SPIKE AND GRINN#13
イサカの力を模倣したらしき男が現れたが、様々な怒りに突き動かされたスパイクはそれを一撃で倒した。彼はクレイトンと共にこの男から事情聴取を行なう。
登場人物
―スパイク・ジェイコブ・ボーデン…地球最強の魔術師。
―クレイトン・コリンズ…地元市警の刑事。
―ホワイトアウト…スパイクと協力し合っているラテン・アメリカの魔術師。
―グリン=ホロス…美しい〈秩序の帝〉。
―トウゴ・マスダ…スパイクと付き合いのあるジョウヤマ家を逆恨みする日本の魔術師。
七〇年代後半:詳細不明
「で、あの空飛ぶ三角定規の強化版は空飛べない俺がどうやって倒せばいいの?」
ハーリドは極めて現実的で重要な問題について触れた。
「さっき君は無手で構えもせずに空間操作を破壊したじゃないか、あれで殴る…いや君の場合は斬る? プロフィール欄にはなんと?」
「少なくともプロフィール欄にはこう書いたよ、一回あれで斬ると暫く使えないって」
イスラームの益荒男はやれやれと思いながらも飛来し始めたプラズマを抜剣して斬り裂き始めた。有り触れた細身の直剣は彼が持つと、剣そのものである彼の外縁として機能し始めた。〈神の剣〉としての在り方が尚更、手にする剣という武器に神聖な力を纏わせているらしかった。
だが全ての敵が飛行している現状では攻め手に欠けている事は否めず、ひとまずは二体の逆三角形の正四面体が放つプラズマの連射を捌くしかなかった。更に上空ではあの巨大なドラゴンが旋回しており、それがいつ攻撃を敢行するかという事にも注意を向けねばならなかった。
卿は野太刀状の妖刀を上段にして刃を前方向けて構えながら回避や防御をしつつ隙を見て飛び上がった。
「そうか、では君はさっきああして気障にあの実体が放った空間の握り潰しを斬り裂いたものの、あれは単にその場のノリだったと。お陰で今はリチャージ待ちか。我々は空飛ぶピラミッドと空飛ぶ巨龍に追い回される事になると主がお定めになったらしい」
「いいじゃん、たまにはびしっと決めて。おたくが飛べるなら攻撃任せるわ…いや待てよ、それいいわ。ピラミッド…確かにそれだわ。空飛ぶピラミッド」
「使うなら来世では版権料を払ってくれよ。君程の人物なら天国でも多くの富を与えられるだろうから」
彼らが今いるのは惑星一個よりも遥かに広大な範囲へと散らばった破片の一つであり、その大きさはせいぜいほぼ二〇ヤード程度のぎざぎざな円形であった。元はどこかの街道だったのか未知の石畳が一部に見られたが、それらは降り注ぐプラズマで所々が溶解された。
別の足場も周囲には無数に点在し、それらは宇宙空間であるにも関わらず大気と一定方向への重力が存在するこの領域で空飛ぶ島のように佇んでいた。
「ところで君は最初に会った時自分が高次元存在の武器だったと言っていたじゃないか。それなら空を飛んだり明日の天気を当てるぐらいできるだろう」
「いやあのさ、その気になったら飛べるのとおたくみたいに気軽に飛べるのは全然違うと思うんだけど」
「私も飛び続けると疲れるが」
「俺も走り続けると疲れるよ。トルコの虎野郎は馬で地平線の彼方を何度も何度も跨いで、そのままポロに興じたと聞いたけどさ。あとここじゃ明日の天気は隕石かもな」
「そして今日の天気はプラズマ雨か、例年以上の降水量だな!」
彼らが話す間にもプラズマが飛来し、直線的にランダムな方向へ動く逆三角形の内一体が己の周囲を周回し続ける触腕状の機械に一際眩い金色を放たせると、静止した本体のすぐ真上に出現した金の門から金に輝く物体が複数発射され、それは明らかに有害であり、そして追尾性もあるらしかった。
それぞれがランダムな方向からモードレッドとハーリドに襲い掛かり、彼らはそれの対処に追われた。
卿は高速で接近するミサイルじみたそれらと追跡劇を演じていたが、精悍なイスラームの益荒男は己の周囲をまるで獲物を狙う鷹のように旋回しながら時折突っ込んでくるそれらを最低限の動きで躱しつつ斬り裂くタイミングを図った。何度か斬ろうとしたがそれは直前ですうっとずれて彼の剣を逃れた。
