MR.GRAY:THE KNIGHT OF MODERN ERA#16
トリスタンという恐るべき狩人に追跡されるモードレッド。勝負は両者痛み分けとなり卿は隙を見て一旦逃げたものの、彼が樹上に隠れていても刻一刻と追跡者達は迫っていた。負傷した今となってはガウェインとトリスタンを捌くのは難しく、何も打開策は無いように思われたが…。
登場人物
モードレッド陣営
―Mr.グレイ/モードレッド…アーサー王に叛逆した息子、〈諸王の中の王〉。
―トリスタン…騎士としての能力だけでなく狩猟で培った追跡能力にも優れるピクト人王族の騎士。
―ガウェイン…アーサーとの付き合いも長い歴戦の騎士。
―オラニアン…若く美しいヨルバの偉大なる王。
―虹の刃の戦士…オラニアンと交戦する謎の戦士。
ホームベース襲撃から二時間四四分後︰赤い位相、森林深部
「駆り立てられる牝鹿と侮って不覚を取ったわ…トリスタン卿よ、よもや儂のみならずお主までも遅れを取るとは。叛逆者とは言え奴も我が同門にして兄弟、奴の冴え渡る技前によって我らは殿より譴責賜るやも知れぬなぁ」
ガウェインは痛々しい鎧の損傷と出血とを何でも無いかのようにして振る舞っていた。彼程の騎士であればその権力や存在規模からして一日もあれば完治しようが、しかし深手ではあった。
モードレッドは実体を喪い魔力剣としての新たな形態へと変貌した赤い刃の〈鋼断剣〉の使い方を熟知しており、そして先程のはガウェインとトリスタンの両者共に知らない技であった。
「いかにも。しかし私は狩人、あのようにぷんぷん匂う男ならば追跡も容易い」
トリスタンは馬を腰から斬り裂かれたため、ガウェインと同様の手段で一旦馬をいずこかへと隠して再生を図ったが、己は右脚を具足越しに斬られていた。片脚を引き摺り、槍を杖代わりに寄りかかるその姿は痛々しい事この上無かった。
出血が大地を潤し、この何もかもが赤い位相の中でも彼ら騎士が流した血は一際赤く鮮やかに輝いた。盾やサーコートの内側に隠している所持品で最低限の処置を済ませ、彼らは追跡を開始した。
「そう言えば殿はゲルマンの黒武者のみならず、あの背の高い美少年も投入してくれるとの事。騎士同士の道義云々はさて置き、これを戦争と見做すならばモードレッドとその小間使いどもは火を見るより明らかな劣勢」
すると己に歩調を合わせてくれている紅いサーコートのガウェインに振り向きながらトリスタンは答えた。
「ここまで戦力が充実していれば、殿の猟犬をお借りするまでもないな、ガウェイン卿。あとはアッバース革命軍と言ったか、我が友と同郷のあの軍と今後上手く連携できればよいが」
落ち葉を踏み締めて森深くを進むガウェインとトリスタンの脳裡には、あの黒い革命軍の偉容が焼き付いていた。それはともかく彼らは他にも森にアグラヴェインを待機させているから、ランスロットらフランス騎士達が敵側の〈参加者〉達を足止めしてくれる限りは手負いの兵に遅れを取るでもなかった。彼らは相手同様の手酷い傷を負おうともなお不退転の騎士であり、歩みは止まらなかった。
モードレッド卿は赤一色の視界が広がる暗く深い森の中で逃走を続けていた。さすがは怪力無双のガウェインであり、今や午前どころか日の出から日の入りまで聖なる加護が発揮されるこの円卓の騎士が放った剣の打撃はモードレッドに手酷い傷を負わせた。
剣の柄で殴られた頭部から血が流れ続け、目が血で何度も塞がれそうになった。鬱陶しさ故にそれを振り払うようにしてついつい大きな音を立ててしまい、じわじわと襲い掛かる激痛は頭が太陽に炙られて燃え盛っているかのような感覚であった。
食い縛った歯から時折ぎりっと力強く苦痛に満ちた音が響き、徐々に己の足音とそれ以外の音の判別が難しくなった。森の奥の方は下草もかなり多く、原生林のように鬱蒼としており、この手の寒々しい地域にしては奇妙であった。
あるいはここは異位相であるから、起点位相とは植生も異なるのかも知れなかった。負傷による悪寒なのか、今となってはこの土地の気候がとても寒く思えてならなかった。
