SPIKE AND GRINN#19
ヴァン・ナイズ向けて北上するスパイクとライアンだったが、男二人旅に思わぬ珍客が…。
登場人物
―スパイク・ジェイコブ・ボーデン…地球最強の魔術師。
―ライアン・ウォーカー/ヴォーヴァドス…事件を追ってLAにやって来た元〈旧神〉。
―グリン=ホロス…美しい〈秩序の帝〉。
事件発生日の翌日、朝︰カリフォルニア州、ロサンゼルス、国道上
ダウンタウン周辺から国道に乗ると目的地のヴァン・ナイズまでの北上は三〇分かかるかかからないかだ。二〇マイルにも満たないドライブであり、気が付けば着いていそうなものだが、ともあれ彼らは己らの身の上話を簡単に交わした。特に最近の出来事について話し合った。
「って事はお前がモンタナ山中に潜む怪異を取り除いたってか。遥か彼方の領域から飛来したクソ野郎も山奥でお縄とはな。あそこで採れる木は俺が使ってるみたいな銃弾の材料としては最高だったんだが、まあクソ野郎を潰さなきゃならねぇし仕方ねぇ」
「なんかごめん」
「謝る必要なんかないだろ。お前とその協力者のお陰でこれまでの犠牲者達も少しは魂が救われたかも知れん。少なくともあのまま野放しにしとくよりは遥かにスッキリする」
だが、とスパイクは言葉を区切りつつ続けた。
「そのダーク・スターって奴、なんか気になるな。お前はそいつと会った事は覚えちゃいるが最後の方の記憶が無い。で、自分のアウトバックに乗って帰途に着いていたところは覚えるって事か」
ライアンはどこかすまなさそうな顔をした。
「でも彼は悪い奴じゃないよ。悪巧みしてるとは考えにくいし…」
スパイクは指摘しなかったが、ライアンから聞いた話で大体流れがわかった――かつて不本意ながらもダーク・スターの同胞抹殺に携わっていたライアンが、どうしてダーク・スターの事を悪く言えようか。
しかしスパイクはどうにも嫌な予感がしたため、時間がある時にダーク・スターなる異郷の魔術師を追跡してみようと心に書き留めた。だが家の端末にそれを保存する前にまずはこれから会いに行くでぶの男を問い詰めねばならない。
ミラーで後方を確認すると『ハモンド清掃』などというロゴが書かれ電話番号も記載されている仕事用の白いトランジットが走っており、随分早起きなものだと思った。
対向車線を空のように蒼い――と言ってもその車体のほとんどは黎明のオレンジに塗り潰されているが――コブラが爆走して行くのが見え、より詳細にはサングラスの老人が放射冷却によって涼しい朝のLAにて怪物じみた愛車を駆っているというものであった。
スパイクは車の維持費に苦心せねばならないような事はなく、彼の受け取る報酬はその仕事量に見合っているか、あるいはとても効率がよいと言えた――そしてそれと比例するようにして危険度も高かった。
「ところでさ」とライアンは言った。スパイクは思案から現実へと戻った。
「どうした?」
「これから警察みたいに尋ねに行く事になってるけどさ。何かこれだけは肝に命じろというか、そういう何か気を付けるべき事ってある?」
それを聞いてスパイクはふっと微笑んだ。まるで社会見学に向かう小学生のような純真さを少し垣間見たのだ。
「そうだな、とりあえずあれだ。踏み込む時に『連邦捜査官だ!』とは絶対言うなよ。言うと相手が銃やら何やらで攻撃してくるからな」
「え?」
かつて地球の守護神であった爽やかな青年の疑問には答えず、そのまま地球最強の魔術師は走り続けた。彼らの辿った道程は地図上、殉職した警官の名を冠するブルース・T・ヒンマン記念インターチェンジで国道一〇一号線から州道一七〇号線へと切り替わっており、ヴァン・ナイズ付近の別のインターチェンジにて彼らは下に降りた。
降りて少しして信号に引っ掛かり、そしてこの頃には既に太陽が激しく自己主張をしていたものだがら、西向けて走っている現状は少しありがたかった。
アイドリング中の車内で二人が佇んでいると不意に運転席側の窓がノックされた。映画なら次の瞬間に銃撃されそうだが、敵意は感じられなかったので美しい魔術師はぞんざいにそちらへと振り向いた――この場にいるはずの無い者がそこにいた。
「あ? なんでお前がここに?」