更には上空にいた触腕を備えた半機械のドラゴンは威圧的に高度を下げてそこで止まり、羽ばたいて静止したままハーリド目掛けて、明らかに己のものではない金色の触腕じみた機械の先端から何かを連射し、それらは凄まじい勢いと轟音とでそこらを蹂躙せしめた。
空からの制圧射撃のごとき凄まじさはさすがはドラゴンの一種であると言えたが、それは彼らにとって脅威でしかなかった。
「モードレッド! おたくがミサイルとダンスするのが上手いのはよーくわかった、後でそれについて本でも書いてやる! どうでもいいからこっちも援護してくれ!」
険しい顔と髭が与える厳粛そうな印象と裏腹に嗄れ声で意外と普通の言葉を吐く〈神の剣〉は、制圧射撃とミサイルの嵐の中で剣を振り回してとにかく回避と防御に専念していたが、地面が次々と焼かれて吹き飛び、飛び散る地面の破片すらも己に飛来すれば斬らねばならないのでとても大変そうであった。
地面は巨人が歩いているかのように揺れ、溶解した石畳が異臭を放ち、金色の爆発がそこらで乱舞して彼の動きを制限し始めた。彼らが権力やその他の力によって超人的な力を手に入れていなければ既に鼓膜が著しく損傷し、内蔵すらも振動で破れ、眼球は脳と共に血に染まっていたであろう。
「大丈夫だ、君が戦場にいる以上つまり我々が勝利するんだろう!? 私も君が銃弾とのダンスの名人だというのがよくわかったよ!」
飛行して追尾弾から逃げていた卿は急停止して振り向きながらそれらの幾つかを爆砕し、擦り抜けて再度襲い掛かって来たものは刃を左手で握るドイツ的な剣術の構えで長大な刀を棒術のように持ち、フェイントと共に迫る最後の追尾弾をその切っ先で突き刺し、その間にも迫るプラズマ数発は拳で強引に捻じ曲げた。
彼が手にする妖刀ドウタヌキは明らかに戦場のそれであり、無骨でもあり、そして古風でもあった。
明らかに尋常なる製法ではない過程を経て鍛えられたこの刀は各地に出回って混沌を生み出し続けている他のドウタヌキとは違って刃を潰されており、神格が関わり信じられないまでの強度を誇っていながらも刃溢れ防止のため刃引きされているなれば、それは同等以上の武器と恒常的に打ち合う事を想定していると思われた。
切れ味よりも耐久性を重視しているようでもあったが、しかしベースとなっているのがイギリスを中心とした西洋の剣術である卿にとっては鈍い刃は握る事も可能なため、非常に扱い易かったのであった。
「おたく最低だな!」
アッラーの抜き身の剣として名を馳せたハーリドはその実モードレッド以上の卓越した剣術と体術とによって攻撃を凌ぎ続け、目下の問題はあと数秒で崩壊するであろうこの足場を放棄してどれに飛び移るかであった。
彼らは各々で対処を続けていたが、そろそろ反撃に転じなければなるまい。彼らはこの領域での戦いにいきなり巻き込まれ、そして状況はあまり掴めていなかったのだ。
二番目の事件現場到着から数十分後:カリフォルニア州、ロサンゼルス、グリフィス天文台
夕暮れ近いグリフィス天文台の丘に奇妙な男が現れた。漆黒の焔そのものであるあのイサカの優美な甲冑を人間に可能な範囲で模倣したものを畏れ多くも纏い、その顔にも見覚えがあった。ショーラの父ススムの弟であるシンヤとはあまりスパイクも面識が無かったが、以前彼と会った時点で彼が追っていた男でほぼ間違いないとスパイクは確信した。
ススムの実家であるジョウヤマ家は日本有数の魔法使いの家系として知られたが、戦後の混乱期から更に頭角を現したジョウヤマ家と違って表のビジネスで立ち直れなかったマスダ家は衰退し、かつて己らより下流であったジョウヤマ家の隆盛を逆恨みし始めた。
目の前にいるトウゴ・マスダもジョウヤマ家の脅威の一人であり、三杯目のジン・トニックを飲みながら「ガキの頃から兄貴は俺が守った」と語るシンヤが日本特有の開閉式携帯で見せてくれた写真の男であった。