ふと木に右手を衝いて、まだ治らぬ掌の負傷が発した痛みがぞわりと全身を駆け抜け、情けない苦痛の声を上げた。今の卿は一人ぼっちで、どこにいるかもわからないアーサーの配下に追跡されている事だけは確かであった。孤立無援で森を彷徨い、道もわからぬまま逃げていたが、感覚が鈍って追跡に対する感知が利かなくなっているのは手痛かった。
もしかするとそこらの木の影か叢にあの忌々しいトリスタンがいて、不意にガウェインが斬り掛かって来るような予感だか幻覚だか被害妄想だかが彼を蝕んだ。
不安と恐怖に打ち勝つための手段を実施せねばならない。己自身しか頼る者がいなければ、鍛え抜かれた精神力は必須となるから、そのための思考法へと移行しつつ、現実世界では現状にどのような対処をすべきか考え始めた。飛行できるのは素晴らしいアドヴァンテージだが、しかし頭痛が酷くてまともには飛べない。
だが、と彼は思った。
「木の上に跳び上がって隠れるぐらいならできそうだな…」
最初は否定したかった。別の無関係な音であるとか、まあそのような考えで。しかしそれは徐々に否定し切れなくなる。例えるなら寒い日に窓を開けたままで眠り、たまたま半分起きてしまった際に面倒なので『窓が開いている事を否定しようとしている』ようなものであった。
しかし卿の幼い頃のその日、実際には現実の脅威として窓が開いていたし、そして今も現実の脅威として追跡者が猟犬のように抜かり無く接近していた。予想通り二人おり、片方は予想通り脚を負傷しているような歩き方に聴こえた。
距離はおよそ六〇ヤード、卿から見て斜め右背後。首を回してそちらを見ようとしたが、木々や葉に遮られて不明瞭であった。加えてここは暗いし、彼は木の上で隠れているので、下の方はよく見えるが、ある程度離れるとあらゆる障害物が邪魔をしてよく見えない。
隠れんぼとは心臓に悪いもので、今モードレッドは緊張と苦痛に脂汗をかきながらじっと耐えていた。本来であれば泣き喚いて楽になりたいぐらいには痛く、そして押し潰されそうな重圧が全身を押さえ付けた。ここには何もいないぞと念じ、聖書の好きな詩篇を心の中で唱えながら目を瞑った。
しかし無慈悲にも追跡者達は血痕を発見したらしかった。先程まで歩いていた際に溢れた血を辿られ、それが途切れた後も足跡を探されてこの近辺まで来てしまった。そして木に付着した血痕までも発見された――思えば生乾きの血が付いた負傷した手で木に触ってしまった。
「ほう…この近くで途切れよったな」
あの声はガウェインだろうか。
「だがどこかにいるはずだ。あの傷では遠くまでは行けまい。貴公に全力で頭を殴られて空を飛べる者など、人の子以外にいるとも思えぬしな」
血がどくどくと流れ始めた。頭がとても熱く、緊張の炎が燃え盛った。強い緊張感故か、更なる出血が始まった。ああ、いずれにしてもガウェインのなまくら剣ごときに首を打ち落とされるのは腹立たしいが。どうでもいいからさっさと連中に立ち去って欲しかった――私はこんな場所にいないぞ。
だが自然と両手で頭を庇ったものの、手から溢れた血が零れ落ちてしまった。卿は手を伸ばし、しかし伸ばされた右手を擦り抜けて無情にも血が落下した。暗く不気味に静かな森で、狩人のトリスタンがそれを聴かぬはずがなかった。
視野の狭まった今となってはよくわからなかったが、何となくだがあの恐るべき狩人が血の落ちた方角へと振り向いたのがわかった。森は更に暗くなったような気がして、意識が遠退いたような気がした。エクスカリバーを使用したせいで再使用にはまだまだ時間がかかる。ならばインドラジットに命令を出すか、〈強制力〉によって。彼なら怒りつつも神域の技で矢を、いや嵐そのものを見せてくれるだろうか。
いや、それは不可能。狩人のトリスタンはこの距離でインドラジットに遅れる事などありえない。例えあのランカ島の美しき王子であろうと、そしてトリスタンが片脚を負傷していようと、円卓最高最強の狩人が仕損じるなどありえない。
