NEIGHBORHOODS#5
メンバーの些細な不和を引き摺るネイバーフッズ。Mr.グレイは思い切ってドクがそこまで怒っている原因を解き明かそうとするが…そして時空の彼方では、これまでもそうしてきたように尋常ならざるものどもが因縁によって激突を繰り広げていた。
登場人物
ネイバーフッズ
―Mr.グレイ/モードレッド…ネイバーフッズのリーダー。
―ホッピング・ゴリラ…ゴリラと融合して覚醒したエクステンデッド。
―Dr.エクセレント/アダム・チャールズ・バート…謎の天才科学者。
―ウォード・フィリップス…異星の魔法使いと肉体を共有する強力な魔法使い。
―キャメロン・リード…元CIA工作員。
―レイザー/デイヴィッド・ファン…強力な再生能力を持つヴァリアント。
時空の果てにて
―ソヴリン…未来の征服者。
―ロキ…慄然たる混沌の神、ソヴリンの宿敵。
1975年4月:ニューヨーク州、マンハッタン、ミッドタウン、ネイバーフッズ・ホームベース
「ではリーダー権限で言わせてもらおう。君達が指名した、公平なる結果で選ばれたリーダーの口からな」
皮肉たっぷりに、今日ではサクソン人――及びその他イギリス国内の様々な民族――にも親しまれる伝承に出てくる、実在したメインキャストは諫めの言葉を発した。というのもイースト・リバーで小型船の転覆事故が起き、それの救助活動を終えたところでリードとドクの言い争いが始まったのだ。まだリードが無断で弾頭に手を加えた件を引き摺っているのだろう。
ひとまずリードにはあの後、モードレッドから一週間のトイレ掃除が言い渡されたが、まだドクは不満であるらしかった。何か思うところがあるのだろうかと庶民的な卿は溜め息をついた。
「君達はよく働いてくれたよ。仕事を終えるまでは。この際はっきりさせようじゃないか、この取って付けたような些細な蟠りの原因が何なのかをね」
不満だったのか、ドクは抗議した。
「モードレッド、君も知ってるだろう? リードが勝手にあんな事をした事が嫌だったんだ。あれで誰かが死傷したりしたら!」
またですか、と言いたげにリードはやれやれという素振りを見せた。打ち解けてみれば意外とリードと気の合ったレイザーは彼と目が合うと同情的に苦笑し、ホッピング・ゴリラはリードとドクの両者に対してある程度理解を示していた。正直あまり関心のないニューイングランド風な紳士は、ブリーフィングで使うテーブルでコップのようなガラスの器に入ったパフェを食べていた。
「ドク、本当にそれだけか?」
じっと聞いていた騎士は、穏やかだが指摘するような口調で尋ねた。
「え?」
「本当にそれだけが理由なのかが気になったんだ。気のせいなら後で謝るが、君の怒り方を見てると何か過去にあったんじゃないかと思えてならない。正直に言えば『それだけの事』でそこまで怒るとは思えなかった」そう言ってから、彼は自嘲した。「ヒーローにあるまじき発言だな」
だがドクはっとして顔を逸らし、それからリードが口を挟んだ。
「ドク、俺からも頼むぜ。俺はあんたと口論したかったわけじゃないんだ。何かあるならここではっきりしようぜ」
それを聞いてドクは一瞬怒鳴って言い返そうとしたが、リードの言い分にも一理あると思い、結局は言い留まった。
「俺が怒らせたようなもんなんだろ? 別に急かすつもりはない」
シャツとジーンズに着替え体を清めてあるリードからは、まだ潮の香りが漂っていた。リードは救助活動のため躊躇わず海峡へと飛び込み、溺れそうになっていた船員を助けたのだ。チームの科学担当は、リードのボーイスカウト的な活動性・率先性に幾らか嫉妬じみた感情を抱いていたのかも知れない。
「私は…」彼は重い口を開いた。さすがに言うのが躊躇われたのか、なかなか話を続けられなかったが、何十秒か間を置く事でなんとか喋る事ができた。その内容は驚嘆すべきものであった。「私は所謂平行世界からやって来た」
スプーンを加えたまま、ウォード・フィリップスが硬直していた。
「ま、まあ。魔法使いや未来人がいるんだ。そりゃ別の世界の住人ぐらいいるだろうさ」とリードは割とあっさりそれ信じた。「どんなところだったんだ?」
ドクは一瞬、さっきまで口論していたリードと普通に話す事に負い目のようなものを感じたものの、それを我慢して答えた。
