世間知らず
「あちゃちゃちゃちゃーっ!」
老人が火だるまになって踊る。
言葉とは裏腹に、熱さなど微塵も感じていないようだ。
その証拠に火が消えると同時に目にも追えぬ速さで、魔法を放ったカウンターの女、セルスの背後に回ってその尻を揉んでいる。
「選んでもらいましょうか。一緒に裁判所に行って強制猥褻罪で起訴されるか、あたしに半休とお小遣いを渡してごめんなさいと謝るか、2つに1つよ?」
「ごめんなさい」
老人が差し出した硬貨を受け取り、セルスは何事もなかったようにニコリと笑う。
為す術もなく成り行きを見守っていたレントからすれば、一般人なら即死級の魔法を放った方も受けた方も、おふざけが過ぎると感じている。
それは立ち上がったゴメスも同じようで、腰に手を当てながらセルスを怒鳴りつけた。
「あーもう、ハゲはうっさいなあ。それよりそこのキミ、試験の事なんか忘れてゴハン行こ。お姉さんが奢ったげる。そして帰りに、就職斡旋ギルドに紹介してあげるわ」
「紹介も何も、レントは合格だぞ?」
「うっそ・・・」
セルスがまじまじとレントを見る。
すでに納刀して手持ち無沙汰だったレントは、首から下げたアクセサリーの石を手の中で弄んでいた。
「しかも5級合格。20年ぶりのな」
「うっそー!?」
「正確には23年ぶりじゃ。もう少し上でも良いが、悪目立ちするでの。5級から、のんびりやるのがいいじゃろ」
「そうですね。しかし、この若さであれほどの剣を・・・」
「ね、ねえキミ、クラスを教えてくれない?」
「はあ、煉獄のサムライですけど」
セルスがビシリと固まる。
「やはり2次職か。しかし、サムライとは初めて聞く職業だな」
「ねえ、ゴメスが2次クラスになったのっていつよ・・・」
「ん? 迷宮に潜り出して、5年目だったかな。そこから3次職までは、10年かかった」
「レアクラスで、すでにクラスチェンジ経験者・・・」
「それに煉獄は、初期クラスで余程の修羅場を潜らねば出ぬぞ。東方剣術系のレアクラス、しかもこのマクレールで唯1人の煉獄。5級合格は当然じゃな」
レントは興味なさそうに会話を聞いている。
それを見て苦笑したゴメスが、まだ握りしめていた木剣の柄をセルスに放った。
「時間を取らせて悪かった。探索者登録をするから、中に戻ろう。書類はあるな?」
「はい。懐に入れてあります」
「ちょっと、登録はカウンターの仕事よ。試験官は、酒場でお茶でも飲んでなさい」
「おまえは今から半休だろう。レントは何も知らないようだから、俺が説明してやるんだよ」
「半休は取り消し。だから、すっこんでなさい」
「なんだと。だいたいおまえはいつも・・・」
すうっと、老人の体が消える。
レントは会釈してそれを見送り、2人の口論が終わるのを辛抱強く待った。
「じゃあ、ギルドの事はあたしが、迷宮の事はゴメスが。それで行きましょう」
「おう。行こうぜ、レント」
「はい。よろしくお願いします」
結構な時間を無駄にしているのに、レントは嫌な顔もせず2人について行く。
カウンターのあるホールまで行くのではなく、廊下の途中のドアをセルスが開けた。
「ソファーに座って、書類を出してちょうだい」
「はい」
レントは背筋を伸ばして座り、懐から書類を出す。
対面に並んで座ったセルスとゴメスが、2人でそれを見た。
「問題ないな」
「そうね、って近いわよハゲ。それじゃこの石を握ってキミの信じる神様に、迷宮に潜るから加護を下さいって祈って」
「加護、ですか?」
「そうよ。キミも知ってると思うけど、レベルアップするには神様に祈る心と、正しき生き様が必要でしょ。でも迷宮に潜るには、それだけじゃダメなの。神様が認めてくれないと、底の見えない迷宮で絶対に必要な、転移装置が使えないのよ」
「転移装置・・・」
セルスが呆れたようにレントを見る。
苦笑して助け舟を出すのはゴメスだ。どこか嬉しそうに、転移装置の説明を始める。
「つまりだ、迷宮は深くて広い。だから5階層ごとに転移装置があって、1度でもそこに到達すればそこと迷宮前の転移装置でいつでも移動可能となる」
「神が認めなかったら、どうなるんですか?」
「迷宮には入れないな。加護を授かるまでが、探索者ギルドの加入試験だ」
これは大事だと、レントは表情を引き締めた。
テーブルの上の台座に収まっている、大きな緋色の宝石を両手で握る。
フドー神。遙か東方の猛き神に、心から祈った。
ダメかもしれない。レントは思う。
いつからか、死を願ってこのマクレールを目指していた。
最後にレベルアップをしたのは1年も前。フドー神は、死を待ち望む自分に加護など与えるだろうか。だが、それでも祈る。
心からの懺悔。それでも剣を捨てられぬ愚かさを詫びる。生きるとは死する事で、死するとは生きる事なら、最後まで剣と共にありたい。生きる意志さえ忘れても、剣はまだこの手にある。
「ほう・・・」
「何もかもが規格外ね。白の指輪があるのは知ってるけど、渡すのは初めてだわ。もういいわよ、キミ」
恐る恐るレントが目を開けると、握りしめていた緋色の宝石は純白にその色を変えていた。
「なんで・・・」
「さあ。それが当たり前だからとでも思ってればいいわよ。こんなんで驚いてたら、迷宮なんて潜れないから」
「迷宮はなあ。どこまで潜っても、驚きの連続だ」
「ところで、フドー神は認めてくれたんでしょうか?」
