GAME OF SHADOWS#3
これはモンゴルの帝王タマレインと激突する事となった雷帝の事績。十字戴く群れを葬り、帝国の拡大を狙ったかの者は、いかにして末路を辿ったか?
登場人物
―バヤズィッド・ビン・ミュラード…雷撃を操るオスマン帝国の第四代スルターン、雷帝バヤズィッド一世。
―ステファン・ラザーレヴィック…セルビア公国の君主、バヤズィッドの義弟。
―ジーン二世・レ・マングル…フランス軍元帥、超人元帥ブシコート。
一三九六年九月二五日:ブルガリア、ニコポリス郊外
今や戦場は死と屈辱とが支配していた。蛮勇に走ったフランス騎士の多くが戦士したか、あるいは捕虜として連行された。
神聖ローマ皇帝その人とて命からがら逃げ出し、トルコ人達は己らの勝利に沸いた。
テュルク系の言語やアラビア語で勝鬨が上げられ、ドナウ川に追い込まれた哀れな戦死者達の遺体が流れゆく様を嘲った。
指揮の傍ら自ら太刀を手に戦った雷帝は、己の隣へと馬を進めたセルビア人君主を見遣った。
「君のお陰でいい結果が得られた。ジハードはここに成功を見て、オスマンの威信は更なる高みへと」
「では我らの間に交わされた協定通りの――」
ぼそぼそとした声でセルビア人は言った。彼の表情は深く被ったマスクと曇天とでよく見えなかった。
「――わかってる、言うな。セルビアがオスマンの味方である限り、繁栄する事だろうよ」
アッラーフ・アクバルの斉唱が起こり、次に最後の預言者が称えられ、そして最後にオスマン家の永久の繁栄が叫ばれた。セルビア人騎士達も複雑ではあるがそれでも戦勝を喜んでいた。
かつてレコンキスタ時代のアンダルス情勢がそうであったように、今回もまた単純なキリスト教国vsイスラーム教国の構図とは言いがたかった。
というのも、見ての通りセルビアがオスマン軍と行動を共にしているからだ。
歴史とは往々にしてこういうものである。最初は聖地奪還だの小ジハードだのと高らかな理想が掲げられる、そしてそれは恐らく大抵の場合、最初に限れば本物であると思われた。
派手に着飾ったオスマンの〈税権騎士〉隊が戦果について話し合っており、彼らの獅子奮迅の働きについては後で報奨を与えねばなるまいと考えた。
「時に陛下」とセルビア人の君主は軽く会釈しながら言った。茶色い髪が兜から少し見えており、表情は厳粛であった。「我が愛しき姉妹は、オリヴェラは元気だろうか?」
「そうだな。知っての通り僕は彼女の信仰を邪魔しちゃいないし、それに彼女は両国の重要なパイプ役でもある」と当たり障りも無いと思いきや余計な事をスルターンは言った。
「パイプ役、と仰るか。敗戦国とはかくも」と暗い表情でセルビア人は言った。
「ではなんと言えば?」と努めて冷静にトルコ人は言った。「僕がどれ程彼女を愛し、今この時も恋い焦がれているのかを、君の前で吐露すれば気が済むとでも?」
「口が過ぎたようです、申し訳無い」
「気にするなよ、ステファン。僕達は似た者同士じゃないか」
栄光あるパーディシャーは下馬しつつ言った。彼は戦死したフランス騎士のオーダーメイド鎧を眺め、その表面に指を滑らせていた。
「ふむ、素晴らしい職人技だがいかなる職人の作かな? 田舎騎士の異教徒にはもったいないね」
トルコ人は義弟ステファンが何か言わないかと待っていたが、何も言わないので振り向かずに自分から切り出した。
「今君はこう考えてるんだろ?」
ラザーの息子ステファンはなおも何も言わなかった。
「ステファン・ラザーレヴィック、僕はコソヴォの戦いにおいて捕虜であった君の父君を殺し、そして君の愛する姉を奪い、君自身にも忠誠を強いた異教徒の悪魔だと、そう言いたいんだろ? まあ厄介な事に、それ程間違っちゃいないんだがね」
「陛下!」とステファンは怒鳴った。しかし殺意は見えなかったので、〈税権騎士〉に目配せして弓を構えさせるだけに留めた。
「あなたは全てを奪った! 父を殺し、姉を略奪品のように扱い、私のプライドを傷付け、あまつさえセルビアを家来にまでした! あなたさえ、あなたさえ来なければ!」
馬上のセルビア人は処刑された先代の遺体を眺めた時の記憶が今でも頭を離れないらしかった。
「復唱してくれてありがとう、ついでに詩的な改変も付け加えてくれて」
オスマンの現スルターンには恐らく人の気分を害する天賦の才があると思われた。彼は自然と皮肉を言い、そして自然と古傷を掘り返した。
そして彼がミュラード一世亡き後の帝国最高権力者であるため、誰もそれを指摘できなかった。
「しかし君のそれは歴史の改竄という奴だな。僕は君の姉を大切にしてる――配偶者を大切にしない君主がどこにいるか――し、それにセルビア公国は臣従と引き換えに帝国の傘の下で平和を約束された。現に今こうして僕は君に優遇政策の履行を再確認したね?
