GAME OF SHADOWS#5
先行するフランス軍に襲い掛かる雷帝の杭、そして矢の雨。それでもなお、己らが追い散らした歩兵隊の撤退先である丘の上を目指し、彼らは進軍を続けたが…。
登場人物
―ジーン二世・レ・マングル…フランス軍元帥、超人元帥ブシコート。
―バヤズィッド・ビン・ミュラード…雷撃を操るオスマン帝国の第四代スルターン、雷帝バヤズィッド一世。
一三九六年九月二五日:ブルガリア、ニコポリス郊外
雷の杭は突進するフランス軍に襲い掛かった。そして継続的に襲い掛かる矢衾は縦にも深く、そのため後方にいた軽装の兵士達が特に被害を受けた。
名高い名門の騎士達は馬も含めて被害を受けずに済んだが、弓隊などは混乱に襲われて士気が下がった。
また、矢で反撃しようにも先行した味方への誤射を恐れて撃てなかった。
ただの弓であればともかく、高位の騎士がその権力によって指揮下の弓隊を強化していた場合は先行する味方の騎士ですら傷付けてしまうかも知れなかった。
というわけで混乱が始まり、しかしそれでもブシコート元帥とその他のフランス軍最強の騎士達は丘を駆けた。
彼らに追随しようとする下級騎士達はそこまでの技量や権力を転用した防御力が無いため、馬が串刺しになったり矢で覆われたりして落馬した。
中には運悪く電撃による杭に突っ込んで突き刺さった騎士もおり、凄まじい悲鳴と共に薄れゆく意識の中、決してこんなはずではなかったのにと遅過ぎる後悔が苦痛とないまぜになって体内を駆け巡った。
「気をしっかりと持て! ここでトルコ人に殺されるか、それとも我々が奴らを殺してやるかだ!」
先頭集団よりも遅れてやって来たフランス聖霊騎士団のジーン提督は威厳のある声で叫んだ。
張り裂けんばかりの轟々たる声であり、彼が鎧や盾にあしらった猛禽の紋章が悪化し始めた天候の下で輝いた。
それを聞いて前方で突っ走るジーン二世レ・マングルことブシコート元帥は敵の猛攻を防ぎながら叫んだ。
「今のを聞いたな! そなたらフランスの旗に集い、十字軍を志す武者なれば、この下らぬ坂を見事登り切って見せよ!」
実際のところ、フランス軍内にもこのような無謀な突撃について異を唱える声はあり、しかもそれらは元帥だの伯だのの間で起きた議論であった。
にも関わらず今はこうして、どのフランス軍高官も丘の上に待つ栄光、敵の撤退先へと競争していた。
彼らのように武勇とそれに相応しい権力を使える騎士達はそれでもよかろうが、しかし中堅どころやそれ以下の騎士達にとってこの戦場は既に暗雲に覆われて見えていた。
勝ち筋は徐々に見えなくなり、敗北の屈辱と恐怖とが姿を現し始めた。
提督もいつの間にか先頭集団へ追い付こうと馬を走らせ、ただでさえ複雑かつ脆弱なフランス軍の指揮系統は台無しとなった。
神聖ローマ皇帝としての地位を一時的に授かって莫大な権力を実現しているシギスムンドは指揮下の全軍を己の権力で強化する事にした。
しかしフランス軍の蛮勇には、もはや何を言えばいいのかわからなかった。
――其は洛陽の灰より常に新生する不朽の帝国、劫掠者の大破壊に耐え解体者による終焉すらも踏み越えしローマなり。
シギスムンドは顎髭を撫でながら目を閉じていた。莫大な権力に身を置くと、然るべき詠唱の句がすらすらと口から出てきた――しかし嫌な予感は拭えなかった。
――神聖なる現ローマの皇帝が、その名において命じよう。
「恐れ慄け異教徒ども、〈十字戴く最高権力保持者〉!」
その言葉は君主の放つ陽光じみた輝きとして駆け抜けた。指揮下の軍団は攻防共に強化され、忌むべき邪法や精神に対する侵食にも防壁として立ち塞がるであろう。
始祖ロミュラスから様々な変遷や断絶を経てなお健在なるローマの意思がシギスムンドによって具現化した瞬間であった。
しかし彼の傘の下にいないフランス軍はこの恩恵を得られず、相変わらず矢と杭とが彼らを苦しめた。
ワラキア勢等は強健そのものであり、なおさらフランス勢との落差が目立った。
とは言え先行する連中を見捨てて後方で待機しているだけというのもシギスムンドにはできず、彼もキリスト教徒として、十字軍の旗に集った騎士道の体現者として、譲れないものはあった。
故にこのタイミングになって後方にいた全軍はゆっくりと進軍を開始し、やむを得ずフランス軍を援護しに行く形となった。
クシー伯とウー伯は人馬諸共に要塞化させて矢と杭とを防いで駆けた。
彼らに追随している騎士がまた一人脱落し、後方に置き去りとなって悲鳴を上げるそれを尻目に彼らは妨害の続く丘登りを強行した。
