RYAN:THE ELDER GOD#3
たまたま用事で三本足の神と話そうとしたライアンだが、何故か電話がかからない。彼は消息を絶った場所に向かう事にしたが、それは前世でそうしたように危険と隣合わせの戦いに身を置く事を意味していた。
登場人物
―ライアン・ウォーカー…元〈旧神〉の青年。
―シャーロット・ベネット(シャー)・グラッドストーン…ライアンの恋人。
―ジョージ・ウォーカー…ライアンの父親。
―ローズマリー・ダレット・ウォーカー…ライアンの母親。
―ナイアーラトテップ…宇宙の守護神。
5月:ワイオミング州、ジャクソン
この辺りも結構暖かくなり、野山の雪もそこそこ溶けたが、概ね例年通りの気候であった――車に乗った際も外の冷風を浴びつつもあえて窓を開けコットンウッドの香りなどを嗅ぐなど、ライアンは彼らしく日々を楽しんだ。
あれからシャーはウォーカー一家宅に転がり込み、家でウェブデザインの仕事をし始めた。稼ぎの幾らかを納めており、事実上ライアンと結婚しているようにも見えたが、もしそうならスピード婚だろう。とは言え彼らは俗に囁かれるワイオミング州の大噴火を4分の1ぐらい信じていたから、悔いないよう時間を無駄にせず、互いの仲を深めた。家は3人で住むには少々大きかったため、ちょうどいい大きさであった。
「かからないな」
彼の知るナイアーラトテップの側面に用があって電話をかけたが、出てくれないようだった。下着を履いてからまた掛け直したが、まだ出ない。どうしたもんかと思いつつ、部屋の空気が淀んでいたので窓を開けた。少し重い断熱された開き窓を外側向けて開くと、この日は寒かったので身を切るような風が入ったが、今は心地好く感じられた。
だが新しく買った大きなベッドの上でシャーは身を捩り、冷気を嫌がったものだから、ライアンは窓を閉めクローゼットから服を取り出した。明るい青のウィンドブレーカーとカーキのフライトパンツを着終え、今度は予備として連絡先を聞いておいた別の側面に電話をかけた。こういうところこそ神ならではだなと脳天気に考えつつ待っていると、あのジャマイカを思わせる男の声が答えた。
「ご機嫌よう、我が友よ。今日は休みかね?」
「そうさ。実は君の別の化身に電話したんだけど」
「出なかったと?」
「ああ」
シャーが起きて、目を擦っているのが目の端に映った。
「妙だな。私はその側面の事を感じる事ができない。いつの間にか隔絶されたらしい…以前もかような不覚を取った事があってな」
「今日はどんな事してたんだい?」
「モンタナに用事があってな」
「へぇ。でも電話が繋がらないだけじゃなくて自分の一部を切り離されてるって事は、そりゃただ事じゃない」
「…」
かの神はどうするかを決め兼ねているのが電話越しに伝わった。
「手伝おうか?」
「しかし…」
「今話してる君はロスだろ?」
「そうだが」
「しかも自分の側面のいる場所ならひとっ飛びできるはずの君が未だにもたもたしてる。本当なら電話を切ってもうとっくに現地入りしてるはずだよ」
「実を言うと、惑星規模で我がシャイニング・トラペゾヘドロンの力が妨害を受けている。切り離されているのは我が一側面のみなれど、転移は惑星全体でできぬ。見たところ、切り離された我が側面から連鎖反応的に他の側面の持つ結晶までも機能を制限されているようだ…迂闊であったか」
「かなりヤバいね。でもほら、どうせ俺今日休みだし」
「しかし君には君の生活が」
ライアンはシャーの方を見た。部屋着を着ている途中だった彼女は何となく察した様子で頷いた。
「言うなって。君は切羽詰まってた大罪人の俺に新たな人生を与えてくれたんだぜ。独り善がり? いいや、俺は本当に嬉しかったよ。だからちょっとぐらい恩返しをしたい」
少し長旅になりそうなのでライアンはリュックに色々と詰め始めた。
「それに、モンタナじゃ下手するとこっちにまでとばっちりが来そうだ」
場所を聞いてからそのまま少々強引に話を纏めて電話を切り、ライアンはシャーにこれからする事を話した。
「って事で。ちょっと前世の友達が困ってるから助けに行きたいんだけどいいかな?」
三枚目に甘んじるこの俳優じみた茶髪のハンサムは、微笑みながら運命の相手に問うた。
「私がどうこう言う事じゃないわね。でも…」
「でも…?」
「絶対戻って来てね」
シャーの美しい目に不安の色が見えた。本当は危険の最中目掛けて行って欲しくなどないのだろうし、それは浅ましい事ではなかった。
