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鼠の歌  作者: 足立かおる
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兄弟子とワヂ村




 兄弟子。

 その言葉の衝撃は、いつも冷静なレントの感情を揺さぶっているらしい。

 舐めるようにしか飲んでいなかったキツイ地酒を、水のように飲み下して熱い息を吐く。初夏の夜更けだというのに、その額には大粒の汗まで浮かんでいた。


「・・・足、付いてますよね?」

「そういえば、どこかの幽霊には足がないってあの人が言ってたなあ」

「師匠に最後まで何かを教わって、五体満足で生きている人間がいるとは思えません・・・」


 カラネルはこれ以上ないほどの苦笑いである。

 その表情を崩さぬまま彼はレントの木杯に蜂蜜酒を注ぎ足し、自身の木杯もまた酒で満たした。


「まあ、俺は本気で鍛えられるほどの素材じゃなかったからなあ」

「・・・と、言うと?」

「片手剣と弓、それに隠密術。それは教わったけど、それはここで生き残れる程度の腕になるまで鍛えてもらったってだけさ」

「そんなに厳しい土地だとは思いませんが・・・」

「でも、違和感は感じているだろう?」

「もちろんです。村の立地。その門を守る兵士の腕。手紙も出さずにマクレールを出た僕達を、馬車とその荷まで用意して待ち受けていた諜報能力。それなのに、マクレールや王都からはただの田舎として扱われているようですし。もう、違和感しかありませんよ」


 言いながらレントは木杯を傾け、蜂蜜酒を口に含む。

 先ほどとは違い、しっかり味わうようにだ。

 それを見たカラネルは嬉しそうに微笑み、焚き火の側の石に煙管を叩きつけて煙草の火を落とす。


「カルバッツ王国を知ってるかい?」

「・・・それはもう」

「ははっ。やっぱり飲みながら自慢話を聞かされていたか。この街道の先に、その首都がある」

「え・・・」


 レントが驚きで、木杯に伸ばした手を止める。


「話せるのはここまでかな。俺からは」

「1000年も前に滅びた国の首都。師匠の、故郷・・・」

「ワヂ村に行けば、もう少しわかる。今は師匠の悪口でも肴に、酒を愉しめばいいさ」

「そんな恐ろしい事が出来るのなら、僕はとっくに迷宮を踏破してますよ」

「ははっ、違いない」


 それからの2人は他愛もない会話を続け、交代で仮眠を取って夜を明かした。

 起き出したシーナが簡単な朝食を用意して、それを平らげて馬車を進ませる。サミーは料理などする気はさらさらないらしい。

 途中、いくつかの村を通過したのだが、その門を守る者を見てはレントは肝を冷やしていたようだ。


「見えて来たぞ、あれがワヂ村だ」

「また門番さんが手練。・・・シーナの両親は、宿屋を営んでいると聞きましたが」

「ああ。外からの客なんて年に数回しか来ないけど、自治領の村々の行き来は盛んだからね。気の良い夫婦だよ」

「その、やはり手練だったりするのでしょうか?」


 カラネルがにやりと笑う。

 よくぞ聞いてくれました。そんな表情だ。


「若い頃はパーティーを組んでムチャをしてたらしいよ。それにこんな田舎でも、酔って暴れたりするバカはいるんでね。腕は落ちていないはずさ。2人の必殺技、聞きたい?」

「結構です」

「親父さんが死なない程度にぶん殴り、奥さんが無詠唱で傷を癒やす。それが高速で繰り返されるのさ。あ、逃げようとしたってムダだよ? 手足を折られて、さらに苦痛を味わうだけだから」