卿は死とて怖くなかった。永い、あまりにも永過ぎる第二の人生を歩んだ彼は無数の他人の死を見て、無数の恐怖を味わった。包み隠さず言えば彼は手の皮を何十時間もかけて少しずつ剥がされた経験もあるし、そして彼は生きたまま内蔵を引き摺り出されてそれが猟奇趣味に使われるのを見せられた経験もある。
だがそれら全てを踏み越えたのがモードレッド卿であり、世界が知らぬ歴史の裏で繰り広げられた彼の新たな物語でもあった。それ故に、この騎士は死そのものは怖くなかった。
彼が怖いのは、單にアーサーを引き摺り下ろして裁けぬという結末であった――そういう意味では死ぬのが怖いのかも知れなかった。決してここで死ぬわけにはいかないのだ。だが絶望的にも円卓の騎士はすぐそこでこちらの気配に気が付いた。すぐに木の上にいる事が判明するだろう。長く留まられると何よりこの場で発せられる卿の匂いで発覚してしまう。
結果を捻じ曲げる事はできない。古代、ニルラッツ・ミジなる現実を歪曲させる手段が存在したというが、彼にはそこまでの力は存在しなかった。試してはいないが、距離が離れていても〈強制力〉で指示を出せば彼の新たな仲間達は反応してくれそうだという確信があった。
そして実際それは正しかったが、命令は声に出さねばならない。口だけ動かしても意味が無く、そしてはっきりと聞き取れる程度には大きな声でなければならない。
今になってサラディンが教えてくれたそれら情報が浮かび、声を出せばその時点で終わりだとよくわかった。モードレッドは先程から処刑を先延ばしにしたかのような主観的時間の引き伸ばしを感じており、それは極限状態に置かれた彼の緊張や集中力が成せる最後の足掻きであった。しかし高速で次の手を計算し続けても無情にも時間は少しずつ進む。
スポーツ選手が体験するそれと同じ原理のスローな世界もそろそろ終わろうとしているのを卿は感じた。ここで散る他無いか。ああ、トリスタンが血の落ちた近く、すなわち真下にやって来た。彼は化け物じみた巨体に見え、槍を杖代わりにした弱々しい姿が逆にどこまでも恐るべき戦士である事を物語っていた。
ならば、ここで終わるというのであれば、せめて奴らを道連れにして散るとしようか。永き放浪の果て、終着点がこのようなどことも知れぬ位相の鬱陶しい森の中であろうとも、それが宿命であれば受け止めようではないか。万が一つに勝ち目など無ければ、それを一笑してやろうではないか。
ニューヨークに残して来たネイバーフッズがこれからも人々を助ける事を神に祈りながら、ちょうど上を見上げたトリスタンを生い茂った葉の影から視認し、これから飛び降りて戦う覚悟を決めた――。
その時森のどこかで凄まじい音が鳴り響き、ガウェインとトリスタンは慌ててそちらの方角を見た。
同時期:赤い位相、森林深部
「俺の技が通じぬか」
壮年の巨漢は虹の刃を振り回し、先が広がった直剣とマンベレとを四方八方から打ち込む強敵と何千合も打ち合っていた。二振り装備したヨルバの美少年は一撃ごとに木々を衝撃で薙ぎ倒し、地面が抉れて吹き飛ばされていた。
「悪いがこれまでの鬱憤、貴様で晴らさせてもらうぞ。このオラニアンを再び戦場へ呼び戻したあのアーサーへの呪詛と共にな!」
「よい、俺でよければ相手になろうぞ」
虹の刃を振るう戦士は傷と無精髭に覆われた顔を持ち、白が混じって灰色になった短髪が軍人めいた印象を与えた。黒い瞳がじっとオラニアンを見据え、しかし半ば自動的に攻防を繰り広げていた。非地球的な意匠の白い鎧を纏い、その表面に走る水色の電飾線が強い光を発していた。
彼の思考に従って形状を変えられる虹そのものの剣は信じられないような技量の武術によって運用され、繰り出される技の一つ一つが明らかに様々な時代や地域から抽出されたものであった。
「斬り伏せる前に聞く、貴様の名は?」
長身の少年は極まったナイジェリア剣術で猛攻を加えながら、それに食い下がってくる未知の敵へ尋ねた。
「我はファーガス、ローイクの息子。まだ見ぬモードレッドの剣として参上仕った!」
もうそろそろ〈参加者〉が全員揃う。