「わかった。俺は友達を絶対助けて見せるし、それに絶対無事に戻る。あの高貴な集いにかけて、誓うよ」
ライアンはシャーと短いキスを交わして、唇同士を離した際に目を瞑った――瞼の外側を包む昼間の陽光を受けて白く染まる暗闇に、かつて地球を守るため集った美しい神々の姿が浮かんだ。
「って事で行って来るよ」
昼食を食べていた両親に彼は手短な説明をした。両親も知っての通り己は神であり、人々を守る義務がある。それは友への義理でもある。
「ライアンもテレビの向こうのヒーローみたいになっちまうとはな」
何と言えばいいのかわからぬという様子でジョージは頭を掻いた。
「あなたが心配だわ。天使である前に私達の紛れも無い息子なんだから」
信仰心がそれなりに篤いローズマリーはライアンを天使と解釈していたが、いずれにしても息子が危険な目に遭う事は辛かった。ジョージはローズマリーの肩に手を置き、彼女はそれを握った。
「でもあなただって、やっぱりやり遂げなきゃいけない事はあるのよね」
「おい、ローズマリー…」
「そうよ、ジョージ。怖くて仕方ないけど、それでも見送る必要がある時もあるんだわ」
「でも…いや、確かにそうかも知れん。ライアン…」
「わかってるよ。父さん母さん、愛してる」
彼らは抱きしめ合い、戦地に向かう我が子を見送るかのように今この時を噛み締めた。
数時間後:ワイオミング州、モンタナ州との州境付近
ラジオから流れるサム・スミスの美声を聴きながら、ライアンはアウトバックを走らせていた。山々には雪が積もり、あともう少しで州境に差し掛かる。いざこうして再び闘争へ身を置かんとすると、どうにも心騒ぐものがあり、胃の辺りがむかむかした。 今ではシャーや両親、そしてこの田舎州の親しい人々がおり、己の命が己だけのものでない気がした。思えばかつて、守るべきものができた時もそうだった――勇敢に戦ったものの、己が死んだ後に民はどうなるだろうかと恐れた夜もあった。
だが今もどこかで頑張っているヒーロー達も、全く同じなのではないだろうか? 彼らもまた、何かの理由で己の死を恐れているかも知れない。しかし結局のところ、そうした心配事はさて置き今すべき事に取り掛かる事は可能なのである。
つい先程、ラジオでネイバーフッズの話をしていた。ドレッドノート事件でドレッドノートの虜囚となりそれで手打ちとしたDr.エクセレントのこれまでについて簡単に語っており、別の世界から来たという彼もまた、この国の歴史の重要な一部であり、文化的な面もあった事を思い知った。彼のようなベテランがかような結末を迎えるとは、どこかやり切れない部分もあるが、しかしライアンはドレッドノートが良心を持っている事を祈っていた。
12時過ぎから走り始め、そろそろ日が傾き始めたが、目的地の付近は曇っており、近付くにつれて闇が増しているように思えた。慄然たる実体がいるであろう事は、もはや疑いようなどない。
それから数十分が過ぎ、地図の印をした辺りに付いた。人気の無い不気味な森が広がり、厭わしい冷風が吹いていた。思ったよりは温暖ではあったが、その風の不快さ故に身震いをした。
もしかしたら、もう二度と大切な人々と会えないのではないだろうか。遅い後悔が身を蝕み、じわっと緊張の汗が体を覆った。微かに風に乗って何か悍しい音と、それに抗うかのような音も聞こえた。ライアンは車の傍で蹲り、がちがちと鳴る己の歯の音を聴きながら俯いていたが、やがてにやりと笑い立ち上がった。車の中で食べた母の作った昼食の味を思い出し、昨日の余りで作った柘榴サラダと川魚料理が己の糧となっている感覚を心地好く味わった。
「やってやろうぜ」
彼の持つ尋常ならざる力は幾らか戻っており、少なくともある程度の超人的な身体能力とあの特異点の向こう側よりも悍しい抹消能力もそこそこ使えた。エネルギー操作や飛行はできないが、何もできないよりはましだった。ニルラッツ・ミジに類似した神の能力が使えずとも、この呪いから解き放たれたかつての邪神には強い意志と正義感があり、差し当たりそれで充分であるようだ。
そしてこのハンサムな青年はだっと走り始め、生い茂る黒い木々をすいすいと避けながら、この事件の中枢目掛けて駆け抜けて行った。
これで心優しい厨二病患者とハンサムなアホが参戦した事に。両者の鉢合わせは相当不味いが、それも含めて次回。