奉天要塞陥落による勝利
奉天要塞も旅順要塞も18世紀時代の星型要塞ではない。複数のトーチカを塹壕線で繋げた複合要塞だった。このため、星型要塞と違って外周を突破すれば終わりではない。18世紀の星型要塞も基本的には城であり、一か所に橋頭堡を確保してしまえば終わりだった。攻撃側が間抜けでない限りは撃退するのは無理だった。攻撃側は臼砲や榴弾砲の援護で橋頭堡を広げていけば良いだけだからだ。それに、市街地や居住地区が中に入っているので火攻めにされると陥落を防ぐのは無理だった。要塞の範囲が狭いので複数の防御線を構築するのも困難だった。
それに対して、奉天要塞や旅順要塞はトーチカを塹壕線で繋いだ縦深が深い構造なので内部に複数の防御線を設けることが可能だった。さらに、大口径の榴弾砲や臼砲で砲撃しても兵員が密集していないので大打撃を与えることは困難だ。そもそも、航空偵察ができないので(前述のように当時の偵察気球は低性能)、どこに砲撃を行えば良いかがわからない。砲撃の修正をするには高地を押さえるか観測兵を前進させるしかない。結局、要塞内部に攻め込むしかない。
航空偵察ができるようになると事情は一変する。航空機から砲撃の修正をすれば、砲撃を適宜、修正して命中させることができる。写真偵察だけでも要塞の全体像が把握できるし、敵兵員の位置を高い精度で特定ないし推定できる。砲撃目標を的確に決めることが出来るし、攻略部隊が迷うこともない。以上の様な理由で、航空偵察が急速に発達した第1次大戦を境に要塞は消えていった。
しかし、日露戦争の時代は歩兵部隊が攻め込むしか要塞攻略の手段はなかった。このため、多大な犠牲が予想され、膨大な準備時間が必要だった。戦略上は、ロシア陸軍は待っておく方が有利だった。奉天要塞は堅固でロシア陸軍戦線の一角は守られた状態だ。奉天要塞に備蓄された物資で兵站の状態も改善しつつある。しかし、清国との戦争で露呈された兵站の問題は解決していなかった。さらに、日本陸軍が開戦から早々に遼東半島に上陸して急速に進撃してきたので兵力が優勢とはいえなかった。日本陸海軍は朝鮮半島と旅順を攻略し、後顧の憂いなく奉天に迫っている。
それに対して、ロシア陸軍はヨーロッパ方面やカフカス方面に有る程度の兵力が必要だし、中央アジアも兵力を全て移動させるわけにはいかない。前述の兵站の問題もあり、兵士を補充するスピードも日本陸軍の方が上だった。ロシアはヨーロッパ方面から補充兵を鉄道で輸送しなければならない。しかも鉄道は武器弾薬、食糧、医薬品なども輸送しなければならない。このため、ロシア陸軍は物資の蓄積と補充兵の充足を待った方が良かった。
ところがロシア政府の政治的立場が其れを許さなかった。旅順が早々に陥落し、日本陸軍が満州に進撃していることはロシアの国際的立場を弱体化させていた。ロシア政府はフランスがロシアの実力を疑って露仏同盟を破棄することを怖れた。さらに、敗戦となればオスマンやドイツがロシアを軽く見て戦争を仕掛けてくることも懸念していた。
実際はロシアが対ドイツとの関係でフランスにとって不可欠なので満州南部から引いても良かった。フランスはロシアがヨーロッパ方面を重視してくれることを熱望していた。ドイツやオスマンにしても当時の軍事技術でサンクトペテルブルクやモスクワを急襲するのは無理だった。それが可能となるのはロシア陸軍が大打撃を被った時だけだった。そうなると、ロシアとしては日本帝国との講和に応じるかロシア陸軍の準備完了まで攻勢を控えた方が良かった。ところがニコライ2世などは国内での政府の威信もあって、この事を理解したがらなかった。このため、クロパトキンに攻勢を強要した。このため、ロシア陸軍は攻勢を早々に行うことになった。
11月10日、ロシア陸軍は攻勢に移った。狙いは日本陸軍の右翼だった。日本陸軍部隊は西から沈旦堡を中心に第2軍団が、沙河堡を中心に第3軍団が、第3軍団戦区から陶山子にかけて第4軍団が展開した。第1軍団は遼陽の北に位置する煙台を中心に展開していた。どの軍団にロシア陸軍が攻勢を仕掛けても精鋭の第1軍団が駆けつける態勢だった。
配置に意図的だが隙を作ってあった。陶山子と本淫湖の間が手薄だった。本淫湖には第14師団が展開していたが、陶山子の間には第5騎兵旅団が展開しているだけだった。大谷陸軍参謀総長は、ここにロシア陸軍を誘い込むことを意図していた。ロシア陸軍は、第5騎兵旅団を突破して第4軍団を前後から挟撃しようとする筈で、そこに第1軍団を急行させて突破したロシア陸軍部隊を撃破する計画だった。西の第2軍団を攻撃してくることも考えられるが、第2軍団の側面には渾河があり、渡河の手間を考えると可能性は低かった。
第2軍団の戦区は第1軍団にも、総予備が展開している遼陽にも近い。第2軍団に攻勢を行ってくれた方が日本陸軍にとっては好都合だったが、クロパトキンは其処まで間抜けではないだろうと予想された。この作戦だと前後から挟撃されかねない第4軍団が危険だが、クロパトキンに大胆な攻勢を実行させるには他の手がなかった。第4軍団には第15師団が増強されていたが、危険であることに変わりはなかった。しかし、当時は無謀な作戦ではなかった。
当たり前だが、当時は機甲師団も機械化歩兵師団もない。主力は歩兵だった。歩兵の走る速度に対応すれば良いので、充分に救援は間に合うと見積もられていた。騎兵部隊が歩兵部隊に勝つことは極めて困難だった。それに、ロシア陸軍の騎兵部隊は下馬戦闘も偵察も苦手だった。ロシア陸軍騎兵部隊は乗馬突撃を主任務として訓練されていた。日本陸軍部隊が動揺しなければ撃退は容易だった。下士官や准士官も志願兵である日本陸軍部隊の実力を陸軍参謀本部も信頼していた。このため、この作戦が採られた。大谷陸軍参謀総長は何時も通り、各軍団の軍団長などと協議を重ねて意思疎通を徹底させた。特に、第4軍団の黒木為朝中将とは入念に協議した。こうして、日本陸軍は万全の態勢でロシア陸軍を迎え撃つことになった。
ロシア陸軍は予想通り、11月10日から本淫湖と陶山子の間を突破して第4軍団の背後を突こうとした。ロシア陸軍の2個騎兵師団は第4騎兵旅団の警戒網を突破して第5騎兵旅団の防御線を突破しようとした。ロシア陸軍騎兵部隊が颯爽と進む。第4騎兵旅団の騎兵部隊はロシア陸軍騎兵部隊を確認すると、信号弾を発射して退却した。しかし、第4騎兵旅団の部隊や第5騎兵旅団の部隊が立ち塞がる。日本陸軍騎兵部隊は下馬戦闘を行った。騎兵部隊員達が下馬し、馬を遮蔽物の陰に隠す。騎兵部隊員達は膝射の姿勢で小銃を構えて待機する。
距離が約500mになると、機関銃と小銃の銃撃が始まる。ロシア陸軍の騎兵が薙ぎ倒されていく。再集しようとするロシア陸軍騎兵部隊に日本陸軍の騎兵砲部隊が発砲して最集を妨害する。日本陸軍騎兵部隊はロシア陸軍騎兵部隊の動きに合わせて展開し、下馬戦闘を行って撃退した。特に、機関銃部隊が大活躍してロシア陸軍騎兵部隊の突撃を粉砕した。
最初からクロパトキンの計画は躓いた。騎兵部隊は後の機甲部隊のような働きは無理だった。ロシア陸軍の騎兵部隊が散開して戦線の後方に浸透しようとすれば結果が少しは異なっていたかもしれないが、そんな訓練をロシア陸軍は行っていなかった(他国の陸軍も正式には行っていない)。このため、乗馬突撃を密集して敢行し、機関銃と小銃の銃撃に薙ぎ倒された。
何とか第4軍団の後方に回ろうとした騎兵部隊も第9師団の防御線に引っ掛かる。まず、第9師団の野砲部隊が次々に発砲する。榴弾がロシア陸軍騎兵部隊の隊列に飛び込み、次々に炸裂する。ロシア陸軍騎兵が次々に吹き飛んでいく。更にロシア陸軍騎兵部隊が進むと、山砲部隊も砲撃を開始する。そして、第9師団の歩兵部隊の小銃兵達が膝射の姿勢で発砲し始めた。機関銃部隊も射撃を開始する。機関銃と小銃の銃撃がロシア陸軍騎兵部隊を薙ぎ倒していった。2個のロシア陸軍騎兵師団は苛立っていた。数で劣る下馬騎兵に自軍の騎兵部隊が薙ぎ倒されていたからだ。
ロシア陸軍の2個騎兵師団はそれぞれ1個連隊を下馬させ、砲兵隊と併せて日本陸軍の下馬した騎兵部隊を攻撃させた。そして、残りは援護を受けながら強引に突破した。ロシア陸軍騎兵が薙ぎ倒されるが、下馬騎兵部隊が伏射で射撃し、砲兵隊が日本陸軍部隊に榴散弾を浴びせる。日本陸軍騎兵部隊員達は榴散弾の炸裂に伏せ、下馬部隊の銃撃にも応戦する。その間に、ロシア陸軍騎兵部隊は次々に突破する。ロシア陸軍の騎兵部隊は第4騎兵旅団と第5騎兵旅団の防衛線を相次いで突破した。
しかし、日本陸軍の増援部隊が相次いで到着する。急行してきたのは第1騎兵旅団、第3騎兵旅団、教導騎兵旅団だった。日本陸軍の騎兵部隊は下馬する。将校の命令で騎兵部隊員達は隊形を組む。ロシア陸軍騎兵部隊が距離500mにまで迫る。下馬した騎兵部隊は膝射で射撃を開始する。騎兵部隊所属の機関銃部隊も射撃を開始する。ロシア陸軍の騎兵部隊は機関銃と小銃の銃撃で薙ぎ倒されていく。ロシア陸軍騎兵部隊は各所で突撃を敢行するが、その度に銃撃で薙ぎ倒された。下馬してもロシア陸軍騎兵部隊は、機関銃を装備している日本陸軍騎兵部隊を突破できなかった。その上、第4軍団の日本陸軍部隊も騎兵部隊の支援に駆け付ける。ロシア陸軍の2個騎兵師団は大損害を被り、退却した。ロシア陸軍の騎兵部隊で第4軍団の後方を突こうとの試みは失敗に終わった。
しかし、後続としてシベリア第3軍団とシベリア第4軍団が出現した(当時のロシア陸軍は2個師団を基幹としていた)。同時に、ロシア陸軍は全戦線で攻勢に出た。しかし、ロシア陸軍の主攻は日本陸軍の第4軍団の戦区だった。シベリア第3軍団とシベリア第4軍団は進撃する。第5騎兵旅団などの日本陸軍騎兵部隊は騎乗すると退却した。ロシア陸軍部隊は第9師団を突破しようとした。しかし、南に正面を向けていた第9師団の防御線を突破できなかった。ロシア陸軍の砲撃が第9師団の各部隊に降り注ぐ。しかし、塹壕に籠る第9師団の各部隊に効果はなかった。
続いて、ロシア陸軍歩兵部隊が迫る。今回の戦闘からロシア陸軍部隊は、やや散開した横隊で攻撃してきた。後にクロパトキン陣形と呼ばれた陣形だった。各人の間隔を5mとり、8人8列の小隊で、横隊で突撃してきた。従来に比べれば散開していたが、横一線の横隊に変わりはなかった。
ロシア陸軍歩兵部隊が約500mにまで迫ると日本陸軍歩兵部隊の銃撃が始まる。機関銃と小銃の銃撃でロシア陸軍兵士が薙ぎ倒されていく。山砲部隊とストークス臼砲部隊の近距離砲撃も始まる。特に、ストークス臼砲部隊による砲撃は伏射しているロシア陸軍歩兵にも効果抜群だった。日本陸軍の野砲部隊と榴弾砲部隊の砲撃を開始する。多数の榴弾が着弾し、炸裂する。後続のロシア陸軍歩兵部隊が薙ぎ倒されていった。
第4軍団の狙撃班も活躍した。第9師団以外の師団からも狙撃班が抽出されていた。効果的にロシア陸軍部隊を足留めし、ロシア陸軍部隊の将校を狙撃した。ロシア陸軍部隊は将校が死傷すると、固まって動かなくなるか突撃する傾向があり被害を拡大させた。日本陸軍の各騎兵旅団は下馬戦闘で効果的にロシア陸軍部隊を足留めした。ロシア陸軍の野砲部隊からの砲撃で全ての馬を失った中隊もあったが、銃撃を続けてロシア陸軍の歩兵部隊を足留めした。シベリア第3軍団とシベリア第4軍団は戦線の突破に苦労していた。
その間に、第1軍団が到着した。第1軍団には近衛師団と教導砲兵旅団も増強されていた。シベリア第3軍団とシベリア第4軍団は第1軍団に攻撃された。第12師団と第23師団はシベリア第3軍団とシベリア第4軍団を南部から攻撃した。第1軍団の到着と共に本淫湖でロシア陸軍の1個歩兵師団と数個騎兵連隊に足止めされていた第14師団も反攻に転じてロシア陸軍部隊を攻撃した。シベリア第3軍団とシベリア第4軍団は逆に包囲されそうになり大急ぎで退却した。クロパトキンは他の戦線でもロシア陸軍部隊が突破できないので総退却を指示した。
11月11日、大谷陸軍参謀総長は第4軍団に戦線を維持させながら前進させ、第1軍団によるシベリア第3軍団とシベリア第4軍団の包囲を支援させた。第2軍団には小新民屯を占領して鉄道線に到達することが目標だった。各軍団にはロシア陸軍部隊の撃滅が目標だと指示された。主に、第1軍団と第4軍団による東部のロシア陸軍兵力(特にシベリア第3軍団とシベリア第4軍団)を撃破することが目的だった。このため、第2軍団と第3軍団にはロシア陸軍の逆襲を警戒して前進速度を落とすように指示された。第2軍団と第3軍団の追撃はロシア陸軍部隊に対する牽制だった。
大谷陸軍参謀総長は戦力が分散して逆襲を受けやすい両翼包囲を嫌っていた。まだ、航空偵察がない時代であり、敵予備兵力の位置が分からなかったからだ。実際、第2軍団の北からムイコフ隊(2個師団)が第2軍団の第1師団に攻撃を仕掛けて第2軍団の進撃を阻止した。第2軍団は戦線を整理して進撃速度を控えめにした。
一方、第1軍団と第4軍団はシベリア第3軍団とシベリア第4軍団を追い詰めていた。両軍団の各師団が圧迫を加えてロシア陸軍の両軍団は崩壊寸前になった。両軍団に属していない第15師団がシベリア第3軍団とシベリア第4軍団の背後に回り、退路を断とうとした。
ところが11月12日、クロパトキンの投入した2個師団による攻撃で阻止された。第15師団の東を進撃していた近衛師団にも1個師団と騎兵部隊の残存部隊が対峙して防御線を展開し始めた。このため、シベリア第3軍団とシベリア第4軍団を包囲撃滅することはできなかった。しかし、第1軍団と第4軍団は両軍団の部隊に攻撃を続けて両軍団を潰走に追い込んだ。クロパトキンは必死に戦線を立て直し、最後の予備の2個師団も投入して自らロシア陸軍左翼を指揮して日本陸軍の第1軍団と第4軍団などの進撃を阻止しようとした。
11月13日、クロパトキンはロシア陸軍右翼をステッセルに任せて奉天要塞への退却を指示した。北部の鉄道線を一時的に日本陸軍が占領しても構わないと指示した。奉天要塞には充分な備蓄があるし、日本陸軍部隊の間隔が広がれば反転攻勢のチャンスとなるからだ。しかし、第2軍団は大谷陸軍参謀総長の指示で深追いはしなかった。クロパトキンは空いた兵力を次々にロシア陸軍左翼に投入して左翼の退却を支援した。また、逐次、蛸壺型の一人用の塹壕を掘らせて銃撃を行う様に指示した。少しでも日本陸軍部隊の進撃を遅らせるためだった。
ロシア陸軍歩兵部隊が塹壕から射撃を行う。日本陸軍歩兵部隊は伏射で攻撃する。ストークス臼砲部隊と山砲部隊も砲撃して支援する。しかし、ロシア陸軍部隊も予備隊を投入して銃撃を続ける。しかし、日本陸軍の野砲部隊と榴弾砲部隊が調整した砲撃を開始する。観測兵部隊により砲撃が誘導され、次々に榴弾が着弾して炸裂する。
ロシア陸軍部隊の塹壕は急造であり、調整された榴弾による砲撃には無力だった。塹壕のロシア陸軍歩兵達が榴弾の炸裂で死傷していく。信号弾が日本陸軍歩兵部隊から上げられ、砲撃の着弾地点がロシア陸軍の第2線に移された。ストークス臼砲部隊と山砲部隊の支援もあって着実に日本陸軍歩兵部隊は前進する。特に、ストークス臼砲部隊は弾幕をロシア陸軍の塹壕に浴びせ、射撃を妨害した。
日本陸軍歩兵中隊は2個小隊が射撃し、2個小隊が前進した。日本陸軍の機関銃部隊も同様の戦術で小銃部隊に随伴して進撃する。日本陸軍の銃撃は的確で塹壕のロシア陸軍歩兵は効果的に応戦できなかった。機関銃や小銃の銃撃で塹壕に隠れるか身を乗り出して死傷していった。ロシア陸軍歩兵部隊は日本陸軍部隊の射撃と砲撃で撃ち竦められた。
典型的な日本陸軍歩兵中隊の制圧例は次の通り。塹壕に接近した日本陸軍歩兵の2個小隊は次々に手榴弾を投擲する。塹壕のロシア陸軍歩兵が爆発で死傷していく。日本陸軍歩兵部隊は塹壕を手榴弾で制圧していった。2個小隊と機関銃部隊は銃撃で援護し、塹壕のロシア陸軍部隊を塹壕に押込める。ストークス臼砲部隊と山砲部隊も塹壕を砲撃して効果的にロシア陸軍部隊の射撃を封じた。特に、ロシア陸軍の機関銃部隊を優先して砲撃した。
援護を受けた日本陸軍歩兵部隊は側面や後面に回り込み、ロシア陸軍の塹壕を半包囲する。それから、日本陸軍将校が攻撃を停止させる。小銃と機関銃による一斉射撃が浴びせられた後、降伏が呼び掛けられる。負傷していたロシア陸軍歩兵は相次いで降伏した。しかし、残りのロシア陸軍歩兵は抵抗を続け、殺害されていった。次は援護していた2個小隊が前進し、同じように援護を受けながら制圧していった。ロシア陸軍部隊の薄い防御線は崩れ始めた。
しかし、ロシア陸軍部隊も犠牲覚悟で戦線を維持し続けた。直ぐに新たな戦線が形成される。ロシア陸軍歩兵部隊が塹壕を掘り、射撃を続ける。日本陸軍部隊も砲兵隊の支援がなければ、犠牲が出る。このため、砲兵隊が展開するまで待つことになり多くのロシア陸軍部隊が脱出していった。結局、クロパトキンの防御により包囲は失敗し平手押しに近い追撃となってしまった。
しかし、日本陸軍の第1軍団と第4軍団などの勢いを止めることはできなかった。日本陸軍部隊は砲兵隊の支援を受けながら進撃する。榴弾砲部隊と野砲部隊から榴弾が降り注ぐ。榴弾が着弾して次々に炸裂する。浅い塹壕にいるロシア陸軍歩兵が吹き飛ばされていく。日本陸軍歩兵部隊が接近すると信号弾が上げられる。観測兵部隊の誘導で榴弾砲部隊の砲撃がロシア陸軍の後方の防衛線に集中される。野砲部隊は前線の山砲部隊やストークス臼砲部隊が発射する発煙弾を目標にして、歩兵部隊の進撃方向の側面のロシア陸軍部隊を砲撃する。