明るく社交的なススムとは違いシンヤは渋みがあり、多少物静かだが寡黙というわけでもなく、独特の威圧感があった。嗄れた声は太く、顔は実年齢より歳上に見えた。正反対ではあるが兄を案じてきた彼は今頃その悲惨極まる死をどのように受け止めているのであろうか。この阿呆を捕まえたらその時に電話する予定であった。
周囲の警官隊はマガジンを取り替えたりショットガンの弾を詰め替えたりした――対超人用の強力な殺傷弾、コンカッション技術が使われていた。
「俺は神になったんだ! 遂に、遂に、遂に! 傲慢なジョウヤマのクズどもを引きずり下ろして屈服させてやる!」
半狂乱の笑い声を上げるマスダは明らかに己の本懐をこれから遂げられる事への歓喜に満ち溢れ、恐らくは正気を半分近く喪失し、そして正常な戦略眼が喪われていた。でなければ己の殺人を認めるような、こうした自己顕示的行動には出まい。
そしてここにいるのは地球最強の魔術師であった。ウォード及びズカウバの両局面でもなく、ほとんど伝説的なテンプル騎士のセオドア・ルースやアレイスター・クロウリーでもなく、そしてその他の現代の魔術的豪傑達でもなく、彼こそが最強であった。
「何年待ったか! 我が一族の悲願が遂に! 遂に俺はここまで辿り着いたのさ、ああそうだとも! この俺がススムを半殺しにしてその嫁を――」
「おい、マスダ!」
いい加減腹が立ってきたスパイクは大声で呼び掛けた。そしてつい彼の方に目を向けた上空のトウゴ・マスダにさっと銃を向けた。
かつてアメリカ最初のヒーローチームの初期メンバーが使用し、様々な因縁や接触によって魔術的な力を秘めるようになった六連式リボルバーは、トリガーを引いた事でその内部に装填された特殊な木の削り出しが消耗されて詠唱を代替し、その燃え滓じみた煙が銃口やマガジンから漏れ出た。
「さっきからうるせぇんだよ、コックサッカー!」
本物のイサカがかつて何かと交戦した際に放った風の残留が遥か彼方の領域にまだ存在していた。そしてスパイクはそれの存在を知っており、それを指向性で召喚してぶつけた。
真上からいきなり出現した限られた範囲に作用する暴風は激烈な勢いでイサカ気取りの愚か者を打ち据え、劣化品でしかないレプリカの甲冑がある程度その威力を低減させたものの、しかし結局は甲冑も無様にも崩れ落ちて消滅し、地面へと叩き付けられて陥没した。天文台の広場に小さなクレーターが形成されて突風が駆け抜けたものの、とにかく無力化はできたらしかった。
スパイクは不意に煙草を吸いたくなってきたため、ぶっきらぼうに背を向けて言った。
「もう大丈夫だろ、そのシットを連行しよう」
一時間後:カリフォルニア州、ロサンゼルス、市警署内
何かしら特殊な能力や技能を持つ犯罪者を連行したり拘置したりするのは簡単な事ではなく、拘束し無力化するための手段が必要となる。重装備の警官隊、薬物、専用の拘束具、あるいは同じく超人的な力を持つ護送者の同行。
未知の金属で全身が覆われているマンゴネルという名で知られる警官が己の経験した様々な護送での苦闘を記した本がベストセラーとなっているが、とりあえず今回は手錠を嵌め、魔術的な行為を実施すると一気に体力を消耗して猛烈に眠くなるグリッター・プレイトリアンの触覚で作ったバンドで抑止して連行した。
暴れようとしたトウゴ・マスダが異界の法則をこの現実に適用しようとして意識を喪ったので護送そのものは楽であった。
未知の脅威に備えた防護服を着た警官達によって担がれ、そして窓の無いコンクリートで囲まれた取り調べ室へと辿り着いた。
「さて、合衆国にはミランダ権利という奴がある。お前が連行される時に聞こえてなかったならもう一度説明してやるが」
無力化された状態で目を覚ましたマスダにクレイトンは冷たく、どこまでも見下す調子で告げた。
「とは言え」と彼は続けた。「話さないなら今後どうなっても俺は知らないぞ」