「それに一つ答えて欲しい。君の所の貴族ミロスは僕の父を殺した。それも、卑劣な事に偽りの臣従ポーズを見せて油断させてだ。何故僕の父を殺した? 君にとっては悪魔の親族だろうけど、僕にとって彼は大切な父親だった」
「それこそ、あなた方がセルビアを攻めなければ何も起こらなかった――」
「――馬鹿言うんじゃないよ。かつてセルビアが帝国であった時代、あるいはあと少しでルーム(イスラーム世界におけるローマの呼び名)の皇帝として振る舞えたであろう頃の事だが、どうやってセルビアはそこまで登り詰めたんだね? ブルガリア、アルバニア、マケドニア…これらを次々に攻め立てたのはどこの国だったかな? そうとも、それこそ今では公国レベルにまで衰退した君の国だよ。君は僕を父の仇として見てるかも知れないがこれは戦争だろ? それを言うなら、僕の愛する父を暗殺する計画を了承するか黙認した君だって、僕からすれば千度稲妻で刺し貫いてなお憎みあり余る大敵なんだ。まさか君程の立場の者が、それを知らないって?」
下馬したスルターンからは凄まじい雷光が迸り、曇天に一筋の煌めきが放たれると、それに呼応してごろごろと空が轟き始めた。
雷電を己の所有物として扱う雷帝バヤズィッド一世は憎しみに起因する激怒を抑えた笑みを浮かべ、高貴な出自らしい彫りの深い美しい顔はしかし、周囲の雷光の光量によってどこまでも暗く見えた。
「君を怒りのままに処刑しても構わないさ。だがそれを実行しない僕の内心も察してくれたまえよ。僕の言いたい事がわかったら僕を今後も陛下と呼んで、当たり障りの無い皮肉でも口にして隣で立ってろ。僕が呼べば僕の隣へ来て、下がれと言われれば実家で僕の悪口や僕への呪いでも言って、表面上平和なふりをしてろ。セルビアが勝利に貢献して商業誘致などの恩恵を得られるのは、單に雷電皇帝たるバヤズィッドがそれを望むからだと知れ。そして僕の愛するお嬢様殿下に、『夫が義弟を殺した』という歪んだ運命を与えたくないからである事もな」
雷帝は脚を動かす事無くすうっと滑ってその場を離れた。乗って来た彼の馬は怯え、〈税権騎士〉らも緊張していた。
ステファン・ラザーレヴィックは馬上で硬直し、何も言い返せなかった。
今セルビアは確かに安泰かも知れない。帝国の傘の下にいればやがては繁栄するかも知れない。
だが、自らの民族や国家が、軍事力等を背景に全く異なる国家へと不本意ながら従わざるを得ない状況というのは、どうあっても従属国の民の心を歪めてしまうのだ。
従うしかできないこの現状がどこまでも虚しく、そしてこの場にいない姉がとても恋しく思えた。
それもこれもあのコソヴォにおける敗北故に。そう考えただけで胸が張り裂けそうに思えた。
無論それだけでなく、あの怪物じみた雷帝の言う事もある程度は当たっている部分があったように感じられ、それが余計に虚しさを駆り立てた。
先程までは戦場であった場所を滑っていた輝かしきオスマンのパーディシャーはふと立ち止まって言った。
「まあ、あと数十年か数百年すれば、僕は悪魔として記録されるんだろうね。僕は即位に際して弟を殺し、そしてラザーを殺したね、だからその辺を強調して異常者か暴君として。さっきも言ったけど事実なのは悲しいけどさ。それであれかな? 僕から父を奪ったミロスなんかは英雄として祀られるのかな? ミロスとラザー、思うにいずれもセルビアにおいて殿堂入りの英雄として称えられるんだろうね、憎きオスマンの悪魔どもに喰らい付いた殉教者として。だが無情な事にそれが歴史というものだ。歴史は大抵は勝者が作って、そうじゃない部分は敗者が作るものだから。