日本陸軍歩兵部隊は機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊の援護を受けながら進撃する。日本陸軍の歩兵中隊は2個小隊が交互に前進し、一方が援護射撃をして距離を縮めた。機関銃部隊の銃撃、ストークス臼砲部隊と山砲部隊の砲撃もあってロシア陸軍部隊の銃撃は封じられた。特に、ストークス臼砲部隊の弾幕射撃は効果的でロシア陸軍の機関銃部隊を殺傷し、銃撃を困難にした。
日本陸軍歩兵部隊は接近すると、次々に手榴弾を投擲してロシア陸軍の塹壕を制圧していった。ロシア陸軍の後衛部隊は日本陸軍部隊の攻撃に抗しきれず、総崩れになった。後衛部隊を突破した日本陸軍歩兵部隊は後退していたロシア陸軍砲兵隊にも攻撃を加えた。シベリア第3軍団とシベリア第4軍団などの、日本陸軍の第4軍団を攻撃した部隊は野砲と榴弾砲の殆どを遺棄して退却せざるを得ない程だった。
なお、この間、日本陸軍の騎兵部隊は文句を言いつつ、任務に従事していた。師団所属の偵察騎兵部隊だけでなく、騎兵旅団も1個連隊を交代で抽出されて歩兵部隊を支援していた。それも、歩兵部隊に弾薬などを補給したり、負傷者を後送するなどの任務だった。日本陸軍の将官達は陸軍参謀総長以下、騎兵部隊が歩兵部隊に無力であることを得利寺会戦で再認識していた。元から騎兵部隊が歩兵部隊に無力であることは認識されていたが、得利寺会戦で決定的となった。
このため、騎兵部隊は追撃任務も外されて歩兵部隊を支援するのが主任務とされた。戦闘中なのに、旅団長や連隊長が抗議の使者を各司令部に送った。しかし、得利寺会戦での第1騎兵旅団の惨状を説明した覚書を渡されて追い返された。騎兵部隊を除いて、日本陸軍部隊は優勢であり全戦線でロシア陸軍部隊を圧迫していた。
クロパトキンは渾河の橋を渡らせてロシア陸軍部隊を退却させた。順次、ロシア陸軍部隊は旅順要塞に逃げ込む。11月15日、日本陸軍の第15師団は撫順を占領した。クロパトキンは奉天要塞をステッセルのシベリア第1軍団を基幹とする部隊に守らせて主力を北方に退却させた。第2軍団は馬三家子を占領して鉄道線の寸断を目指していたがロシア陸軍の4個師団、約1万のミシチェンコ騎兵集団が迎撃してきたので進撃を断念して防御に移行した。第3軍団は奉天要塞の外周に達したところで追撃を断念して第2軍団の援護に部隊を抽出した。第1軍団と第4軍団なども奉天要塞の外周に迫ったが、要塞を急襲で占領するのは無理だった。
このため、大谷陸軍参謀総長の指示で日本陸軍の各軍団は追撃を中止して戦線整理に着手した。こうして、11月16日、沙河会戦は終わった。両軍の損害は次の通り。日本帝国陸軍の損害は戦死が約1万6千、負傷が約4万。ロシア陸軍の損害は戦死が約3万7千、捕虜が約7万、負傷が約4万。日本帝国陸軍はロシア陸軍に大打撃を与え、奉天要塞を孤立化させることに成功した。国際的にも日本帝国の優位が改めて印象付けられた。
ロシア陸軍は奉天の北の鉄嶺まで退却した。クロパトキンは解任され、リネウィッチが極東ロシア陸軍の総司令官に任命された。リネウィッチはクロパトキンを非難していたが、自分が同じ立場になると弱気になった。ロシア陸軍を前進させるのを躊躇った。一方、日本陸軍は奉天要塞を完全に包囲した。しかし、ロシア陸軍の逆襲を警戒して鉄道線を破壊した上で反包囲状態に移行した。
奉天要塞の攻略には最低でも半年は掛かると予想されていたので今から攻略戦を始めても冬期になってしまう。満州で冬期に歩兵を行動させると大量の犠牲者を出すのは確実だった。万種の厳寒な冬では体力を大幅に消耗し、凍傷者も大量に発生する。日本陸軍の冬季装備は万全だったが負傷すると死亡する確率が高まる。要塞攻略や塹壕線の突破では遮蔽物の陰に隠れて待機しなければならない。歩兵の体力が消耗すると前進は困難だし、負傷すれば後送中に死亡する確率が高かった。このため、冬期の要塞攻撃は最悪であり、野戦も避けたかった。更に冬期の満州では地面が固くなり、塹壕を掘るのが困難になる。要塞攻略戦では突撃壕を掘って敵陣地との距離を詰めるのが基本なので致命的だった。
これらの要因から、大谷陸軍参謀総長は奉天要塞に威力偵察や嫌がらせの砲撃を加えつつ、春を待つことにした。奉天要塞を完全包囲しなかったのはロシア陸軍の冬季攻勢を警戒したためだった。要塞を完全包囲すると日本陸軍の兵力が包囲網の形成に取られてしまう。ロシア陸軍が犠牲無視の攻勢を行った場合、戦線が崩壊する恐れがあったからだ。また、ロシア陸軍の救援軍が現れた時に奉天要塞のロシア陸軍部隊が出撃してくることも期待していた。そうなれば、要塞攻略の手間が省けるからだ。
しかし、大谷陸軍参謀総長を始めとして日本陸軍の将官達はロシア陸軍の冬期攻勢を期待はしていたが、可能性は低いと判断していた。前述の様に歩兵部隊が攻撃の主役である以上、冬期攻勢は攻撃側に不利な点が多い。ロシア陸軍は大損害を被っており、さらに犠牲の大きい冬期攻勢を行うのが不合理なのは明白だった。ロシア陸軍は春まで戦力を蓄積してから反撃を行う方が良いのは明白だった。ロシア陸軍の多くの将官も同じようなことを考えていた。しかし、ニコライ2世は冬期攻勢の困難に対する認識が足りなかったし(ナポレオンによるロシア侵攻を撃退した時も冬期にロシア陸軍兵士も多く死亡しているのだが)、国内的に現体制への信頼が揺らいでいたのでリネウィッチに早期の攻勢を強要した。
1907年1月1日、ロシア陸軍は反攻作戦を発動した。今度の目標は日本陸軍の左翼だった。リネウィッチの作戦計画は単純で奉天要塞の西部を固めている第2軍団と第3軍団の撃滅を狙った作戦だった。まず、第3軍団に平手押しの攻撃を加える。ただし、砲撃を中心とする。第2軍団に対しても牽制攻撃を加える。この日は突破を目指さなくて良い。
2日目に、日本陸軍右翼の第4軍団と第5軍団にも攻撃を加える。主に第4軍団を攻撃すると共にミシチェンコ騎兵集団(約1万)を戦線後方に送り込んで日本陸軍の予備をロシア陸軍左翼に引き付ける。日本陸軍の予備が急行してきた場合は防戦に転じること。
3日目に、日本陸軍の第2軍団と第3軍団に平手押しの攻撃を加えて正面を拘束し、両軍団の境界線に馬家三子と大房身を総攻撃する。奉天要塞の籠城軍にも牽制攻撃を加えさせる。馬家三子と大房身を陥落させたら、戦略予備を日本陸軍の第2軍団に振り向けて奉天要塞の籠城軍と挟撃させる。これで奉天要塞を解囲させることができる。以上がリネウィッチの作戦の概要だった。
日本陸軍はリネウィッチの攻勢を察知しており、防御を固めていた。大谷陸軍参謀総長は、今回もロシア陸軍に主導権を譲ることにした。前述の様に、この時代は防御側が情報面と移動速度(攻撃側は敵と接触すると鉄道を基本的には使えない)で有利だったからだ。防御側と接触した瞬間に攻撃側の利点は失われてしまう。なお、1月1日、ミシチェンコ騎兵集団は早くも第4軍団の偵察騎兵部隊に発見されてしまった。これで、ロシア陸軍の作戦は最初から躓いた。ただし、リネウィッチは余り気にしていなかった。どちらにしろ、日本陸軍は兵力を自軍の右翼に割くと思ったからだ。しかし、余り陽動にはならなかった。
大谷陸軍参謀総長が派遣したのは教導騎兵旅団、第6騎兵旅団、海兵隊3個旅団だけだった。日本陸軍では騎兵部隊は基本的に脅威にならないと日露戦争で再認識していた。日本帝国が参戦したアロー号戦争で清国軍の騎兵部隊は無力だった。幕府軍時代でも幕府陸軍歩兵部隊(幕府海軍海兵隊、幕府軍所属の外人部隊も)が騎兵部隊単独の攻撃で負けた例はなかった。外国の戦例でもクリミア戦争、南北戦争、普仏戦争で騎兵部隊は歩兵部隊に勝てなかった。このため、騎兵部隊が側面や後方に回っても日本帝国陸軍の将官達(日本帝国海軍の海兵隊の将官達も)が脅威に思うことはなかった。
ただ、騎兵部隊が後方の砲兵陣地や補給所などを襲撃すると作戦遂行上の障害になることは知られていた。ボーア戦争でボーア陸軍がイギリス陸軍を馬に乗ったコマンド部隊による襲撃で苦しめていたからだ。しかし、ロシア陸軍の騎兵部隊は密集した乗馬突撃を主任務としていたので脅威と見做されていなかった。このため、騎兵部隊と海兵隊で充分だとされた。そして、実際に充分だった。
ミシチェンコ騎兵集団が進む。進路を下馬した日本陸軍の騎兵部隊が塞ぐ。ロシア陸軍騎兵部隊は変分を下馬させ、攻撃させる。日本陸軍の騎兵部隊員が伏射で小銃の射撃を始める。ロシア陸軍部隊は膝射で応戦する。当然、姿勢の低い日本陸軍騎兵部隊が有利だった。ロシア陸軍の騎兵部隊は射撃戦が苦手であり、伏射は殆んど訓練していなかった。更に機関銃が配備されておらず、日本陸軍騎兵部隊は余裕で防戦した。
下馬部隊の銃撃に合わせてロシア陸軍騎兵部隊が突撃する。しかし、日本陸軍騎兵部隊の機関銃がロシア陸軍騎兵を薙ぎ倒していった。ロシア陸軍の騎兵砲部隊も日本陸軍の騎兵砲部隊との砲撃戦に忙殺されて効果的に支援できない。一向に、突破できないのでミシチェンコは日本陸軍の騎兵部隊を迂回させて日本軍の後方拠点を攻撃させた。幾つかの後方拠点を襲撃した。日本陸軍の兵站部隊の兵士達も小銃で応戦して持ちこたえた。しかも、海兵隊が列車で逐次、増援として到着した。
海兵隊は到着すると、ストークス臼砲部隊と山砲部隊を展開させた。次々に榴弾が撃ち込まれ、ロシア陸軍騎兵部隊が薙ぎ倒されていく。海兵隊の歩兵部隊も展開して銃撃を加える。慌てて、ロシア陸軍騎兵部隊は退却する。ミシチェンコ騎兵集団を教導騎兵旅団と第6騎兵旅団が海兵隊の支援を得て攻撃した。第1海兵隊旅団の砲兵隊(榴弾砲部隊を増強)が砲撃する。日本陸軍の騎兵旅団は下馬戦闘で攻撃した。ミシチェンコ騎兵集団は退却した。
その後、第4軍団の後方に向かったが日本陸軍の2個騎兵旅団も攻撃を続けたので戦闘に貢献できなかった。鉄道で海兵隊も順次、増援に駆け付ける。ロシア陸軍騎兵部隊は小部隊に分かれて後方に浸透する訓練を受けていなかった。このため、日本陸軍部隊が対処するのは極めて容易だった。ミシチェンコ騎兵集団は退却を余儀なくされた。
11日は日本陸軍の第2軍団と第3軍団にロシア陸軍の第6、第17、第10の各軍団が砲撃を中心として猛攻を行った。しかし、日本陸軍の第2軍団と第3軍団は楽に防戦できた。というのも、ロシア陸軍部隊の砲弾の大半が榴散弾だったからだ。榴弾も含まれていたが、生産が間に合わなかった。日本陸軍の塹壕は深く掘られており、塹壕線もカミナリ型の構造(直線部分も凹凸が続く)で最低でも三線になっていた。このため、ロシア陸軍の砲撃は全く効かなかった。ロシア陸軍砲兵隊が次々に発砲する。唸りを上げて榴散弾が日本陸軍の塹壕に向かう。次々に榴散弾が炸裂し、散弾が降り注ぐ。しかし、貫通力がなく日本陸軍部隊は全員がヘルメットを標準装備している。見かけの派手さとは裏腹に、全く効果がなかった。
日本陸軍砲兵隊の逆襲が始まる。日本陸軍の観測兵部隊が偽装トーチカなどから砲撃を誘導する。まず、発煙弾が撃ち込まれ、観測兵部隊が風向きを確認する。それから試射が始まり、観測兵部隊の指示で「効力射」が指令される。日本陸軍砲兵隊が猛射を開始する。多数の榴弾が発射され、次々にロシア陸軍砲兵陣地に着弾する。次々に炸裂して、ロシア陸軍砲兵隊の大砲と兵士を吹き飛ばしていく。ロシア陸軍の砲兵隊は大損害を被り、砲撃の勢いが衰えた。
砲撃戦は日本陸軍砲兵隊が圧倒的に有利だった。日本陸軍の砲兵部隊の陣地は入念なカモフラージュが施されていた上に、防御も堅固だった。ロシア陸軍砲兵部隊の大砲の大半は野砲であり、砲弾も榴散弾だった。上からの砲弾の脅威が少なく、貫通力も殆どない榴散弾なので防御は楽だった。しかも榴弾砲の攻撃を想定して防御工事が施されていた。ロシア陸軍は攻勢側なので陣地を入念に造る時間がない。しかもリネウィッチは急襲を重視して砲兵隊の防護を充分にしなかった。
ロシア陸軍の攻勢は最初から躓いていた。ロシア陸軍の歩兵部隊も日本陸軍の塹壕線に攻撃を開始する。距離500mになると、日本陸軍歩兵部隊による小銃の銃撃が始まる。山砲部隊とストークス臼砲部隊も砲撃を開始する。砲撃と銃撃でロシア陸軍歩兵部隊が薙ぎ倒されていく。観測兵部隊の誘導で、榴弾砲部隊も砲撃を開始する。ロシア陸軍の後続部隊が砲撃で吹き飛ばされる。ロシア陸軍部隊の攻勢の勢いは忽ち衰えた。ロシア陸軍部隊は後退して態勢を立て直し、攻撃を続行する。銃剣突撃は控えめにしていた。しかし、満州の冬の地面は固くて歩兵が壕を掘れなかった。このため、損害が増え続けた。固い地面により、榴弾の爆発のエネルギーが地面に逃げず破片効果も増す。爆風と破片でロシア陸軍兵士が次々に死傷していった。
ロシア陸軍歩兵の死体が平原一帯に散らばった。日本陸軍の第4軍団と第5軍団の戦線でも似たような状況だった。極度の寒さにより、ロシア陸軍の負傷者も次々に死亡した。この日は牽制攻撃だけだったが、それでも損害は大きかった。このため、ロシア陸軍の参謀達や軍団長達は早くも攻勢中止を主張した。しかし、リネウィッチは大言壮語した手前、攻勢の続行を命じた。
1月2日、ロシア陸軍の第1~4軍団などは日本陸軍の第4軍団と第5軍団に攻撃を集中した。作戦通り、第4軍団に攻撃を集中し、撫順を迂回して第4軍団の背後に回ろうとした。第4軍団は第9師団の1個旅団に戦線を延ばさせて阻止行動をとらせた。第4騎兵旅団も下馬戦闘を行ってロシア陸軍部隊を足留めした。
ロシア陸軍部隊が距離500mまで迫ると、日本陸軍部隊が銃撃を始める。小銃の銃撃で密集した隊形を組んでいるロシア陸軍兵士が次々に倒れていく。同時に、ストークス臼砲部隊と山砲部隊も砲撃を開始する。次々に榴弾が炸裂し、ロシア陸軍兵士が薙ぎ倒されていく。第4騎兵旅団の騎兵砲部隊も砲撃し、ロシア陸軍歩兵部隊に榴弾を叩きこむ。ロシア陸軍将校も狙撃で次々に倒れていく。ロシア陸軍歩兵部隊は伏射で応戦する。しかし、射撃が下手な上に、冬期迷彩で白い軍服を着用して散開している日本陸軍部隊に殆ど当たらない。一向に、日本陸軍部隊の銃撃が衰えない。その上、ストークス臼砲部隊の弾幕射撃は頭上から榴弾が降り注ぐ。固い地面で壕も掘れないので伏射でも損害は増える一方だった。
苛立ったロシア陸軍歩兵部隊は縦列で銃剣突撃を敢行する。日本陸軍の機関銃部隊が銃撃を始め、ロシア陸軍歩兵を薙ぎ倒していく。リネウィッチはクロパトキンと違い、銃剣突撃を抑制させることができなかった。壕が掘れないこともあってロシア陸軍部隊は我慢できず、積極的に銃剣突撃を敢行した。このため、日本陸軍の機関銃部隊に薙ぎ倒されていった。ロシア陸軍砲兵隊が援護のために砲撃を開始する。榴散弾だが、今回は日本陸軍部隊も急な展開で陣地の防護が充分にできない。数も上だ。このため、ロシア陸軍砲兵隊の砲撃も其れなりに効果的だった。
飛来した榴散弾が次々に炸裂し、散弾が降り注ぐ。日本陸軍砲兵隊員が散弾で死傷していく。悲鳴、負傷者の呻き声、「衛生兵!」の声が響く。それでも日本陸軍砲兵隊は屈しない。「砲手交代!」の号令で砲手達が配置に就き、砲撃を再開する。日本陸軍砲兵隊の大砲は白く迷彩されていた上に、ロシア陸軍の観測兵部隊の技量が高くなかった。このため、旅団所属の日本陸軍砲兵隊は反撃を続けることができた。日本陸軍歩兵部隊も砲撃に晒された。
しかし、白い迷彩の軍服を着る日本陸軍歩兵を砲撃するのは難しかった。このため、日本陸軍歩兵部隊は銃撃を続けた。機関銃も小銃も白い布を巻いており、機関銃は細目に移動して射撃を続けた。日本陸軍の山砲部隊は榴散弾の砲撃で退却を余儀なくされたが、ストークス臼砲部隊は目立たないので分散しつつも砲撃を続けた。ロシア陸軍部隊も進撃するが、日本陸軍部隊も粘り強く抗戦を続けた。
その間に、総予備の第19師団が列車で順次、到着した。第19師団の砲兵隊が砲撃戦に加わり、ロシア陸軍砲兵隊の勢いを弱めた。ストークス臼砲部隊と山砲部隊も前線に進出し、砲撃を加える。第19師団の歩兵部隊が前線に展開して銃撃を始める。ロシア陸軍部隊の攻勢は行き詰った。
第5軍団の第13師団も列車で到着する。第13師団は迂回したロシア陸軍部隊の側面を逆に迂回して側面攻撃をかけた。第13師団の砲兵隊が砲撃を始める。榴弾がロシア陸軍砲兵隊に降り注ぐ。次々に榴弾が着弾し、炸裂する。ロシア陸軍砲兵隊は側面からの砲撃で態勢が整わず、苦戦した。第13師団の歩兵部隊は機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊の支援を受けて進む。ストークス臼砲部隊と山砲部隊が砲撃を始め、ロシア陸軍歩兵を次々に吹き飛ばしていく。
第13師団の歩兵中隊は2個小隊が進撃する間、2個小隊が射撃した。第13師団の機関銃部隊は効果的に支援を行い、ロシア陸軍歩兵部隊を撃ち竦めた。ロシア陸軍歩兵部隊は銃撃戦で劣勢になり、苛立って銃剣突撃をしては銃撃と砲撃で薙ぎ倒されていった。ロシア陸軍部隊は後退を余儀なくされる。
予備として待機していたミシチェンコ騎兵集団は第13師団を背後から急襲しようとした。しかし、第5騎兵旅団と教導騎兵旅団がミシチェンコ騎兵集団を阻止した。両騎兵旅団は下馬戦闘を行った。下馬した日本陸軍部隊が小銃で銃撃し、騎兵砲部隊も次々に発砲する。ロシア陸軍騎兵部隊が苛立って突撃してくると、機関銃部隊が薙ぎ倒していった。下馬したロシア陸軍騎兵部隊の援護も効果的でなく、ロシア陸軍騎兵部隊員の死体が増えるばかりだった。
その上、列車で日本海兵隊3個旅団が順次、到着して戦線に加わる。日本陸軍の騎兵部隊で足止めされ、列車で日本軍の予備隊が機動して対応する。ミシチェンコ騎兵集団は退却を余儀なくされた。第9師団は危機を脱した。戦線の状況は安定した。
