな声でお願いします」


 少女が頬を染める。


「一人で来たっつってんのよ!」

「えーっと、他者のそれは許せぬが、己であれば問題ない、なんて考え方はですね・・・」

「わかってるわよ!」


 少女は髪を振り乱して叫ぶように言う。

 ため息をついたレントだったが、そこで天啓とでも呼ぶべきヒラメキが生まれた。生まれてしまった。


「もしかして、僕を心配して来てくれたんですか?」

「うっ・・・」

「言いたくないなら構いません。さあ、地上まで送りましょう。あ、その前に」

「な、なにすんのよ!」


 レントは少女の背後に回り、聞こえないほど小さな声で【アイテムボックス】と呟いた。

 その手には、赤く塗られた櫛がある。どう見ても女物のそれは塗りはいささかも剥げていないが、端の歯が2本ほど欠けているようだ。


「髪に櫛を入れます。動かないで」

「髪なんてどうでもいいでしょ、ここは迷宮なのよ!?」

「近くにモンスターはいません。女の子なのですから、身だしなみはキチンとしましょう。せっかく愛らしい顔と艶やかな金髪をお持ちなのに、もったいないですよ」

「なっ、なに言ってんのよ!」

「はい、終わりました。行きましょうか」


 レントが微笑みながら言うと、少女は顔を真っ赤にして視線を逸らした。

 異性に容姿を褒められ、あまつさえ髪を触れられる。そんな経験は、少女にはない。


「ひ、1人で帰るから」

「勘違いしないで下さい。僕が1人じゃ帰れないんです」

「はあっ!?」

「道がわかりません」

「地図はどうしたのよ!?」

「持ってませんよ。迷宮に入るのは、初めてだって言ったじゃないですか」

「買えばいいじゃない」

「恥ずかしながら、一文無しでして・・・」


 恥ずかしそうに頬を掻くレントを、少女は道化でも見るように眺めた。


「アンタ、阿呆?」

「手厳しいですね・・・」

「どうやって帰るつもりだったってのよ?」

「5階層には、転移装置があると聞きましたから」


 少女がガリガリと頭を掻きむしる。

 櫛をアイテムボックスではなく懐に入れていたレントは、またそれを出して少女の髪を梳いてゆく。


「ちょ、勝手に触るな」

「嫌なら髪を乱さないで下さい。せっかく整えたのに」

「それくらいするわよ。いい、5階層にはボスと呼ばれる強力なモンスターがいるの。レベル5のアタシ達が6人のフルパーティーを組んで、なんとか倒せるくらいのモンスターなのよ!?」

「そうですか。はい、終わりましたよ」

「そうですかじゃないっ!」


 少女が振り返り、レントの顔に人差し指を向ける。

 だがレントはあらぬ方向を見ていて、抜刀しながら少女の前に立った。


「まさか、モンスター!?」

「ええ。獣臭いのが来ますね。でもなぜ、2足歩行?」


 モンスターの姿は見えていない。それでも、レントは接近するモンスターが2足歩行だと言い当てた。


「そんな。3階層で2足歩行なんて、ネームドモンスターしか・・・」



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