SPIKE AND GRINN#10
早くも二番目の犯行。冷たくなった犠牲者の遺体が無惨にもグリフィス天文台の丘に横たわる。一方で、かつて繰り広げられた〈神の剣〉の参加した闘争にも触れる。
登場人物
―スパイク・ジェイコブ・ボーデン…地球最強の魔術師。
―クレイトン・コリンズ…地元市警の刑事。
調査開始から数時間後︰カリフォルニア州、ロサンゼルス、ダウンタウン、ドープ超自然事件対応事務所
自室に差し込むブラインド越しの日光がとても冷たく思えた。まるでバケツをひっくり返す土砂降りに全身を濡らされたかのような。
実際にはそう錯覚せざるを得ないような、あまりにも残酷で腹立たしい事件であった。
「俺も色々な事件を見て、それで色々思う時はある」とスパイクは言った。己の意思を表明せずにはいられなくなった。
『それで、何が言いたい?』
少し間を置いたが、電波の波の向こう側でクレイトンはそのように尋ねた。
その言い方が少しむっとしているようにすら聞こえた。それに引っ張られてか、スパイクは言葉遣いが自然に汚くなった。
「俺はよくクソったれの黒幕にはキレそうになる。あんたも毎日そういう想いを?」
先程以上の間が空いた。しかし不愉快な気分であるとかそういう事ではなく、相手は深く考えているような空気を漂わせた――スピーカーから息遣いが聴こえ、かつてはかなりハンサムであったと思われる東南アジア系の刑事は答えた。
『…時々、相手が半身不随にでもなるぐらいブン殴ってから、ハリウッドのHの文字へ磔にしてやろうかと思う事がある。今回みたいにな』
「同じ気持ちでよかった」とスパイクは陰湿な声で同意した。
『ああ、向こうで会おう』
通話を終了し、スパイクは部屋の端まで歩き、彼はそこでどっかりと腰を下ろして背を壁に預けた。彼はまだ見ぬ、知りもしない犠牲者の今の心境についてふと考えた。
死者がどういう風にどの程度思考を保てるか否かは状況や条件によって異なる。
それはともかくとして恐らくその犠牲者はこうして電話中の会話で微妙な空気になったり、自室の壁に凭れて『ムカつく』と考える事はできなさそうだなと思い至った。
気が付けば目はぎろりとして怒りに燃え上がり、この時ばかりはふとあの忌々しい喫煙欲が退却して行った。
それに気が付いた天井の染みじみた影はつまらなさそうにその姿を消し去り、それを契機にオカルト探偵のスパイク・ボーデンは立ち上がって出発の支度を始めた。観光名所のグリフィス天文台をふざけた幼稚な意図に穢され、そして人が死んだ。
スパイクは犯人のいつまでも続くと思われた『本人視点の平穏な毎日』を必ず叩き潰し、裁判に出廷させてやると神に誓った。
数十分後:カリフォルニア州、ロサンゼルス、グリフィス天文台
名優ディーンの頭部を模した記念碑の彫刻がいつもより悲しそうな表情に見えた。現場は場違いに肌寒く思え、特に遺体の側は顕著であった。
近付いてきたスパイクに気が付いたクレイトンは彼に駆け寄り、また会った事を祝する軽い握手をしてから現場を紹介した。
「一日に二人? 正気じゃない」とクレイトンは忌々しそうに言った。
午後の斜陽となった陽射しが眩しく、気温自体は下がったものの、ホワイトアウトの言っていたような酷い土砂降りはこちらでは見られず、とてもよい天気であった――不気味なまでに。
「また冷え切った死体か」
「ああ、見ての通りな。あんたから見てこれはどうだ? 最初の死体と同一犯に見えるか?」
刑事にそう問われ、オカルト探偵は改めて死体とその周囲の全景を眺めた。
冷気が漂い、繋ぎの作業服姿で仰向けに倒れた男性の遺体は五〇代の赤く日焼けしたハワイ系の横顔を覗かせていた。先住のハワイ系にアジアやヨーロッパのあらゆる民族の血が混じっているようだ。
彼にはどのような不思議なルーツとドラマがあるのかはわからなかったが、少なくとも彼の物語はここで終わっており、それを思うと無性に腹が立った。
そしてあのイサカの犠牲者特有の恐るべき表情。これこそが午前中に発見された犠牲者との最も濃厚な共通点であった。