しかし、ロシア陸軍の攻撃は熾烈だった。新たな攻勢が発動された。撫順と第5軍団の中間にある渡架橋に対して連続した攻勢が行われた。総予備の第20師団と第21師団、教導歩兵旅団が列車で順次、到着した。第5軍団の第14師団は攻勢を撃退し続けた。しかし、ロシア陸軍部隊の数が多く、第1線の塹壕線を放棄した。教導歩兵旅団が戦線に到着する。第1線の塹壕線に取りついていたロシア陸軍歩兵部隊に攻撃を開始する。日本陸軍の砲兵隊が奪われた第1線の塹壕線に正確な砲撃を激烈な勢いで行った。
元々が自軍の塹壕なので正確な座標が判明しており、試射も修正も不要だった。塹壕線に榴弾が正確に着弾し、次々に炸裂する。ロシア陸軍歩兵が爆発で吹き飛ばされ、次々に死んでいく。余りに砲撃が的確だったので、パニックに陥った数十名のロシア陸軍歩兵が塹壕を飛び出した程だった。当然、死ぬのを早めただけだった。
教導歩兵旅団は前線に到着すると、信号弾を上げて砲撃を停止させた。日本陸軍砲兵隊は標的を後続のロシア陸軍部隊に移した。ストークス臼砲部隊が塹壕線に弾幕射撃を浴びせ、ロシア陸軍部隊の射撃を妨害する。日本陸軍の山砲部隊は煙幕弾を発砲し、歩兵部隊の側面を遮蔽した。日本陸軍の機関銃部隊が掩護射撃を行い、日本陸軍歩兵部隊が接近する。日本陸軍歩兵部隊は手榴弾を次々に投擲する。塹壕で爆発が起こると、次々に塹壕線へ雪崩れ込んだ。手薄な地点を制圧した日本陸軍歩兵部隊は銃剣で防御しつつ、手榴弾で塹壕を制圧していった。
第14師団も反撃に転じる。第1線に突入したロシア陸軍部隊は正確かつ多量の砲撃で大損害を受けており、簡単に制圧された。第20師団も順次、到着して戦線に加わる。ロシア陸軍部隊の攻撃は完全に行き詰った。その間に、後続の第21師団が到着して戦線の穴を完全に塞いだ。その後、ロシア陸軍は攻撃の手を緩めた。犠牲が多すぎたこともあったが、日本陸軍の総予備を充分に吸収したと判断したからだ(希望的に推測していた)。
実際は、第1軍団と近衛師団の精鋭部隊が無傷で待機していた。日本陸軍は鉄道を使って予備隊を各地に急派しており、予備を残していた。大谷陸軍参謀総長は沙河の会戦が終わった後から、全力で戦線後方の鉄道敷設に取り組んでいた。特に、第4軍団と第5軍団の戦区は迂回の余地が大きいので鉄道線の建設と拡充に力を注いでいた。工兵部隊だけではなく、他の兵科の部隊も作業に協力させられた。こうした努力が実を結んで、今回の戦闘で予備兵力の効率的な移動が可能になった。
また、こうした予備兵力の機動的運用には日本陸軍が構築させた有線の通信網も大きく貢献していた。電信だけではなく、電話も完備していた(電話線は限られていたので使用は緊急時のみ)。このため、ロシア陸軍部隊が攻撃した場合、直ちに情報が上級部隊に伝えられて素早い対応が可能になった。そして、日本陸軍の砲兵隊の的確な砲撃も通信網を利用して観測兵部隊が砲撃を的確に修正できたことによる。これも大谷陸軍参謀総長の命令であり、繰り返し訓練も行われて通信体制が確立されていた。
また、日本陸軍砲兵隊は会戦の前に試射と測量を繰り返し、標定を済ませていた。このため、今回の会戦では発煙弾を発砲して風向と風速を測定するだけで「効力射」に移ることが出来た。試射が省略できるので迅速な砲撃を浴びせることができた。そして、性格だった。今回の会戦における日本軍の優位な点だった。ロシア陸軍部隊は日本陸軍の戦線も突破できず、予備兵力を反対側の戦線に拘束することもできなかった。
1月3日、ロシア陸軍の第1、第8、第6、第17、第10の5個軍団を中心とするロシア陸軍右翼は第2軍団と第3軍団に集中攻撃を加えた。しかし、例によって準備砲撃は殆ど効かなかった。ロシア陸軍歩兵部隊が接近する。距離500mになると、日本陸軍歩兵部隊による小銃の銃撃が始まる。山砲部隊とストークス臼砲部隊も砲撃を始め、多くのロシア陸軍歩兵が吹き飛ばされていく。ストークス臼砲部隊の弾幕射撃は伏射を行っているロシア陸軍歩兵にも有効だった。地面が固くて壕も掘れず、爆発と砲弾の破片も地面に吸収されない。このため、ロシア陸軍歩兵の死傷者は増大した。例によって、苛立ったロシア陸軍歩兵部隊は銃剣突撃を敢行する。日本陸軍の機関銃部隊が射撃を開始し、ロシア陸軍歩兵を薙ぎ倒していく。
日本陸軍砲兵隊の砲撃も開始される。観測兵部隊からの指示で発煙弾が撃ち込まれ、観測兵部隊が修正を伝達すると、激烈な砲撃が始まった。榴弾が降り注ぎ、次々に炸裂した。固い地面の御蔭で効果も増大し、ロシア陸軍兵士達が吹き飛ばされていった。ロシア陸軍の後続部隊は砲撃で遮断され、攻撃の勢いは衰えた。一旦、ロシア陸軍部隊は後退する。既に、大量のロシア陸軍兵士の死体が雪原に転がっていた。それでもロシア陸軍は攻勢を続けて突破を目指した。
今回はロシア陸軍が保有する榴弾が惜しげもなく使われた。このため、観測兵部隊の誘導で砲撃が修正されると次第に砲撃の効力は増した。ロシア陸軍砲兵隊が次々に榴弾を発砲する。日本陸軍の塹壕線に多数の榴弾が着弾して炸裂する。しかし、野砲が砲兵隊の主力であることもあり、効果は見掛けほどではない。また、日本陸軍部隊の塹壕は当初から榴弾による攻撃を想定して造られていた。
それでも今までとは有効性が違った。日本陸軍兵士が次々に死傷し、衛生兵達が走り回って救護活動に当たる。また、前線付近の山砲部隊が集中的に砲撃される。多数の榴弾が着弾し、山砲部隊の陣地で炸裂する。日本陸軍兵士達が吹き飛び、山砲が破壊されていく。砲撃が収まると「砲手交代!」の号令が行われ、砲手達が交代する。負傷者達は後送される。しかし、山砲部隊の打撃は大きく後退命令が出される。ロシア陸軍砲兵隊は日本陸軍の山砲部隊に大打撃を与えて沈黙させた。日本陸軍砲兵隊もロシア陸軍砲兵隊との砲撃戦が優先だった。ロシア陸軍砲兵隊は堅固な砲兵陣地から砲撃する日本陸軍砲兵隊に苦戦していた。しかし、砲手を交代させながら粘り強く抗戦を続けた。
また、ロシア陸軍歩兵部隊も銃剣突撃を控えめにして伏射を行いながら接近した。ロシア陸軍の山砲部隊も前進して近接砲撃を行う。ロシア陸軍の山砲部隊が直接照準で日本陸軍の塹壕線に発砲する。塹壕線に多数の榴弾が命中し、日本陸軍兵士が死傷する。ロシア陸軍の歩兵部隊も日本陸軍の戦術を真似して攻撃する。半分が射撃している間に、もう半分が前進する。それを繰り返して日本陸軍の塹壕線を目指す。
日本陸軍部隊よりも密集していたので損害は大きいが、それでも進撃できた。日本陸軍歩兵部隊の機関銃と小銃の銃撃が続き、ストークス臼砲部隊の弾幕射撃も続く。多くのロシア陸軍歩兵が倒れる。狙撃班の狙撃でロシア陸軍将校も相次いで倒れた。しかし、ロシア陸軍の砲撃と銃撃で倒れる日本陸軍兵士も出る。ロシア陸軍の歩兵部隊が工兵隊と共に進撃して鉄条網を爆破する。日本陸軍の銃撃やストークス臼砲部隊の砲撃に妨害されつつも、ロシア陸軍工兵隊が爆薬を仕掛ける。数か所で爆発が起こり、鉄条網が破壊された。
ロシア陸軍歩兵部隊が雪崩れ込む。しかし、日本陸軍部隊の小銃と機関銃による銃撃が続く。そして、「手榴弾一斉投擲!」の号令でロシア陸軍歩兵が迫っていた日本陸軍の歩兵分隊の半分が手榴弾を一斉に投擲した。手榴弾が次々に炸裂し、ロシア陸軍歩兵達が吹き飛ばされる。ロシア陸軍歩兵の勢いが止まる。残りのロシア陸軍歩兵は銃撃されるか突入して銃剣で片付けられた。しかし、そうしたことが繰り返され、日本陸軍歩兵部隊にも死傷者が増えていく。信号弾と伝令で後退命令が伝達され、日本陸軍部隊は第2線の塹壕に後退していく。狙撃班が後退を援護して、ロシア陸軍部隊を足留めする。ロシア陸軍部隊は第1線の塹壕を占領する。
しかし、直ちに日本陸軍部隊の反撃が始まる。観測兵部隊の誘導で日本陸軍の榴弾砲部隊が砲撃を開始する。誤射を避けるため、まず鉄条網に試射が行われる。続いて、第1線の塹壕に猛烈な砲撃が始められた。多数の榴弾が着弾し、次々に炸裂する。多数の榴弾が有効範囲に当初から着弾した。ロシア陸軍歩兵は塹壕で榴弾の爆発と破片により次々に死んでいく。後続のロシア陸軍部隊は日本陸軍の野砲部隊に砲撃されていた。多数の榴弾が着弾し、次々に炸裂していく。ロシア陸軍兵士が次々に吹き飛ばされ、後続部隊の移動が阻まれる。
ロシア陸軍砲兵隊は日本陸軍砲兵隊との砲撃戦で打撃を受けて充分な援護ができない。更に、極度に寒い気温で砲兵隊員達の体力が消耗し、動きが鈍っていた。極度の寒さで負傷者も次々に死亡して士気も低下していた。こうして、第1線に突入したロシア陸軍部隊は榴弾砲部隊に撃たれ続けて大損害を被った。
日本陸軍歩兵部隊の要請で榴弾砲部隊の砲撃が停止される。日本陸軍の榴弾砲部隊は目標をロシア陸軍の山砲部隊に移した。ストークス臼砲部隊が砲撃を始め、弾幕射撃を第1線の塹壕に浴びせる。日本陸軍の山砲部隊が前線に再進出して煙幕弾を撃ち込んで、歩兵部隊の側面を遮蔽する。援護を受けた日本陸軍の歩兵部隊は塹壕線のロシア陸軍部隊の駆逐に着手した。日本陸軍の機関銃部隊も掃射を浴びせ、日本陸軍歩兵部隊が接近して手榴弾を次々に投擲する。
塹壕で爆発が起こると、日本陸軍歩兵が次々に塹壕へ滑り込んだ。ロシア陸軍歩兵の殆どは日本陸軍歩兵が突入すると、降伏した。塹壕線のロシア陸軍兵士の多くは負傷しており、日本陸軍部隊に降伏しなければ死ぬことは確実だったからだ。日本陸軍部隊は呆気なく塹壕線を奪回した。
日本陸軍部隊は歩兵中隊ごとに、1個小隊、1個機関銃分隊、2個狙撃班を警戒部隊として第1線の塹壕に残して第2線に撤退した。第1線の警戒部隊はロシア陸軍部隊が塹壕線に迫ると、第2線に撤退した。しかし、第1線を占領したロシア陸軍部隊は的確な砲撃で大損害を受け、第2線を突破できなかった。ロシア陸軍部隊は攻勢を継続した。日本陸軍部隊の注意を逸らすのが目的だったからだ。ロシア陸軍右翼の牽制攻撃は午前11時まで続いた。この間、奉天要塞の守備隊も第2軍団などに牽制攻撃を加え続けた。
午前11時5分、ロシア陸軍の第8軍団が大房身と馬三家子を総攻撃した。大房身と馬三家子の日本陸軍守備隊(1個連隊ずつ)は部隊の増強を受けながら持ちこたえた。ただし、両拠点の間の塹壕線は突破された。塹壕線の日本陸軍部隊は退却したためだ。このため、ロシア陸軍部隊は大房身と三家子の間から日本陸軍戦線の後方に雪崩れ込んだ。しかし、第1軍団が逐次、到着していた。第1軍団の部隊は次々に列車から降り、ロシア陸軍部隊に向かう。
進撃するロシア陸軍部隊は意気揚々だった。日本陸軍部隊の防衛線を突破したので自軍が優勢だと思っていたからだ。しかし、ロシア陸軍部隊に発煙弾が撃ち込まれる。発煙弾は日本陸軍砲兵隊の常套手段なので直ちにロシア陸軍部隊は散開する。試射の後、本格的な砲撃が始まった。榴弾が次々に着弾し、炸裂する。ロシア陸軍兵士が吹き飛ばされていく。日本陸軍歩兵部隊が展開するのも見える。ロシア陸軍部隊は驚愕した。日本陸軍部隊は全く慌てておらず、迅速に対応してきたのが明白だったからだ。
第7師団、第12師団、第23師団がロシア陸軍部隊の進撃を喰い止めた。第5師団と近衛師団は第2軍団の戦区から大房身に進撃する。ロシア陸軍の進撃路を分断して突破したロシア陸軍部隊を撃滅するのが目的だった。第5師団が大房身を目指して進撃し、近衛師団は第5師団に追随した。教導砲兵旅団が両師団に分割して配属された。
進撃する日本陸軍歩兵部隊は、中隊ごとに2個小隊が射撃し、2個小隊が進撃した。是を交互に繰り返し、機関銃部隊の支援もあってロシア陸軍部隊を圧倒していった。ロシア陸軍歩兵部隊は小銃と機関銃の銃撃で撃ち竦められた。ストークス臼砲部隊と山砲部隊も砲撃してロシア陸軍兵士を吹き飛ばしていった。日本陸軍の砲兵隊は前線部隊の要請(多くの場合は歩兵部隊の要請で山砲部隊が各種色の発煙弾で目標を示した)に従って砲撃を行って援護した。ロシア陸軍部隊は側面を衝かれた上に、進撃を優先していたので簡単に突破された。
ロシア陸軍の第10軍団を主力とするロシア陸軍部隊は背後を遮断されそうなのに気づいて、全力で脱出しようとした。しかし、第1軍団の第7、第12、第23の各師団がロシア陸軍の第10軍団などを攻撃し続けて拘束した。第10軍団からの複数の伝騎からの救援要請がリネウィッチに伝わったのは夕刻のことだった。リネウィッチの司令部では前線の様子が把握できず、突破したからには作戦成功だと思っていた。ところが、日本陸軍の戦略予備が現れ、第8軍団などの進撃が喰い止められたとの報告を受けて驚いた。そこで、ロシア陸軍の第10軍団に大房身を、第17軍団に馬三家子を攻略するように指示した。突破口を広げるためだった。
ところが、第2軍団も第3軍団も両拠点を守り抜いた。ロシア陸軍は密集した隊形で攻撃する。大損害を受け、地面が固くて塹壕が掘れなかった。逆に日本陸軍砲兵隊の榴弾は地面が固いので爆発のエネルギーが地面に吸収されず、爆風と破片効果が増大した。両拠点とも孤立した時もあったが、第2軍団と第3軍団は騎兵旅団に下馬戦闘を行わせてロシア陸軍の先鋒を足留めし、鉄道で増援部隊を送り込んで砲兵部隊の援護で拠点との連絡を回復した。日本陸軍部隊は電話と電信で状況を的確に把握でき、鉄道で予備戦力を投入できた。
第2軍団と第3軍団に日本陸軍の総予備の第21、22、24,25師団が送られた。戦線右翼に送られて防戦に努めていた第21師団も含まれていたが、ロシア陸軍の稚拙な戦術もあり防戦に活躍した。第2軍団と第3軍団の防戦でロシア陸軍部隊の突破口は広がらず、ロシア陸軍は窮地に陥った。
一方、伝騎による連絡を主とするロシア陸軍の対応は遅れた。このため、日本陸軍部隊が第10軍団の後方を遮断しようとしているとの報告を受けてリネウィッチは驚愕した。このため、第10軍団に脱出を指示すると共にロシア陸軍の右翼の軍団に突破口を死守するように指示した。ロシア陸軍の左翼の軍団には日本陸軍の第4軍団と第5軍団への牽制攻撃を指示した。日本陸軍が総攻撃に出るのを防止するためだった。
日本陸軍の第5師団、近衛師団は照明弾を打ち上げながら夜間も進撃した。日本陸軍の歩兵部隊は是までと同じだった。中隊ごとに2個小隊が射撃し、2個小隊が進撃した。そして、夜間射撃にも熟達していた。夜間は照準を高めにしてしまうので、照準を目標の下部や照準店の下に合わせる必要がある。また、夜間は距離感覚も狂う。小さな物は実際よりも遠く見え、大きい物は近く見える。是を認識して夜間は両目を使って照準する必要があった。両目を使って照準すれば、光の受容度が上がるからだ。こうした訓練を受けていないロシア陸軍部隊の射撃は殆ど、命中しなかった。他の日本軍部隊でも夜間射撃の訓練は行っていたが、第5師団や近衛師団などの精鋭部隊は夜間射撃が特に上手だった。
加えて、機関銃部隊による援護が効果的だった。日本陸軍の機関銃部隊は機関銃用のトーチカに籠ることは殆どなかった。空冷の信頼性を活かして移動して射撃する訓練を重ねていた。低姿勢の三脚を装着していたおかげで、歩兵部隊を的確に支援することができた。ロシア陸軍の歩兵部隊は地面が固くて塹壕が掘れなかったこともあり、日本陸軍の歩兵部隊の機関銃と小銃の射撃に薙ぎ倒された。加えて、日本陸軍の山砲部隊とストークス臼砲部隊が的確に前進を支援した。日本陸軍の山砲部隊は照明弾を発射し、ロシア陸軍部隊を照らし出した。日本陸軍部隊は照明弾が上がっている時は、前進を停止した。また、将校達は照明弾が輝いている間に、ロシア陸軍部隊の情報をできるだけ把握した。
対照的に、多くのロシア陸軍歩兵は照明弾の光から逃げようとして走り回った。このため、日本陸軍部隊の機関銃と小銃の銃撃で薙ぎ倒されていった。ロシア陸軍部隊は夜間戦闘に長けた日本陸軍部隊の攻撃に対処できなかった。第5師団と近衛師団は順調に進撃した。
1月4日の午前10時7分、第5師団の第1旅団と、第3軍団所属の第6師団の第2旅団が合流して包囲が閉じられた。第2軍団と第3軍団も両師団に呼応して大房身と馬三子家の間の塹壕線を奪還した。ロシア陸軍の第10軍団は必至で包囲を突破しようとした。両軍の砲兵隊が撃ち合う。しかし、ロシア陸軍砲兵隊は榴弾を使い切っていた。砲弾が榴弾である日本陸軍砲兵隊に対して榴散弾で砲撃するロシア陸軍砲兵隊は不利だった。土嚢を積み上げ、全員がヘルメットを装備している日本陸軍砲兵隊は榴散弾による打撃が少なかった。しかも、日本陸軍観測部隊の技量が高く、砲撃は的確だった。ロシア陸軍砲兵隊は態勢を整える時間がなかったこともあり、砲撃されて大打撃を受けた。しかも極度の寒さで負傷者も次々に死亡し、暖房のための燃料も充分でない。急速に士気が低下した。
平原をロシア陸軍歩兵の大軍が迫る。距離500メートルにまで迫ると、例の如く日本陸軍部隊の攻撃が始まる。歩兵部隊の小銃による銃撃が始まり、山砲部隊とストークス臼砲部隊も砲撃を開始する。ロシア陸軍歩兵達が銃撃と砲撃で薙ぎ倒される。
日本陸軍砲兵隊もロシア陸軍の後続部隊に砲撃を開始する。発煙弾が撃ち込まれ、観測兵部隊の指示で試射が開始される。その後、「効力射」が指令されて砲撃が本格化した。多数の榴弾が着弾し、次々に炸裂する。ロシア陸軍兵士達が吹き飛ばされていく。壕が掘れないので伏射しても次々に死傷していく。狙撃班に狙撃されてロシア陸軍将校も次々に倒れていく。このため、ロシア陸軍歩兵部隊は相次いで銃剣突撃を敢行した。日本陸軍の機関銃部隊が射撃を開始し、ロシア陸軍歩兵部隊が薙ぎ倒されていく。ロシア陸軍歩兵の死体が平原に散らばるばかりだった。