マスダは黙ったままであった。目も合わさないが、しかし同じ部屋にクレイトンだけでなく己を打ち負かしたスパイクまでいる事実には言いようのない不安と、プライドをずたずたにされた怒りとが入り混じっていた。よもやイサカの力を手にしたのにただの一撃で己が倒されたなどと、認められようか。
イサカと同様の力を経たと彼は思い込んでいた。あの恐るべき、そして空にも宇宙にも果てが無いようにどこまでも美しき風のイサカを研究し、失敗し、挫折し、しかし執念を糧に泥水を啜りながらも生き永らえ、そしてイサカに到達できたように思われた。
繁栄を謳歌するジョウヤマを叩き落とす執念が彼の失墜した魂に火を付け、そして得られた神の力。理論上は惑星ごと粉砕する事とて容易く、数段上の文明を軽々と滅殺し星系を滅ぼす事すらできるはずの力。しかしそれは本物のイサカの足元、それどころかただの残り滓にすら及ばぬという事実を突き付けられ、それを実行したのはラゴスの首席。
そしてその首席卒業したブラックの青年が、歪んだ執念に突き動かされながらその中途で急停止させられた男に無慈悲な言葉を告げた。
「いいか、然るべき調べ方をすれば天文台の死体からお前がやったって証拠は簡単に検出できる。お前が殺しを否認するならだが」
するとプライドのせいか、マスダはそれに大声で答えた。顔は確かに整ってはいるが長年の負の感情への依存症が彼を化け物に変えたらしく、彼の全体像からはイサカになろうとした事は差し引いても非人間的な要素を感じる他無かった。
「俺は神になったんだぞ! それがお前みたいな出生もよくわからないような輩に!」
「そうか、次母親の事を言えば生まれた事を後悔するだろうな」
『母親』とまでは言わなかったのに母親の事と解釈したスパイクの様子に少し気をよくしたのか、マスダは再び苛立ちをぶつけた。
「あの中年親父を引き摺り回してる最中に得られた全能感は、もうジョウヤマの奴らにデカい顔させないで済むはずの未来への切符だったんだぞ! それをお前が邪魔しやがって――」
そこでスパイクは激怒し、マスダの心を侵食して拷問した。彼が知るススム・ジョウヤマはイザイア・ゴドウィンに殺された――マスダはススムの死を知らないのであろうが、とにかく逆恨み及び今回の殺人が腹立たしかった。
「クソ野郎、聞こえてるか? お前が殺したのは道端の石ころじゃなくて一人の人間なんだよ。彼にはお前の知らない物語があって、それが多くの人々に希望を与えてたんだぞ。それなのにこのマザファッキン・ビッチが、お前は自分のクソ下らねぇ逆恨み復讐のために無関係な彼を巻き込んだんだよ! ああ!? イサカの犠牲者がどんなに苦しみながら死ぬかお前考えた事もねぇのか?」
クレイトンは一体何が起きているのかわからなかった。マスダはいきなり苦しみ始め、スパイクは彼に触れてすらいない――だが彼が何かやっているのはわかった。だがマスダが殺人犯なのでクレイトンはスパイクを静止しようとはしなかった。
マスダは首を締められているかのように呻き、苦しそうな弱々しい息が漏れていたが、スパイクは乱雑にそれを停止して解放した。
「もういいわかったわかった。クレイトン、このアホはソリチュードの最重警備の独房にブチ込もうぜ」
「そりゃいい、こいつは社会のゴミだからな…そう言えばオカルト野郎、お前が寝てる間に東京の警視庁から感謝の電話が入ってたぞ。向こうも負担は負いたくないらしくてお前をこっちでブチ込んでくれるなら喜んで任せるだと。お前は生まれた日本には帰れないし、異次元だかなんだかの地獄送りになるな」
ソリチュード刑務所は対超人用の刑務所と拘置所の両方を兼ね備えて運営されており、アメリカの危険なヴィランなどがここで刑期を務めていた。
異位相の月の裏側に存在し、どこまでも底冷えする黯黒の世界であった。最重警備房ともなれば脱獄対策のためそもそも房内の照明すら存在せず、分厚い扉が何重もあり、中は普通の独房程度の広さしかなかった。
