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鼠の歌  作者: 足立かおる
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硝子の夜




 レントの選択は素早かった。

 笑顔を浮かべながら1歩だけ前に出て、自然とシーナを庇える位置に立つ。


「ほう、どっちもかなり腕を上げたな。で、ハル。そのヘンテコリンな言葉は何だ? カタナ、しか聞き取れんかったぞ」

「あ、いや。・・・そっか。俺は今、日本語を・・・」


 いつも泰然とした態度を崩さないハルが呆然と呟くのを見て、カーミルは僅かに眉を顰めた。


「マスター、レントとシーナに何か問題でも?」

「・・・いや。失礼したね、レント君、シーナさん。さあ、お好きな席にどうぞ」

「ありがとうございます。シーナ、はい」


 言いながらレントが引いたのは、入口に一番近いスツールだ。

 シーナはすでにレントの口調の堅さ、それにいつもとは少し違う笑顔に気がついているので、何も言わずにその席に座る。


「ふふっ。そんなに警戒しなくて大丈夫よ。もしハルがあなた達に何かしたら、私達が味方になるわ。4対3なら、怪我もなく勝てるでしょ」

「勝ち負けがどうとかじゃなくて、俺がそんな事をする人間じゃないって説明してもらえるとありがたいんですがね、ニノンさん」

「ムリよ。今の君は、完全な不審者。店に入った途端、カタナダッツオ? とか呟いてたし」

「・・・それもそうか。ならお詫びとお近づきの印に、冷えたエールでも奢らせてもらおうか。2人は飲めるんだよな?」

「ええ。どちらも量は飲めませんが、エールは好物です」


 ハルは苦笑しながら頷き、片手で器用に2つのグラスを手に取った。

 ちなみにレントもシーナもかなりの大酒飲みだ。2人はいつも有り余る若さと体力に任せ、ミーナの店でジョッキを次々と空けている。


「凄い。こんな綺麗な杯、見た事ない・・・」

「硝子だよ。でも、こんな質の良い物を普段使いしてるなんて・・・」

「そんなに良い物なの、レント?」

「うん。王宮の晩餐会で使われていても不思議じゃないくらいだと思う」

「うっひゃー・・・」


 コトリとカウンターを鳴らし、レントとシーナの眼前にグラスが置かれた。

 少し遅れて、カーミルの前にもエールが出される。


「あ、あのー、これで飲まなきゃダメでしょうか?」

「悪いがウチにはこんなグラスしかないんでね。割ろうが砕こうが代金を請求したりはしないから、安心して飲んで欲しい」

「ううっ・・・」

「では、遠慮なくいただきます。シーナもほら。カーミルさんと乾杯するんでしょ?」

「そうよ。早くしないと、せっかくのエールが微温くなっちゃうわ」

「・・・ええい、女は度胸。かっ、乾杯!」

「はい、乾杯」

「これからよろしくね、お2人さん。乾杯」


 3人がグラスのエールを乾すと、ヘルマンが小さく手を鳴らして祝福する。ニノンとギャリッツが拍手に加わるのを笑顔で見ながら、ハルは3人のグラスにまたエールを満たした。