第1軍団の第7、第12、第23の各師団も攻撃してロシア陸軍の第10軍団を敗走状態にした。ロシア陸軍の右翼の各軍団は第10軍団の脱出を支援しようと猛然と攻撃をかけた。砲撃が続き、ロシア陸軍歩兵部隊の攻撃が繰り返される。日本陸軍部隊の砲撃と銃撃で多くのロシア陸軍兵士が死んでいく。しかし、ロシア陸軍部隊の攻撃が余りに多くの地点で実施された。日本陸軍の第2軍団と第3軍団も対処が困難になり、大房身と馬子三家の間の塹壕線が放棄された。包囲網に穴が開いた。
しかし、脱出する多くのロシア陸軍歩兵達が正確な砲撃で吹き飛ばされた。元々、日本陸軍の塹壕線なので正確な座標が判明しており、正確な砲撃を行うことができた。日本陸軍の第2軍団と第3軍団は他の地点の突破を許さなかった。他の日本陸軍部隊も攻撃を続けてロシア陸軍部隊に損失を与え続けた。第1軍団の第7、第12、第23の各師団も猛追してきたのでロシア陸軍の劣勢は明らかだった。ロシア陸軍の第10軍団の兵士達は続々と日本陸軍部隊に降伏した。最早、部隊が崩れて勝ち目はなく、塹壕を掘ることもできなかった。負傷者は体力を消耗し、死を待つばかりだった。負傷者を見捨てた部隊もあって士気が急速に低下した。
追撃する日本陸軍部隊の進路には多くのロシア陸軍兵士の凍死体が転がっていた。日本陸軍部隊が追いついく。日本陸軍将校が機関銃と小銃の一斉射撃を指示する。一斉射撃で、ロシア陸軍兵士が十数人、倒れる。残りのロシア陸軍兵士は伏せる。その後に降伏を呼びかけると、殆どのロシア陸軍兵士は降伏した。一斉射撃の後に、降伏勧告を受けたロシア陸軍部隊の殆どは降伏していった。日本陸軍のストークス臼砲部隊や山砲部隊が砲撃することも少なかった。急速にロシア陸軍の第10軍団は崩壊していった。寧ろ、苦労したのは捕虜となったロシア陸軍負傷者の後送だった。第10軍団で脱出できた部隊は僅かだった。リネウィッチは14時、全軍に退却を命令した。
大谷陸軍参謀総長は数人の作戦参謀を前線に送って状況を確認させた後、奉天要塞の部隊を阻止していた第6軍団に追撃を命令した。近衛師団、教導歩兵旅団、教導騎兵旅団、教導砲兵旅団も後に続いた。なお、他の日本陸軍の軍団はロシア陸軍の猛攻で疲弊していたことから奉天要塞を完全包囲するように指令された。日本陸軍の多くの兵士達もロシア陸軍の猛攻で疲れ切っており、休息が必要だった。負傷者の収容や捕虜の後送も必要だったし、冬季装備が万全でも兵士が極度に疲労していると凍死者が大量に発生する恐れがあったからだ。また、鉄道線が接続されていないので補給が続かない恐れがあったからだ。この時期に冬季装備、医薬品、食料や水の補給が途切れると大量の死者が発生しかねなかった。
ただし、塹壕線で戦闘するか鉄道を利用できた日本陸軍の兵士達に比べてロシア陸軍の歩兵は徒歩を長く歩いて熾烈な戦闘を行っていた。このため、極度の疲労による凍死者が多く発生した。負傷者も手当や後送が間に合わず多くが死亡した。第10軍団のように、鉄道線に着く前に負傷者を見捨てた部隊もあって士気が急速に低下した。
日本陸軍部隊が追いついて最大火力で攻撃する。歩兵部隊の小銃と機関銃の一斉射撃が行われ、十数人のロシア陸軍兵士が倒れる。ストークス臼砲部隊と山砲部隊も猛然と砲撃を開始する。次々に榴弾が着弾し、炸裂していく。地面が固いので伏せてもロシア陸軍歩兵の死傷者は増えていく。日本陸軍の砲兵隊も砲撃を開始する。観測兵部隊の態勢が整わないので、正確さはない。5分ほど、こうした攻撃を続けられる。その後、日本陸軍将校が白旗を持ち、4人の兵士を従えて降伏勧告に向かった。ロシア陸軍将校は降伏に応じた。日本陸軍部隊に追いつかれたロシア陸軍部隊の多くは降伏した。リネウィッチはクロパトキンに比べて指揮能力が低く、鉄道による部隊の収容が混乱したこともあってロシア陸軍の損害は拡大した。
1月6日、第5軍団も再編成を終えてロシア陸軍部隊の追撃に出発した。残りの軍団は疲弊していた。更に両軍の死傷者を後送しなければならない。再編成と休息の合間に工兵部隊を支援して鉄道線の接続と拡充が行われた。第6軍団、近衛師団、教導の3個旅団はロシア陸軍の足留め部隊を攻撃しながら追撃を続けていた。しかし、鉄道を使用できるロシア陸軍の方が速くて思ったほど戦果は挙がらなかった。更に厳寒であり、進撃速度を早くできなかった。それでもロシア陸軍部隊の死傷者は多く、降伏する部隊が相次いだ。
1月8日、日本陸軍は鉄嶺に到達した。鉄令は強固な陣地で防御されていたので日本陸軍は物資の蓄積を待つことにした。後続してきた第6軍団が1月10日、威力偵察を加えるとロシア陸軍の主力が撤退中していたことが判明したので鉄嶺を占領した。大谷陸軍参謀総長の命令で追撃は中止された。
こうして、奉天会戦は終わった。両軍の損害は次の通り。日本陸軍の損害は戦死が約1万、負傷が約3万。ロシア陸軍の損害は戦死が約11万、捕虜が約9万、負傷が約10万。ロシア陸軍は許容限度を超える大損害を受けた。このため、ハルビンまで退却した。こうして、日本陸軍は奉天要塞を攻略することに専念できるようになった。国際的にも日本帝国の優位を際立たせた。最早、ロシアが勝つと思う国はなくなった。ロシアの戦時国債の値段も下がり続けていくことになる。ロシア国内でも講和を求める声が強まった。
大谷陸軍参謀総長が追撃の停止を命じたのは厳寒期に無理をさせると大量の死者が出る恐れがあったからでもあるが、奉天要塞の攻略を優先したためだ。奉天要塞が救援される見込みはなくなったので、冬期に無理をしてロシア陸軍を追撃する必要はなかった。奉天要塞を放置したまま、進撃するのは無理があったからだ。奉天要塞の守備軍の総司令官であるステッセル中将はリネウィッチの作戦が愚かだと判断していたので、指揮下の軍に攻撃を控えさせていた。このため、兵力が温存されていた。
これを放置しておくわけにはいかない。ロシア陸軍との決戦を考えると、包囲に1個軍団が拘束されるのは手痛い。政治的にも奉天要塞が陥落しないと、日本帝国が苦戦しているかのような印象を与える。講和条約を有利にする必要があったし、そもそもニコライ2世に講和を決断させる必要があった(ニコライ2世は勝利を諦めていたが、体制に対する信頼が失墜することを怖れていた)。
そしてロシアの戦時国債は相次ぐ敗北で売れ行きが悪くなっており、ロシアの悩みは戦費の調達だった。インフレも進行しており、ロシアは財政難から敗北する可能性が高かった。奉天要塞の陥落は強烈なインパクトを諸外国の金融市場に与えることは確実だった。許容限度を超える大損害を受けていたので流石にロシア陸軍が攻撃してくる可能性は低かった。
一応、日本陸軍は備えていたが流石にニコライ2世も攻勢を発動させなかった。奉天会戦で大損害を受け、既に鉄嶺を占領されていたので奉天要塞を救援できる見込みもなかったからだ。奉天会戦を受けて、フランスはロシアに和平を強く迫った。フランスは奉天要塞が陥落する前に講和するよう勧めた。しかし、ニコライ2世は奉天要塞で日本陸軍が苦戦している間にロシア陸軍が勝利を収めれば有利な講和ができると考えた。セバストポリ要塞の先例から奉天要塞が1年は持ちこたえることができると推測したからだ。その間に、ロシア陸軍の戦力を回復させて奉天要塞を救援することも可能だと信じた。このため、アメリカの仲介も拒絶した。結局、日本帝国陸軍が奉天要塞を陥落させてロシアに講和を強制するしかなかった。
4月7日、日本陸軍の攻撃態勢は完全に整った。気温も上がり、突撃壕も掘りやすくなった。第1攻城師団を始めとする攻略部隊も準備万端だった。奉天要塞を攻略する中心になったのは乃木希典中将が率いる第3軍団だった。第3軍団には、教導砲兵旅団、第1攻城師団、第20師団、第21師団、第22師団、第24師団、第25師団、2個砲兵旅団などが増強された。
旅順要塞と同じように、軍団砲兵が結成された。そして、鉄嶺が陥落してから威力偵察が繰り返されて標的が標定されていった。砲兵隊の試射も繰り返されていた。攻撃場所を特定されないように、攻撃しない地点にも試射が行われた。旅順要塞と同じ期間で奉天要塞も陥落するとの予測も多かった。しかし、日本陸軍の将官達は苦戦を予測していた。
ステッセル中将が率いる奉天要塞の守備軍は約7万もいた。しかも旅順のロシア守備軍のように守備隊が出撃することはなさそうだった。このため、苦戦が予想された。大規模なトーチカだけで14もあり、塹壕線で接続されていた。野木希典中将の第3軍団が指定されたのは是までの戦闘で比較的、消耗が少なかったからだ。一番、損害の少ない第6軍団は経験不足だと評価されていた。
4月7日、午前9時から第3軍団の猛砲撃が開始された。観測兵部隊の誘導で砲撃が始まる。発煙弾が撃ち込まれ、観測兵部隊が風向きと風速を確認する。それから砲撃が始まった。第1攻城師団の30cm榴弾砲、30cm臼砲、155mm榴弾砲が火を噴く。大口径榴弾が飛び、大型のトーチカに向かっていく。弾種は徹甲榴弾だ。徹甲榴弾が着弾し、炸裂する。試射を繰り返していたおかげで、多くの砲弾が命中した。日本陸軍砲兵隊は30cm榴弾砲の徹甲榴弾で大型のトーチカの天井を崩し、30cm臼砲の榴弾でトーチカ内部の被害を拡大させる様に砲撃した。155mm榴弾砲部隊は大型トーチカ周辺の砲台や機関銃用の小型トーチカを徹甲榴弾と榴弾で破壊した。
当時の砲撃は現代の精密誘導兵器による攻撃よりも正確さが劣る。このため、歩兵部隊の進撃予定路の側面のトーチカが第1攻城師団によって破壊されていった。進撃路が判明すると、ロシア陸軍の予備隊が集中して進撃を阻止してしまうからだ。日本陸軍の将官達はトーチカよりも塹壕線に展開するロシア陸軍歩兵が脅威だと認識していた。トーチカは事前に大口径砲で潰すこともできるが、塹壕線のロシア陸軍歩兵部隊は接近するまで位置が分からないからだ。
こうした事は戦前から理論上では認識されていた。それが旅順要塞攻防戦で明瞭となった。軍団砲兵の野砲部隊と榴弾砲部隊も、こうした認識に基づく戦術で砲撃を行った。攻撃場所を特定されない様に、トーチカよりも塹壕線に砲撃が集中された。突破口を複数、作っておき歩兵部隊が任意に突破口を選べるようにするためだった。そして、軍団砲兵が最も多く砲撃したのが砲兵陣地だった。ロシア陸軍砲兵部隊による脅威を減らしておくためだった。
ロシア陸軍の砲兵部隊は陣地にカモフラージュを施しておらず(当時、カモフラージュを重視していたのは日本帝国軍だけだったが)、容易に砲撃された。砲兵陣地も奉天要塞の一部なので防御力は高かった。しかし、射界を得るために隙間が多く、防御力は弱めだった。このため、この準備砲撃で多くが破壊された。
4月15日まで砲撃は続いた。陽動作戦も活発に行われた。その間に、日本陸軍の第3軍団の部隊は突撃壕で配置に就いた。
4月16日の午前10時35分から本格的な攻撃が開始された。第22師団が旅順の東部から、第24師団が旅順の西方から攻撃を開始した。第20師団は北から、第25師団は南から牽制攻撃を行った。第1攻城師団は、この段階で攻撃目標の大型トーチカを集中砲撃した。最早、攻撃目標を隠す必要はなかった。そして、野砲部隊と榴弾砲部隊の砲撃で塹壕線からトーチカに兵員が退避して密集していると踏んだためだ。
30cm榴弾砲部隊が徹甲榴弾でトーチカの天井を崩し、30cm臼砲が榴弾で被害を拡大させる。155mm榴弾砲部隊は機関銃用のトーチカを徹甲榴弾と榴弾で砲撃する。軍団砲兵の野砲部隊と榴弾砲部隊は攻撃目標の大型トーチカ周辺の第2線の塹壕線を万遍なく榴弾で砲撃した。進撃路を秘匿するためと、ロシア陸軍の予備隊の到達を妨害するためだった。軍団砲兵の野砲部隊と榴弾砲部隊は20分間、砲撃を続けた。
その後、第1線の塹壕線に多数の煙幕弾が撃ち込まれる。榴弾砲部隊は第2線の塹壕を榴弾で砲撃する。煙幕弾が着弾し、煙幕が垂れ込める。突撃壕から歩兵部隊が突撃する。最前線では突撃壕から山砲部隊やストークス臼砲部隊がカモフラージュを外して、歩兵部隊に後続する。日本陸軍歩兵部隊は煙幕に紛れて接近する。そして、手榴弾を次々に投擲する。爆発が起こると、塹壕線に突入した。日本陸軍歩兵部隊は第1線の塹壕の手薄な部分に雪崩れ込んだ。銃剣でロシア陸軍歩兵を刺殺していき、一角を制圧する。それから手榴弾で制圧範囲を広げていった。
第1線の塹壕線に日本陸軍部隊が橋頭堡を確保すると、信号弾が次々に上げられた。第2派の日本陸軍歩兵部隊が突撃壕から飛び出し、第2線の塹壕へ向かう。観測兵部隊が信号弾を確認し、軍団砲兵に砲撃の変更を指示する。野砲部隊は第2線に煙幕弾による砲撃を行い、榴弾砲部隊は第3線へ榴弾による砲撃を行う。
第2派の歩兵部隊は第1派の歩兵部隊が塹壕線を制圧する中、第1派の歩兵部隊の突破口を通って第2線へ向かう。第1派の歩兵部隊は後続の機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊と共同して第1線の塹壕を制圧していく。ストークス臼砲部隊はロシア陸軍歩兵部隊が密集している地点に弾幕射撃を加える。ロシア陸軍歩兵達は怯み、その間に歩兵部隊が接近して手榴弾を次々に投擲した。山砲部隊は砲兵部隊による煙幕が晴れると、煙幕弾を撃ち込んで日本陸軍歩兵部隊の側面を遮蔽した。其れに紛れて日本陸軍歩兵部隊が接近し、次々に手榴弾を投擲して制圧していった。機関銃部隊は塹壕から飛び出してくるロシア陸軍歩兵を薙ぎ倒していった。日本陸軍部隊は順調に第1線の塹壕を制圧していった。
ロシア陸軍部隊の対応は遅れた。準備砲撃が8日間も続きロシア陸軍の前線部隊は突撃は先だろうと思い始めていた。そこに多数の煙幕弾が撃ち込まれ、日本陸軍の歩兵部隊が山砲部隊やストークス臼砲部隊の支援で突撃してきたので不意を突かれた。これまでも、煙幕弾、狙撃、威力偵察があったので油断していた。ステッセルは、これまでの日本陸軍の陣地攻撃のパターンから守備軍に油断しない様に伝えていた。しかし、常時、警戒しているのは無理があった。そして、準備砲撃で突破口が多かった。日本陸軍の歩兵部隊は第1線の塹壕の占領に成功した。
一方、第2派の日本陸軍歩兵部隊は煙幕に紛れて第2線の塹壕に突入した。日本陸軍歩兵部隊は次々に手榴弾を投擲して塹壕線へ突入した。ロシア陸軍歩兵を銃剣で次々に刺殺し、塹壕の一角を確保した。それから手榴弾で塹壕を制圧していく。第2派の歩兵部隊も塹壕線に橋頭堡を確保すると、次々に信号弾を上げた。軍団砲兵の野砲部隊と榴弾砲部隊は第3線に榴弾による砲撃を続け、ロシア陸軍予備隊の接近を阻止する。第2派の歩兵部隊を支援するために、機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊が第2線の塹壕線に向かう。第2線の塹壕線も制圧され、日本陸軍部隊の攻撃が成功するかに思われた。
しかし、ロシア陸軍部隊の対応は素早かった。直ちに予備隊が急派された。第3線の塹壕線からロシア陸軍歩兵部隊が複数の交通壕(塹壕線を繋ぐ通行用の塹壕)を使って第2線に増援された。日本陸軍部隊も交通壕の存在に気づき、砲撃していた。しかし、塹壕線も砲撃しなければらず砲撃が充分にできなかった。また、気球部隊が使えない日が多くて多くの交通壕の位置を把握しきれなかった。そして、当時の気球は平均して約800mまでしか上がれず、広範囲を偵察することができなかった。このため、第3線のロシア陸軍部隊は複数の交通壕から第2線に増援部隊を送り込むことができた。第2線のロシア陸軍部隊は増援を得て息を吹き返し、逆襲に転じた。
ロシア陸軍歩兵部隊が銃剣突撃を行う。「手榴弾、一斉投擲!」の号令で日本陸軍兵士達が次々に手榴弾を投擲する。次々に爆発が起こり、ロシア陸軍兵士が薙ぎ倒されていく。ロシア陸軍歩兵が死傷し、怯む。「突撃!」の号令で日本陸軍兵士達が銃剣突撃を敢行し、次々にロシア陸軍兵士を刺殺していった。日本陸軍の将校達は手榴弾をロシア陸軍歩兵の後列に投げて銃剣突撃を援護した。ロシア陸軍歩兵達が後退すると、日本陸軍の将校達が兵士達を押し留めて銃撃に移行させた。暫くは日本陸軍歩兵部隊が持ちこたえていた。
しかし、後続部隊が砲撃で到達を妨害されていた。準備砲撃から生き残ったロシア陸軍砲兵隊による砲撃が開始された。破壊を免れた野砲を砲手達が退避壕から引き出し、配置に就いていた。ロシア陸軍の観測兵部隊の指示で砲撃が開始される。ロシア陸軍の野砲部隊が次々に発砲し、榴散弾が次々に飛んでいく。榴散弾は次々に炸裂し、散弾を日本陸軍部隊にバラ撒いた。日本陸軍の機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊の兵士達が榴散弾で死傷していく。ステッセルがロシア陸軍砲兵隊に日本陸軍砲兵隊への応戦を厳禁していた。準備砲撃中、殆どの砲手達は退避壕に隠れて無傷だった。このため、多くの大砲が破壊されても応戦は可能だった。
日本陸軍の後続部隊は榴散弾の炸裂で伏せているしかなかった。機関銃部隊の幾らかは第2線に到達したが、とてもロシア陸軍部隊を喰い止められる数ではない。このため、後続部隊の支援を得られない第2線の日本陸軍歩兵部隊は次第に押され始めた。観測兵部隊に同行していた作戦参謀の報告で退却命令が出された。信号弾が上げられる。第2派の歩兵部隊と後続部隊は退却し始めた。
第2線と第3線の間に、野砲部隊が多数の煙幕弾を撃ち込んでロシア陸軍の観測部隊の誘導を妨害した。また、第2線の手前にも煙幕弾を撃ち込んで退却する日本陸軍部隊を遮蔽する。榴弾砲部隊は引き続き、第3線を砲撃してロシア陸軍の予備隊の到達を妨害した。ロシア陸軍砲兵隊は観測による修正ができなくなった。しかし、煙幕弾が展開される前の座標に砲撃を続けた。脱出する日本陸軍部隊は榴散弾の猛砲撃で大損害を受けた。