「いや別に…こっちと大差は無かった。少し歴史が違うだけさ」
ぶっきらぼうな言い方になったのではないかと、早くもドクは心配しているようだったが、リードはそんな事など露知らずであるらしかった。そしてMr.グレイが話を引き継いだ。
「なるほどな。向こうにいた時、何か不快な経験をしたのか?」
元々その件を話していた事をドクは忘れていたようで、少し言葉を詰まらせていた。恐らくは向こうにいた時の事を久しぶりに思い出して一種の哀愁を感じたのだろうから、卿は急かす事なく続きを待った。他のメンバーも聞き入っており、いよいよ言い逃れはできないなとドクは内心苦笑し、口を開いた。
「向こうでアメリカ政府は私の新技術を転用した兵器で国内の締め付け、特にヴァリアントへの弾圧を強化したんだ」
ドクは顔を背けて歩き出して、会議室の窓側へと歩いて行った。彼が自分で手掛けた防弾のマジックミラー越しに眺めるハドソン川は今日も蒼穹の下できらきらと輝き、その実不潔な水質のこの川をラインの黄金がごとく彩っていた。『こちらの』アメリカ政府はCIAかどこかの機関を増員させ、半年以内にはここネイバーフッズ・ホームベースに警備員を送ってくれるらしい。政府というものはどこまでもヒーローに優しい存在ではないだろうし恐らくはいずれ何らかの形で対立も起きるだろうが、それでも『こちらの』政府はドクの世界の政府よりはましに思えた。
「よく小説やドラマで見かけるだろう? 自分の関与した『何か』で殺された者を見て初めて、自分が何をやったのかがわかるって奴さ」
本人は軽く語っているつもりであるらしかったが、実際のところドクの声は震え、顔も少し青褪めて見えた。
「その時は、前日に食べた美味い料理が不当な人殺し手伝いの報酬として支払われた金で注文したものだと気が付いて、胃の中が空になるまで吐き続けたよ。焼けるような喉元の熱さと、あのツンとした匂いは未だによく覚えている。犠牲者の腐臭もね…」
彼はある意味で、ネイバーフッズ一の潔癖症なのかも知れない。
「だから私は向こうのニューヨークを出て、国内をぶらぶらしていた」
老紳士が口を挟んだ。
「そっちにもニューヨークやアメリカがあるんだね」
「さっきも言ったように、こちらとは幾らか歴史が違うだけで殆ど同じ宇宙だったから」
レイザーはじっと黙っていたが、ゴリラは思うところがあって疑問を口にした。
「向こうでもヴァリアント差別が?」
「こっちより酷かった気がするよ」
「じゃああのふざけた未来人はそっちの宇宙でも?」
「いや、あんな怪物は初めて見たな…」
するとリードも再び会話に加わった。
「待ってくれ、じゃあソヴリンが来なくてもそっちじゃ結局ヴァリアントを巡って迫害や対立が起きたのか? あんたが言うにはあいつこそV−デイの未来人の正体なんだろ?」
「まあ、そうだね。考えてみると人類って奴は…虚しいな」
その事実をレイザーは冷淡に受け止めたが、ゴリラとリードは俯いて押し黙った。では、と卿が呟いた。「どの世界もそんな感じなのだろうか?」
そうだとしたらあまりにも悲しいだろう。
「いや、そんな事はないはずだ。私達が住んでるような世界は数え切れないぐらい存在してる。私が立てていた理論では、今この瞬間も無限の可能性が発生して新たな諸世界が生まれているはずだよ。だからもっとマシな世界だって無いとは限らない」
「しかしそれではSF小説の平行世界のようにどんどん枝分かれしていくのでは?」
「計算上はそうだよ」
「パンクしそうだが」
「パンクしないように創られているんじゃないかな。多分神様がそうしてるんだろう」
ふむ、と唸ってグレイは一応納得したようだった。ドクは内心、モードレッドの口から『SF小説』という言葉が発された事を面白がり、暗い過去を少しでも中和しようと藻掻いていた。
「ところで」
ここでレイザーが口を挟んだ。他のメンバーは彼の方へ目を向けた。
「何故あんたはこっちの世界に?」
彼はうんざりするような異世界のヴァリアント弾圧には気を落としている風でもなかったが、それよりも気になる事があったようだ。だがそう問われた途端、ドクは曇天じみた陰鬱な表情が煉獄のごとき苛烈さを湛えて、まるでその顔がめらめらと燃え盛り始めたかのように見えた――だがその表情はよく見れば、壮絶な恐怖と忌避感を表していた。
