PLANTMAN#6
六月のマンハッタン、雨上がりの中でアール・バーンズとその宿敵が初めて遭遇する…。
登場人物
―プラントマン/リチャード・アール・バーンズ…エクステンデッドのヒーロー、出版エージェント業。
―フィリス・ジェナ・ナタリー・リーズ…アールの担当作家であり恋人。
―コール・ハモンド…アールの同僚。
―漆黒の光明神…突如飛来した機械の巨神。
六月︰ニューヨーク州、マンハッタン、アッパー、ウェスト・サイド、ホール&ホッジ・エージェンシー社事務所
あれから一週間が過ぎ、アール・バーンズはほとんど変わらぬ毎日を過ごしていた。
半袖で過ごす人々が増えてきたため己もそれに合わせた服装をしていたが、既に気温の変化に対する超人的な耐性を得た彼は油断してしまうと一年中同じような服装で過ごしてしまう事になる。
夏に向けて気候は変わり始め、今日も明け方の放射冷却が終わるとじりじりと気温が上がり始めた。
休日出勤してすべき事を終わらせたアールは己より歳上の同僚のコール・ハモンドと擦れ違った。
「よう、コール。お前は休みじゃなかったっけ?」
「いやいや、急用でね」と彼は少し嬉しそうに言った。
「なんで嬉しそうなの」
「今の担当作家の一人が新作の件で話があるってな」
アールは少し考えてから答えた。
「ああ、もしかしてあの郷土小説書いてる?」
「そうだ。暫くスランプだったが何やら会心の出来だそうで」
そのように語るコールは事実を淡々と述べているだけにも関わらず、隠し切れない期待が滲み出ていた。
恐らくは個人的にもファンなのであろう。彼はスマートフォンを取り出して予定を確認しつつ己のデスクに向かい、引き出しから必要な書類などを取り始めた。
「お前は上がりか?」
「溜まった仕事を次週に持ち越さないように、やるべき事を終わらせてこれから帰るところです〜」
「じゃあ帰ってどうする? ゲームか本か、それとも贔屓チームの応援か?」
「今日はなー、色々となー」
「ほう、お前にも友達だか恋人だかがいるみたいで安心したよ」
「おいおいおい、待てって。お前今まで俺の事そう思ってたの? うわショック、それホントショックです」
アールは存外そのような偏見を気にしたらしく、成人の胸辺りに来る濃い蒼の│衝立に両腕と顎を乗せながら、ごそごそと準備しているコールを微妙な表情をして眺めた。
「おっと忘れてた。悪い悪い、他にもプレイボーイ片手に一仕事って可能性もあったな、それともお前の場合はマイナーな出版社が出してるエロコミックか?」
今やコールの声は下品な笑い混じりであった。
「そこから俺の名前のネタに繋げてきたら、いつかお前をフロリダのワニと一緒に泳がせてやるよ」とアールは『ジョークを言います』という声の調子でそう言うと、己とコール以外に人がいないオフィスから退出を始めた。
「ああ、じゃあな」
「じゃあな、お前のお陰で今日はいい日になりそうだぜ、多分今月で一番な」
だが本当は一週間前にここ最近でも最も『いい日』があったのだ。最高にどうしようもない、恐るべき強敵との遭遇。彼は心の中でその相手に強烈なパンチを放った。
エレベーターの中で彼はスマートフォンから『ハッピー』を流し、一世を風靡したこの曲の不思議なダンスを真似て踊り始めた。
ふと正気に戻ってカメラが無いかとエレベーターの上部四隅を見たが特に何も無かった。一人でそうやっているとやがてエレベーターは一階に着き、彼は慌てて音楽を消して何も無い風を装った。
ドアが開くとその向こうには誰もおらず、単に監視カメラがその向こうに広がるエントランス部分を監視しているに過ぎなかった。
途端に猛烈な寒気を感じて彼は足早に立ち去った。空調の音がぶうんと虚しく響いていた。
数十分後:ニューヨーク州、マンハッタン、モーニングサイド・ハイツ、アールのアパート
自宅に戻るとフィリスが合鍵で入っており、彼女はコーヒーを淹れていた――コーヒー関連の用具など置いていなかったので全て彼女が持ち込んだ。
息を大きく吸い込むとコーヒーの香りと共に、彼女のくらくらするような甘い香りが感じられ、アールは笑顔を浮かべた。
「お帰り」
「ああ、誰か待っててくれるっていいもんだな」
「実を言うとあなたの家に『ベン・ハー』のDVDを忘れていたから、それで」
それを聞いてハンサムなマッチョは肩を竦めた。言われてみれば古い方の『ベン・ハー』のDVDを見掛けた覚えがあった。
もしかすると脱いだままの春用の上着の下であったかも知れない。
「じゃあ│〈救世主〉《メサイア》に感謝しないとな。お陰で今日は君と過ごせる」と彼は少し皮肉った。
「今日はパトロールに行かないのかしら?」
そう、既に彼女は彼が匿名のヒーロー、プラントマンである事を知っていた。それもあの事件をきっかけとしていた――あの一週間前の事件は全てを大きく変えた。
不意にアールは黙り込んで立ったままぼんやりとした。今になってもうどこにもいないDr.エクセレントに相談したくなった。
彼があの伝説的なヒーローとは知らずに同居していたあの頃。
彼が匿名性を放棄してこの部屋を出て行き、ホームベースで暮らすようになったものの相変わらず友情が続いたあの頃。
そして彼と離別せねばならなくなった『ドレッドノート事件』のあの最後の瞬間。
「どうかした?」
超人的な聴力を持ちながら、短い金髪のハンサムはフィリスの声に反応する事ができなかった。