ロシア陸軍は第2線の守備を固める。日本陸軍部隊は第1線の塹壕で待機する。第3軍団は準備砲撃から攻撃を遣り直した。この日は天候が良くて、気球部隊が活動できたことも日本陸軍の砲兵部隊に有利だった。観測兵部隊が前線に電話線を伸ばすまでタイムラグが少なかったらだ。日本陸軍部隊は準備砲撃を開始した。第3軍団の軍団砲兵は第2線と第3線を万遍なく砲撃した。ロシア陸軍部隊に損害を与えると共に、突破口を多く作っておくのが目的だった。第1攻城師団も第2線と第3線を砲撃した。30cm榴弾砲、30cm臼砲、155mm榴弾砲が次々に火を噴く。大口径榴弾が次々に着弾し、炸裂する。大口径の榴弾の威力は凄まじく、高々と黒煙が上がった。塹壕線にクレーターができる。当然、周辺のロシア陸軍兵士が吹き飛ばされた。
実際の損害も大きかったが、心理的なダメージも大きかった。軍団砲兵の榴弾砲部隊と野砲部隊も多数の榴弾を第2線と第3線に浴びせる。第2線と第3線のロシア陸軍部隊は退避壕に籠っているしかなかった。第3軍団はロシア陸軍砲兵隊が応戦してくれるのを期待していた。しかし、応戦はなかった。ロシア陸軍砲兵隊は野砲を予備の陣地に移動させていた。
14時20分、日本陸軍の観測兵部隊が奪取した第1線の塹壕に有線を接続した。14時35分から観測兵部隊の誘導で第2線に煙幕弾による砲撃が行われ、第3線に榴弾による砲撃が行われた。野砲部隊から発砲された多数の煙幕弾が着弾し、煙幕が立ちこめる。第1線の塹壕線から日本陸軍歩兵部隊の第1派が突撃する。日本陸軍の歩兵部隊は煙幕に紛れて塹壕に接近し、次々に手榴弾を投擲した。爆発が起こると、塹壕線に日本陸軍歩兵部隊が突入した。日本陸軍歩兵部隊は銃剣でロシア陸軍歩兵を次々に刺殺し、塹壕の一角を確保する。そして、手榴弾で塹壕を制圧していった。
第1派の歩兵部隊から信号弾が次々に上げられた。後続の機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊も第1派の歩兵部隊を支援した。日本陸軍歩兵部隊は支援を得て、第2線の塹壕を順調に制圧していった。第3線のロシア陸軍部隊は第1攻城師団を含む砲撃で弱体化し、砲撃も続いていたので効果的に反撃できなかった。ロシア陸軍砲兵隊も砲撃を開始した。
しかし、第1攻城師団がロシア陸軍砲兵隊を砲撃した。日本陸軍の気球部隊が砲撃を誘導した。大口径の榴弾が次々に着弾し、炸裂する。大きな黒煙が上がり、ロシア陸軍砲兵隊の陣地が吹き飛ばされる。軍団砲兵の榴弾砲部隊の半数もロシア陸軍陣地を砲撃した。ロシア陸軍砲兵隊は第1攻城師団を中心とする砲撃に圧倒され、制圧されていった。第1線の塹壕から日本陸軍の第2派の歩兵部隊が第2線の塹壕に移動した。第3軍団は第3線を確実に奪取する作戦に変更した。
ロシア陸軍部隊の密度が高く、対応も素早いからだ。第3軍団の軍団砲兵は第3線と第4線を万遍なく砲撃した。第1攻城師団を第3軍団の軍団砲兵の砲撃は強力だった。まず、第1攻城師団の大口径火砲が砲撃する。大口径の榴弾が次々に着弾し、炸裂する。30cm榴弾砲と30cm臼砲は強力であり、炸裂すると大きなクレーターを形成した。当然、塹壕線や塹壕の近距離に命中すれば付近のロシア陸軍兵士は確実に死亡する。
また、多くの退避壕も潰せる。しかし、全ての退避壕を発見するのは無理だった。また、命中精度は現代の精密誘導兵器に比べれば格段に劣る。必ず、生き残ったロシア陸軍部隊が反撃する。それでも、効果はあった。塹壕線に大きな突破口を開け、ロシア陸軍部隊に分散を余儀なくさせる。更にロシア陸軍兵士への心理的な打撃も大きかった。
第1攻城師団の砲撃後に、榴弾砲部隊が砲撃して被害を拡大させる。多数の榴弾が降り注ぎ、次々に着弾する。ロシア陸軍部隊は退避壕から出られず、心理的に消耗していく。当然、塹壕線にも砲撃による突破口が多くなる。鉄条網が破れ、塹壕も崩れる。複数の榴弾の命中で崩れる退避壕もある。野砲部隊は攪乱目的の擾乱射撃を行い、攻撃場所を悟らせないようにする。時折、砲撃が中断され、野砲部隊が多数の煙幕弾を撃ち込む。歩兵部隊が突撃してきたとロシア陸軍部隊に思わせて混乱させるためだ。第3軍団の軍団砲兵司令部は戦線に多くの射撃指揮所を設けた。各射撃指揮所は気球部隊と最前線の観測兵部隊の着弾観測を基に、的確な砲撃を砲兵隊に行わせた。
15時20分、第3軍団の軍団砲兵が第3線に煙幕弾による砲撃を行い、第4線に榴弾による砲撃を開始した。第2線から日本陸軍の第1派の歩兵部隊が突撃した。機関銃部隊、山砲部隊、ストークス臼砲部隊も後続する。第1派の歩兵部隊は煙幕に紛れて接近し、手榴弾を次々に投擲した。爆発が起こると、日本陸軍歩兵部隊は突入した。ロシア陸軍歩兵を次々に銃剣で刺殺していく。それから手榴弾を投擲して制圧範囲を広げていった。ロシア陸軍部隊は退避壕から出て応戦した。しかし、第3軍団の軍団砲兵の砲撃で消耗していた。砲撃の被害を避けるために分散し、配置が間に合わない部隊もあった。そして、毎度のことだが煙幕で対応が遅れた。
日本陸軍歩兵部隊は塹壕線に橋頭堡を確保し、次々に信号弾を上げる。後続の機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊が第3線に到着する。第1派の歩兵部隊は支援を受けて塹壕線を制圧していった。第2派の歩兵部隊も第3線から第3線に向かう。後続の機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊も追従する。
ロシア陸軍砲兵隊が砲撃を開始した。しかし、日本陸軍の気球部隊が砲撃によって位置を暴露したロシア陸軍砲兵隊に砲撃を誘導した。第1攻城師団と榴弾砲部隊の半数が砲撃した。ロシア陸軍砲兵隊の陣地に多数の榴弾が降り注ぐ。特に、第1攻城師団の砲撃の効力は絶大だった。大口径の榴弾が次々に着弾し、炸裂する。巨大な爆発が起こり、黒煙が上がる。
ロシア陸軍砲兵部隊の陣地はトーチカよりも防御力が劣っていた。このため、直撃でなくても至近弾なら破壊された。ロシア陸軍砲兵隊の陣地は次々に破壊された。弾薬や装薬が誘爆して丸ごと吹き飛んだ陣地もあった。多くのロシア陸軍砲兵隊陣地で退避命令が下された。ロシア陸軍砲手達は退避壕に退避した。ロシア陸軍砲兵隊の砲撃が弱まったので日本陸軍部隊は少ない損害で第3線に到達できた。
ロシア陸軍部隊は第4線からの増援を得て、日本陸軍部隊を第3線から駆逐しようとしていた。ストークス臼砲部隊が弾幕射撃をロシア陸軍部隊に浴びせる。ロシア陸軍歩兵達が死傷し、塹壕の下に伏せる。怯んだところで日本陸軍の歩兵部隊が接近し、次々に手榴弾を投擲して制圧する。山砲部隊はロシア陸軍部隊の密集地点を砲撃してロシア陸軍部隊を牽制した。
ロシア陸軍歩兵部隊の中には苛立って、交通壕から飛び出して第3線に突撃してくる部隊もあった。しかし、日本陸軍の機関銃部隊と山砲部隊に薙ぎ倒されていった。日本陸軍は第3線を制圧した。第4線が砲撃され続け、第3線への増援に向かうロシア陸軍部隊でも死傷者が続出した。砲撃で日本陸軍の後続部隊を遮断することもできず、第3線の防衛は無理だった。
第4線にロシア陸軍部隊は退却した。第3線で日本陸軍部隊は待機し、準備砲撃が開始された。第4線、大型のトーチカ、大型のトーチカの周囲の塹壕が万遍なく砲撃された。35分間の砲撃後、第4線に日本陸軍の野砲部隊から大量の煙幕弾による砲撃が行われ、大型のトーチカと周囲の塹壕に榴弾による砲撃が行われた。第1派の歩兵部隊が第3線から突撃した。
煙幕に紛れて接近した第1派の歩兵部隊は次々に手榴弾を投擲した。爆発が起こると、日本陸軍歩兵部隊は突入した。日本陸軍歩兵部隊はロシア陸軍歩兵を次々に刺殺する。距離を取ると、次々に手榴弾を投擲して塹壕線を制圧していった。日本陸軍部隊は塹壕に橋頭堡を確保すると、信号弾を上げた。後続の機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊も第4線に到着して第1派の歩兵部隊を支援する。信号弾を受けて第2派の歩兵部隊は第3線から出撃する。第1派の歩兵部隊の突破口を通過して第2派の歩兵部隊は第4線の塹壕を背後から攻撃した。
背後から銃撃を受けて第4線のロシア陸軍部隊は動揺した。第2派の歩兵部隊に後続してきた機関銃部隊とストークス臼砲部隊が支援し、攻撃が強化された。第4線の背後にはロシア陸軍の塹壕線はないので挟撃の恐れは低かった。大型のトーチカと周囲の塹壕は砲撃され続けており、出撃して挟撃するのは無理だった。第4線の背後に回り込んだ第2派の歩兵部隊、機関銃部隊、ストークス臼砲部隊が攻撃を行う。ストークス臼砲部隊が弾幕射撃を行い、第2派の歩兵部隊が塹壕に接近する。
第2派の歩兵部隊が接近すると、ストークス臼砲部隊の砲撃は停止される。日本陸軍の機関銃部隊が銃撃を行い、第2派の歩兵部隊は塹壕に手榴弾を次々に投擲する。爆発が起こると、更に塹壕に接近して手榴弾を落とす。第1派の歩兵部隊もストークス臼砲部隊と山砲部隊の支援で塹壕内を掃討していた。第4線の塹壕にいるロシア陸軍部隊は、第1派の日本陸軍部隊と塹壕線を背後から攻撃する第2派の日本陸軍部隊に挟撃されて完全に動揺した。各所で分断され、攻撃を受けたロシア陸軍部隊は潰走した。
大型トーチカに通じる交通壕から突撃してきたロシア陸軍部隊もいた。しかし、日本陸軍の山砲部隊が砲撃した。山砲から発煙弾が撃ち込まれ、気球部隊の誘導を受けて軍団砲兵も砲撃を開始した。野砲部隊が弾幕射撃を行い、交通壕から飛び出すロシア陸軍歩兵部隊を砲撃した。ロシア陸軍歩兵は次々に吹き飛ばされていった。残りは慌てて、交通壕に戻った。砲撃を掻い潜ってくるロシア陸軍歩兵部隊もいた。しかし、日本陸軍部隊の機関銃と小銃による銃撃、山砲部隊による砲撃で薙ぎ倒された。第4線のロシア陸軍部隊も退却に追い込まれた。ロシア陸軍砲兵隊は先の砲撃時に、日本陸軍砲兵隊に砲撃されて圧倒されていたので応戦を禁じられていた。これにより、日本陸軍の損害は比較的、少なかった。第4線で日本陸軍部隊は待機する。
第3軍団は大型トーチカの攻略に着手した。気球部隊と観測兵部隊が軍団砲兵の砲撃を誘導した。榴弾砲部隊が周囲の塹壕に万遍なく砲撃を行った。野砲部隊の主力は待機し、32門が前線に進出した。第1攻城師団は大型トーチカ本体を砲撃した。攻撃中の大型トーチカは、これまでの準備砲撃の目標から外されていたからだ。30㎝榴弾砲が徹甲榴弾を撃ちこむ。徹甲榴弾が次々に着弾して爆発する。トーチカの天井を潰れる。続いて、30cm臼砲が榴弾を撃ちこんで被害を拡大させる。155mm榴弾砲は大型トーチカに付随している機関銃用の小型トーチカを徹甲榴弾と榴弾で制圧していった。
砲撃の目的はトーチカ内のロシア陸軍兵士を死傷させてトーチカの外に追い出すことだった。トーチカの完全破壊は目的ではなかった。トーチカよりもロシア陸軍部隊の方が脅威だったからだ。トーチカは防御のため(攻撃のための銃眼が多くなると防御力が弱くなる)、死角が生じるのは避けられない。このため、ロシア陸軍部隊が周囲にいなくなれば煙幕弾などの援護で工兵隊がトーチカを爆破するのは簡単だった。あるいは観測兵部隊が接近して大口径火砲の砲撃を誘導しても良い。
現実には、トーチカ内のロシア陸軍部隊は細目に出撃して攻撃を妨害する。そのため、大口径火砲で砲撃してロシア陸軍部隊を追い出し、消耗させるのが目的だった。外に追い出せば、通常の榴弾砲部隊などの砲撃や歩兵部隊の攻撃で撃滅できるからだ。勿論、そのままトーチカに籠ってくれれば砲撃で全滅させることもできる。
しかし、ロシア陸軍は間抜けではなかった。このため、準備砲撃は40分で終わった。野砲部隊が大量の煙幕弾を大型トーチカの周囲の塹壕に撃ち込んだ。煙幕弾が着弾し、煙幕が立ちこめる。榴弾砲部隊は大型トーチカの敷地を榴弾で砲撃して塹壕に増援を送り込みにくくした。
第4線から日本陸軍歩兵部隊の第1派が大型トーチカの周囲の塹壕に突撃した。機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊も後続する。第1派の歩兵部隊は煙幕に紛れて接近し、次々に手榴弾を投擲する。爆発が起こると、第1派の歩兵部隊は塹壕に突入した。日本陸軍歩兵部隊は塹壕のロシア陸軍歩兵を次々に刺殺して塹壕の一角を確保した。次々に信号弾が上げられる。後続の機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊が到着して第1派の歩兵部隊を支援する。
信号弾を受けて、第2派の歩兵部隊が第4線から突撃する。第2派の歩兵部隊を支援する山砲部隊は機関銃用のトーチカに煙幕弾を撃ち込み、機関銃の掃射から味方部隊を護った。第2派の歩兵部隊は第1派の歩兵部隊の突破口から大型トーチカに侵入した。トーチカの側面や後面から入り込んだ。既に準備砲撃で鉄条網や壁に突破口が空いていたので侵入は容易だった。第2派の歩兵部隊には機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、工兵隊が後続した。第2派の歩兵部隊はトーチカから塹壕へ延びる交通壕を攻撃した。ストークス臼砲部隊が交通壕に弾幕射撃を浴びせ、ロシア陸軍部隊を伏せさせる。その後、機関銃部隊が掃射を行い、日本陸軍歩兵部隊が手榴弾を次々に投擲した。爆発が起こると、日本陸軍歩兵部隊は更に接近して交通壕に手榴弾を落とした。
第2派の歩兵部隊は数本の交通壕を制圧し、機関銃トーチカの近くで配置に就き、塹壕への増援を遮断した。山砲部隊は機関銃用のトーチカに煙幕弾を浴びせ続けて射撃を妨害した。一方で、トーチカの周囲の塹壕が第派の歩兵部隊と支援部隊に制圧される。前線に野砲32門が進出する。野砲部隊は直接照準で徹甲榴弾を撃ちこんでいった。野砲は弾道が直線的であり、高初速だった。直射なら貫通力があり、第二次世界大戦でも対戦車砲として野砲を使用した例がある。徹甲榴弾を使えば小型のトーチカなら破壊できた。野砲の連続射撃で徹甲榴弾が次々に命中して貫通して爆発する。トーチカが沈黙する。
日本陸軍の歩兵部隊と工兵隊が沈黙した小型トーチカに向かう。時折、ロシア陸軍部隊が射撃してくる。ストークス臼砲部隊が弾幕射撃を行い、機関銃部隊が掃射する。ロシア陸軍部隊は伏せるしかない。山砲部隊は健在である機関銃用のトーチカに煙幕弾を撃ち込んで射撃を妨害した。援護を受けた歩兵部隊と工兵隊がトーチカに爆薬を仕掛け、導線を伸ばす。工兵が起爆装置のスイッチを押す。小型トーチカが爆発する。小型トーチカの壁が崩れる。日本陸軍の歩兵部隊が次々に小型トーチカ内へ手榴弾を放り込む。トーチカ内で爆発が起こる。工兵隊が銃眼の近くにも爆薬を仕掛ける。導線が延ばされ、工兵が爆破する。爆発が起こり、銃眼が潰される。日本陸軍部隊は監視のために数人の歩兵を残して次のトーチカの破壊に着手する。以上の要領で、機関銃用の小型トーチカが次々に破壊されていった。
時折、ロシア陸軍の歩兵部隊が反撃してくる。ストークス臼砲部隊と山砲部隊が砲撃し、機関銃部隊と歩兵部隊が銃撃してロシア陸軍部隊の反撃を抑える。ロシア陸軍は機関銃を機関銃用の小型トーチカ内で運用していたので効果的な反撃ができなかった。小型トーチカが破壊されていき、生き残ったロシア陸軍歩兵が出てきて日本陸軍部隊に降伏していく。
日本陸軍部隊は大型トーチカ本体の攻略に着手した。進出した日本陸軍の野砲部隊32門が直接照準で徹甲榴弾を次々に銃眼に撃ち込む。ストークス臼砲部隊はロシア陸軍部隊に弾幕射撃を浴びせて動きを封じる。山砲部隊は工兵隊と歩兵部隊の側面を煙幕弾で遮蔽した。日本陸軍の歩兵部隊と工兵隊は準備砲撃で出来た穴から内部に入り、爆薬を仕掛けた。
しかし、爆破には大量の爆薬が必要であり設置に時間が掛った。その間に、ロシア陸軍歩兵部隊が迫る。日本陸軍の機関銃部隊と掩護の歩兵部隊が銃撃して反撃を防ぐ。爆破が阻止されてしまうこともあったが、多くの場所で爆破に成功した。制圧の過程でロシア陸軍部隊はトーチカら退却するかトーチカ内に閉じ込められた。銃眼も次々に爆破され、抵抗が著しく弱まった。狙撃班と機関銃部隊が配置され、出撃も困難になった。
ここで日本陸軍部隊はトーチカ内のロシア陸軍部隊に降伏を勧告した。日本陸軍部隊は砲撃と銃撃を停止する。日本陸軍将校と4名の兵士が白旗を持ってロシア陸軍のトーチカの銃眼の前に行き、土嚢の陰から白旗を振った。通訳が「日本帝国陸軍の第22師団の軍使だ!そちらに行っても構わないか!」とメガホンで呼びかけた。暫くして、ロシア陸軍のトーチカから白旗が降られた。ロシア陸軍将校と兵士一人が白旗を持って進んできた。
日本陸軍将校とロシア陸軍将校が相互に敬礼をした。ロシア陸軍将校から降伏を確認し、日本陸軍将校は降伏を受諾した。ロシア陸軍兵士が両手を上げて続々とトーチカから出てきた。日本陸軍の衛生兵達が担架を持ってトーチカ内に入り、ロシア陸軍兵士と共同してロシア陸軍兵士の負傷者を収容した。こうして、第22師団は大型トーチカを陥落させた。第24師団も似た手順で大規模トーチカを1つ占領した。両師団とも、その日は占領したトーチカで休息した。
