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鼠の歌  作者: 足立かおる
13/17

新たなる出会い




 迷宮68階層。

 闇は深い。

 石造りの建物が道の左右に並ぶ。それは、侵入する者を阻む壁。

 この世界にあるはずのない瓦斯灯の明かりに照らされる路地を、重戦士とは思えないスピードでヘルマンが駆ける。


「こっちだ、切り裂きジャック!」


 壊せない壁を巨大な鎚で叩く事で、ヘルマンは急激に方向転換。

 走り寄るその先には、幼なじみで恋人の魔法使いニノンが杖を構えていた。

 靴底が石畳を噛む。ヘルマンの膝が沈んだ。

 ジャンプ。

 滑り込むようにしてニノンの前にしゃがみ、ヘルマンは鎚で防御態勢を取る。


「来るぞッ!」


 ヘルマンが切り裂きジャックと呼んだ存在は、滑るように走りながら路地に姿を現した。

 ウサギの人形を抱いた少女。右手には、鋭利な刃物を持っている。

 それはニタリと笑い、2人に迫った。


「火よ、幽き声を聞き給え、震える声はこの星の、命を満たす贄なれば、喰らい貪り焔となりて、かの哀れなる少女を燃やせ、焼き尽くすべき存在の、世に在るを憂う吾の名は、魔導に子宮を捧げしニノン・・・」


