SPIKE AND GRINN#8
昼間の歩道に謎の死体が出現した。新たな怪事件に挑もうとするスパイクだが、ほとんど伝説的な〈神の剣〉の活動についても耳にしており、更にはかつての友の件も頭にへばり付いて離れなかった。
登場人物
―スパイク・ジェイコブ・ボーデン…地球最強の魔術師。
―グリン=ホロス…美しい〈秩序の帝〉。
―ショーラ・エリ・バンコレ…魔術師の名門であるバンコレ家の令嬢。
モンタナ山中の事件後、六月:カリフォルニア州、ロサンゼルス、イーグル・ロック、コロラド大通り
アウトキャストの初期頃のナンバーをワイヤレス・イヤホンで聴きながら現場を遠巻きに見た。既に警察が周辺を封鎖し、綺麗な建物が立ち並ぶコロラド大通りは非日常的な喧騒に包まれていた。
果たして殺人事件と呼ぶべきなのか、非常に微妙なラインであった。調べない事には何とも言えないが、とにかく不可解で不気味な事件が起きた。
よく晴れた昼間なのに、言いようのない不気味な雰囲気が大通り沿いに蔓延し、野次馬は冷や汗をかいていた。
スパイクはこのような格式高い街に合わせてある程度カジュアルに崩した黒いスーツの上下を羽織り、車を近くの駐車場へと止めて徒歩で接近して来たのであった。
イヤホンでスマートフォンのオーディオを消し、イヤホンを外して上着のポケットに入れながら尋ねた。
「なあ、俺こういうモンなんだが」と言いながら封鎖ラインの外にいる制服警官に名刺を見せた。
腹が出たブラックの警官はどこの馬の骨だと言わんばかりの表情を浮かべたものの、名刺をよく見ると相手が実業家だのラッパーだのどっかの役人だのではない事に気が付き、近くにいた同じくらい太ったアジア系の刑事を呼んだ。
ドーナツの匂いがするその刑事も名刺を見て、それからスパイクの美しい顔を見て、まあ入れよと促した。
周囲では遠巻きに野次馬がいたが、昼間であるためある程度現場のショッキングさは薄れているように思われた。
まず死体よりもその近くに落ちている二インチにも満たないカメオが目を引いた。
長方形の額で囲まれた白い瑪瑙細工にはベンジャミン・フランクリンの横顔が彫られており、その上にはべったりと血が付着していた。
陽射しを浴びて白く輝く街並みの中で血の赤黒さがぞっとするグロテスクさを放ち、そしてそれ以外の理由においてもグロテスクであった。
というのも死体には出血や傷が見られず、白いスリーヴレスの夏物ワンピースを着た女の死体は逆にその無傷さが異常で、見ているだけでぞくぞくという感覚に襲われた。
ではカメオの方は誰の血なのか? 打撲痕も見られず、毒や絞殺の跡も見られない。死後ある程度経っているようだが、死因は解剖を待たないとならないらしい。
「不謹慎だが綺麗なまんまの死体だろ?」と長年の外回りでじっくりと日焼けした少し太った刑事は言った。
昔はフィリピン系のハンサム男であったように見えるが、今では四〇代のベテラン相応な風体であった。
「これは聞いた話なんだが、いきなり歩道に死体が落ちて来たとかなんとか」とスパイクは死体を見たまま答えた。
「揃いに揃って目撃した市民がキメてるんじゃないかと思いたいが、実際は集団パニックじゃないマジで不可解な事件も多いからな。地球を滅ぼそうとする邪悪なブラックホールやアーサー王伝説の騎士が実在してるんなら、死体がどっかからテレポートしたとしても不思議じゃない。で、どうだ? こいつは普通の能力だか変なテクノロジーだかの仕業か? それともそちらさんの専門かい?」
「ちょっと待ってくれよ…」と言いながらスパイクは更に死体へと接近したところ、不意に寒気がした。
まるで冷蔵庫か冷凍庫を開けてその側にいるような冷気が、真昼に向けて暑くなり続ける初夏の西海岸で感じられたのだ。あり得ない話だが、しかしスパイクには心当たりがあった。
「これ、俺の気のせいじゃなけりゃ死体の近く行くとひんやりしてるよな」
「ああ、原因不明だがな。もしかしたらついさっきまで冷凍保存でもされてたのかも」
スパイクはそれを聞いてから少し間を置いて言った。陽射しは暑く、こういう日用の魔術も無いではなかったが、わざわざそんな事をする気にはなれなかった。
以前年間最高気温の翌日に一度だけそのような術で暑さを凌いで外出した経験はあったが。
「あるいは空の上かもな」
一応わかってはいるつもりだが、それでも心がぞわぞわとした。地球は封鎖されており、そして『あの実体』は締め出されているはず。
心配する必要は無いにしても、あるいはその眷属か何かが地球にいる可能性はあった。
一時間後:カリフォルニア州、ロサンゼルス、ダウンタウン、ドープ超自然事件対応事務所
「はい? 風のイサカですか? 地球に来ていないか、と?」
調査の準備をするため自宅兼事務所に戻ったスパイク・ボーデンはグリンに気になった事を尋ねた。ショーラはまだ事務所にいた。