彼は黙ったままであの頃に立ち戻っていたらしかった。もうこの場にいない友への、もう何度目かもわからない思い返し。
「ねぇ、アール?」
いや、よそう――彼は思考を切り上げた。意識しないようにしているとより強くここにはいない、もう会えない友の事を意識してしまう。悪循環であった。自然に振る舞う他無い。
「あばよ、ドク、あばよチャーリー」
「さっきからどうしたの?」
「ああ…」言葉に詰まった。「どこから説明したものか」
彼はゆっくりと話し始めた。あのDr.エクセレントと、そうとは知らずに同居していた日々。
ヒーローになる前もなってからも、変わらず己の友であった彼との思い出。五分程話して目を閉じた。アールはまだドクの顔を思い出せた。
「彼は自分を犠牲にしたと聞いていたけど、まさかあなたと友人だったとはね…」
「歳は離れててもいい友達だったよ。メタソルジャー、レイザー、アッティラ、ハヌマーン、レッド・フレア、彼らはもっとドクとの付き合いが長かった…そりゃ、ヒーローの歴史にも犠牲は少なくなかったけど…それでも彼は俺の、俺達の友達だった。自分の住んでた宇宙を喰われて、こっちでもようやく居場所を見付けたのにな」
「アール」
「なんだい、世界一可愛い人」
「あなた今酷い顔よ」
彼女は彼に歩み寄った。部屋を横切って彼を抱き締めた。
「ドクがいなくなってからはずっと酷い顔だったんじゃねぇかな」とアールは自嘲した。
何故己は未だに引き摺っているのかと考え、それから親しい人を喪うとはこういう事なのだと気が付いた。
「多分彼は死んじゃいない。まあ、あんな恐ろしい奴の捕虜になったら死んだも同じかも…いやいや、まただな。また俺は悪い方に考えちまってる」
「大事な人がいなくなるって、そういうものよ」
「そういうものかね。そういうものかもな…」
もう彼の科学的な講義も受けられない。もう彼の発明を一緒にテストできない。
そしてもう、彼と他の仲間達とで、一緒に笑う事ができない。ドクは既に思い出の中の人物になったのだ。
思い出とは覚えてさえいれば、薄れる事はない。なるほど確かに、いなくなった人間もまだ健在な人間の中で生き続けられるのかも知れない。
しかしもう一緒には過ごせないのだ。
一週間前︰ニューヨーク州、マンハッタン、ミッドタウン
電車を降りて地上に戻ったアールは小雨の止んだ空を見上げた。昼過ぎのマンハッタンは雨上がりのじりじりとした陽射しに熱せられていた。常人であった頃は暑かった事だろう。
今日は早めに帰ってゲームでもして、それから巡回に向かおうか。そのように考えていたところでフィリスから電話が掛かって来た。
「もしもし」
「ハイ、出てくれてよかったわ。仕事中に迷惑かも知れないけど、あなたと話したいと思って」
「全然問題ない、今どうせ外回りだしさ」
「雨は上がった?」
「とっくに。窓の外を見てみなよ、うんざりするような晴れ空」
理由はわからないがアールは彼女が己の部屋にいるような気がした。
「今俺の部屋?」
「そうだけど、どうしてわかったの?」
「まあ日頃から霊的な引用をしてたら身に付いた能力だな」
「英語でお願いね」とフィリスはくすくす笑った。アールは彼女のその点が気に入っていた。
「英語だぜ、ニューヨーク流のだが」
「そうなんだ、ピジン英語の方がよっぽど簡単そうね」
「何それ?」
「授業で習ったでしょ、外国でそれぞれ独自化した現地英語の事よ」
「あー、要は『モダン・ウォーフェア3』でアフリカの民兵が喋ってたような奴か」
フィリスはまた始まったわねと笑った。
「とにかく、俺としちゃ君の声が聞けてよかったよ」
彼は周りの騒音を気にして少し大きな声で喋った。車の騒音、排ガス、大勢の歩行者、いつものマンハッタン。
アールは往来の中で立ち止まってビル群を見上げた。少し向こうにエンパイア・ステート・ビルが見えた。
これまでの戦後史において、ニューヨークは様々な戦いの場となった。異界と混交した事件は記憶に新しい。既に復興は終わったが慰霊碑に刻まれる名は更に増えてしまった。
「好きな人と話せるってそれだけでも幸せね――」
途端全てが一変した。目の間の道路を通っていたバスの屋根の上、ビルの上から何かが降って来るのを発見したが、あまりにも速過ぎて行動が遅れた。
そして次の瞬間、天地をひっくり返すかのごとき凄まじい音と共にバスが両断され、彼自身もその巨大な何かに脳天から殴打された。
ばさりと埃が舞い、若い男の場違いな声が人々の悲鳴を斬り裂いて響いた。
「初めまして、だね。君が│〈救世主〉《メサイア》かい?」
すると強引に埃が掻き消え、その向こうではいつの間にかヒーローのコスチュームに着替えたアール、そのもう一つのアイデンティティであるプラントマンが猛烈な怒りを発して、敵の巨大な剣を握り締めて持ち上げた。
周囲では割れたガラスが散乱しており、広範囲が衝撃波の影響を受けたらしかった。
「最近のユーチューバーは随分物騒だな」と怒声を放った。「お前がやりやがった事を見ろ、犠牲者はどれぐらいだ? どっちにせよお前は必ずブチのめしてやるぜ!」
アールは漆黒の巨人が振り下ろした剣を強引に持ち上げるに留まらず、それを本体ごと上空へと吹き飛ばした。
「かかって来い、クソ野郎!」
生身の主人公vsロボットに乗る厨二キャラのライバルという構図を書きたいだけだった。