そこは誰も話し相手などいない、あらゆる能力が無効化され、あらゆる技能も使えず、とにかく地獄としか言いようが無い場所であった。人間の精神は永続的な闇には本来耐えられないのだが、この独房はとある筋から得た技術で収容者を発狂させないようにしている。
収容者は全裸で入れられ、排泄物や老廃物は自動的に洗浄される――その度に房内全体が収容者ごと洗われ、その度に収容者は尊厳を酷く踏み躙られた気分となる。何度もこの措置を巡って残酷過ぎるという議論が起こったものの、凶悪犯罪の増加もあって世論には賛成及び継続の声も多かった。
さすがにマスダとてこれから己がどうなるかを悟ったらしく、急に静かになった。二度と日本に帰国できない、それは腹をナイフで刺されるような激痛に思えた。スパイクはそれを待っていたとばかりに問い掛けた。
「いきなり乙女になったか、ああ? そうか、じゃあ答えろ。お前の事は既に調べてある。はっきり言ってお前ごときの実力で、イサカの劣化品になるだなんて到底不可能だろ、違うか? お前は魔術師としちゃススムやシンヤからしたら鼻クソみたいなもんだ。実際お前はまだ活動してるマスダ家の連中と比べても下の方だ。つまり、ああ? わかるか? お前じゃ絶対にイサカごっこなんて単独ではできないんだよ」
そこでクレイトンが口を挟んだ。
「えーとつまり…さっきのあの派手なコスプレと殺人はこいつ単独犯じゃなかったのか?」
「殺人自体はこいつの単独かも知れねぇが、そこまでの過程はまずこいつにはできない」
マスダは拘束されたままで椅子に座り、机すらないこの取り調べ室で二人はマスダの正面に並んで立っていた。
「そうか…おい、人殺し。お前は殺人に加えて色々な危険行為で懲役は一〇〇年を超えるだろう。それか単純に死刑。もし嫌なら誰と組んだか話せ、どうせ庇うような義理なんぞ無い相手だろうが? 弁護士を待ったところで何も変わらないからな。もし話すなら通常の超人房で懲役四〇年か、上手く行けば三〇年ぐらいにするよう掛け合ってやる。しょうもない国選弁護人なんぞを待つか、それともここでマシな方を選ぶか」
そう言うと彼は背を向けた。退出しようとする彼にスパイクも続き、そしてクレイトンの代わりに付け加えた。
「俺達が部屋を出たらオファーは終わり、お前は真っ暗闇の中で楽しい余生を送れるな」
実際のところ『アタック・フロム・ジ・アンノウン・リージョン事件』でイサカ召喚に関わった連中が逮捕されると死刑か終身刑のオンパレードであった――懲役六〇〇〇年を超す者さえいた。
「わかった、わかったよ!」
「何が?」
「俺の協力者を教えるから勘弁してくれ!」
スパイクはクレイトンと目を合わせ、彼らは無言で頷いた。
「よーし、いい決断だ。これで俺とお前両方がハッピーになれる。それで誰だ? どんな奴だ?」
マスダは絞り出すような声で言った。
「俺を保護してくれよ?」
彼は共犯者からの報復を怖れているらしかった。
「大丈夫だ、あそこの警備は厳重だからな」
「わかった…その、カリフォルニアを拠点にイサカを研究してたら…半月前にいきなりアフリカ系の男が接触してきて…名前はロバート、ロバート・スティルマンだった!」
スパイクははっとしてクレイトンとマスダの会話に割って入った
「そいつの身長は六フィート三インチぐらいで髪はクルーカットだったか?」
「ええと、確かそうだった。背が高くて髪も切り揃えてた」
「最後に会ったのは?」
「今日俺が死体遺棄した後に会って…ヨーロッパから帰国したとか言ってた」
スパイクは舌打ちした。
「どうした?」クレイトンは怪訝そうに尋ねた。
「ロバート・スティルマンの名と外見はガティム・ワンブグが使ってる偽IDの一つだ」
「誰だそれ?」
「超一流の魔術師にしてケニア史上最悪の殺し屋兼傭兵『肉屋のワンブグ』がアメリカに入国してやがる。各所に警告しないとヤバいぞ」
「そう、ああ。ワンブグがこっちに」
