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FANCY NOVELS  作者: ハゲゼビア
163/302

CU CHULAINN#15

 アルスターの猟犬は遂に作業服姿の不審者を敵と認定した。東京、それも高層ビルの並ぶ新宿にてアイルランドの大英雄は追跡劇を繰り広げ、敵は新宿駅のプラットフォームまで逃げ込み…。

登場人物

―キュー・クレイン…ドウタヌキと呼ばれる尋常ならざる妖刀群を追う永遠の騎士。

―作業服姿の男…見掛けによらぬ身体能力を持つ不審者。



大阪での一件の翌日、追跡開始から数分後︰日本、東京都、新宿区


 今回はまだ甲冑を召喚してもいないが、騎士は形振り構わず駆け出した。追跡しなければならない相手は平凡な外見とは裏腹に、既に超人的な身体能力で先行していた。巨人が己の領域を守るために建造した狂ったスケールの壁のように巨大な新宿駅西側の一連の建造物の通りを隔てた向こう側、歩道から姿を消した男は見ればゆっくりと移動しているバスの上にいた。騎士は一迅の風となって常人には目視不能の速度で車道を駆け、そして一瞬――彼自身の主観時間ではそうではなかったが――遅れてから彼がその場から消えた事へのどよめきが後方から響いた。

 車や鉄道、雑多な騒音すら斬り裂いて届いたそれらを耳にしながら、しかし己の耳にそのような音が届いたなれば、少し無駄に静止し過ぎたかと思い直した。普通に考えれば音速やそれを超える速度で移動した場合、その付随する迷惑な副産物の諸現象を何らかの手段でキャンセルないしは軽減できるとしても、そのようなスピードで突っ走れば駅周辺を簡単に通り越してしまうだろう。故に所々で減速しつつもそれを少なくとも常人には目視されぬよう調整していたが、相手は嘲笑うようにこちらをじっと無感動な目で眺めながら、いつの間にか突っ立ったままで反対側のバスの屋根に移動していた。

 ポーズすら変わらぬとは言え、アルスターの猟犬の目にはその移動の過程がはっきりと見え、それ故に相手の無駄な努力を内心で冷たく評価した。しかしそれはそれとして彼らは信じられない速度で駆け抜け、何らかの作用によってあり得ないぐらい減衰した衝撃波やその他の危険な現象が歩道にいる人々を直撃し、倒れる事は無いにしても突如吹き抜けたそれらの風は彼らの注意を引くに充分と言えた。

「ヴァリアントだ!」

「エクステンデッドだ!」

「また超人同士が迷惑な事やってるぞ!」

 人々はざわざわと騒ぎ始め、このままではパニックになる事請け合いであったから、黒髪のキュー・クレインにできる事は尋常ならざる速度で相手を追い回して相手自体にも加速を促し、速やかにこの場から離れる事であった。幾ら不可視の速度で動こうと彼らの存在は既にこの場では認識されていた。

 実際のところ、彼は内心で葛藤を抱えていた。このまま相手が更に高速で逃げるように追い掛け回すとして、それは相手が別のどこかに逃げ込んでそこで予想できない何かを仕出かす可能性を秘めていた。バス乗り場付近の安全と移動先の安全、天秤に掛けるには重く思えたので彼はやむなく相手を追い回す事を選んだ。様々な未来を予想する事ができたが、とにかく彼は急加速して更に別のバスへと移動した直後の相手目掛けて飛び蹴りを喰らわせた。予想外であったらしく、一気に跳躍して来たキュー・クレインの一閃を躱す事叶わず、バスの屋根の上で盛大にずっこけ、ざあっと躰が擦れた後で何度かごろごろと転がった。相手は落ちる寸前で踏み留まり、作業服姿で普通過ぎる見た目にそぐわぬ勢いで跳ねて一気に立ち上がった。

「失礼、いきなりでしたね。こちらもあなたが何故かいきなり逃げたので焦ってしまったようです」

 冷たい声でアイルランドの伝説的な大英雄は言い放った。相手は何ら反応を見せぬままぼうっと彼の方を見ていた。突如バスの屋根の上に現れた彼らに周囲の人々は驚いた。先程騒ぎが起きた地点からは一〇〇ヤード前後離れていたものの、急がなければまたここでもパニック予備軍を起こしてしまうだろう。

「もしもあなたが不審者でも何でも無ければあなたには謝罪しなければなりません。ですので答えて欲しいのです、これから何を(・・・・・)するのですか(・・・・・・)?」

 一瞬の間を置いて、相手は全くもって無感動な声で答えた。

「我々の計画を邪魔するか。どうであれ答える事はできない」

 そして再び相手の男はその場から消え――少なくとも周囲の人々の大半にはそう見え、もしもこの中に尋常ならざる力を持つ者がいれば目視していたであろう――冷ややかな表情から固い意志を秘めた表情へと切り替わったキュー・クレインは、相変わらず黒縁眼鏡を掛けた地味な欧米人の変装のままで同じくその場から消えた。人々がパニックを起こさねば助かるのだがと心の中で願う他無く、地上だけでなく看板やビルの外壁にすらも飛び移る敵との追跡劇はその過程で誰かを巻き込みはしまいかと気が気で無かった。