 そこまでの詠唱を聞きながら、切り裂きジャックと呼ばれた少女は魔法陣を踏んだ。


「ガアッ!」


 魔法陣からイバラが伸びる。

 それは走る切り裂きジャックの勢いを殺し、その柔肌に食い込む。

 事前に用意していたトラップ魔法。10階層程度のボスモンスターなら倒せるそのイバラを引き千切りながら、凄惨な笑顔を浮かべて切り裂きジャックは前に出る。


「【無慈悲断罪獄炎砲・対切り裂きジャック改】!」


 路地が砲身となり、巨大な焔の砲弾が放たれた。

 切り裂きジャックはそれでも石畳を踏みしめて堪えたが、焔の中をヘルマンが走っている。


「うおおおおっ! 【獣化撃】!」


 長い持ち手に岩石を取り付けたような鎚が切り裂きジャックの鎖骨を折るだけでは止まらず、その鳩尾まで押し潰す。

 焔の中で少女は、幸せな日々を思い出したように笑った。

 千切れた肩から、切り裂きジャックが燃えていく。

 ヘルマンは、熊耳の毛1本すら焦げていないのにだ。

 ヘソまで千切れた体で少女はウサギのぬいぐるみを抱いたまま手を月に伸ばし、そのまま燃え尽きて灰も残さなかった。


「ふうっ。何とかなったか・・・」

「怪我はないわね?」

「ああ、ピンピンしてらあ」

「3体目の魔人、消去。残りはどれだけいるんでしょうね」

「さあな。俺達は、殺すだけだ」

「・・・こんなのが地上を目指してたって知ったら、街の住民は何て言うのかしら」

「信じねえさ。だから、俺とオマエが殺すんだ」


 死ぬまで、とは言わない。

 それは宣誓より重い2人の誓い。口に出す必要などありはしないからだ。


「よーし、街に上がって祝杯と行こうぜ」

「そうね。彼にも伝えておかないといけないし」

「あのガキは1人で5体を倒したってのに、俺達ゃ2人で3体目だ。まったく、自分が嫌になるぜ」

「彼は特別だもの。それに、剣を持てなくなっても彼はこの街にいる。いざとなったら、戦うつもりなんでしょうね」

「フン。あのガキが上にいりゃ、少しは安心できるってもんか」


 2人は75階層に下りる階段を気安く進む。

 深層のボスでさえ、魔人と比べれば与し易い相手だとでも言うのか。


「はいはい、邪魔なんだよ。まだ獣化してっから痛えぞ!」


 現れたキメラが、スキル無しの1撃で頭部を爆ぜさせられ地に沈んだ。


「ん。さあ、帰ろうぜ」

「はいはい。買い取りは本部でお爺ちゃんにしてもらうしかないから、明日の朝にしましょう。とりあえず、早く冷えたエールが飲みたいわ」

「お、なんなら広場で1杯やってくか?」

「嫌よ。あの店の方が冷えてるし、何と言っても物がいいわ」

「へいへい。なら、さっさと行こうぜ」


 門番がほんの少しだけ眉根を寄せたように見えたが、2人は気にする素振りも見せずに迷宮広場を出て夜の街を歩く。

 2人を迎えたのは、見るからに重そうな鉄の扉だった。


「うーっす、ハルはいるかぁ?」

「いらっしゃいませ。ヘルマンさん、ニノンさん。マスターなら仕入れに出ていますが、すぐに戻って来ると思いますよ」

「そうか。エールは冷えてるな?」

「もちろんです。冷えたエールだけは、いつでも用意してありますよ。私には経験がありませんが、迷宮から帰ったら冷えたエールが1番なんですよね」

「そうだ。芯まで冷えるような冬の夜でも、得体の知れねえ熱がなかなか抜けてくれねえからな。エールを2つくれ。ツマミは、ハルが戻ってからでいい」

「かしこまりました。すぐにお出しします」


 カウンターの中にいる男は流し台の下から大きな壺を取り出し、水滴を拭ってからナイフを使って鮮やかな手つきで蜜蝋を取り除いた。

 スツールに座ったヘルマンとニノンは、見るともなしにその作業を眺めている。


「あのチンピラ君が、すっかり一人前の夜の男ね。ここに勤めて、もう1年だったかしら?」

「はい。ですが私などまだまだですよ。1杯のお酒をお出しする、それだけの事がマスターのように出来ません」

「ありゃ特別なんだ、気にすんな。お嬢様はどうしてる?」

「相変わらず毎日お見えになります。約束がもうすぐだとかで、マスターは苦笑いしてますよ」

「約束、ねえ。誕生日が来たら抱くとでも言ったんかもな」

「それはないでしょ。彼があの子を抱くとしたら、抱いてくれなきゃ死ぬと言うしかないわね。しかも、本当に死ぬ気で」

「好き合ってるくせに、そこまで言わなきゃならねえってか。バカヤロウが」

「望めば王女様を娶って王にもなれた。そんな男に惚れたんだから、仕方ないわよ」

「そんなガキが、こんな街の場末で酒場の店主だもんなあ。ギャリッツ、この店の名の由来を知ってっか?」


 2人の前にエールの満たされたガラスのジョッキが置かれた。

 乾杯の言葉もなく、2人はそれを飲み始める。

 ギャリッツと呼ばれた身なりのいい男は、以前この店に小銭をせびりに来たチンピラだ。

 相変わらず体格は良いが油を付けた髪を撫で付けた髪型に清潔な服を身に着けているので、以前のギャリッツを知る人間と擦れ違っても簡単には気が付かないと思われる。

 何より以前と違うのは、その眼差し。

 眼球を動かさずに視界に映る物を意識的に見る。それは、戦う人間の癖だ。


「サキモリノトマリギ、異国的な響きですよね」

「あのガキの覚悟だ。いつでも飛び立てる、そんな哀しい覚悟だがよ」

「・・・守れる物は限られている、オマエは何を守りたいんだ。そう言われました。半年ほど、前に」

「なんて答えた?」

「その頃にはもう娼婦をやってた嫁と連れ子がいましたんで、弱い者を守りたいと」

「そんで何人か殺したか。レベルは?」

「・・・それなりに上がっております」

「やっぱ斧神には見放されちゃいねえんだな。だが街中で殺しをしてるなら、探索者登録はムリ、か。タンカーは需要があるから、探索者んなりゃ稼げるのになあ」


 ギャリッツが微笑む。

 それは、吹っ切った人間が浮かべる笑みだ。


「探索者になって金持ちになれる。そう言われましたが、迷いはしませんでしたね。マスターにもっと教わりたい。酒の出し方でも、人の殺し方でもいい。ただ、マスターに何かを教えてもらえるのが嬉しいんです」

