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鼠の歌  作者: 足立かおる
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クラスチェンジ




 黒い外套の裾が、秋の風に揺れている。

 森の小道にレントは1人、何を見るでもなく佇んでいた。

 ボス回しの途中、重戦士と魔法使いの男女に意味深な忠告をされてから、もう3月になる。

 歴戦の強者達に比べればさすがに落ちるが、シーナはこの3月でだいぶ腕を上げ、レントとの連携にも慣れて危な気なく5階層のボスを、日に5度は2段階目まで狩れるようになっていた。


「レント、お待たせっ!」


 駆け出してきたシーナを、優しくレントが受け止める。

 キスの1つもしていないが、2人は気軽に手を握ったり、同じ水筒に口をつける事が出来るようになっていた。それこそが2人の成長の証だと、宿の女主人ミーナ辺りは言うかもしれない。

 同じ宿に泊まり、3日を迷宮で過ごしては1日の休暇を2人で楽しむ。

 どこからどう見ても、2人は仲の良い恋人同士だ。

 ミーナは感づいているが、宿の食事時に会う常連や迷宮で出来た顔見知りが2人はまだキスもしていないという事実を知れば、レントに説教をして今夜こそは決めろと焚きつけるだろう。

 そのくらいに、周囲から見てレントとシーナはお互いを大切に思っているようにしか見えない。


「新しい神官服、似合ってるよ。クラスチェンジおめでとう、シーナ」

「そ、そうかな。2次クラスの上級神官服って、ヒラヒラが多くて落ち着かないのよね」


 たしかに以前の神官服が簡素な貫頭衣であったのに対し、今シーナが身につけているのは同じく白を基調とはしているが、装飾の多い上着とスカートだ。

 ところどころに、丁寧な仕事で銀糸金糸の刺繍がなされてある。


「綺麗だからいいさ。じゃあ、杖を受け取りに行こう」

「うんっ。あ、ねえねえ。新しいスキル、たくさん与えていただいたのよ。純ヒーラなのに神官戦士の戦闘力とバフ神官並みの多彩なスキルだって、神官長様が驚いてたわっ」

「楽しみだね。明後日からは、6階層だ。頼りにしてるよ、シーナ上級神官?」

「まっかせてっ! 狭き門より入りし治癒術師シーナ、職業に恥じぬ戦いをしてみせるわよ!」

「聖人級のレアクラス、か。神官長様は、何か言ってなかった?」


 レントはすぐに気づいていたが、『狭き門より入りし』という枕詞は普通の治癒術師ではあり得ないクラス名だ。

 狭き門より入りしと言えば、多少学のある者なら『サーフィス神の愛子』と呼ばれたある聖人を思い出すだろう。

 『サーフィス神の愛子』という二つ名が有名過ぎて職業名と混同されている場合が多いが、その聖人イーナの職業名は、狭き門より入りし神官騎士だったのだ。


「宣誓がバレてた。だからその宣誓を成し遂げたら、改めて話し合いたいって」

「神殿のエリートコース、いや、生きている聖女として使うつもりかもね・・・」

「大丈夫大丈夫。そんな簡単に成し遂げられるもんじゃないから」

「それはそれで、心配なんだけど・・・」

「はいはい。行くわよ、ゴッパーお爺ちゃんが待ってるわ」

「了解。はぁ、サーフィス神殿を敵に回したくはないなあ」


 白と黒。

 仕立てのいい外套を見れば、若くしてレントとシーナが中級以上の探索者である事は見て取れる。

 それを忌々しげに睨む者もいれば、微笑みを浮かべて見送る者もいた。

 街を歩くだけで、探索者というだけで敵意を浴びる。

 そんなこの街にも、レントはすっかり慣れた。

 そして数は少ないが知り合いも出来ている。

 シーナが元気にドアを開けたドワーフフット武具店の店主、ゴッパーもその1人だ。


「ゴッパーお爺ちゃん、やっほー!」

「お邪魔します」

「来おったか、バカップル。その様子じゃ、まだ初夜の床入りは済ませておらんようじゃな?」


 髭面をニヤけさせて言ったのは、ドワーフの鍛冶師であるゴッパーだ。


「も、もうっ、そんなのどうだっていいでしょ!」

「勘弁して下さい、ゴッパー老」

「ガッハッハ。いつおっちぬかもわからん探索者なんぞするなら、悔いの残らぬように好きなだけ抱き合えと言うとるんじゃよ。ほれ、注文の金属杖じゃ」


 差し出された杖を、シーナが受け取った。

 杖と言うには凶悪で、槍と言うには華美すぎる。石突は菱型の貫通力のありそうな作りで、持ち手から先端まではシーナの身長より頭1つ長い。

 何より面妖なのはその先端で、まるで桃の葉と果実のような穂先が付いている。


「凄い、さすがゴッパー老だ・・・」

「そんなに?」

「うん。この桃の葉と果実みたいな装飾は、槍の鋭さと鎚の重さを両立している・・・」

「そんなに重くないけどなあ」

「フン。シーナの筋力が上がってっからな。レベル5くれえのひよっこじゃ、持ち上げも出来ねえさ。レベル25まで上げて2次クラスになるってのは、そういう事なんだ」


 シーナがカウンターに出した代金を一瞥しただけで、ゴッパーは店の真ん中にあるテーブルにどっかりと座った。


「おいカカア、代金を仕舞っとけ。それとエール!」


 奥に怒鳴ると、人の良さそうな初老の婦人が顔を出す。


「サティーさん、こんにちはー!」

「ご無沙汰してます」

「レントちゃんにシーナちゃんだったんだね。なら、極上の樽を開けようかねえ」