「どうやら同じクソが彼を殺したみたいだ。まだ説明してなかったから後で具体的にどういうプロセスか説明するよ、今言えるのはこの殺人は専門家の目から見れば恐ろしいぐらい残酷な殺し方って事だな。そこで聞きたい、殺人だとかそういうのの専門家であるあんたから見て、この二件にはどういう法則性がある?」
するとクレイトンは生えかけの頬髭を撫でながら答えた。陽射しは優しいものへと変わりつつあった。
「最初とは性別も人種や民族も全く違う、ついでに年齢層も。最初は若くてこっちはいい歳だ。それに…これがあんたの言う通り残酷なやり方だってんなら、それを少なくとも二人に実行してるならあまり良心がありそうな犯人じゃないな。多分イカれてる」
「さすがだな、同じ事を考えてた」
「本当に?」
「あ、ああ。マジだ。で、だが…何か進展は?」
天文台のある丘から見下ろせる、LAのとんでもなく莫迦げた大きさの街並みが少し霞掛かって存在しており、街は今日も善悪無数の出来事に溢れていた。
スパイクにもクレイトンびも全く関わってない出来事も現在進行形で無数に起きているだろうし、それを思えばこの事件に今こうして関わっている偶然がとても意味のあるものに思えた。
クレイトンはスパイクに尋ねられて現在の進捗を話してくれた。
「あの最初の現場にあったカメオはよくわからない。と言うのも、あの血は最初の被害者とは関係ない、そもそも彼女の遺体は綺麗だったしな。それに彼女の指紋やDNAがカメオからは一切出ちゃいないらしい」
「じゃあそっちから攻めるのか?」
「ご名答」
そこで彼らは会話を一度打ち切った。現場は封鎖され、警察車両が殺到し、そして外側では野次馬が遠巻きに見ていた。ふと何か大声が届いたので二人はそちらに目を向けた。
すると警官達が興奮した一人のブラックの青年を制止している様子が見えた。いや、それだけではなく他にも中国系の男や茶髪のイギリス風な中年男も何やら悲痛な叫びを上げて制止されていた。
「この犠牲者はどういう人なんだ?」と美しい地球最強の魔術師は尋ねた。鑑識や他の刑事達は喧騒にも慣れた様子で黙々と現場検証を続けていた。
「さあな、ちょいと聞いてみるか」
丘の上の白亜の天文台とその広場に、悍ましい冷気を中和せんとして柔らかな風が不意に吹き、それはこの現場を検証している全員にとっての救いとなった。
スパイクは小声で何かを言ったが、クレイトンは彼が犠牲者への哀悼でも捧げているのかと思って深くは考えなかった。
七〇年代後半:詳細不明
「ハァ、何そのカーリドって…それさ、イギリスの食い物の名前なの? 大体ね、もしかしてハリーファをカリーファって発音する気か? うわもう最っ高」
髭はよく手入れをしているものの髪は軍人のように丸刈りで切り揃えたその男は精悍で色気のある顔をしていたものの、口を開くとそうした印象はまた異なるものとなった。
渋い嗄れ声は本来であれば上に立つ者――特に軍事司令官のような――の威厳を感じさせるものであろうが、しかし彼が実際に喋るとおどけたような喋り方や呆れたような喋り方のせいで印象が塗り潰された。
「ええと、ハリーファとは?」とモードレッド卿は素朴な疑問をぶつけ、それに対しハーリドは呆れたような驚くような声で答えた。
「え? そこなの? そこからなの? ああもう、おたくさ、結構イスラームの文化に詳しい方かなーと思ったけど。え、そこで躓くの? ハリーファっつったらあれよ、キリスト教世界の教皇さんみたいな感じの」
「ああ、わかったぞ…カリフか!」
「へっ?」
モードレッドは疑問が氷解したかのように快活な声でそう言ったものの、ハーリドは思わず素っ頓狂な声を上げた。
「カリフの事だな、そのカリー…ハリーファは!」
「そっ…わかりました、この話はこの辺で結構です。カーリドでもカーンでもお好きなように呼ばれるとよろしい、モードレッド卿」と答えたハーリドの声は酷く萎縮し、色々と諦めた事を匂わせる哀愁漂う声色であったが、いずれにしてもこの場の雰囲気をぶち壊しにしている事には変わりなかった。