地球にあれが到達した時の事は今でも天才Dr.エクセレントの記憶に残っている。あんぐりと大口を開いた捕食者は全天球を覆い尽くさんとして星々は遮られ、ほんの数千万マイル上空の宇宙空間にあれの口腔が見えた。敗退した様々な姿形の神々やそれに準ずる実体達が退却してきて、態勢を立て直し地球で迎え撃つつもりであるらしかったが、彼らの結集された攻撃でさえも時間稼ぎにしかならず、劇的な変化を齎さなかった。
最後の10分は本当に長かった――彼にはまるで劫が一度過ぎ去ったかのごとき長さに感じられ、通りで宛もなく逃げ惑う人々の悲鳴や発狂した者達の奇声、その目に狂気を孕んだドゥーム・セイヤー達のグロテスクな終末演説、そして他のブロックから聴こえてきた凄惨な掠奪や暴動の騒ぎなどはまさにこの世の終わりを体現するものであった。窓の外から漂ってくる火災の匂いと血に染まる山河の嘆きに耐え忍びながら、彼はなんとか故郷の宇宙を離れるための準備を終えた。最後にもう一度だけ、彼は空を窓から覗いた。冒瀆的な口腔が脈動しているのを見てしまい、その恐怖に何とか耐えながらも光速度を勘定に入れて単純計算すると、もう数十分前にはあの実体が太陽系を呑み込んでいた事は明らかであった。なればもうこれ以上留まっても仕方はなかった。生まれ育った街並みとの別れは思っていた以上に辛くはなかった。そして彼もまたある種のアウトサイダーであったから、どこかこの世界に馴染めない気がしていた。
では、とドクは涙を汚れた袖で拭いながら考えた。何故自分を産み落としてくれたという程度の繋がりしか感じなかったはずの世界との離別は、かくも胸がずきずきと痛むのか。
異世界から来たる科学者からこれら滅亡の物語を聞かされ、ネイバーフッズの他のメンバーは絶句した。生まれた街を喪った。生まれた国を喪った。生まれた星を喪った――ここまではぎりぎり想像ができる。だが生まれた既知の世界全てを、宇宙丸々一つを喪失するとはいか程の苦痛なのか。そのような事は彼らには終ぞ想像できなかった。
そしてDr.エクセレントがソヴリンの襲撃で齎されたあの地獄絵図を見て思い出した光景こそは、まさに宇宙を捕食する獣に地球ごと呑み込まれた、世界最後の日の混沌と化したニューヨークだったのである。
時間軸の外側:未知の領域
「ロキよ、我が宿敵よ! 貴様が健在で嬉しいぞ!」
あのスティクス川じみた悍しい時間流よりも更に恐るべき、名状しがたい淀んだ時間の停滞の中で、紅色のアーマーを纏った狂人はいと楽しそうに騒いでいた。その狂乱した声を受けて、相対する尋常ならざる魔神は顔を顰め、厭わしそうに忘れられた言語で呪詛を吐いた――しかしその言葉は既に存在を否定されているが故に、慄然たる異音が代わりに響き渡るのみであった。
「ソヴリン、貴様…」
既に何度も対峙した相手とは言え、やはり慣れぬものだった――永遠なるロキとて、よもや己が混沌を齎す過程で、かような怪物を誤って生み出してしまうとは予測していなかったらしかった。この紅色の異邦人は〈人間〉の姿をした怪物であり、最低でもラグナロク以降最大の敵である事は疑いようもなかったのである。悪しき神は大木の根っこのごとく歪んだレーヴァテインを握り締め、28世紀のHJ1合金を素材にかの神自ら編み上げた金属繊維の黒いマントをゆらゆらと揺らしながら、狂った征服ゲームに興じるソヴリンを射殺さんばかりの勢いで睨め付けていた。
かの異邦人が指を鳴らすと、虚空からロボットの軍団と彼に追従する浮遊砲台群が出現し、この上下左右も無きに等しき悪夢めいた停滞の空間に対峙特有の張り詰めた空気を齎した。しかし末恐ろしい事に、紅色のソヴリンはそうした緊張感さえ前菜として咀嚼し、これから始まる新たな血みどろの泥沼を思い浮かべて、未来的な意匠の仮面の下に隠された40代の端正なタイ人じみた己の美貌を、狂気の笑みで塗り潰したのであった。
ドクの過去は名前だけ出ているドレッドノート事件に繋げる予定。ヴィラン達のオリジンを紹介するシリーズでも書き始めた時にソヴリンの過去を書く予定。




