檻の街へ
まるで監獄のように高い城壁が、春の陽射しに照らされている。
門の脇にある通用口には長い人の列が出来て、まるで巣に獲物を運ぶ蟻のようにも見えた。鳥の目を持ってすれば、8つの街道と8つの門のすべてに、その行列を確認できるであろう。
通称3ノ門。円形都市の中心から真東に伸びる街道の門に、1人の少年がいた。
珍しい漆黒の髪には雑ではあるが櫛を入れてあり、顔立ちも優しく整っている。だが腰には東方の武器である大刀と脇差しが差され、上等な衣服の左胸には鉄の部分鎧を装備しているので、少々剣呑な気配を漂わせていた。
「次っ」
「はい。お願いします」
「名前と年齢。滞在は長期か短期か。保証人の有無と、滞在の目的」
「レント・カーネリアス。17。長期。保証人なし。迷宮に潜りに来ました」
兵が少年を見る目が、途端に胡散臭げな物を見る目に変わる。
上から下まで少年を眺め回し、フンとバカにするように息を吐いた。
「若いのに、鼠志望か・・・」
「鼠?」
「迷宮に潜る探索者は、町の住民から鼠って呼ばれて蔑まれてる。穴の中を這い回って、血と汗に塗れて出て来るからな。レベルアップを諦めてる人間の、ひがみだよ」
「なるほど。どっちが鼠なのかわかりませんね・・・」
「家名があるなら貴族なんだろうが、この街ではそんな肩書は豚の餌にもならん。それに迷宮に入るには、探索者ギルドに登録するしかないぞ。あそこの加入試験は、理不尽なほどに厳しい」
「覚悟の上です」
少年の目は微塵も揺るがず、兵の目を射抜いている。その間を、1匹の蜂がのんびりと横切った。
ここでこの中年の兵は、ようやく少年の異常性に気がついたようだ。
眼球運動、それも反射運動を自らの意志で制御しうるなど、17の少年に出来る事ではない。兵の目が怯えに似た感情で揺れても、少年はその瞳を瞬かせる事すらなかった。
「・・・この書類を持って探索者ギルドに行け。加入試験に受かれば探索者ギルドが保証人になって、望むだけの滞在が許される。税も探索者ギルドが一括で支払ってくれるぞ。受からなければ、街の外に放り出されるかもしれんがな」
「ありがとうございます。探索者ギルドとはどこに?」
「門から入ったら真っ直ぐ。大きな広場の大きな建物。看板は交差する剣と杖だ」
「ありがとうございます。では」
「その、なんだ。笑って暮らす、そんな生き方もこの街にはある。生きるのに疲れたら、就職斡旋ギルドの事を思い出せ」
背を向けかけていた少年、レントは振り返って深々と頭を下げ、顔をくしゃくしゃにして笑った。
「なんだよ、いい顔で笑えるんじゃねえか・・・」
兵の呟きは、通用口を潜るレントには届かなかっただろう。
それでもレントは唇の端に笑顔の名残を残し、前線都市マクレールへと足を踏み入れた。
「この街なら、迷宮なら僕を殺してくれるかな。簡単には、死んであげないけどね。トライアンエラ。まあ、気長に死のう」
そのあまりに物騒な言葉に、答えを返す者など当然いない。
ただ一陣の風が、小春日和のマクレールを渡っていった。
書類を大切そうに懐に入れ、レントは歩き出す。
足取りはまるで、恋人との待ち合わせに向かうのではないかと思わせるほどに軽い。
大通りの両脇が住宅から店舗に変わる頃には、飲み物や軽食を売り歩く物売り達の威勢のいい声が飛び交い始める。魔法使いの女が葡萄酒の水割りに氷を浮かべるよと言えば、揚げパン屋の親父はうちのスパイス砂糖はマクレールで1番たっぷりだと客を呼ぶ。
その声に視線をやるでもなくレントは進み、ついに大きな広場に辿り着いた。
食欲をそそる豚の丸焼きや品数の揃った串焼きの匂いに頓着せず、レントは広場を見回している。
やがて一際大きな建物と剣と杖が交差する看板を見つけ、その建物に向かって歩き始めた。
「待て。加入試験か?」
探索者ギルドの入り口に向かうレントを呼び止めたのは、そこから出てきたばかりの鎧姿の男だった。
「はい。今日が初めてです」
「やはりな。いいか、武器は木剣だが、打ち所が悪ければ不具になったりもする。無理だと思ったら、すぐに降参するんだぞ?」
「ありがとうございます」
そう言ってレントは、また顔をくしゃくしゃにして笑った。
厳しい顔で忠告した男が、ぽかんと口を開けてそれを見ている。
「なんて顔で笑うんだ。人がいいだけじゃ、探索者にはなれないぞ」
「この街で話した2人目のあなたも、とても優しい人なので嬉しくなってしまいました。では、失礼します」
「頑張れよー」
その言葉に頭を下げ直し、レントは探索者ギルドのドアを開けた。
正面に階段。左手に酒場。右がカウンターになっている。
レントは迷う事なくカウンターに向かい、手が空いている職員の前に立った。
「失礼します。加入試験を受けたいのですが」
「若くてかわいいのに、わざわざ怪我をする事もないわよ。考え直さない?」
「それは出来かねます、お嬢さん」
「はあっ、もったいない。ハゲー! そこのハゲ! 聞こえてるのに返事をしないハーゲー!」
蓮葉な感じの女が酒場に向かって大声を上げると、1番手前のテーブルでカップを持っている男がプルプルと震え出した。
女はまだ、ハゲハゲと連呼を続けている。
「俺はハゲじゃなく、スキンヘッドだって言ってるだろがあーっ!」
「毛がなきゃハゲでいいじゃない。加入試験よろしく。顔に怪我させたら、火炎魔法で焼くからね?」