「了解した。ところでカー、失礼…ハーリド。こちらのご婦人はいかがなさるべきか?」
卿はぞんざいな様子で右手を真っ直ぐ横方向へと向けた――彼は〈神の剣〉たるハーリドと向き合ったまま話しており、右方向にいる何者かを指し示した。
その実体は銀の髪を備え、地獄から這い出た怪物が身に纏う甲冑のごとき濃い錆色と赤とで彩られたハイ・ロー・ドレスに身を包んでいた。
ドレス生地の表面は上から下へと向けて金色の光輪が一定のペースで素早く落下しており、風も無いのに髪がゆらゆらとたなびいていた――そして髪と共に神格らしい金色の触腕も何本か揺れていた。
存在しないソファに空中で腰掛け、客人を出迎える女主人のような優雅さに剣呑なものが混ざり、それがより一層彼女の人ならざる魅力を増幅しているらしかった。
彼女はとても美しく、そして彼女は己の殺人的な美しさを隠すつもりなど無かった。
釣り上がった細い眉と黄金の瞳とを備えた強い目元の印象が、ナイフで側頭を突き刺されたかのような鮮烈極まる印象を周囲に与えた。
しかし元々が高次元存在の武器であったハーリドはもちろんの事、モードレッド卿もまたこれまでの激戦によって更に精神的な強健性を増した事でそうした恐ろしいまでの美にも耐える事ができた。
するうち彼女の綺麗で小さな唇が動いて言葉を発した。
「先程から耳を傾ければ無礼な口を叩きおって…その無礼な態度は誰の許可を得た上での振る舞いか?」
彼女の鋭い眼光がぎらりと輝き、見れば瞳が黄金の光をぼうっと放っていた。
実際にはそれを見るだけでも精神年齢が低下して現実逃避に走り、そして泣いて許しを乞う程に精神を参らせるが、卿はその精神への無自覚な攻撃に気合いで耐える事ができていた。
しかしそれでもぐっと歯噛みして精神が強くある事を意識していなければすぐにでも突き崩されそうな感覚を覚えていた。
二人は今や美しくも恐るべき実体と正面から向き合い、星間ガスの作用でとても明るい周囲の不思議な情景をあまり意識する余裕も無いままに対峙していた。
しかしハーリドは実のところ威圧感など大して気にも留めていなかったため彼が彼女の問いに答えた。
「えーそりゃ、やっぱ神の許しでしょ」とイスラームの益荒男は半笑いで言った。すると人ではない実体は怪訝そうだが威圧するような声色で更に問うた。
「神だと? この私も神だが貴様の無礼を許した覚えなどない」
「あそ。俺は唯一の神しか信じてませんので」
「ほう、では貴様の目の前に実在するこの私を、貴様はどのように受け止めるか?」
「いやおたくはあれだろ、ジンかそこらのシャイターン、それか天使の一種。別に一言で『戦争の家の神』でもいいんだけどさ」
「ふん、そう言えば宇宙には貴様のように目に見えぬ至高を崇める阿呆どもがいたな。どれも愚かで存在しない力に縋る脆弱な夢想家どもであったが」
妖艶な銀髪の美女は虫けらを嬲るような調子で言い放った――まるでかつて実際にそうした者どもを蹂躙せしめた経験があるかのような調子で。
「えー! おたくアッラーの存在を感じられないの!? うわっ可哀想、ホント可哀想。でも悲しいね、軽蔑だけはあんまりしないでやるよ」
当然ながら最後の預言者の友はそれに嘲笑的な軽蔑でもってして答え、一触即発の空気が流れた。
かつての円卓の騎士モードレッドであり現代を生きる騎士でもあるMr.グレイは途端に表情を引き締めた。
この実体を怒らせるとどうなるのかをふと考え、かつて己が猟奇趣味の敵に敗れて壮絶な拷問を受けた時の経験を思い出した。
手の指をじっくりと、少しずつ間を置いて時間をかけながら切断されたあの経験は今でも昨日の事のように思い出せる。
しかしこのような実体が激怒し、もしも己が敗北したのであればそのような昔の思い出など休暇先で受けたマッサージ程度に思える程の壮絶な拷問が待っているのかも知れなかった――。
「――それがどうした?」