翌日、第20師団と第25師団も大型トーチカを一つずつ占領した。ここから大型トーチカはなく塹壕線が続く。砲兵隊と観測兵部隊が前進して態勢を整えるまで他の部隊は待機した。砲兵隊と観測兵部隊の態勢が整うと、19日から前進が再開された。しかし、大型トーチカが攻略されると却って前進は難しくなった。ロシア陸軍部隊の位置を掴むのが難しく、威力偵察が必要になったからだ(気球は800mが限界で第1線の観測以外には役立たなかった)。仕方なく、砲撃と威力偵察が続けられた。夜間も日本陸軍砲兵部隊の擾乱射撃が続いた。攻撃場所を悟られないように、万遍なく砲撃が行われた。
20日から、日本陸軍の第20師団と第25師団は前進を再開した。第22師団と第24師団は陽動作戦を行う。夜明けの1時間前から軍団砲兵による準備砲撃が開始された。ロシア陸軍の塹壕線の第1線と第2線が万遍なく砲撃された。20分間の砲撃後、第2線と第3線に榴弾による砲撃が行われた。日本陸軍歩兵部隊の第1派が突撃を開始した。機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊が後続する。第1派の歩兵部隊は接近すると、次々に手榴弾を投擲した。爆発が起こると、日本陸軍歩兵部隊が塹壕に突入した。
すると、ロシア陸軍歩兵は少なかった。日本陸軍兵士が突入してくると、驚いて殆どが直ぐに降伏した。退避壕から出てきたロシア陸軍歩兵達も直ぐに降伏した。残りは交通壕から第2線に退却していった。後続してきた機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊に出番は無かった。余りにも呆気ない陥落だった。是までと違い、夜明け前で突撃時に煙幕弾を使用しなかったので奇襲が成功した。それにしてもロシア陸軍歩兵の数が少なすぎた。
多くの日本陸軍将校達は不審がった。しかし、当時は歩兵部隊に無線機は配備されていない。仕方なく手順通り、信号弾を次々に上げた。第2派の歩兵部隊が突撃を開始する。軍団砲兵は第2線に煙幕弾による砲撃を行い、第3線に榴弾による砲撃を行った。第2派の歩兵部隊が第1線を通過して第2線に向かう。ロシア陸軍部隊の銃撃は煙幕に阻まれて余り有効ではなかった。
煙幕に紛れて接近した第2派の歩兵部隊は次々に手榴弾を投擲した。爆発が起こると、日本陸軍歩兵部隊が突入した。ロシア陸軍歩兵は次々に刺殺されていく。それから、手榴弾を投擲して制圧範囲を広げていった。第1派の歩兵部隊は次々に信号弾を上げる。信号弾を受けて、日本陸軍の観測兵部隊は目標の変更を指示する。
砲撃は第3線と第4線に行われる。しかし、第2線に日本陸軍部隊が突入するとロシア陸軍部隊の熾烈な反撃が始まった。ロシア陸軍砲兵隊は第2線の100m手前を目標にして猛烈な砲撃を開始した。塹壕に榴散弾は無力なので、塹壕内にいるロシア陸軍部隊には無害だった。多数の榴散弾が飛来し、次々に炸裂する。散弾が日本陸軍部隊に降り注ぐ。第2派に後続していた機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊は散弾で兵士が次々に死傷し、伏せて前進を停止した。
第3軍団の軍団砲兵が反撃を開始する。しかし、この日は悪天候で気球部隊による誘導が出来ない。その上、ロシア陸軍砲兵隊が分散して砲撃していたので纏めて砲撃することができない。このため、野砲部隊が多数の煙幕弾を発砲してロシア陸軍の観測兵部隊の誘導を妨害した。煙幕弾が着弾し、煙幕が立ちこめる。第2線と第3線の間に煙幕が立ちこめる。ロシア陸軍砲兵隊は座標を変えず砲撃を続けて日本陸軍部隊を妨害し続けた。
第2線のロシア陸軍部隊は交通壕を通ってきた第3線からの増援部隊によって息を吹き返した。ロシア陸軍部隊が銃剣突撃で迫る。「手榴弾、一斉投擲!」の号令で、日本陸軍歩兵達が次々に手榴弾を投擲する。次々に爆発が起こり、ロシア陸軍兵士達が薙ぎ倒される。「突撃!」の号令で日本陸軍歩兵達が銃剣突撃を敢行する。体制の崩れたロシア陸軍歩兵達を次々に銃剣で刺殺していく。ロシア陸軍歩兵部隊が後退すると、日本陸軍将校が歩兵達を押し留めた。それから銃撃による牽制と手榴弾の投擲を基本として塹壕を制圧していく。しかし、歩兵が持てる手榴弾の数には限りがある。
更に入り組んだ塹壕では度々、遭遇戦が起こった。至る所で白兵戦が展開された。日本陸軍将校は歩兵達の後ろからロシア陸軍歩兵達に手榴弾を投擲して支援した。後続の機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊は榴散弾で死傷者を出しつつも到着して第2派の歩兵部隊を支援し始めた。ストークス臼砲部隊が弾幕射撃を浴びせてロシア陸軍部隊を伏せさせる。その後、日本陸軍歩兵部隊が接近して手榴弾を投擲して制圧した。山砲部隊は第2線の約600m手前からロシア陸軍部隊が密集している地点を砲撃した。
第3派の歩兵部隊も到着して第2派の歩兵部隊を支援する。第3派の歩兵部隊はストークス臼砲部隊と機関銃部隊を伴って塹壕線を背後から急襲する。ロシア陸軍の機関銃部隊と歩兵部隊が応戦して熾烈な銃撃戦となった。ロシア陸軍部隊も塹壕から出て伏射で応戦する。ロシア陸軍の機関銃部隊も適宜、移動して銃撃した。日本陸軍部隊は急襲を阻止される。
ロシア陸軍部隊も粘り強く戦う。ストークス臼砲部隊に撃たれても部隊を再偏して応戦を続ける。また、無謀な銃剣突撃も控えて銃撃を続けた。日本陸軍部隊はロシア陸軍砲兵隊の砲撃でストークス臼砲部隊の弾薬が充分に届かず、前進が停滞した。日本陸軍の山砲部隊が発煙弾を発砲し、観測兵部隊に目標を指示する。軍団砲兵の野砲部隊が多数の榴弾を第3派の歩兵部隊と交戦しているロシア陸軍部隊に浴びせた。多数の榴弾が着弾し、次々に炸裂する。ロシア陸軍歩兵に死傷者が続出する。ロシア陸軍部隊は慌てて塹壕線に戻る。
第3派の歩兵部隊と機関銃部隊は第2線を背後から急襲することができるようになった。機関銃部隊が銃撃する間に、接近した第3派の歩兵部隊は次々に手榴弾を投擲していった。弾薬の補充を受けたストークス臼砲部隊もロシア陸軍の機関銃部隊を砲撃する。背後からも急襲されたロシア陸軍部隊は後退する。それでもロシア陸軍部隊は機関銃部隊を中心に粘り強く抗戦し続けた。
しかし、次第に日本陸軍部隊が優勢になっていく。第3線は砲撃され続けていたので、退避壕から出て増援に向かうロシア陸軍部隊でも死傷者が続出した。第1派の歩兵部隊も適宜、第2線に向かった。第1派の歩兵部隊に護衛されたストークス臼砲部隊と山砲部隊が第2線でロシア陸軍部隊が密集している地点を砲撃する。日本陸軍部隊の優勢が明らかになると、ロシア陸軍部隊は退却した。日本陸軍部隊も追撃する余力はなかった。その日の攻撃は終了となった。第20師団と第25師団は再編成を行った。
翌日の第22師団と第24師団の攻勢も似たような結果に終わった。天候が良かったので、気球部隊も利用できた。このため、第3線まで占領できた。しかし、ロシア陸軍部隊は戦力を残し、戦線を維持した。戦線を平手押ししただけとなった。今までと違い、時間も掛かり、死傷者も増えた。このため、第3軍団は塹壕を1線ずつ確実に占領する戦術に変更した。ロシア陸軍部隊が柔軟に後退して応戦する以上、急速な前進は望めないからだ。そうであれば、死傷者を少なくした方が良い。しかし、時間が掛る。第3軍団は大谷陸軍参謀総長に問い合わせた。
大谷陸軍参謀総長は第3軍団の作戦方針を承認した。林内閣も大谷陸軍参謀総長からの意見も考慮して承認した。戦死者が少なくするのも戦略目的の一つだったからだ(革命防止のため)。そして、度重なる敗戦でロシアが苦しくなっていたこともある。補給の困難さは相も変わらずであり、悪性のインフレも発生していた。是もあって、ロシアの戦時国債の価格は下がり続けていた。ロシアも長期戦が苦しくなっていた。帝政時代のロシアは生産力が割と低い。第1次世界大戦でも各国から兵器を購入ないし援助してもらっている。それに防御側が優勢な時代であり、ロシア陸軍が攻勢を発動してくれる方が戦術上も有利だった。このため、第3軍団は着実に奉天要塞の攻略を進めていく。
ロシア陸軍部隊が粘り強くなったのは戦術が変更されたことによる。フォーク少将の提案でステッセルが柔軟防御(複数の抵抗線を設定して攻撃側を消耗させる戦術)を採用したためだ。フォークは日本陸軍の戦術を考慮して、固着防御(主要抵抗線に予備隊を投入して防御し続ける戦術)を行えば砲撃でロシア陸軍歩兵部隊が消耗するばかりだと判断した。
このため、柔軟防御を採用して日本陸軍部隊を消耗させた方が良いと提案した。航空偵察のない当時、ロシア陸軍部隊が後退すると日本陸軍の観測兵部隊の誘導が効かなくなる。砲撃の精度が落ちてしまう。そこを近接させたロシア陸軍の砲兵部隊の支援で攻撃すれば良い。元々、ステッセルは出撃を厳禁して防御に専念させていた。それでも固着防御を原則としていたが、フォークの提案で柔軟防御を採用した。
当時、ロシア陸軍では固着防御が一般的だった。このため、従来は日本陸軍が充分に準備して攻撃すると多くの場合は日本陸軍が突破に成功した。ロシア陸軍部隊が砲撃されている地点に予備隊を次々に送ってくるからだった。このため、ロシア陸軍部隊は砲撃で消耗して抵抗力を失った。そこを煙幕弾で遮蔽された日本陸軍の歩兵部隊が散開度の高い隊形で突撃してくるのだから突破されるのは当たり前だった。
奉天守備軍が柔軟防御を採用すると第3軍団の攻撃ペースは衰えた。第1線のロシア陸軍部隊は警戒部隊だけなので砲撃の打撃は少ない。第2線のロシア陸軍部隊を攻撃するには観測兵部隊が進出するまで待たなければならない。精度の高い砲撃を行うには観測兵部隊の誘導が不可欠だからだ。第2線のロシア陸軍部隊は砲撃が収まると退避壕から出て配置についた。また、第3線からも増強されるため突破することは難しくなった。第2線を強引に突破しても第3線で喰い止められてしまう。
ロシア陸軍部隊の機関銃部隊も適宜、移動して銃撃する戦術に切り替えた。是までロシア陸軍の機関銃部隊は機関銃陣地か機関銃用の小型トーチカから銃撃するのを基本としていた。このため、日本陸軍のストークス臼砲部隊や山砲部隊から砲撃され、煙幕に紛れて接近してきた日本陸軍歩兵部隊に手榴弾で撃滅されることが多かった。しかし、日本陸軍の機関銃部隊と同じく射撃場所を適宜、移動させる様になった。このため、状況に応じて的確に応戦できるようになった。
また、ロシア陸軍部隊は日本陸軍部隊がミスをしない限り、前の塹壕線を奪回することが禁止された。日本陸軍部隊から塹壕を奪還したとしても、ロシア陸軍部隊の兵力が消耗しては意味がないからだ。そして、大型トーチカを中心に防衛するのではなく、戦線を柔軟に形成して日本陸軍部隊の前進を阻む戦術にした。日本陸軍に目標を絞らせず、特に砲撃の被害を軽減するためだった。是も兵力の消耗を避けるためだった。日本陸軍と違って、奉天のロシア陸軍には兵力の補充がないからだ。こうして、奉天要塞のロシア陸軍部隊は粘り強く抗戦を続けていく。
第3軍団は攻勢が進展しないので19日から突撃壕をロシア陸軍の塹壕線に掘り進める戦術に切り替えた。突撃する距離を縮めるのが犠牲を減らし、相手側の対応を難しくする一番の戦術だったからだ。しかし、時間が掛る戦術だった。しかし、奉天要塞のような堅固で縦深性のある要塞を攻略するには他の方法がなかった。兵士を大量に戦死させるのを意に介さず、強攻すれば短期間の攻略も可能だった。しかし、それは政治的に無理だった。
日本帝国の上層部の一致した見解として戦死者を減らすことは不可欠なことだった。なぜなら、職業軍的な性格の強い現在の軍隊が崩壊してしまえば大衆軍的な性格の強い軍隊になる。そうなると、フランス革命や共産主義革命などに軍隊が同調する可能性が高い。少なくとも、社会主義的な政策を採用することを余儀なくされる。そうなると、国力が弱体化する。近隣にロシアと中国の脅威があり、当時、アメリカも仮想敵国としていたので国力の弱体化は国家の破滅を意味していた。大衆への不審感が濃厚な日本帝国の上層部は外国の脅威と同時に、常に革命を警戒していた。このことが第1次世界大戦の英仏陸軍の将軍達と違って、日本帝国陸軍の将軍達が戦死者の軽減に努めた最大の要因だった。保守派の影響力が強い国防省と内務省は特に不信感を懐いていた。
このため、日本帝国陸海軍の軍人達も戦死者を軽減することに力を注いでいた。乃木中将が時間の掛かる突撃壕の掘削に戦術を変更したのも当然だった。大谷陸軍参謀総長も乃木中将の方針に賛成した。日本国内では第3軍団による奉天要塞の攻略が長期化していたので乃木中将の解任を求める声もあった。しかし、大谷陸軍参謀総長は断固として乃木中将を擁護した。旅順要塞の時は守備軍の総司令官のコドラチェンコ少将が要塞から出撃してくれたので、短期間での攻略が達成できた。
しかし、奉天要塞の司令官であるステッセル中将は出撃を禁止して柔軟防御を採用した。短期間で攻略するのは無理があった。市川国防大臣も同意見だった。このため、内閣内から講和条約の交渉を有利にするため奉天要塞を無理攻めする意見が出た時も青山国防大臣は断固として陸軍の方針を支持した。青山国防大臣は「ロシア帝国に勝っても革命が起っては意味がない」と述べた。林首相は保守派の極度の大衆不審に違和感を懐いたが、戦死者を減らすことに賛成だった。このため、講和交渉で不利になるのを覚悟の上で奉天要塞攻略の長期化を承認した。
なお、市川国防大臣は奉天要塞攻略で多くの戦死者が出ることを内閣と枢密院に予め説明した。そして、乃木中将に対する批判に同調しないとの同意を取り付けた。市川国防大臣は「今後の大国同士の戦争において、奉天要塞攻略で乃木中将が示す以上の戦術で攻略を達成できる例は数例で、遙かに大量の戦死者を出すことは確実だと断言できます。画期的な新兵器が実用化されない限りは。誰が攻略を指揮しても多くの戦死者は発生します。もし、政治的な動機から乃木中将に責任を押し付ければ政治家と軍人の信頼関係は決定的に破壊されます。常に責任をとらない軍人が主流になり、次回の戦争で負けることは確実です。帝国の運命が懸かっているのです。不当な批判から将兵を守ることが大臣や政治家の戦争における戦いの一つなのです」と述べた。
市川国防大臣と大谷陸軍参謀総長は乃木中将と個人的には仲が悪かったので周囲は驚いた。二人は個人的に仲が悪くても乃木中将を擁護した。内閣や枢密院に説明した通り、誰が奉天要塞を攻略しても多数の戦死者が出るのは確実だったからだ。そして、要塞攻略に適当な軍団が第3軍団だったからだ。精鋭の第1軍団を旅順要塞攻略で使用したのはロシア陸軍が開戦直後で充分な準備ができていないのを把握していたからだった。第1軍団を使えない以上、実戦経験があって消耗の度合いが他の軍団に比べて少ない第3軍団を選ぶのが妥当だった。それを決めたのが自分達である以上は擁護するのは当然だった。
こうして、奉天要塞攻防戦は長期化していく。しかし、第3軍団司令部の方針は内閣、枢密院、国防省、陸軍参謀本部から支持された。そして、市川国防大臣の言葉通り、第1次世界大戦において第3軍団よりも少ない犠牲で要塞攻略が達成できた例は殆どなかった。
奉天要塞の攻略が開始されると、ロシアは講和の仲介に応じた。ニコライ2世もロシア陸軍の損害が大きすぎるのを承知していたからだった。しかし、安易に講和に応じてしまうと国内で現体制への信頼が失墜し、国際的にもロシアの威信が失墜してしまうと思っていた。そうなると、フランスも露仏同盟を解消するかロシアを軽んじると思い込んでいた。このため、講和の仲介を断っていたが奉天要塞の攻略を日本陸軍が開始すると講和の仲介に応じた。
奉天要塞は堅固だったので日本陸軍が苦戦しているかのような印象をロシア国内や諸外国に与える。そうなれば、講和交渉も対等な立場で進められると思っていた。それに、セバストポリ要塞の前例からして1年は奉天要塞が持ちこたえると思っていた(希望的に)。そうなれば、日本陸軍をロシア陸軍が破って奉天要塞を救援できるかもしれないと思っていた。ニコライ2世は負けが込んだギャンブラーが金を注ぎ込み続けるのと似たような心理状態に陥っていた。ただし、ニコライ2世も名誉ある講和が望みだった。問題は敗北を早期に認めて条件を緩和しようとの決断ができなかったことだ。
ニコライ2世の態度は、日本帝国の首脳部と対照的だった。フランスは奉天要塞が健在な内に講和すべきだと主張していたので、ロシア政府の申し入れに安堵した。しかし、フランス軍情報部が日本帝国陸軍によって奉天要塞が攻略される可能性を指摘した。その場合、フランスはロシアに不利な講和を受け入れるように迫ることになる。ロシア国民の反発を考慮すると、これは避けたい。そこでフランス外務省はアメリカを講和仲介の前面に立てた。そうすれば、ロシア国民の反発がフランスに向くことは避けられるからだ。そこで、フランスが要請する形でアメリカに講和の仲介が要請された。同盟国であるフランスに弱みを見せたくないロシア政府も同意した。
そして、フランスと共同で講和の仲介を進めていたイギリスの要請に応じる形で日本帝国もアメリカに講和の仲介を依頼することになった。日本帝国が講和を願い出たという形は避けたかったからだ。日本帝国政府はフランスの動向を疑っており(後知恵では心配過剰)、弱気な姿勢を見せるとフィリピンをロシア海軍の基地として提供するのではないかと心配していた。
こうして、各国の思惑が結果として一致してアメリカが講和の仲介を主導することになった。アメリカのアラスカ州のアンカレッジで両国の代表が非公式に交渉を始めた。日本帝国もロシアも奉天要塞の攻防戦を考慮しながらの交渉なのでなかなか進展しなかった。林内閣は、奉天要塞が陥落しなければロシアは強気の姿勢を崩さないと判断して協議だけを続けた。