「知るかっ。加入試験は中庭でやる、着いて来い」
「ちょっとー、落ちたら接客業が妥当だろうから、顔だけは許してあげなさいよね!」
レントは負ける前提の言葉を気にする事もなく、スキンヘッドの男の背を追った。
階段横のドアを抜け、スキンヘッドの男は廊下の突き当りでまたドアを開ける。
薄暗い廊下から真昼の屋外に出たというのに、レントは目を細める事すらしない。スキンヘッドの男はそれには気づかず、ドア横の木の樽から木剣を抜いた。
「木剣は好きなのを使え。あ、剣士系の職業でいいんだよな?」
「はい」
レントは無造作に入れてある木剣の腹をコツコツと叩いては鳴らし、最後の1本まで確認してから手元に残しておいた木剣を持って前に出た。
「俺はスキルを使わない。そっちは自由に使ってもいいぜ」
「それでは危険なのでは?」
「素人が相手なら怪我すらしない、そういうスキルがあるのさ。俺が決定権を持つのは5級まで。まあ、10級でも探索者は探索者だ。まずは合格を第一に考えな」
「5級と10級・・・」
「なんだ、何も知らねえで試験を受けに来たのか。説明はさっきの女、セルスがしてくれる。合格できればな」
そう言って、中庭の中央でスキンヘッドの男は剣を構えた。
レントが一礼して歩き出す。木剣は、左手にぶら下げたままだ。
「おいおい、そんな隙だらけの人間が迷宮で・・・」
首を左右に振って言いかけた男が、とっさに構えを変えた。
迷宮に潜り続けた青春の日々、そこで磨き上げられた構えに隙はない。
だが、レントは歩みを止めるどころか、木剣を構えようとすらしないようだ。
その目は男を見てはいない。
見ているのは、老人であったり少年であったりする、もうこの世にはいない人々だ。その断末魔の叫びは、レント以外には聞こえもしないだろう。
「なんだ。お前は誰を見ている。そんな目で、人を見るんじゃねえよ・・・」
男の掠れ声に、レントは答えない。
百戦錬磨。それでも年齢から探索者である事に限界を覚え、是非にと請われて試験官としてギルドに迎えられた男は、誰が見てもわかるほどに狼狽していた。
殺される。平和な生活に慣れきって、武器は持ち歩いていない。手にあるのは、使い古された木剣が1本。このままでは、どうしたって殺される。
そんな意識を振り払うためにか、男は詠唱を開始した。
「切り裂くは剣に非ず、この歩みを命ずる、我が強固なる意思なり・・・」
スキルの詠唱を聞いても、レントは足を止めない。
「絶ち割れっ、【ロックスライサー】!」
「【硬化】・・・」
絶叫と呟き。
スキルを使うのは同じでも、なぜこれだけの温度差があるのだろうか。
レントの掲げた木剣に、男の【ロックスライサー】が激突する。
折れた男の木剣が、宙に高く舞った。
レントの右手2本の指は、男の目に刺し入れられる直前で止められている。
男の目には見えないであろうが、レントが使っていた木剣は、木クズに姿を変えて春の風に散らされていった。
「困ったな。木剣を壊したら、不合格だったりします?」
木剣が壊れて空いた左手の指で頬を掻きながら、本当に困ったという感じでレントが言う。
右手の指は、男の眼球に添えられたままだ。
「・・・合格に決まってる。動いてもいいだろうか?」
「あ、はい。ありがとうございました」
右手を戻し、レントが男に頭を下げる。
「これまでの無礼を許してくれ。俺はゴメス。名前を教えてもらえないか?」
「ワシも聞きたいのう」
ゴメスの隣には、小柄な老人が隠形を解いて姿を現していた。
「御老、いつから・・・」
「ずっとおったぞ。ボウヤは気づいておったな?」
レントが苦笑する。
見ないふりを気づかれていたからではない。ボウヤと呼ばれるのが、ずいぶんと久しぶりだからだ。
「はあ。ボウヤは勘弁して下さい。レント・カーネリアスと申します」
「ボウヤ、師は誰じゃ?」
「その名を唇に乗せるのは、禁じられております」
「ならば、ぶちのめして吐かせるとするかのう・・・」
老人が半身になる。
それだけで、隣のゴメスが腰を抜かす。それほどの殺気が、小柄な老人の体から溢れ出した。
「トライアンエラ。敵わぬまでも、足掻かせてもらいましょう」
死なせてもらえそうですし、とまでは言わず、レントは静かに腰の刀を抜いた。
老人は左肩を前にした攻撃的な構え、対するレントは肩を水平にしたどっしりとした構えだ。
「その口癖、その刀、そしてその構え。まさかボウズは、あのバケモノ本人ではあるまいな?」
「いくらあの人でも、私の体を乗っ取るなんて、出来そうで怖いですね・・・」
げんなりした口調で言いながらも、レントの構えは乱れない。
それどころか手で這ってゴメスが逃げおおせれば、そのまま斬りかかるつもりだ。
死ぬ前に、最高の振りをしよう。そう考え始めてから、心気は澄み渡っている。
新たな世界であり宇宙でもあるその心気が溢れるまでに高まった時、これまでで最高の剣撃を見せてレントはこの世から姿を消すだろう。
老人との力の差はそれほどまでに開きがあり、2人もそれを知っている。
「自ら死ぬるか」
「待ちに待った、その瞬間ですが、特に感慨はないものなのですね・・・」
「なにやってんのよっ!」
子牛ほどの大きさの火炎魔法が、うららかな春の空気を焦がしながら放たれた。