卿は沈黙を破り、油断ならぬ混沌の神格に起源を持つ長大な片刃剣をぼうっと召喚した。抜き放つと鞘を捨て、それがすうっと消滅すると同時に彼はその剣を構えた。
これは日本でかつて野太刀や大太刀と呼ばれた種類であるらしく、ドイツやスイスの剣豪達が戦場で振り回した長剣のごとく長柄で、かつ豪快であった。
作りそのものは妖しい美しさを秘めていたものの、実際にそれがこうして抜き放たれると無骨な戦場の刀という印象を強く与えた。
グレイは今やあの強力極まる〈第弐の鋼断剣〉の他にも混沌の妖刀――その長刀バージョン――も所持しており、日々混沌に飲まれぬよう己を律しながらそれらを使いこなしていた。
「えっ、あのーおたく一体何勝手に張り切ってるの?」
「無粋な突っ込みはやめてくれないか」
「いや無粋っつーかおたくが不気味つーか」
「あそ」
「何真似してんだよ、おいおい。それ俺の真似だよな?」
途端黄金の輝きが発生した――大気が圧縮されて膨張する直前のような、あるいは空間が歪むかのような何かが彼ら二人に重なった。
実際のところ卿は妖刀でそれを切断しようとしたものの、己の力のみでそれが可能かどうかは微妙である事を小数点単位の秒数内に悟った。不味い、と卿は全身を強張らせた。
「消え失せい!」
妖艶で人を殺す程の魅力を放つ実体がそう叫び、実際に空間ごと爆砕されそうになった――それはPGGやケイレンで一般的に使用される『圧縮された空間が元に戻る際に起こる破壊を利用した兵器』と同じ原理であった。
しかしこの実体は己が対峙しているアラブ人の男が誰であるかを知らず、よもやそれが剣そのものであるとは想像すらできなかった。
無味乾燥な声で「あそ」と言い、彼が腕を見えない速度で振るうと爆発寸前であった空間の圧縮は一瞬で霧散した。
「俺達お話してんの、わかる? そんなにね、横でギャーギャー騒がれると迷惑なの」
呆れ声に諭すような調子を混ぜながら〈神の剣〉は言った。
「彼女の口数はそう多くなかったようだが」と卿は会話に加わって先程の張り詰めた空気を払拭しようと試みた。
「おたくはどっちの味方なの?」
「今のところ君だな」
漫才を続ける彼らを傍目に、未知の神格は己の攻撃がいとも簡単に、それも理不尽極まる力によって斬り捨てられた事に脅威を感じていた。
表情は驚愕に引き攣り、不気味なものを見る際の色が表情に混ざっていた。
「莫迦な…貴様、一体何を?」
「あーもう、さっきから本当にやかましいおばはんだわ。空気読むって学校か親に習わなかったの?」
緊迫そのものである異境の神に対し抜き身の剣である精悍な男は渋い声でどうでもよさそうに答えた。
「お、おば!? 貴様、どこまで愚弄しおるか!」
「習ってないよな…あ、それはともかく失礼しました、貴女もまた女の子でございましたか…これはこれは、全能なるアッラーの栄光にかけて、今のは不適切な発言にございました故、正式に謝罪した次第です」
最後の預言者の友にしてその最強の軍事司令官は、表面上は謝意を見せる声色で静かにそう言い放ち、表情もそれらしく見せた。
すると銀髪の神格は今度は戸惑うような恥じらうような様子で目を逸らし、言葉を詰まらせた。
ハーリドはモードレッドと顔を何度か繰り返して見合わせ、互いに目を見開いた微妙な表情で状況を窺っていた。
「あのさ、これって何だっけ? えーと、ヒジュラ暦でも西暦でも紀元前になっちまう大昔の時代に潜む、自称機械の神々との闘争なんだよな、それがなんだってこんなコメディのワースト一位みたいなノリになってんの?」
「気が変わった、それらに貴様らの処理を任せる。次に会う機会があればその時は直々に殺してくれようか、それも無さそうに思えるがな」
銀色に輝く髪を右手の指で弄びながら、艶めかしい人ならざる実体は逆の手で空間を捻じ曲げた。そこから黄金の発光と共に三体の不可思議な生物が出現した。
内二体は同じ種類らしく、それらは逆三角形状の黄金に輝く正三面体であり、およそ十フィートあるそれらの周囲では名状しがたい有機的な触腕三本が不規則なコースで球状の周回を続けていた。