奉天要塞の攻略は第3軍団による突撃壕の掘削の進展具合によって決められた。時間が必要で、掘削完了まで32日も掛ってしまった。突撃壕は攻勢軸を特定されにくいように、複数だったから尚更だった。 5月24日、工事が完了した。併行して観測兵部隊用の観測塔も各所に建てられた。
5月10日から、本格的な準備砲撃が開始されていた。第1攻城師団を始めとする軍団砲兵の砲撃は強力だった。第1攻城師団による大口径火砲の砲撃から始められた。発煙弾が撃ち込まれ、観測兵部隊の誘導で(天候が良ければ気球部隊も併用)砲撃が開始される。試射の後、砲撃が塹壕に命中し始める。30cm榴弾砲、30cm臼砲が榴弾を撃ち、ロシア陸軍の塹壕線を狙う。大口径の榴弾が着弾し、炸裂する。巨大な煙が立ち上り、大きなクレーターができた。大口径火砲の砲撃が終わった後、榴弾砲部隊が丹念に砲撃を行って損害を拡大させる。野砲部隊は榴弾砲部隊の砲撃が終わった後に砲撃を行って復旧作業を妨害した。砲撃はロシア陸軍の塹壕線の第2線と第3線に万遍なく行われた。第1線にも砲撃は行われたが、野砲部隊を主体とする砲撃だった。ロシア陸軍部隊が第1線には警戒部隊しか置いていなかったためだ。
砲撃の目的は突破口を造るためと、塹壕線のロシア陸軍歩兵を消耗させるためだった。塹壕線にロシア陸軍部隊が適度に分散しているので集中砲撃はできない。このため、砲撃で突破口を造りロシア陸軍部隊を疲労させるのを第3軍団司令部は狙った。勿論、ロシア陸軍兵士が砲撃で死傷すれば最良だ。しかし、是までの経験から各所の退避壕に分散しているロシア陸軍部隊を砲撃で撃滅するのが不可能なのは明白だった。大型トーチカへの砲撃は155mm榴弾砲が徹甲榴弾と榴弾を併用して行った。準備砲撃は5月25日の正午まで続いた。
5月25日の13時、本格的な攻撃が開始された。第9師団と第10師団が奉天要塞の北と南から攻撃を行い、第11師団と第25師団が東と西で陽動作戦を行った。野砲部隊が第1線の塹壕に多数の煙幕弾を撃ち込む。榴弾砲部隊は第2線と第3線に榴弾による砲撃を行った。突撃壕から日本陸軍の第1派の歩兵部隊が突撃を開始する。機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊も後続する。
突撃壕からの距離が短いことにより、日本陸軍の歩兵部隊は第1線の塹壕に達するまで時間が掛らず、体力を消耗しなかった。第1派の歩兵部隊は煙幕に紛れて第1線に接近し、次々に手榴弾を投擲する。爆発が起こると、日本陸軍歩兵部隊が突入する。第1線のロシア陸軍部隊は直ぐに退却し始める。第1派の日本陸軍歩兵部隊は塹壕に突破口を確保する。それから次々に信号弾を上げた。中隊ごとに、歩兵1個分隊と狙撃班1個を残して第2線に前進する。機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊も後続する。
信号弾を受けて、突撃壕から第2派の歩兵部隊、機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊が前進する。日本陸軍の砲兵隊が砲撃を変更する。野砲部隊が第2線に煙幕弾による砲撃を行い、榴弾砲部隊は第3線と第4線に榴弾による砲撃を行った。第1派の歩兵部隊は第2線に煙幕に紛れて接近し、次々に手榴弾を投擲した。爆発が起こると、日本陸軍歩兵部隊が突入した。次々にロシア陸軍歩兵を刺殺し、塹壕の一角を確保した。それから手榴弾で制圧範囲を広げていった。
第2線のロシア陸軍部隊は時間をおかず、発煙弾が撃ち込まれ日本陸軍部隊が突入してきたので不意を衝かれた。第1派の歩兵部隊に後続してきた機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊も第2線に到着して支援に当たる。第1派の歩兵部隊は一定範囲を制圧すると、次々に信号弾を上げた。第2派の歩兵部隊は中隊ごとに歩兵1個小隊を第1線に残して第2線へ向かう。機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊が後続する。砲兵隊は第2線への煙幕弾による砲撃を止め、第3線と第4線への砲撃に集中する。
第2線の塹壕に第2派の日本陸軍部隊が突入し、第1派を支援する。第3派の歩兵部隊は第1線を完全に制圧して予備として待機する。第2線のロシア陸軍部隊は第1派と第2派の日本陸軍部隊に急襲されて苦戦した。塹壕線の鉄条網は砲撃で吹き飛んだ部分が多く、塹壕も崩れた部分が多かった。日本陸軍歩兵部隊は機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊の支援を受けながら着実に塹壕線を占領していった。ロシア陸軍部隊は第3線まで退却した。
この日は天候が良く、気球部隊が利用できた。ロシア陸軍の砲兵隊は第1攻城師団と榴弾砲部隊から砲撃されて逐一、潰されていった。このため、進撃は順調だった。日本陸軍部隊は制圧した第2線で待機する。
20分間の準備砲撃後、攻撃が開始された。野砲部隊から第3線に多数の煙幕弾が撃ち込まれ、榴弾砲部隊は第4線を榴弾で砲撃する。その後、日本陸軍の第1派の歩兵部隊が突撃し、機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊が続く。第1派の歩兵部隊と支援部隊が塹壕に突入すると、信号弾が次々に上げられた。榴弾砲部隊は第4線のみを榴弾で砲撃する。第2派の歩兵部隊、機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊が第3線に突撃する。ロシア陸軍部隊は諸兵科連合で攻撃してくる日本陸軍部隊に苦戦した。塹壕や交通壕から出て反撃すると、日本陸軍の山砲部隊が発砲する発煙弾で位置を表示された。そして、日本陸軍の野砲部隊から多数の榴弾を浴びせられた。ロシア陸軍部隊は背後からも攻撃されて退却を余儀なくされた。
第4線から向かう増援のロシア陸軍部隊も砲撃で死傷者が続出した。ロシア陸軍部隊に退却命令が出され、第3線から撤退していった。奉天要塞司令部からの指令で第4線のロシア陸軍部隊も退却してきた部隊と共に撤退していた。第9師団も第10師団も第3線と第4線を占領した。第3軍団は塹壕線を突破するために、歩兵部隊、機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊の連携を強化した。諸兵科連合大隊も地形によっては旅団長の判断で結成させた。突撃壕を掘削中に、各部隊の合同訓練をロシア陸軍の塹壕を真似た施設で徹底的に行わせていた。こうした訓練が実を結んで日本陸軍部隊は着実に塹壕を制圧した。
しかし、翌日は天候が悪く気球部隊が使えなかった。このため、第9師団と第10師団の攻撃は失敗した。夜明けの1時間前から攻撃を開始し、第1線を押さえ第2線にも侵入した。しかし、ロシア陸軍砲兵隊が照明用のロケット弾を打ち上げ、激烈な砲撃を開始した。榴散弾が次々に炸裂し、歩兵部隊を支援する機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊が打撃を受け、前進を阻まれる。第2派の日本陸軍部隊もロシア陸軍砲兵隊の砲撃で損害が続出した。第2線の第3軍団の軍団砲兵が多数の煙幕弾を発砲して日本陸軍部隊の退却を援護した。
日本陸軍部隊は第1線に退却した。第9師団も第10師団も第1線を奪取できただけで攻撃は事実上、失敗した。第1攻城師団と榴弾砲部隊がロシア陸軍砲兵隊を砲撃したが、ロシア陸軍砲兵隊は適度に散開していた。このため、第3軍団の軍団砲兵による砲撃で纏めて壊滅することはなかった。しかも、カモフラージュも施していた。気球部隊が上空から発見して直ちに砲撃を誘導しない限り撃滅するのは不可能だった。この日以降の攻撃も気球部隊の支援がなければ、失敗した。
幸いなことに奉天会戦でリネウィッチが榴弾を全て使用させていたので、奉天要塞のロシア陸軍部隊は榴弾を使えなかった。他のロシア陸軍部隊に回された榴弾も多く、文字通り榴弾はゼロだった。なお、極東のロシア陸軍でもロシア陸軍全体でも榴弾が不足していた。当時は、榴散弾が砲弾の主力だった。日本軍は例外だった。このため、奉天のロシア陸軍部隊には、塹壕にいる日本陸軍部隊に打撃を与える手段がなかった。銃剣突撃を敢行しても、日本陸軍砲兵隊の砲撃、ストークス臼砲部隊と山砲部隊の近距離からの砲撃、機関銃と小銃の銃撃で死体が散乱するばかりだった。つまり、ロシア陸軍部隊が塹壕を奪回することは極めて困難だった。
しかし、ロシア陸軍部隊は日本陸軍部隊が塹壕を部分的に占拠しても戦線を再構築して抗戦を続けた。このため、気球部隊が使える日でもロシア陸軍部隊は後方に退却して再編成を行った。そして、新たな塹壕線で抗戦を続けた。このため、日本陸軍部隊が塹壕線を占領してもロシア陸軍部隊は残存して抗戦を続けることになった。当然、前進速度は落ちた。塹壕線を無理に攻めても日本陸軍部隊が消耗してしまえば、ロシア陸軍部隊の逆襲を受けるためだった。
ステッセルは日本陸軍の猛烈な砲撃に備えて退避壕の強化と増設を行い、兵士達を過度に密集させないようにしていた。ロシア陸軍部隊は消耗したが、砲撃で大損害を被ることはなかった。また、第3軍団が塹壕を掘削している間に交通壕の増設を行い、第3線が破られてもロシア陸軍部隊が安全に退避できるようにしていた。また、時間の許す限り塹壕線の増加も行っていた。このため、日本陸軍部隊は時間を掛けて塹壕を制圧していくしかなかった。当然、塹壕が制圧されてもロシア陸軍部隊が壊滅することはない。ロシア陸軍部隊の消耗率が減ることは奉天要塞が長く持ちこたえることを意味する。
しかし、戦死者を抑えるためには他に方法がなかった。また、ステッセルが柔軟防御を採用した以上は無理攻めをしてロシア陸軍兵力を消耗させることも望めない。日本陸軍の損害が多くなってしまう上に、下手をすると奉天守備軍に逆襲を許してしまうかもしれなかった。結局、第3軍団が訓練してきた戦術で着実に塹壕を制圧しながら大型トーチカに迫っていくしかなかった。日本陸軍部隊が攻めていけばロシア陸軍部隊も応戦するしかなく、兵士が消耗していく。やがては奉天守備軍が負ける。第3軍団の方が砲兵隊で圧倒的に有利であり、ロシア陸軍部隊の消耗率が減っても日本陸軍部隊よりも多いことに変わりはなかった。そして、イニシアティブが第3軍団の方にあることに違いはなかった。
しかし、第3軍団が攻略した先には延々と塹壕線が連なっていた。これでは兵員が密集していないので準備砲撃での消耗度は低い。機関銃用の小型トーチカにもカモフラージュが入念に施されており、接近しないと位置が判明しないトーチカが多数になることも捕虜の尋問や鹵獲書類から判明していた。寧ろ、本番は是からだった。第3軍団は落胆しつつも、突撃壕の掘削作業に取り掛かった。
この時も、内閣、枢密院、陸軍参謀本部は乃木中将の方針を明確に支持した。特に、大谷陸軍参謀総長は乃木中将を声高に支持し、激励した。誰が指揮しても長期化して戦死者が多く出ること(これまでの日本陸軍の損害に比べれば)が了解済みだったからだ。乃木中将は当時の軍事技術を駆使して、最大限の能力を発揮しており擁護するのは当然だった。それに、セバストポリ要塞などと比べれば攻略の進展は早かった。国防省の報道官も近代要塞はセバストポリと同じく縦深性があり、昔の城型要塞と比べて突破しても陥落しないことなどを詳しく説明した。
それでも早期攻略を求める声は止まなかったが、第3軍団の方針を支持する政府の姿勢に変化はなかった。奉天要塞の攻略中に、ロシア陸軍主力が救援のための攻勢を発動することが懸念されていた。しかし、ロシア陸軍は地峡地帯である鉄嶺を攻めることを躊躇った。ロシア陸軍の方が兵力は多いが、砲兵隊の火力、機関銃部隊の数、士官および准士官と下士官の能力で日本陸軍の方が勝っていた。更に地形上、日本陸軍の方が有利であり、奉天会戦以上の無謀な突撃になることは確実だった。このため、ロシア陸軍はハルビンから四平まで前進したが、そこで停止した。
日本陸軍は奉天会戦と同様に、陣地構築、鉄道線の拡充、通信網の充実に努めていた。ロシア陸軍は前回の経験から鉄嶺を攻めることを躊躇い、ニコライ2世も是を承認していた。このため、前線では睨み合いが続き、奉天要塞の攻防戦にロシア陸軍が介入することはできなかった。ロシア政府は奉天要塞が持ちこたえている間に講和を結びたかったが、弱気を見せると国内における現体制の威信が失墜してしまうことを怖れていた。このため、アンカレッジでの極秘交渉は進展しなかった。
日本帝国側の代表団はロシアが満州から完全に出ていくことを要求した。ロシア側の代表団は満州におけるロシアの権益、満州北部の領土を残そうとした。南満州からの軍隊の撤退には同意したが、ロシアの北部満州を確保したままとし、他にも権益を残そうとした。両者の主張は平行線を辿った。フランスは奉天要塞が持ちこたえている間に講和するように勧めたが、ニコライ2世は決断ができなかった。
第3軍団は交渉が進められている間も奉天要塞の攻略戦を継続していた。しかし、是までのように大型トーチカを陥落させても奉天要塞の陥落させることができるわけではない。第3軍団の前に広がっている塹壕線を攻略していかなければならない。これまでのように、ロシア陸軍部隊は密集していないので準備砲撃の効果は限定された。更に、奉天守備軍は大型トーチカの守備に拘っていないので攻勢軸を定めるのが難しかった。このため、突撃壕を掘削して塹壕線を着実に制圧していくしかなかった。塹壕線は重要性が明確でない。気球部隊は能力が限定されており、ロシア陸軍部隊の位置を掴むのは極めて困難だった。このため、第3軍団の幕僚達は目標の選定に苦労し、攻略が長引く一因となった。
それでも6月17日、開始された攻撃で第21師団、第11師団、第25師団は戦線を押込めた。天候が良い日が多く、気球部隊が使えたのが成功の要因だった。6月25日までに第1防衛戦の大部分と第2次防衛線の一部を制圧することに成功した。何よりも成功だったのは、ロシア陸軍部隊を消耗させることができたことだった。しかし、この時点では其のことは分かっていなかった。もう一つの成功は防衛線に食い込めたことだった。奉天守備軍は兵力を分散させるしかない。そして、次の防衛線までの掘削作業が短くて済む。攻略は大いに進展したという事になる。第3軍団の兵士達にも第3軍団の司令部にも実感はなかった。しかし、奉天守備軍が消耗しているのは確かだったので攻略を続行することにした。
実際、この後から第3軍団の攻勢は弾みがついた。奉天守備軍の砲兵隊が消耗してきたことにより、ロシア陸軍部隊の阻止砲火は急速に衰えた。このため、第3軍団の砲兵隊は塹壕線に対する砲撃を増やすことができ、ロシア陸軍部隊の消耗度は急速に上がった。阻止砲火が衰えたことで山砲部隊やストークス臼砲部隊の進出は楽になり、歩兵部隊を緊密に支援できるようになった。山砲部隊とストークス臼砲部隊がロシア陸軍の機関銃部隊に煙幕弾を撃ち込んで守備隊の視界を遮蔽する。その間に歩兵部隊が機関銃分隊と狙撃班の援護でロシア陸軍の機関銃部隊に接近し、手榴弾を一斉に投擲して機関銃を破壊した。
ロシア陸軍部隊の逆襲を撃退する際にも山砲部隊とストークス臼砲部隊が活躍した。ストークス臼砲部隊の弾幕射撃はロシア陸軍歩兵を効果的に殺傷し、動きを封じた。山砲部隊は砲撃は勿論、各種色の発煙弾を撃ち込んで榴弾砲部隊や野砲部隊に目標を指示した。それに従って、野砲部隊や榴弾砲部隊が砲撃を行った。第3軍団は着実に奉天守備軍の防衛線を制圧していった。
しかし、奉天守備軍も適切に防衛線を設定しながら遅滞戦闘を行った。このため、奉天守備軍は持ちこたえることができた。しかし、このままでは奉天要塞が陥落することは明白だった。奉天守備軍の将兵はロシア陸軍の救援軍が来る気配すらないので政府を呪った。ロシア政府は奉天要塞が最低でも1年間は持ちこたえることができると考えていた。セバストポリ要塞を基準にして考えていた。奉天要塞は最新の要塞技術を注ぎ込んでいたので自信があった。更に、奉天会戦でロシア陸軍が大打撃を被っていたので気軽に攻勢を行うことはできなかった。
また、榴弾を奉天会戦で使い切っていた。補充は不充分で、1門あたり13発分しか補充できていなかった。日本陸軍が使用する榴弾の量と比べれば無いも同然だった。榴散弾では塹壕には無力だった。機関銃部隊の数がロシア陸軍部隊よりも多く、ストークス臼砲部隊と山砲部隊の数も多い日本陸軍部隊が布陣した塹壕を攻略する手段がロシア陸軍部隊に無かった。突撃を繰り返しても日本陸軍部隊の砲撃と銃撃で大打撃を受け、逆襲されて壊滅するばかりだった。
ニコライ2世も現実を認識する他なかった。しかし、ニコライ2世は奉天要塞に関しては過大な期待を懐き続けていた。ニコライ2世は奉天要塞が持ちこたえている間に講和条約が成立すれば対等な講和ができると見込んでいた。また、日本陸軍が奉天要塞を攻略するのには1年以上、掛かると見ていた。このことにより、早期の講和成立も救援作戦の発動も実行されなかった。一方、大谷陸軍参謀総長はロシア陸軍が一向に救援作戦を発動してこないことを不思議がっていた。ロシア陸軍が攻勢を仕掛けてくれば、奉天会戦のように逆襲して大打撃を与えることを意図していたからだ。日本陸軍の上層部も兵士達も自信満々だった。