遅れて来たジーン提督が、脱落して稲妻に焼かれながら矢の雨に打たれる騎士の横を通り過ぎ、彼は今回の矢衾の存在しないはずの『人馬が通れる隙間』を右、左とすいすい移動しながら神速で駆けた。
ブルゴーニュ公は戦況の悪化すら全く意に介していなかった。彼はある種の戦闘マシーンであるのかも知れず、左手で己とその馬に降り掛かる矢を全て掴み取り、持てる限界になったタイミングでそれを投げ返した。
ヌヴェール伯は今すぐに己の権力が激減するか枯渇するかも知れない事を憂慮する程度の冷静さは持っていた。
そのため彼は串刺しにした敵兵を傘にして矢衾を防ぎ、杭を可能な限り避けた。
権力とは実際に己の部下や軍勢がその指揮下にある場合においては、その権力者が上に立ち続けられる限りにおいて枯渇する事は無い。
しかしそうでない場合、例えば権力者として振る舞えない状況においては有限である。すなわち、権力者が暗殺の危機に曝されるのはそういう理由である。
プライベートな時間等ではその権力者に従う下々の者がいないか、あるいはごく少数である場合もある。そこが弱点となるのだ。
そして例えば戦場においても、指揮官だとかお飾りの大将だとか、そのような地位に相応しくなくなった場合や、士気が下がって軍勢が敗走し始めた場合などには権力が大きく減少する。
当然ながら権力をパワーソースとするその権力者のあらゆる能力が有限の権力を消費するのである。
そのため権力による最も確実な自己防衛ないしは自己強化の方法とは、他人を介する権力に依存しないという事である。
そのため武人は自己に対する権力に至る術を持てばよいが、しかしそれは雲を掴むようなもの、視覚を持たない種族に色を教えるがごとき難関である。
ブシコート元帥はこの場の騎士達の中でも最も自己への権力を得意としており、彼は精神と技の修練及び探求によって、尽きぬ信仰心や騎士道精神、スポーツマンシップを用いて自己に向けられた権力という奥義に至ったのであった。
故に彼は文字通りの最後の一人となろうとも、使用不能になった他者の権力に依存する技や能力を放棄し、己に対する権力のみで戦い続けられるであろう。
これは一種の〈肯定〉であった。
ブシコート元帥を先頭にして百人を幾らか超える騎士達が丘の上が見え始める位置まで登った。
血と死体とで埋め尽くされる坂を徒歩で登る騎士とていた――杭で串刺しとなった馬を置き去りにして。
一方で、尾根のように見える丘の上の平地にいるオスマン軍を率いる雷帝バヤズィッド一世は、事ここに至り号令を出すに至った。
「我が方の騎士の諸君、並びにそれ以外の戦線を支える諸君」とそこで一旦区切った。「フランスからの客人を盛大に歓迎し、それらを地獄に送ってやりたまえ」
凄まじい歓声が丘の上で木霊した。何事かと思ったフランス軍の先頭集団は丘の上に布陣する大軍を目にした。
そこは追い詰められた敵の安息所であったはずが、これでは完全なる待ち伏せである。
オスマン帝国のパーディシャーは使者に手で指示して、それを然るべき場所へと向かわせた。
軍勢の左翼方面、待機中のセルビア軍向けて使者は馬を走らせ、そのような些細な出来事は戦いの新たな局面によって掻き消された。
雷帝自らが馬上で抜刀し、刀を今志方登って来て混乱しているフランス軍へと向けてジハードの敢行を指示した。
沸き立つ軍勢がフランス軍に襲い掛かり、最初のショックでまず十人討ち取られた。
上級の騎士達は騎乗して斬り込んで来た税権騎士を何人か返り討ちとしたが、しかし敵は圧倒的に多かった。
今になってフランス軍の特出とい蛮勇とが重い結果として伸し掛かり、全体の士気が下がり始めた。
神聖ローマ皇帝の座を手中に収めるハンガリー王シギスムンドは急いで援護に向かわせるつもりであった。
しかし全軍が元々彼の手勢というわけでもなく、今回の十字軍もまたヨーロッパ各地の勢力、悪く言えば寄せ集めの軍勢であったため、どうしても指揮は滞り、進軍も遅れ、足並みが揃わなかった。
しかも坂には未だにあの電撃の杭が木々のように繁茂し、これを突破するには手間暇が必要であった。彼らは分断され、まず現在のところオスマン軍が圧倒的な優位に立っていた。
オスマン軍は隙間無く埋め尽くす蟻の群れのように見え、その獲物であるフランス騎士達は多勢に無勢で話になってなかった。
士気が下がった影響で騎士達の能力にも悪影響が出始め、なんでもないような攻撃すらもかなりの苦痛となり始めた。特に下位の騎士達から先に傷付き始め、新たな戦死者も出た。
税権騎士らは猛り、剣と槍とが栄光求めて突き出され、金属同士がぶつかり合う激戦となった。
次辺りは雷帝が大暴れ。