「・・・シーナのお父さんに殴られる予定はありませんので」

「ふーん。ウィッフさん、ご苦労様でーす」

「おう、おかえり。それがシーナの婿かあ。・・・それなりに使えそうだな。で、シーナは?」

「荷台でサミーとお昼寝中。ねえ、ウィッフさん。シーナの親父さんが、この婿殿をぶん殴る確率は?」

「そうだなあ、降り出した雨が止むより、夜が明けるよりはたしかだ」


 その言葉を聞き、レントが肩を落とす。


「ムコじゃないですから・・・」

「都会に出した1人娘が、男を連れて里帰りするんだよ? 君が何を言おうが、そんな言葉が認められる状況じゃないさ」

「だな。まあ、男には女の体が必要なんだ。ちゃんと許しをもらって、今夜からでもシーナをかわいがってやんな。あんちゃん」

「いやいや、嫁入り前の娘さんにそんな・・・」

「婚約の準備は出来てっから」

「・・・は?」

「ほれ、ここから村の広場が見えるべ。もう牛の丸焼きを焼き始めてっからな。これで婚約しねえなんて言ったら、村中の男衆が敵になるべよ」

「ウィッフさん、訛り訛り」

「なあに。シーナと婚約すんなら身内だべ。標準語だど肩が凝っからなあ」

「んだねえ。じゃ、また宴の時にでも」

「おう。歓迎すっぞ、婿のあんちゃん」

「・・・ムコじゃないです」


 馬車が狭い村の広場に近づく度、レントの表情が渋くなる。

 村中の男衆が本気で殺しにかかってくる事はありませんよね? そう訊ねようとしては、カラネルの返事が怖くて顔を逸らしているように見える。


「到着っと。さ、降りようか」

「・・・走って逃げたら、追いかけて来ますか?」

「婚礼用の料理まで用意してたのに、婿が逃げ出すか。親父さんはどう思うかねえ」

「・・・用意してくれなんて頼んでませんが」

「言っただろ。状況、って。こうなったらもう、君に出来る事なんてないさ」

「まあ、話せばわかってくれるでしょう。・・・行きましょうか」

「そうだといいねえ。サミー、シーナ。起きて。もうワヂ村だぞー」


 人はそれほど多くはないが、右を見ても左を見てもレントやシーナが駆け出しにしか見えないほどの戦士や魔法使い。

 緊張で頬を引き攣らせるレントだったが、村人達はもちろん、シーナの両親にも暖かく迎えられ、村の入口での会話はからかわれただけだと判断したようだ。

 夕方からはレントの歓迎と、シーナの2次クラス昇格を祝う宴。

 代わる代わる酒を注ぎに来られては苦笑してそれを受けるレントだったが、さほど酔う事もなく夜を迎えた。


「ちょっといいかな、レントくん」

「あ、はい。どうしたんですか、カラネルさん」

「村長はいい年でね。足が萎えてるんで、この場にはいない。挨拶をしに行かないかい?」

「ムラオサさん、ですか。・・・お話というのもそこで?」

「そうなるね」


 レントが木杯を干し、腰を上げる。

 何かを決めたような、待っていたものにやっと出会えるとでもいうような表情だ。


「行きましょう」

「ははっ。まるで立ち合い前の表情だね。村長の家はすぐそこだ。行こう」

「はい」


 シーナは少し離れた所で知り合いの、簡素な修道服では色気を隠し切れない女と酒を飲んでいる。

 レントが視線をやるがシーナはそれに気づかず、隣の修道女が妖艶な笑みで2人を見送った。


「ああいうのが好きなのかい、レントくん?」

「いえ。美人だとは思いますが、・・・何と言うか怖いですね」

「まあねえ。ま、あれは特別製だ。ここだよ」

「お邪魔します」


 シーナの実家、それに今足を踏み入れようとしている村長の家は、他の建物とは違って石造りだ。

 場所も、広場を挟んだ位置。

 この2つの建物はいざという時の、避難場所でもあるのだろうと思いながらレントは歩を進める。