残る一体は巨大な一対の翼を備えて手足の代わりとして八本の触腕を備えた威厳のある黄金のドラゴンであったが、その海鼠じみた頭部から胴にかけて別種の有機的な触腕らしき物体――明らかに逆三角形の周囲を周回する物体と同種――が巻き付いていた。
見れば翼もそれらに侵食を受けており、どうやらこの脈動する触腕じみた異物がある種の機械である事が理解できた。それ故銀髪の神格とその眷属どもは、所謂サイボーグの類であるかも知れなかった。
黄金の輝きと共に妖艶な美女は未だ気恥ずかしそうな様子で姿を消し、間を置かず奇妙な三体の敵らしき者どもは戦闘態勢に入った。
大気を揺るがすドラゴンの咆哮が轟き、それの護衛らしき二体は直線的かつ素早い移動と静止とを繰り返すある意味チェスの駒じみた動きで三次元的に機動し始めた。
「君が彼女をからかったお陰で楽しい事になったな。恐らくかなりの強敵だぞ」
騎士は力を溜めるかのような仕草で妖刀を水平に振り被った。
「まーいいじゃんいいじゃん、おたく素手でも剣士だし剣持ってても剣士だし。で、この俺もいる。ぶん殴ってそれで終わり、終わったらおたくは酒、俺はコーヒーか茶で乾杯」
「じゃあ君は右の雑魚を頼む」
逆三角形は直線的な動きでかくかくと上下左右斜めや奥行き含めてあらゆる方向に動きながらも包囲を始めた。
「え、なんでおたくが仕切ってんの?」
「それは、その場の勢いとか?」
「そもそもさ、本当にあの二体いる奴らの方が弱いの? たまにそういう罠あるだろ」
「君と話してると疲れるな」
伏せていてさえ動く要塞のようであったドラゴンが立ち上がり、一〇〇フィートはあろうかというその背丈のまま羽ばたいて空中へと舞い上がった。
巨大な扇のごとく力強い翼によって掻き混ぜられた空気がそこらを乱舞し、風圧で卿らの服飾や髪がばさばさと揺れ、思わず彼らは顔を腕で庇った。
咆哮が大気に『地震』を発生させ、まるで酸素原子の一粒一粒を揺さぶって粉々に砕こうとしているかのようでさえあった。
「やめてくんない? その『あーこいつ鬱陶しい』みたいな態度取るの。一応これから戦闘なのに繊細な心を傷付けられたくないの」
ハーリドは風圧を鬱陶しそうにしながら再び構えを崩しながら答えたが、「まあ俺が戦うって決めた以上は殉教でない限りつまりは勝てるって事だけど」と自信たっぷりに答えた――というよりそれは自信ですらないように思えてならなかった。
「そうか、じゃあ今度から勝てる勝てないの判断用に君を連れ回すとしよう、時給一ドルぐらいで」
「それはどこのドル?」
「知らないよ、そんな事は」
「じゃあその辺の交渉は――」
油断しているようでいてその実『常に抜き放たれている』ハーリドが、防御のため腰に提げた剣を抜こうとする直前、Mr.グレイが彼の前へと踏み込んで下段から軽く掬い上げるようにして剣を振るい、それは逆三角形が放った黄金のプラズマを斬り裂いて霧散させた。
物理の法則に反した振る舞いでその莫大な熱量を無力化されたその攻撃の残り滓を見遣りながら、ハーリドは弁解するように呟いた。
「いや別に、俺今の攻撃は防げたし。俺はいつだって抜き身の剣だから」
「あそ。君の礼拝の時間までに終わらせるとしようか」
卿は野太刀状の妖刀を振り被って上段で構え、高速で動き回る敵の次の手を読もうとした。
「出た、また真似。そろそろおたくを商標云々で訴えていい? いやこの場所だとどこのどういう法かは知らないけど」
宙域一帯には破壊された異次元の空飛ぶ大陸の破片が散らばり、それが超密集の小惑星帯ないしはデブリ帯のような環境を作り上げていた。
異次元の法則の名残りが奇妙な重力を作り上げているため、この一帯全体は特定方向向けて重力が働き、まるで空に無数の小島が浮いているかのごとき奇妙な世界を作り上げていた。
それ故ここの法については現代に生きるブリテンの騎士もイスラームの益荒男も、未だに把握はできていなかった。まずは銀髪の黄金女がプレゼントしてくれたドラゴンと逆三角形の片付けをせねばならない。