「僕と君は似た者同士、僕はそう言ったね? なら僕という稲妻が君みたいに敗北感を胸にどこかの誰かによって自由を奪われ、籠の中で藻掻く時が来たら、どうぞその時は勝ち誇って僕を笑うがいい。辱められ、拷問され、無惨かつ無様に死にゆくパーディシャーを、苦痛に表情を歪めるカーンの中のカーンを、恥辱に震えて泣き叫ぶ聖都の従者を、どうぞ笑うがいい。まあでも、君亡き後のセルビアはともかく、僕が死んだとしても帝国はその後も続くと思うけどね」
「やあ、元帥。あそこで無様に喚いているのは君の友人かい? 君がこちらの言葉を理解できると嬉しいんだけど」
あるフランスの名のある貴族が、しかし言葉がわからないのでフランス語やドイツ語で何やら言っていた。
雷帝はテュルク諸語、モンゴル諸語、ペルシャ語等は解したが、西洋の言葉には疎かった。
「異教徒と話す口は無い、とでも虚勢を張れればよかったが…この様ではな」フランス軍の元帥はやれやれという態度を取った。
周囲では負傷したフランス人達が雑に連行されていた。歩くのが遅くてオスマン兵に蹴り飛ばされる者もいた。
「あ、そりゃごめんね。僕ってばちょっと強過ぎたみたいで。僕自身もその軍勢もね」
相変わらずどことなく人を苛立たせる物言いで雷帝バヤズィッド一世は言った。
「君に用があったんだけど…おや、あっちの彼は君が高貴な身分だと言いたいらしいじゃないか。そりゃそうだろ、だって君は元帥なんだし」
一人芝居をするようにして彼は笑った。先程から必死に元帥の助命を懇願しているヌヴェール伯は、もはや身振り手振りで慌てふためいた。
〈税権騎士〉らに取り押さえられてもなお彼は喚いた――美しい同胞愛だ。
「それで、陛下は私に何用が?」と元帥はヌヴェール伯を見つつも諦めたような表情で言った。
「まあ気張らず話そうじゃないか、ご客人。実は嫌な話を聞いてね、君達フランス軍が進軍中に略奪や狼藉を働いたとか。神聖を名乗るルーム皇帝との協定を破って多くの降伏した民を殺したね」
「私は決してそのような不名誉甚だしい行為など!」
元帥は保身よりもむしろ名誉のためにそう叫んだように思えた。彼は恐怖など微塵も浮かべなかった。
「わかってるって、人間ってのは誰でもそう言うものさ。実際、本当に自分じゃない仲間が勝手にやらかしてるものだからね。確かに君がそういう事をするとも思えない。だがいずれにしても民の死は心が痛むものさ」
「しかしブルガリア人はあなたの民では…」
「いや同じさ。帝国の傘の下に入るとはそういう事だ。君達はもし、自らの国に無害なトルコ人がいたとして、これが敵国に殺されたとして腹が立たないかね?」
「いいえ」
「つまりそういう事さ。さて、血は血で、と言うものだが…実際のところ僕自身もそうだし他の将兵も虐殺には虐殺で返すべしと考えてる。だから――」
「殺すなら殺せ、真に騎士ならば戦場で無かろうと死を恐れぬ!」
元帥は他の誰もが振り向くような大声で言った。処分するために運ばれる戦死者の死体が、担がれている途中にそのような大声が聞こえたのでどさりと落ちた。
「今の聞いたか?」と雷帝はオスマン軍及びセルビア軍をも意識して言い放った。
「これこそ騎士だろうよ。なるほど、君達の騎士道の、敵に捕まるぐらいなら戦って死ぬか、あるいは自害せず処刑されるのを選ぶそれは、大いなる目的を前に殉教を選ぶ我々の騎士道と異なる点も多いが、しかし共通する点もある。
「君は勇敢に戦った、だから君は人質として生きてもらうよ。だが、他の連中は別だぜ?」
生き残りのフランス騎士達は一同に凍り付いた。言葉がわからずとも伝わるニュアンスや雰囲気はあるものであった。
改めて読み返すと政治くせーなーというか、二つの対立する世界をあまり公平な視点で書けてないように思える。要反省。