「おお、そりゃあいい。クラスチェンジの祝いだからな。第2の誕生日だ。ほれ、さっさと座らんかい」


 2人が勧められるままに椅子に座ると、サティーが小さな体で大きな木の樽を肩に担いで出て来る。

 慌てて立ち上がったレントを仕草で押しとどめ、サティーは樽をテーブルの横に置いた。

 テーブルには、いつも木製のジョッキが逆さまに並べられている。

 拳で殴って樽を開けたゴッパーがそれに手を伸ばすと、サティーが無詠唱でジョッキに氷を出した。


「あ、おつまみ出しますね」

「おお、気が利くじゃねえかレント」

「あら、悪いわねえ。後でなにか作るから、それまでそれで飲んでておくれ」


 4人にジョッキが行き渡ると、嬉しそうにゴッパーはジョッキを掲げた。


「愛しきシーナのクラスチェンジと、ミスリル杖『ネクタール』の完成を祝して! かんぱ・・・」

「待って待って、ストップ!」

「なんだってんだ、シーナ。早く飲ませろよ、このエールは滅多に飲めねえ極上品なんだ」

「ミスリル杖ってどういう事よ!?」


 シーナは軽いパニック状態で髪を振り乱している。

 それも仕方のない事だろう。

 ミスリルはドワーフの秘儀によって産み出される高級素材。とても中級探索者の武器に使用されるような金属ではない。


「どういうって、なあ?」

「はぁ、まあそうだろうとは思ってましたが・・・」

「うふふ。シーナちゃん、これは私と主人が心を込めて鍛え上げた杖なのよ。大切にしてくれたら嬉しいわ」

「ミスリルなんて、あんな代金で足りる訳がないでしょって!?」

「いいのよ。ミスリルなんて、値段があってないような物なのだから」

「そうだそうだ。いいから早く飲ませろってんだ」

「ゴッパーお爺ちゃんは黙ってて!」


 シーナが立ち上がったまま、上からゴッパーを睨みつける。


「あらあら。レントちゃん、説明お願いね」

「僕ですか・・・」

「女の子はね、恋人の言葉ならなんだって信じられるのよ」

「いや、あの、はぁ。・・・シーナ、座って」

「こ、恋人って・・・あ、はい」


 毒気を抜かれるどころか、顔を赤くして舞い上がっているシーナが座る。

 レントは、言葉を選んで話し出した。


「ミスリルが貴重なのは知ってるよね。なら、なぜ貴重なのかはわかる?」

「ドワーフ族の、それも一流の職人にしか作れないからでしょ」

「うん。で、市場にはほとんどミスリルは出て来ない。それはなぜかわかる?」

「そりゃあ、作れる人が少ないんだもん。すぐに売れるし、高すぎて私達なんかは見る機会さえないでしょ」

「間違いその1。ミスリルは、お金じゃ買えない」

「はあっ!?」


 シーナが大口を開けて固まる。

 女の子がそんな顔をしないでと思いながら、それでもかわいいからいいかとレントは苦笑した。


「だって、神殿にだって聖人様の使ってたミスリルの武具とか展示されてるよ!?」

「ありゃあ抜け殻だ。ミスリルと言えなくはねえが、往時の武具とは別のもんだよ。それより、飲もうぜ。飲みながら、レントが説明すりゃいいんだ」

「そうですね。では、お願いします」

「おっしゃ。シーナのクラスチェンジとネクタールの完成を祝して、乾杯!」

「乾杯っ」

「乾杯」

「・・・カンパーイ」


 冷えたエールを、誰もが一息で飲み干す。

 サティーがジョッキを集めて注いでいくのを眺めながら、レントは続きを話し出した。


「簡単に言うと、専用装備なのかな。迷宮で出る宝箱なんかの」

「まあ、平たく言えばそうだな。これは職人と所有者にしか話せねえんだが、レントのカタナも似たようなもんだからいいだろ。シーナ、俺達ドワーフの腕の良い鍛冶師は、鍛冶神様から依頼を受ける事がある」

「か、鍛冶神様からっ!?」

「そうだ。それはとても、名誉な事よ。とても、金なんかに代えられるもんじゃねえ」

「は、はあ・・・」

「サーフィス神様が、シーナにゃこれが必要だと判断して鍛冶神様にお話が行ったんだ。感謝して大切に使えば、それでいいのさ。なあ、カカア」

「そうね。祈り系のスキルに上昇補正があるし、武器としても充分な重さと鋭さを兼ね揃える逸品に仕上がったわ。大切にしてちょうだい」

「そんなの、当たり前だけど・・・」


 渡されたジョッキを傾け、レントはニコニコと笑ってシーナを見ている。

 シーナは杖術も順調に腕を上げ、レベル20の頃には殺人ガニを一突きで屠るまでになっていた。

 このネクタールがあれば、1段階目のデイダラサソリだってソロで討伐可能かもしれない。

 ならば明後日の探索再開は1階層から5階層まで、シーナ1人にやらせてみせようと思っている。


「しかし、このエールは美味しいですね」

「醸造の2次クラスまで行った爺の仕込みだ。議会の金持ち共が買い占めに躍起になってるから、なかなか手に入らねえのさ」

「なるほど。分け合う気持ちがわからないから、ですか」

「この街で偉いと言われるのは、正しい者じゃなくて金を持ってる者だ。バカらしいとは思うが、諦めた者を金持ちが押さえ込んで搾取して、それで正しい者がなんとか八つ当りされねえで暮らしていけるのさ。お前さんの故郷の話は聞いたな?」

「ええ。全滅だそうですね」

「因果応報。わかっちゃいても、人はこうして愚かなままだ。そうじゃねえ人間にしか、ミスリルなんか作ってやるもんかよ」



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