 やがて辿り着いた寝室には背の低いベッドに身を横たえる痩せた老人と、シーナの父であるガルヴァスがいた。


「お父さん・・・」

「誰がお義父さんだってえっ!?」

「うえっ。シーナの、シーナのお父さんって意味です!」

「フン。とりあえず座れ。2人共だ」

「・・・はい、失礼します」


 ガルヴァスが放るようにして置いた敷物は、驚くほど老人に近い。

 それを訝しむレントをカラネルが促し、2人は老人の枕元に座った。


「この大陸の戦乱を収め、他国から1タールの土地も奪わなかった国がある」

「え・・・」

「黙って聞け、クソガキ。村長が、命を削って話してる言葉だぞ」


 なら無理はするな。そう言いかけたレントの肩を、カラネルが無言で押さえる。

 その瞳の真剣な色に、レントは黙って話を聞く気になったようだ。


「其はカルバッツの血に率いられた、誇り高き一族の国」

「カルバッツ王国・・・」

「ある晴れた夜、平和を謳歌する王国に災厄が訪れる。ゴホッゴホッ」

「だ、大丈夫ですかご老人!」

「・・・天より降り来し、一粒の種。其を手にしたる王は見る間に人としての姿を失い、魑魅魍魎と成り果てたり」


 老人は、語るのをやめるつもりはないらしい。

 レントが生唾を飲み込む音が静まり返った室内に響き、最低限しかない蝋燭の灯が揺れる。


「騎士も、侍女も、すべての国民が王に新たな種を埋め込まれ、その姿を魑魅魍魎に変えた。だが、人としての姿を保ったままの者達がおる。それが、魔人じゃ。モンスターなど相手にならぬ圧倒的な戦闘力を手にした、老いる事もない新しき人類」

「魔人・・・」

「その数は300足らず。少年、魔人達は家族や恋人をバケモノに変えられ、どうしたと思う?」

「王と戦ったんじゃないですか。そうじゃなければ、僕達は今ここにいられない訳ですし」

「そうじゃ。そして王を滅した魔人達は、2つの勢力に分かれて争った」

「仲間割れですか・・・」

「うむ。1つは己の力を誇示しようという、欲望の強い勢力」

「もう1つは?」

「人を殺めるのを嫌う者達じゃ」


 レントはなにか思うところがあるようで、真剣に御伽話を聞いている。


「・・・カルバッツ王国が滅びたとされるのは1000年前。でも、1000年でその争いが終るとは思えない」

「明日、迷宮に行くが良い。ガルヴァス、少年を頼むぞ」

「わかった。とりあえず水を飲め、じい様」

「うむ。・・・美味いのう。久しぶりに良い気分じゃ」

「例の件は伝えなくていいのか、じい様?」

「よい」

「わかった。帰っていいぞ、お前ら。クソガキの宿はカラネルの家だ。もしうちの娘に、夜這いなんかかけやがったら・・・」

「大丈夫です。ですが、明日マクレールにお、じゃなかった。ガルヴァスさんと向かうんですか?」

「・・・向かうのは、カルバッツ王国の首都だ」


 村長は、迷宮に行けと言った。

 それを聞き間違いだと、レントは思っていないらしい。


「行こう、レントくん。ある程度の事は、俺が家で話そう。飲み直しながらな。ガルヴァスさんもどうです?」

「クソガキの血肉を肴にか?」

「あはは。それはさすがにやっちゃいけないレベルでしょ」

「笑えない・・・」

「いいからとっとと出てけ。じい様の負担になる」

「あ、すみませんでした。ご老人、お話ありがとうございました」


 レントが立ち上がる。


「・・・少年」

「はい」

「尊き血を絶やす訳にはいかぬ」

「そ、それはどういう意味でしょう」

「戦闘で滾った雄の本能は、酒と女で紛らわすのじゃよ。のう、ガルヴァス?」

「うっせえ、スケベジジイ」

「ほっほ。ほんに良い気分じゃのう。久しぶりに、婆さんの夢が観られそうじゃ」



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