「ケッ、惚れた方が破滅する。そりゃ男も女も同じだぞ?」

「・・・滅びたいのかもしれません、私は」

「ロクな死に方をしねえな。嫁と子供が泣くぜ」


 扉が鳴る。

 入って来たのは、縄で結んだ何かの肉を背負った若者だ。


「おかえりなさい、マスター」

「いらっしゃい。ヘルマンさん、ニノンさん。ギャリッツ、野菜は届いてるな?」

「はい。特に質の良い物だけ買っておきました」

「今夜のメインは肉料理か。何の肉だ?」

「羊です。岩塩とハーブを擦り込んでローストなんかオススメですよ」

「あら。羊なら例のジンギスカンにして欲しいわ。あのタレは、どうしたって他所じゃ味わえないもの」

「アバラ肉は、あの激辛ローストな」


 ヘルマンが言うと、若者は苦笑いを浮かべた。


「あれは、ヘルマンさんの誕生日だから作った特別メニューだって言ったでしょう。唐辛子は高いんだから、今日はジンギスカンで勘弁して下さい」

「金なら気にすんな。久しぶりに稼いだからな」

「へぇ。大物でも狩りましたか?」

「まあな。3つ目の首だ」


 若者が眦を吊り上げて笑う。

 その凄惨な笑顔に、ギャリッツは憧憬の眼差しを送る。

 ヘルマンとニノンは涼しい顔を崩さず、だがどこか誇らしげにジョッキを傾けた。


「なら、今夜はお祝いですね。アバラのローストは、奢りにさせて下さい」

「集めるだけでも大変な香辛料をあれほど使ってるんだから、さすがに奢りは遠慮するわ」

「いいえ。俺がもう出来ない事をしてもらったんです。そのくらいはさせて下さい」

「・・・これで8つだ」

「ですね。残りは、100」

「ふーん、数はわかってるのね」

「アイツだけは俺達が殺る。その後は、運任せだな」

「100分の1を引き当てるまでに、それなりに数は減らすんでしょう?」

「運だって言っただろ。次に出会うのがアイツかもしんねえんだ」


 若者はギャリッツに羊肉を渡さずカウンターに入り、右手で器用に包丁を使い始めた。

 羊が部位毎に、片手だけで捌かれてゆく。


「相変わらず見事なものね。呆れるしかない切れ味と腕だわ」

「これしか取り柄がありませんからね」

「・・・よく言いやがる。世界でただ1人の、魔法剣士が」


 若者が手を止める。


「魔法剣士だからこそ、ニノンさんほどの攻撃魔法は使えない。剣撃ありきの魔法しか、俺には使えねえんです」

「お嬢様と組みゃあいいじゃねえか。いいコンビになるだろ」

「レベルが50になったら、迷宮に付き合うと約束してましてね。どうしたものかと悩んでいますよ」

「あの子の今のレベルは?」

「39です。ソロを貫いているんでまだ時間はありますが、今から憂鬱ですよ」

「ソロで中堅まで行くのは凄いわね。良い仲間でも出来たら、50なんてすぐかもしれないわよ」

「そういや、あのカップル最近見ねえなあ。ネームドツアーしてた時に会った2人」


 ニノンは束の間だけ考えるような表情を見せ、すぐに破顔した。


「あのかわいいカップルね。女の子はメロメロだったけど、ちゃんと本懐を遂げたのかしら」

「男は根っからの朴念仁っぽかったからなあ・・・」

「いらっしゃいませ」


 扉が開くと同時に上がったギャリッツの声に若者は満足気な笑顔を浮かべ、店の入口に視線を動かした。その瞳が、驚きに彩られて固まる。


「おっ、お嬢様のお出ましか。って、噂をすればいつかのカップルじゃねえか」

「あらあら。まだ、友達以上恋人未満みたい。でもカーミルと知り合いだったなんて、世界は狭いわね」

「ヘルマンさん、ニノンさん、こんばんは。マスター、紹介するわね。迷宮で知り合った、レントとミーナ。次から、3人でパーティーを組むのよ」

「はじめまして。僕はレントと申し」

「刀、だと・・・」



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