「それにしても、なんでカーミルお嬢様はこの2人とパーティーを組む事になったんだ? 今までずっとソロを貫いて来たってのに」

「そうね・・・縁?」

「何だそりゃ」


 整った顔に微笑みを浮かべながら、カーミルがグラスを口に運ぶ。


「今日は朝から迷宮に入ったんだけど、ソロでボスを倒せなかったから1階層上に戻ってレベル上げをしてたの。そしたらね、ふふっ」

「あー。カーミルさん、どうかお手柔らかに・・・」


 レントの言葉に、カーミルは笑みを深くする。


「ええ。もちろんよ、レント。通路の罠の前で途方に暮れながら、それでもイチャイチャしてたのは内緒にしてあげるわ」

「イチャイチャなんてしてないっ!」

「あら、シーナ。じゃあ、あなた達は人前でもあんな事をしているの?」

「そ、それは・・・」

「そいつは是非とも詳しく聞きてえなあ。2人は迷宮で、ナニをしてたってんだ?」


 料理を始めていたハルがそう言ったヘルマンを見ると、すぐにギャリッツが棚に並んだ壺をカウンターへ移す。

 蓋を開け柄杓で掬ったのは、黄金色に輝く蒸留酒だ。

 拳より小さなグラスにそれを満たし、ギャリッツは流れるような仕草でヘルマンの前に置いた。


「どうぞ、ヘルマンさん」

「おう、ありがとよ」

「私も葡萄酒にしてちょうだい、ギャリッツ君。ジンギスカンと同じくらい美味しそうなツマミが出て来るみたいだから」

「はい。すぐにお出しします」

「大したツマミにはならないと思いますが。僕とシーナはその、自分で言うのもなんですが、まだまだ子供なもので・・・」


 真っ赤になってしまっているシーナを気遣いながらレントが言い、ヘルマンがそんな2人をからかう。

 やがて羊料理をメインとしたツマミも供され、それぞれの酒量も増えていく。だが、ハルとレントだけは酔っていなかった。


「遅かったじゃないか、レント君」


 言ったハルが座るのは、サキモリノトマリギのスツールだった。背筋、それと動かない左手はすっと伸びていて、まるで筋金でも入れてあるかのようだ。

 営業時間中なら、ハルは決してそこに腰掛けたりはしない。時刻は深夜2時。宿までシーナを送ったレントは、その足でこの店に戻った。

 そしてハルは無色透明の酒を舐めるように飲みながら、戻って来るレントを待っていたようだ。


「夜分遅くに申し訳ありません」

「いいさ。座って飲むといい。店は閉めたから、手酌だがね。グラスはそこに用意してある」

「戻って来るのはお見通しでしたか」

「あんな反応をされたらな。目的はカタナ、か?」


 レントは小さく頭を下げ、ハルの2つ隣のスツールに座った。


「違いますが、無関係でもありません。いただきますね、お酒」

「おう、遠慮なくやってくれ」


 柄杓で掬った酒をグラスに注ぎ、1ヶ所だけ残っている魔法光に翳すようにして少し眺めると、レントは静かにそれを口に含んだ。


「これは・・・」

「飲んだ事、あるかい?」

「いえ。恥ずかしながら、何から作られたお酒なのかもわかりません」

「そうか。米だよ、これは」

「これがお米から・・・」

「ああ。故郷の酒だ」

「その国の名を、お聞きしても?」


 伏し目がちにレントが問う。

 ハルは遠くを見ているかのような眼差しで、大きくグラスを傾けた。


「日本」

「・・・やはりですか」

「知ってるんだな?」

「ええ。先祖に元日本人が居りますので・・・」

「で、日本人に会ったら殺せとでも伝わってるのか?」

「まさか。それに、日本人に会ったら伝言を頼むと言ったのは先祖ではありません」

「ほう、では誰が?」

「この刀を僕にくれた人ですよ」

「まさか、日本人か?」


 ハルの瞳が見開かれる。

 老成した雰囲気を纏うこの男でも、この世界に仲間がいるかもしれないとなれば落ち着いてはいられないらしい。


「いいえ。本人はカルバッツの出身だと言っていました。ちゃんと人間から産まれたのかと訊いたら、知らんと言いながら殴られましたけどね」

「・・・そうか。って、ちょっと待て。カルバッツ王国があったとされるのはちょうどこの辺り。あれは、1000年も前に滅びた国だぞ!?」

「ですから人間なのかも怪しいんですよ。ああ、この芳醇な香りと味は癖になりますね」


 手を伸ばしたレントが取った柄杓を運んだのは、自分のグラスではなくハルのそれだ。


「・・・ありがとう」

「いえ。お酒も料理もこんなに美味しいなんて、やはり日本は凄いですね」

「日本の事、かなり知っているのかい?」

「師匠、この刀をくれた人から少しだけ聞いています」

「その人は俺と同じような存在?」

「いいえ。ハルさんは人間だと断言できますから、まったく違いますよ。サムライでありながら魔法使いだとしても、あの人ほど人間を棄ててはいないでしょうからね」

「ならなぜレント君の師匠は日本を知っている! 地球に迷い込んで、こちらに帰還したら1000年が過ぎていたとかって話じゃないのかっ!?」


 語気が荒い。

 薄暗い店内に響いたのは、怒鳴り声に近いものだった。


「・・・すまない。これじゃ八つ当たりだな」

「いいんです。ハルさんが聞きたくない事実を、これからお話する事になりますし」

「それは?」

「世界は1度しか渡れません。つまり、ハルさんはもう日本には帰れない」


 ハルが瞳を閉じる。


「なんだ、そんな事か・・・」

「はい。すでに帰れないと覚悟をしているにせよ、きちんと伝えてくれとの事です」

「そうかい」

「では、僕はこれで。お酒、ごちそうさまでした」

「お師匠さんの伝言はそれだけかな?」

「ですね。万が一悪人なら斬れと言われていましたが、その必要はなさそうです」

「ついでに斬ったらどうだ。領主に報告すれば、褒美は思いのままだぞ」

「片腕でも敵いそうにありません。やめておきますよ」

「そうかい」


 レントが立ち上がる。

 律儀にスツールを直して扉に手を掛け、半ばまで開いてからレントは振り返った。

 背筋は伸びたままだが、ハルは放心したように暗い店内を見詰めている。


「・・・失礼します」


 かける言葉も見当たらないのか、それだけ言ってレントは店を出た。

 それはそうだろう。

 たった今、レントはハルの希望を打ち砕いたのだから。

 ハルが歩いてきたのは、決して平坦な道ではなかった。それでもどうにか絶望せずにいられたのは、ある日突然この世界に迷い込んだように、いつか日本に帰れる日が来るかもしれないと心の何処かで思っていたからだ。

 ハルは動かない。

 じっとしたまま、時間だけが過ぎてゆく。


「香織、兄ちゃん帰れねえってよ・・・」


 グラスが、壁で砕けて散った。



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