とは言え昨夜の電話の件もあってスパイクは内心落ち着きが無かった。朝日で表情が見えにくくなっていればいいがと彼はふと考えた。彼女はキム・カーダシアンが着ていそうな濡羽色の膝上丈タイト・ドレスの上にスパイクから勝手に借りていたという黒い革のジャケットを羽織り、同じく黒系のセパレート・ハイヒールを履いていた。
正直なところ昨日は色々あり過ぎてそれどころではなかったスパイクは、彼女の服装など全く知らなかった。あるいはどこかで泊まってその際服を着替えたのか、それは知る由も無かった。
「何故、ですか。それは私があなたの相棒のような立ち位置にいるからに他ならないでしょう」
永遠の美少女ではあるもののその真の姿があまりにも美し過ぎてある種の猛毒ですらあるために人間の美少女の姿を取っている〈秩序の帝〉は、無感動な目で奥の助手席にいる者を見据えた――いずこかの甲殻類じみた大柄な種族の万神殿にて祀られるグリン=ホロスと、かつて地球を同志達と守護していたヴォーヴァドスが奇妙な邂逅を果たした。
しかし人間としての生によってある程度柔らかくなったヴォーヴァドスことライアン・ウォーカーはただならぬものを感じ、自然とシートベルトを外してドアを開けて2ドア車の後部座席へと移動した。
スパイクの黒い上着を勝手に借りていたグリン=ホロスはこの年式のカマロの特徴的な凸凹ボンネットの上を自然な動きですうっと風のように滑って助手席側へと回り込んで、開いたままのドアから助手席へと入ってドアを閉めた。それと同時に信号が青に変わった。
「人の車にそういう事するなよ!」
スパイクは抗議しながら発進した。
「私はあなたの車に傷や凹みを付けてなどいませんが。これは言葉通りの意味で、ボンネットには分子レベルの変形すらありません」
「じゃあなんだ? 先客がいたからパフォーマンスでも見せようとしたのか? それとも俺の車にご自身の匂いでも染み付かせようとでもしたのか?」
「そうですね、その二択であればどちらかと言えば後者に近いです」
そう言われてスパイクはちらりとミラーで後部座席のライアンを見た。
「今はそういう事を言うな」
「恥ずかしかったのですか?」
「よし。この話はここで終わりだな。話の打ち切りは伝説的なハーリド・イブン・アル=ワリードだって使った手だと聞いたしな」
ハーリドについては後でまたモードレッド卿に聞かなければならない。彼とどのような冒険を繰り広げたのか、そして彼が今どうしているかを。
「そこまで理屈を付ける程の事でしょうか?」
「黙れ」
「そうですか。ではこの話はまたの機会に」
「いいからもう、口を閉じて座ってろ」
怒濤の勢いで彼らは喋っていた。後部座席で蚊帳の外の元地球の守護神は、唖然としながら彼らのやり取りを見守っていた。
『目的地まで二分』
徐々に起き始めて交通量が増えようとしている早朝の都市圏外縁部にて、スパイクが運転するオレンジの名車は場違いに落ち着いたウィニフレッドの案内音声が響いた。ライアンは沈黙を破った。
「えーと…俺はライアン・ウォーカー。君は?」
己が話し掛けられている事を悟った永遠の美少女は隣で運転しているスパイクの方を見て小声で言った。
「身分を偽った方がいいですか?」
昨日は身分を偽らなかったせいでスパイクはグリンに踏み付けられたが、もしかすれば彼女はそれで己の正体を隠すべきかとでも思ったのかも知れなかった。モデルのように美しいLAの魔術師はどうでもよさそうに大きな声で答えた。
「こいつに隠す必要はねぇよ」
「そうですね。やはり彼は人間ではなかったと」
「いやいや、知ってるなら聞くなよ」
彼は溜め息と共に左手の親指でハンドルを軽く叩き始めた。
「私は星団を散歩し凍てつく星間宇宙を避暑地とする者、〈秩序の帝〉に属するグリン=ホロスです。あなたもまた尋常ならざる実体であるようですが?」
「え、ああ…」
確かに彼女は驚く程に美しいが、しかしまさか人間ではないなどと言われてもいまいち実感が無かった。やはりこの短い人間としての生において己がかつていた位置から遠ざかっていた経験が、超常的な実体との繋がりを希薄にしていたというのか。
それに彼女をあまり見ているとその行為は愛するシャーへの背信行為に思えた。彼は恋人のいないところで自由に遊ぶというような発想を持たないため、その純真さ故に座席のヘッドレストとそのシルエットからはみ出ているグリンの髪を見ていた。