ふとグリンがまだ帰っていないショーラと今までどのような会話をしていたのか気になったが、聞かない方がいいような気がした。
「あの混沌の神格の気配は感じません。己の領域でちっぽけな艦隊でも再編成しているか、ロキと時間越しにお喋りでもしている事でしょう」
イサカは時折犠牲者を引き摺り回してから捨てる事で知られている。これは所謂ラヴクラフティアン・ホラーの作品でも言及されている。
「ホントかよ?」
「はい、私は本当の事を話しています。もしもステルス的な召喚が可能でも、こちら側に呼び出してしまえば私は察知できます。まあ、召喚だけしてイサカないしはその側面の一部が門の向こう側に留まるならその限りではありませんが」
「そりゃどうも」
グリンはスパイクの様子から彼が苛々している事を悟ったが、しかしそれは黙っていた。だが客人は黙っていなかった。
「スパイク様、少しご立腹のようですが」
先刻の私との会話に憤慨なされたのですか? と彼女は言外に言っていた。
「そりゃな」スパイクは苛立ちを隠すのをやめた。太陽は高く登り、ぎらぎらと輝いて強い陽射しをこの巨大な都市に降り注がせていた。
「人が死んでんだ。俺は俺のダチがいい人達を殺した事も腹が立つし、当然クソみたいな拷問にかけて殺した死体を人通りのど真ん中に落とすような奴だって許せるわけがねぇ」
真剣な表情を見せたスパイクにグリンは首を微かに傾け、ショーラも満足そうに頷いた。
「おいおい…二人揃って新手のいじめでもやってんのか? そりゃ、お前らが仲良くしてくれるならこっちも気が楽だけどさ」
己の発狂した友を話題に出した事で彼と過ごした日々がラゴス魔術院首席の脳裡に蘇った。
あの頃の絆がまだ残っているような気がして、一緒に飲んだ不味いコーヒーや一緒に吸った苦い手作り煙草の味が蘇った。
吸い慣れておらず咳き込んだアイザイアの姿が今では愛しく思え、禁煙を誓った今、喫煙への欲求がちりちりと燻り、それを見て天井に生じた影は無音のくすくす笑いを見せた。
「スパイク様、この奇妙な影は?」
ショーラは天井を見上げながら尋ねた。スパイクは思い出の残骸を処理する事で必死になっており、彼の代わりに地球人の美少女の姿で顕現する秩序の神格が答えた。
「スパイクは番犬代わりに悪魔を飼っています。私は辞めた方がいいと考えますが」
グリンは首を左へと傾け、首の付け根の少し上辺りから〈人間〉のそれではない、うっとりする程に美しい触腕が勢いよく突き出て、それは天井を刺し貫く前に静止し、先程までせせら笑っていた悍ましい影あるいは染みはすうっと霧散した。
「事故って天井に穴空いたら業者呼んでくれよ、お前持ちで」とスパイクは堅苦しい声で言った。
「心配はいりません、私はそのようなミスを犯す事などありませんので」
「さすがは神様ってな。おっと、俺の場合は天使様って呼んだ方がいいのか? あまりの色気に見ただけで人間が死亡するような天使だけどな」
苛立ちと過去の情景とが混ざって自然と早口になったスパイクと、それに淡々と対応するグリンの様子を見てバンコレ家の美しい令嬢はくすくすと上品に笑った。
だが相変わらずその笑みは壊れており、スパイクは胸に剣を突き刺されたかのようなショックを受けた。
己の友がその原因を作り、思い出の中ではまだある程度綺麗なアイザイアとのギャップが生じ、そして彼を討たねばならなくなった事がどこまでも悲しかった。
そしてそれはそれとして、今現在スパイク・ボーデンは超自然関係の問題の専門家として、昼間のLAに死体を突如出現させたまだ見ぬ外道を探し出して光の下に引き摺り出さねばならない。
やるべき事は多く、月日の流れは速いから、早急に目の前の問題に取り組まねばならない。それが己の持つ良心や正義感に対する義務であった。
部屋に置かれている高さ四インチ程度あるターコイズの置き物――触腕状の髭を生やした最強のドラゴンであるクトゥルーを模していた――が今にも動き出しそうな迫力を片隅で放っていた。
そしてそれは今なお正義の炎を纏い、めらめらと燃え盛っているかのような感覚を与えた。
ドールの眷属の組織を切り取って日干しにしたものが昼寝している太った運転手のごとくゆっくりと脈動し、その他の呪物や素材もそれぞれが異様な雰囲気を持っていた。
いつも仕事の電話をくれるラテン・アメリカの男は、ついでに〈神の剣〉の話もしていた。
どこかのテロリストが自称しているような話ではなく、もしかするとあの傍迷惑な〈影達のゲーム〉から古い時代の権力者が溢れたのかも知れなかった。
いずれであろうと〈神の剣〉と言えば、あの最強無敵を誇った伝説の男に他なるまいが。
その〈神の剣〉が、瞬く間にある位相の都市を焼き払ったとの事であった。この忙しい時に、やるべき事は更に山積みとなった。
ラゴス魔術院時代の活躍もちょくちょく挟みたい。