 そして彼は今までそうしてきたように、目の前の危険人物を止めるために、悠長な躊躇などとてもする事はできなかった。


 敵は京王百貨店へと駆け込んだ。恐らく常人にはその残像すら掴ませぬ速度であり、それは周囲への被害をあまり考えていなかったらしく、入り口のガラスが衝撃波で割れてしまった。人々は己らの間を擦り抜けた何かに恐怖し、凄まじい悲鳴と共に一目散に逃げ出したが、何人かは衝撃波の振盪で倒れ込んだ。重大な怪我ではないようだが、逆に言えば敵はあの程度の被害であれば全く気にしないという事になる。だが更に逆に言えばこのぐらいの被害で留めようとしたという事かも知れない。

 衝撃波で飛び散った品物やガラス、壁材などが悲惨さを物語り、まるで戦場のように思えた。騎士がそこを走り抜けるとそれら悲惨物が軽く舞い、そして少し散乱した。これで敵を三〇発は殴る大義名分ができたかも知れないと、騎士は敵の傍迷惑な逃走行為への苛立ちを滲ませた。

 騎士は走りながら、かつてこの第二の生でギリシャの鍛冶神――もう永い事彼とは会っていない――から賜った鎧を虚空から出現させ、それは彼の全身を瞬時に覆った。着替える暇すら惜しいスーパーマンが走りながら己のコスチュームを服の下から出現させるがごとく、基本的には誰にも見えない速度で走りながらもキュー・クレインは準備を整えた。敵の進路、案内看板、それらから割り出すと恐らく百貨店内部から駅に降りる気であるらしかった。

 本で読んだがこの駅は一日の利用者数が世界最大級であるらしく、そしてそうであればこそ、この世界都市の仕事や観光やその他を成り立たす事ができるのであろうが、つまりそれはテロなどの標的としてはかなり価値が高い。一度でもそうした攻撃を許せばイメージや人々の心にすら傷痕を残すため、敵の目的がなんであれ食い止めなければならない。

 敵は階段目掛けて疾走し、既にそれの放つあまり軽減されていない衝撃波が周囲に被害を与え、百貨店内部でもパニックが始まりつつあった。敵にはそもそも、倫理観なるものが欠如しているのかも知れない。ならば殺してでも止めねばなるまい――例え地球のヒーローが不殺を尊ぶとしても。

「警察、救急車…その他必要だと思うものに今すぐ連絡して下さい!」

 古きアイルランドの大英雄は既に悪への怒りを静かに燃え上がらせながら、しかし減速して人々に警告を出した。「急いで避難して! 作業着姿の男が暴れています!」

 これで己よりもあの作業着を着た敵を警戒してくれればよいのだが、と彼は内心で半分諦めかけながら祈った。人々は空気を読める時もあるが、そうでない時もある、そしてそれはその場の雰囲気や状況などで左右される。ただ一つ言えるのは、一度悪いイメージが生まれるとそれの払拭は相当大変である。

 敵は階段を滑るようにして降りて行ったらしく、ここからは姿が見えなかった。騎士も突風のごとく、しかし衝撃波を何らかの力で極力減衰させた状態で疾走し、同じく大きな階段を降りた。謎の事態に驚いた人々はその場で転んだりはしていたが、概ね大丈夫そうだ――否、一人若者が転げ落ち始めた。アルスターの猟犬は相手が更に先へと進むであろう事は承知で、瞬時に髪を金に染めた黒い地毛の青年の進路上へと周り込み、下の段から支え、強引に静止させた。

「気を付けて、ついでに早く逃げて他の人々にも警告を」

 相手と目が合ったがそれも一瞬、次の瞬間彼は既にどこにもいなかった。派手は服装でだぼだぼとしたパンツを履くその若者は二秒程混乱したが、即座に立ち上がり、己の服の埃を払う事すらせずに逃げ、そして大声でみんな早く逃げろと叫んだ。

 騎士は敵がふと立ち止まっているのが見え、己もまた立ち止まったところで先程助けた青年の声が音速で追いついた。素晴らしい、ヴァリアントだのエクステンデッドだのを嫌うとされるこの国でも、人々は非常時らしい行動を取ってくれた。

 敵の男は相変わらず無感動な顔をしたまま、しかしそれに似合わぬ大胆なポーズで右手をこちらに向けてきた――何も見えない、十中八九レーザー。騎士は今までの経験に助けられてレーザーを躱し、己の背後で仰向けに股を開いて階段で倒れていた男の股の間を焼き、ズボンが焦げて熱波で低温火傷を負ったその男は絶叫しながら一目散に階段を駆け上った。ここまでは騎士の計算通り、強いて言えばあの低温火傷も防ぐべきであったか。