「俺はかつてヴォーヴァドスと名乗った。それ以前は有害極まるあの穢れた〈旧神〉の同族だったが、洗脳が解けてからは地球を守っていた」そう言ってから彼はもう永らく会っていない友の事を想った。「クトゥルー達は元気かな…大陸が沈んでそれで…」
「〈旧神〉ですか。私が生まれる前の事なので詳しくは知りませんが、偉大なるドラゴンのクトゥルーもまた古き大戦の当事者としてそれらと対峙していた身。以前彼はそう語っていました」
「待ってくれ、彼と知り合いなのか?」
「彼があなたにそう名乗ったのかどうかは知りませんが、彼は私と同じ〈秩序の帝〉ですので。募る話もあるでしょうから――」
「あっ!」
スパイクは唐突に何かを思い出したらしかった。
「どうかしましたか?」とグリンは話を中断して尋ねた。
「どうしたもこうしたもねぇ、ショーラは!?」
スパイクの声は大きかったが、グリンはいつもの調子で答えた。
「彼女ですか、帰国すると言って帰りましたが」
「はぁ?」
「私は彼女の抱える苦悩を聞きました。それで彼女は気が楽になったのでしょう。あなたによろしくと言っていました」
「そうか、連絡ぐらいしろよ」とむすっとしていた。
「何を不機嫌に想っているのかは定かではありませんが、私はあなたが本来すべき役目、友として彼女のケアをするという役目を放棄していましたので、それで私が代わりにしたのです」
「俺には俺のすべき事があったんだよ」
「そうですが、意外と薄情ですね」
「はっ、テストと称して神としての正体表して襲い掛かって来たお前が何言ってんだか!」
また始まった。スパイクの心情が運転に現れたのか車はぐっと力強く右折したのでライアンは体勢が崩れて傾いた。見れば永遠を生きる異星の神格は恐らくわざと、短時間ではあるが地球最強の魔術師に凭れ掛かった。
「今のは?」
「険悪な空気でしたのでそれを和らげようと」
「そうか、次からは他に誰もいない時にな」
「後ろの彼に見られて何か不都合なのですか?」
「いや、何でもない。もういい」
先程グリンがスパイクの方へと傾いた際に、彼女の黄金の髪がふわりと動き、その際に彼女の香りが漂った。それを変に意識しないためにもライアンは咳払いをした。車は停車し、ワイオミング州から来た田舎者が周囲を見渡すと、そこは安い物件の立ち並ぶ住宅街であった。
「で、お前も来るか?」とスパイクはドアを開けながら後部座席向けて言った。
「ま、まあ。俺も一応は」
彼はそう答えながらスパイクが開けた方のドアから出た。グリンもほぼ同時にドアを開けていたが、彼女とは被らないようにした。彼らは無言のまま歩道を跨いでその向こうの敷地へと入り、柵も何も無い一階建ての貸家へと近付いた。ペンキは最近素人が塗り直したらしく、白い塗料の斑はよく観察しなくても目に止まった。
かつての地球の守護神にとっては映画やドラマでしかほとんど縁が無かったこのようなスタイルの家、及びそのような家が立ち並ぶ大都会の住宅街に今こうして立っているのは、それこそ刑事ドラマの撮影に己が参加しているかのような気さえして、形容しがたい不思議な気分であった。
ライアンがふと地面の芝生を見ると、黒々とした寄生蜂が幼虫らしき獲物を引き摺っていた。その光景にこの世の無常さを感じてぞっとしていた彼を尻目に、グリンは近くの水溜まりの中で微生物に寄生する菌類によってアメーバ類が餌食にされる極小世界の様を垣間見ていた。
「さて、どういう風に名乗るかね」と言いながらスパイクはノックした。数秒後重苦しい声で返事があったのでちらりと背後の二人を見つつ続けた。「あー、水道調査に参ったんですが。大家がこちらの物件をそろそろ調べろってうるさくて」
唸り声のような返事がして、それから言葉としての返事があった。寝起きのような不機嫌さがあった。
「わかった、今出ていく」
それから五秒が過ぎ、平気で数十秒経っていた。
「逃げた方に五ドル」と美しいブラックの青年は呆れた。
「先手を打ちましたか、必ず勝てる賭けですね」とグリン。
「え、逃げたの?」
ライアンがそう言い終えた瞬間にスパイクはドアを蹴り破った。
「グリン、お前は裏に回れ!」