「バッチリな。色が変化すれば、転移装置は使える。変化した色は、神の御心にどれだけ沿った生き方をしているかだ。今後、レントの指輪が変色したら、それはそのフドー神様が、今のお前は間違っていると教えてくれてるんだよ」
「これがその指輪ね。好きな指に嵌めてちょうだい」
石でも金属でもない純白の指輪を、レントが手に取って観察する。
「指輪にしては大きいようですが?」
「いいから嵌めてみなさい」
「はあ・・・」
左手の人差し指を立て、指輪を落とす。
やっぱり大きいです、そう言いかけると指輪は瞬時に小さくなり、レントの指にちょうど良く収まった。
不思議そうにそれを抜こうとするレントを見て、2人が小さく笑う。
「取れないわよ。それが砕けるのは、キミが迷宮に潜る資格を失った時」
「痒くなったりは?」
「ないな。理屈はわからんが、指輪をしている感覚すらないだろう?」
「はい。刀を振る邪魔にはならないようです」
「次はこれの説明ね。拳を握って、指輪をこれに当てて。軽くでいいわ」
赤ん坊の頭ほどの透明な石を、セルスは軽々と持ち上げている。
レントが拳を当てると、その石に文字が浮かび上がった。
「レント・カーネリアス。煉獄のサムライ。レベル25。次のレベルまで経験値128。間違いはないわね?」
「はい。これも当たり前だから、ですね」
「そうよ。迷宮の入り口には探索者ギルドの門番がいて、出入りする探索者の名前を記録するの。じゃないと、生死確認がね」
「なるほど・・・」
「ここからは規約と等級の説明。凄く長いから聞き流して、わからない事があればその都度聞きに来ればいいわ」
「はい。ですが、なるべくは覚えます」
迷宮はギルドを出て左に真っ直ぐ。門番がいるのですぐにわかる。
探索者は正しき生き様をしているのが前提なので、普通に法律さえ守って暮らしていれば良い。
納税は探索者ギルドが一括で行うので、迷宮で得た物は迷宮前で24時間営業しているギルドの買い取り所に売る事。破れば除名処分。
正しき生き様の者同士でも意見の対立はあるので、私闘は厳禁。これも破れば除名処分。
等級はギルドが判断した強さの目安。探索者に上下はないが、パーティーを組む際に強さの平均化を考慮するので、名前と共に口にするのが通例である。等級はレベルの上昇やクラスチェンジを見て、ギルドが昇級を告げる。
ギルドが推奨する探索は、階層とレベルが同一以下。つまりレントなら26階層より深い場所の探索は推奨しない。
最後に探索者の行動はすべてが自己責任であり、探索中に何が起こってもギルドがその責任を取る事はしない。
「ああーっ。長かったー!」
「よくもまあ、口が回るもんだ。とりあえずレント、慣れるまでは無理だけはするな。たまにレベルが3とか5で探索者になった奴が無茶をして、初心者パーティーごと全滅したりするんだよ」
「普通はレベル1からですよね・・・」
「迷宮以外には、モンスターがいないからな。鳥や魚なんかをどれだけ殺しても、レベルアップ出来るほど経験値は溜まらないさ」
何をどこでどれだけ殺した、そう言われているようなものだ。
レントは後悔に表情を歪め、2人に頭を下げた。
ギルドを出れば、すぐに迷宮に向かうだろう。やっと辿り着いた迷宮。それに潜らずして、何が始まるのだという思いがある。
「ありがとうございました。あまりこちらには顔を出さないと思いますが、これからよろしくお願いします」
「レントはいつか、誰もが知る探索者になるだろう。だから、今は我慢だぞ?」
「ありがとうございます。精進を重ねます」
「お金はあるの? ギルドの2階は初心者用の宿屋だから、街の宿屋より安く泊まれるわよ」
「路銀の残りがありますので。では、失礼します」
レントが腰を上げて部屋を出ても、2人は動かずにレントが出て行ったドアを見ていた。
「なんか危なっかしいんだよなあ」
「ハゲが空気も読まずに、あんな事を言うからよ。かわいそうに、泣き出しそうな顔をしてたわ・・・」
「誰かが言わなきゃならん。自分をただの初心者だと思ってたら、他の初心者を殺しかねんからな」
「そうだけどさ・・・」
レントはギルドを出て左に歩き、井戸を見つけて喉を鳴らしていた。
たっぷりと水を飲んでから、【アイテムボックス】と呟く。背負う背嚢は旅の用心のダミーで、大切な物はすべてアイテムボックスに入れてある。
出した水筒の水を捨てて中身を新鮮な水に変え、レントは歩き出した。
通称探索者通りを歩いても、立ち並ぶ店の武器や防具に目を奪われたりしない。そもそも金が無いからだ。故郷を出た時から無一文で着の身着のまま。途中で仕留めた鳥や獣を麦と交換してもらいながら、このマクレールまで歩き通した。
名前を浮かび上がらせる石を乗せた台が左右に2つあり、それぞれの横に門番が1人ずつ立っている。
「新入りだな。出入りの受付は右だ」
「お願いします」
「これは・・・行っていいぞ」
まず目に入るのは2つの建物。
右には人が入って行き、左からだけ人が出てくる。それとは別に左手に買い取り所らしき建物と、右手に申し訳程度の屋根がある飲食店があった。
これが転移装置だろうから自分には関係ないと、レントはその脇を抜ける。
ちょっとした広場にチラホラ探索者らしき人間がおり、奥の大きな岩の真ん中にポッカリと穴が空いていた。
これが迷宮の入り口なのだろうが、門番の姿はない。
迷いなくその穴に入ろうとするレントに、慌てて声をかける者がいた。