 レーザーを読まれていた事は敵にとって、超人的な速度で動ける彼らの主観における一瞬、次にどの手を打つかまでの迷いを生み、騎士は即座に出現させた投げ槍を投擲した。大勢の人々が逃げ惑う中、信じられない速度で発射された投げ槍を敵は辛うじて回避したが、しかし横腹を掠めて作業着が削られた。

 そして大英雄キュー・クレインの猛攻はこれにて終わらず、己の投げた槍よりも速くその向こう側へと移動していた彼は敵の背後で槍を掴みつつ、一回転しながら突きを繰り出した。だが感触が無く、彼もまた一瞬遅れてから空振りから立ち直り、相手の行方を追った。追いに追い、彼らは百貨店に入ってから一連のやり取りを経てまだ三〇秒しか経過していなかった。彼らは三〇秒で改札エリアまで到達した。

 広い改札口のゲートを通り越した敵は振り返り、改札の機械を蹴り飛ばした。キュー・クレインは即座に盾を構え、飛来する機械目掛けて突進した。機械はかなり重く、まるで砲弾じみていたが、しかし騎士は盾でぶつかって一方的にそれを粉砕した。弁償は敵にしてもらおう。

 敵が改札口から急発進した影響で地震のごとく証明が点滅し、切符売り場のタッチパネルやその上の電光板が幾つか叩き割れた。悲鳴、怒号、それらを聞くとキュー・クレインの怒りは更に燃え上がった。


 駅構内は思った以上にそれぞれの道が広く、以前訪れたどこかの城のように入り組んでいた。だが敵の痕跡は充分に追える、何せ相手はそもそも衝撃波をあまり消そうとしていない。形振り構わず逃げているようにも見えた。

 やがて敵は一つのプラットフォームへと降り始めた――不味い、人の密集地帯だ。一気に階段を飛び越えて降りた敵はそこで階段の上まで到達した騎士と目が合った。敵は周囲の人々から注目を浴び、着地した際に何人かがぶつかられて転倒した。怒った誰かが殴りかかったが、敵はそれを見もせずに裏拳で薙ぎ倒した。やはり殺傷とまではいかないが、しかし殺さない事に何かの意図が透けて見えるような気がした。

 キュー・クレインは抜剣してそれの切っ先を階下の男に向けた。

「あなたと私、この両者以外に被害を出すのはやめなさい。あなたの目的とやらがどうであれ、既に少なからずこうして被害を出している時点でそれが実行されるべきではないのです」

 異変を感じた東京市民――及びそれ以外の人々――は階上及び階下の両者の周囲から距離を話した。何人かが携帯で撮影していたが、騎士は厳しい声で早く逃げるよう言った。久々に地球へと帰還し、己が不在であった間に訪れたそれぞれの国や地方にどのような歴史があったか簡単に調べたものの、戦後復興した東京で起きたアライアンスの事件は最悪であった。この国の昭和という歴史区分の内の戦後史においても他の大事件にも並ぶ恐ろしい事件であり、あるいは犠牲者数で言えば戦後最悪のテロ事件とも言えた。

 己の生まれた国にそのような激烈極まる攻撃を仕掛けるなればそれは並大抵の事ではなく、余程の事が無い限りそのような事はするまい――つまりアライアンス首領のケンゾウ・イイダは戦時中の軍における人体実験で余程の苦痛を味わい、それ以外にも異能や異形の肉体を持たない普通の人間によって余程の差別を受けたのかも知れなかった。

 なんであれそれに匹敵する事件など起きてはならないし、ここでなんとかしなければ――。

「我々の邪魔をするな、と言った。無視するとは。ならば仕方ない」

 敵の男は指をぱちん(・・・)と鳴らし、それから一拍間を置いてから周囲の空間が歪み始めた。途端に濃密な家畜小屋じみた悪臭が充満し、騎士はこれから何が起こるのかを察知して一気に階段を飛び越えた。茶色い半透明の脈動する太い腕のようなものが歪んだ空間から出現し、それが一人で遊びに来ていたと思われる小学生らしき男児を無造作に掴んだ。絶叫、恐怖、絶望。振り回される男児が這い出てきたそれのぬた鰻じみた口に放り込まれるその瞬間、割り込んだキュー・クレインはそれの顔面を斬りつけた。

 怯んだ隙に盾で一撃、更に追撃として盾を頭部に振り下ろした。尋常ならざる怪力で繰り出されたそれは、悍ましい怪物の息の根を止めた。

「公共施設でグリッター・プレイトリアンを召喚するとは見下げた行ない、あなたを殺す事も視野に入れねばなりませんね」

 かつて己の王から賜り、女領主との決闘で砕け散り、ギリシャの鍛冶神の手で再び鍛え直してもらった素晴らしい直剣はいつの間にか、出現しようとしていた全てのグリッター・プレイトリアンを屠っていた。生前は猛々しい戦士として名高く、世界中でもそのイメージで知られるキュー・クレインのそれとは思えぬ冷え冷えとした目と声とが冬の冷気のようにすうっとプラットフォームを満たし、それが逆に逃げようとする人々の冷静さを取り戻したらしかった。

 一回しか行った事ないので駅と周辺の描写は適当。

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