スパイクは署の玄関口のすぐ外で電話を掛けた。事件は振り出しに戻ったのかも知れない。第一と第二の事件は無関係かどうかはわからないが、少なくとも別々の犯人である事はわかった。当然ながらマスダも午前中に出現した死体の事は知らない様子であった。
『最低だな。ブダペストで何かやって次はそっちか。正直言って俺はあいつと戦うのが怖いが、まあやるしかない』
「耳のホルマリン漬けは受け取り拒否にしとくよ」
『勝手にしろよ。ところで、別にお前が奴を見付けたらそのまま殺すかブチ込んでもいいんだがな? お前が一応地球最強の魔術師なんだろ?』
「ああ、まあ、その気になれば〈ファンダメンタルズ〉とかいうののグラヴ・シェヴァリアとかいうの相手にやり合うぐらいはできたな。二度とやりたくねぇが」
『そう言えばお前、ルリム・シャイコースの一件はどうなった?』
「まだ何も」
『不気味だな。気を付けろよ。俺もそっちに行ってワンブグを追う』
「そう? じゃあまたな」
『ああ』
それから彼はふと思い出してグリンに電話した。神ないしは天使が携帯電話を持っているという事実はなかなか興味深かった。何度か呼び出し音が鳴り、それから彼女が出た。既に夕陽がロサンゼルス全体を赤く染めていた。
「もしもし?」
『なんでしょう?』
「そっちがどうなったのかと思ってな」
それからスパイクは今日あった事をグリンから聞き、己も今日あった事を話した。
「お前には悪い事をしたな」
『いきなりなんですか?』
「俺は事実から目を背けたかった。ダチが化け物に成り果てて、別のダチの親が殺されて、とにかくそういう辛い事実から逃げたかった時に仕事の電話、俺は走ってそっちに逃げて、そっちに集中して、そっちで全力で哀れんで全力で怒って。お前は本体ショーラと友達の俺がやるべき事を文句も言わずにやってくれた」
彼は声を細めてそう言った。たまたま彼女がいなければ、己はショーラを放置して事件に逃げたのであろうか。もしかすれば彼女は狂ったかも知れなかったし、それは単なる考え過ぎであるかも知れなかった。
『私が文句を言っていないと何故わかるのですか?』とグリンは調子を変えず冷淡に言った。
「とにかくお前に感謝してる。ありがとよ」
『そうですか、私もあなたの上着を借りて外出していますので、それを対価としましょう』
スパイクは急に恥ずかしくなった。
「ハァ? お前何やってんだ?」
『私は紛れも無く神ではありますが、矮小な人間であるあなたの事は少々気に入りました。ですのであなたの香りを感じられる上着を借り、ショーラと観光に興じました』
「それ言ってて恥ずかしくないのか?」と呆れ気味に尋ねた――答えは知っていた。だが彼女のような美少女にそうした感情を微かでも持たれている事実には心穏やかではいられなかった。
『人間のあなたであれば恥ずかしいかも知れません。しかし我々は永遠を歩み、星の一生を見守り、太陽風に吹かれながら散歩をする。そのような我々にとって人間社会における恥ずかしいというのは束の間の事に過ぎないのです。人前でくしゃみした事をいつまでも引き摺りはしないでしょう?』
「そうか。じゃあ俺と下らない漫才した事もすぐ忘れそうだな」
皮肉気味に言ったが、グリンがそれをどう受け止めるかはわかっていた。まだ短い付き合いだが彼女がわかってきていた。
『それはどうでしょうか。永く生きましたが、恋愛感情に発展しそうなのは今が初めてですので。あなたは言葉遣いが汚く、気障で、禁煙も下手ですが、しかし強い正義感を持ち、弱者に優しく、心身共に美しい。あなたは初めて会った時も私が自殺でもするのかと思って駆け付け、度が過ぎて怪我をした私を案じ、更には私の同居を許しました』
「そういうの恥ずかしくないのか、いや恥ずかしくないんだろうな」
スパイクは面と向かって話していないという事実に感謝した。空の赤みは彼の頬の変色を隠した。
『はい、事実を述べているだけです』
次話辺りからやっとワイオミングの〈旧神〉ライアンとクロスオーバー可能か。