福島中将の陸海混成軍団(陸軍の攻城砲を装備する1個旅団と海軍の28㎝榴弾砲を装備する沿岸砲兵旅団1個を増強)は、ウラジオストックの占領に向かった。予備兵力が減ることに不安を感じる幕僚も多かったが、大谷陸軍参謀総長は気にしなかった。平野で行われた奉天会戦でロシア陸軍に大打撃を与えることができたからだ。防御に適した鉄嶺ではロシア陸軍の敗北は確実だと判断していた。更に、軍情報局や対外特務庁からロシア陸軍が榴弾不足に陥っていることなどの報告を受けていた。寧ろ、日本軍の予備兵力が減ったことを察知したロシア陸軍による攻勢の発動を熱望していた。
ウラジオストックはモニター艦の戦隊を中心とする第1艦隊による支援(艦砲射撃と海兵隊1個旅団を輸送船団に搭載して陽動作戦を実施)を受けた陸海混成軍団によって17日間で攻略された。ロシア陸軍は準備不足で攻勢を発動できなかった。日本陸軍の主力は鉄嶺でロシア陸軍を待ち受けたまま待機した。
セオドニア・ルーズベルトは日露間の協議が平行線を辿っていたので、日露の代表をワシントンに呼んで個別に会談した。日本帝国の代表団の団長である武山外務副大臣との会談で日本帝国の目的をセオドニア・ルーズベルトは尋ねた。
ルーズベルト「武山外務副大臣、日本帝国の戦争目的について確認しておきたい。今までも説明は受けてきた。しかし、情勢に応じて貴国が戦争目的を変えるのは当然だ。そして、日本陸軍は連戦連勝だ。奉天要塞も陥落は確実だ。また、海軍についてもロシア太平洋艦隊は消滅し、旅順要塞も陥落した。ウラジオストックも港湾施設が未完成だ。仮にロシアがバルチック艦隊を回航しても難破するだけだ。
流石に、ニコライ2世も回航を断念した。これにより、日本陸軍の兵站線は盤石となった。貴国の国民が戦況に自信を深め、要求を拡大させるのは確実だ。そこで改めて確認したい。日本帝国の戦争目的で、最優先されるのは何だね?また、追加の要求を確認したい」。
武山「大統領閣下、日本帝国の戦争目的に変化はありません。ロシアによる安全保障上の脅威を取り除くのが最優先です。つまり、旅順を始めとする満州南部と朝鮮半島からのロシアの完全排除が変わらぬ条件です。しかし、戦局が有利ですので条件を追加します。ロシアは北満州からも全面的に撤退してもらいます。なお、満州の利権は二の次です。また、賠償金の額についても妥協の余地はあります」。
ルーズベルト「それは素晴らしい。しかし、貴国の議会や国民は納得するのか?戦況が好調なら国民が勝利の対価を求めるのは当然だ。今回の戦争は過去の戦争と違う。貴国でも徴兵制が実行され、志願兵よりも徴集兵が多く参戦している。そして、ロシア陸軍との激戦で貴国の徴集兵の戦死者も多い。日本帝国政府は国民を納得させることができるのか?」。
武山「国民には従ってもらいます。納得しなくても構いません。戦争目的を適切にして戦死者を減らすことは国民の利益にもなるからです。気分ではなく、議会で議員を選ぶことで国民は意思を実現すべきです。国民としての責任をもって行動するのは国民の義務です。それに、日本帝国陸海軍は全ての士官、准士官と下士官の大半を志願兵が占めています。精鋭部隊は志願兵が多数を占めます。民衆の気分と関係なく、戦争を遂行する軍隊です。よって、国内の民衆が騒乱を起こしたとしても軍隊は同調しません。徴集兵も定期訓練の時、政治教育を志願兵部隊から受けています。内務省軍と各県の警察、諜報機関も万全です。
民衆の気分で安全保障政策を決めることはできません。気分で始めた戦争が失敗するのは明白です。逆に、気分で平和を続ければ敵国が万全の態勢で攻撃することになります。どちらも、国家が敗北します。下手をすれば、国家の滅亡です。そして、国民も相応の代償を支払うことになります。日本帝国の国内情勢は、大統領閣下が考慮する必要はありません。大統領閣下の御懸念は政府に伝えます。天皇陛下と首相から書簡が届くでしょう。もし、講和による不満で国内で騒乱が起こった場合でも日本帝国政府は断固として鎮圧します。内戦になっても政府側の勝利は確実です」。
ルーズベルト「了解した。確かに、民衆の気分で戦争や平和を決めることは危険だ。戦争や平和は政府と議会が決めるべきだ。国民は選挙で自分達の意向を反映させれば良い。しかし、貴国の議会の動向は如何なのか?枢密院や貴族院が反対すれば、講和条約は批准も調印もされない。衆議院についても全く無視することはできないだろう。貴国の議会の動向は如何なのかを知りたい」。
武山「大統領閣下、御懸念無用です。枢密院と我が国の内閣は常時、情報を共有しています。開戦前から戦争目的については合意済みです。枢密院の方からも大統領閣下に書簡を出すように要請します。貴族院については与党連合が多数派なので問題ありません。それに貴族院議員達は安全保障問題に精通しています。日本帝国がロシアの首都であるサンクトペテルブルクを占領できないのは明白です。ロシアとは最終的に妥協する必要があることは充分に認識しています。枢密院と貴族院の賛成があれば、講和条約の調印と批准は可能です。後は日本帝国の内政問題であり、貴国には無関係です」。
ルーズベルト「大変、結構だ。是で安心して講和を進められる。日本帝国が冷静に安全保障政策を判断していることは素晴らしい。ロシアの頑迷さとは大違いだ。ところで日本帝国は今回の戦争に勝利した後、満州で如何なる政策を行う方針なのかを確認したい。利権は二の次だとしても満州の鉄道については放置できまい。本国から聞いていることがあるなら話してくれ。聞いていないなら問い合わせてもらいたい。それによって講和の条件も変化する」。
武山「満州での戦後政策に関しては内閣と枢密院で協議中です。まだ、確定していません。先程、申しあげた通りロシアを満州から排除するのが主たる目的です。満州の利権は二の次です。満州での日本帝国陸軍が敗れた場合に備えて朝鮮半島に鉄道を全く敷設しなかったことなどが証明しています。ところで、大統領閣下には満州についての御提案があるのではありませんか?」。
ルーズベルト「武山外務副大臣、その話題は今回の会談の趣旨と違うぞ。今回の講和仲介の目的は、我が国と日本帝国の関係改善だ」。
武山「大統領閣下の第一の目的が我が国とアメリカ合衆国との関係改善にあることは確信しています。しかし、他にもアメリカ国民の利益になる見返りが欲しい筈です。誤解なさらないでください。大統領閣下の個人的な誠意については疑っていません。大統領閣下は一部のアメリカ国民と違い、日本帝国に敬意を払っています。
しかし、国家元首である以上、国益を考慮するのは当然です。アメリカ国民に我が国との友好が得だと納得させるためにも満州における見返りは不可欠でしょう。多くのアメリカ国民は日本帝国との友好がアメリカ合衆国にとって有利であるとの事実を認識していませんからね。中国、ロシア、朝鮮に貴国が味方しないなら日本帝国は満州についてアメリカ合衆国と折半する用意があります。私の意思表示は内閣の意向を受けたものです。後ほど、首相からの書簡も届きます」。
ルーズベルト「日本帝国の率直な姿勢に感謝する。確かに、我が国には貴国を執拗に敵視する勢力もいる。確かに、私は議会にも配慮して満州の鉄道について検討していた。講和条約が成立してから提案する積りだった。しかし、貴国から問われて答えない理由もない。それにしても貴国の諜報機関は極めて優秀だな。武山外務副大臣、貴方も諜報機関の元要員か予備要員なのではないか?その方が、話が速くて済む」。
武山「大統領閣下、私が諜報機関と関わりがあるかは肯定も否定もしません。しかし、貴国は日本帝国にとって恩ある友好国となっています。また、貴国は超大国となることが確定しています。貴国の意向を無視しては不都合が起きます。また、貴国との友好は日本帝国の国益にもなります。どうぞ、御提案を示してください」。
ルーズベルト「武山外務副大臣、アメリカ合衆国も貴国との友好が国益になることを承知していると伝えてくれ。詳細は、後ほど貴方に渡すとして概略を述べておきたい。まず、満州の鉄道を運営する国際共同会社を設立する。アメリカと日本帝国が国際共同会社の株式を50%ずつ割り当てられる。初期投資の60%はアメリカが出資する。残りは民間からの出資を充てる。不足した場合のみ、日本帝国政府が補填する。補修費用もアメリカ政府が負担する。その代り、日本帝国が満鉄を陸軍で防衛する。また、満鉄には沿線地域の開発権も与える。以上の趣旨だ。
エドワード・ハリマンを中心として民間の資金は募集する予定だ。貴国の利益にも適うはずだ。また、満鉄の収益については貴国の分を多めにしても良い」。
武山「詳細を本国に送ります。しかし、内閣と枢密院は承認するでしょう。貴国の資金、技術力、経営の手腕は魅力的です。しかし、日本帝国の戦略目的は安全保障が主です。詳細は本国から送られてきますが、条件があります。満鉄の路線を朝鮮半島や沿海州に接続しないこと、満鉄の株式の売却先は日本帝国の銀行か企業に限定することなどです。満州から中国やロシアにとっての兵站基地にしないことが主目的です。貴国の利益にもなります。同意しない手はないと思いますが?」。
ルーズベルト「完全に同意する。貴国の歴史上で、今回の提案を日本帝国が受け入れた選択は最良だったと認識されることは確実だ。他の安全保障政策でも貴国に配慮する。できれば、同盟が望ましい。しかし、暫くは無理だ。今後、貴国と我が国の友好関係が深まるのを待とう。さて、戦争終結後の話も有意義だが是ぐらいにしよう。まずは、講和を成立させなければな。そこで貴国に譲歩して欲しい。ロシア政府が国民に言い訳するための材料だ。貴国の安全保障には影響しない。詳細は後で渡す。
概略は、ロシアの企業のためにロシアが清国との戦争前に獲得していた利権をロシアに認めることだ。勿論、鉄道は除く。そして、ロシア人の安全については基本的に貴国が責任を持つことで良い。貴国も危険にはならない筈だ」。
武山「大統領閣下、それには貴国からの見返りが必要です。ロシアが先制攻撃を行った場合、アメリカ政府が自国の金融市場からのロシアの締め出しなどの経済制裁、ロシアに対して武器弾薬などの兵器や軍需物資を売却しないことなどの条項を盛り込んだ日米協商条約を締結して批准してください。当然、アメリカに科されていた様々な規制は条約批准と同時に解除されます。
また、ロシアへの具体的措置として満州に貴国の陸軍を最低でも1個師団は駐屯させてください。ロシア人の安全確保は貴国軍が中心となって行ってください。勿論、日米協商条約に従って行動していただきます。以上の詳細は後ほど、本国から送られてきます」。
ルーズベルト「完全に同意する。実に喜ばしいことだ。しかし、満州に我が国の陸軍が駐屯するのは貴国内で懸念されるのではないか?」。
武山「大統領閣下、問題ありません。満州に貴国の陸軍が駐屯していることは、ロシアの先制攻撃に対する抑止力となります。しかし、貴国が日本帝国の側に付くことが明白になります。失礼ながら、大統領閣下は議会などの反対を捻じ伏せる御決意がありますか?貴国の利益にもなることは確実ですが、反対派は執拗に抵抗するでしょう」。
ルーズベルト「問題ない。アメリカ合衆国の国益に適うことだ。心配無用だと、天皇陛下および林首相に伝えてくれ。後ほど、書簡を送る。アメリカ合衆国と日本帝国が争うことが不合理なのは明白だ」。
セオドア・ルーズベルト大統領は武山に手を差出し、固く握手を交わした。それから二人は奉天攻防戦の状況やフランスなどヨーロッパ諸国の態度について話し合った。日本帝国の提案は、仲介の見返りとして日米関係の改善を求める積りだったので願ってもないことだった。セオドニア・ルーズベルトはロシア側の代表に北部満州を中心にロシアの利権を残し、満鉄の関連事業にロシアの企業を参画させることも伝えた。満鉄の主導権はアメリカが握ることも伝えて満州の鉄道がシベリアに対する攻撃に使われないことも保障した。
日本帝国は元から満州を自国領に組み込む意図はないし、鉄道を先制攻撃の手段に使う気はなかった。ロシア政府でも上層部の多くは承知していた。しかし、ニコライ2世は自己と同じように相手側も考えると思っていたので此の保障は意外に重要だった。ロシア政府は戦局が行き詰まり、同盟国のフランスが対日戦に協力する気が欠片もなかったのでアメリカの提案に応じた。
一方、日本帝国の枢密院では反対意見が多かった。当時のアメリカはロシアと並ぶ日本帝国の仮想敵国とされており、不信感が強かったからだ。「今回の政府の決定は危険だ。アメリカも中国、ロシア、朝鮮と並ぶ仮想敵国だ。ロシアとアメリカが同盟を組んで日本帝国を挟撃しようとするとの予測もある。アメリカに満州の鉄道を持たせて良いのか?成程、セオドア・ルーズベルトが大統領の間は良いだろう。しかし、後のアメリカ大統領が彼ほど賢明だと保障できるのか?」との意見が出た。市川国防大臣が次の様に説明した。
市川「皆様、誤解なさっているようですが、内閣はアメリカを信用していないからこそアメリカを満州に引き入れるべきだと提案しているのです。アメリカが満州に利権を持ち、邦人保護のための軍隊を駐屯させていればアメリカは日本帝国に敵対行為を行うことが困難になります。なぜなら、日本帝国陸海軍が先制攻撃を行えば、満州のアメリカ軍は壊滅し満州の利権は失われてしまいます。そう、アメリカの提案に同意するのは今回の日露戦争の開戦前にロシアに対して譲歩したのと同じです。相手側を油断させ、戦力の分散を余儀なくさせ、日本帝国との戦争を戦略的に不利とする環境を創るためです」。
「成程。納得できる部分も多い。それで内閣は今後の日米関係について如何なる見通しを持っているのか?」。
市川「基本的には、アメリカとは友好関係を保ちます。しかし、主導権は残念ながらアメリカにあります。我が国は中国、ロシア、朝鮮に囲まれています。アメリカとの対決は日本帝国に不利です。しかし、アメリカには日本帝国を執拗に敵視する勢力がいるのは厳然たる事実です。セオドア・ルーズベルトは将来的に、日米同盟をと言っています。しかし、武山外務副大臣によるとリップサービスだろうとのことです。私も同感です。日本帝国とアメリカは是からアメリカ大統領によっては対立するでしょう。
しかし、対立は自ずと抑制されます。満州にアメリカを引き入れれば高い確率で戦争が避けられます。地図を見てもらえば一目瞭然ですが、アメリカが満州に介入するには日本帝国を通過しなければなりません。アメリカにとって日本帝国との対決が不利なことは明白です。このことはアメリカの一般国民にも広く認識されることは確実です。アメリカが満州に投資を行うほど、アメリカは日本帝国に配慮しなければなりません」。
「国防大臣の説明で安心した。しかし、アメリカとロシアが同盟する可能性は無いのか?万が一、両国が同盟した場合の対策は立案しているのか?」。
市川「アメリカとロシアが同盟した場合は、日本帝国はアメリカ側に表面上は従うしかありません。一応、両国が先制攻撃してきた場合の作戦計画も立案しています。しかし、日本帝国が勝つのは極めて困難です。しかし、アメリカとロシアが同盟を組む心配は極めて少ないです。両国はライバルであり、基本的に相いれません。同盟ができても一時的です。
アメリカの国民の多くはロシアの事情を考慮せず、ロシアの皇帝専制が変革されることを求めています。アメリカ政府は政治体制上、国民の意向を無視することはできません。
一方、ロシアはアメリカ国民の意向を心配しますし、全てを得なければ気が済まない国です。やがて、満州を独占しようとして南下してきます。そうなれば、アメリカとロシアは最低でも深刻な対立関係に陥ります。戦争に突入する可能性も高いです。日本帝国にとっての仮想敵国同士が戦争を行うことは、日本帝国の安全保障政策にとって最高の出来事です」。
「国防大臣の意見に私も賛成だ。しかし、アメリカが中国の革命勢力に加担する恐れはないのか?アメリカはイギリス国王から謀反を起こして独立したせいか、やたらと王制に敵意を懐く。加えて、反乱や革命などに共感する輩が多い。アメリカの満州進出を抑制しておく必要はないのか?」。
市川「御心配、無用です。アメリカを満州に引き入れることにはもう一つの利点があります。アメリカが日本帝国の対中政策に同調することになります。義和団の乱で明確なように、清国で排外主義が強まってきています。アメリカが満州に大規模な利権を持っていれば、当然、清国の排外主義の標的はアメリカになります。結果として、アメリカは満州の権益を守るために清国と対立することになります。
アメリカは我が日本帝国に協力を求めるしかないのです。中国は周辺国に干渉と侵略を繰り返してきました。人口圧力が原因であり、相手国との妥協は困難で対立を避けることはできません。体制が変わっても、是に変化はありません。中華意識もあって、満州に進出したアメリカと良好な関係を構築することは困難です。これらの理由で、アメリカが満州に進出することはアメリカと中国の間に対立関係が発生することになります。これも日本帝国の安全保障政策にとって良いことです。以上の様に、アメリカが満州に進出することは安全保障政策上、多くの利点があります。日本帝国の仮想敵国であるロシア、中国、アメリカが対立し合ってくれるのは結構なことではありませんか。結論として、アメリカの提案は日本帝国の利益になります。受け入れるべきです」。
多くの枢密院議員達は納得した。明治天皇は当初から林内閣の提案に賛成していた。しかし、慎重を期して杉浦対外特務庁長官にも意見を求めた。杉浦対外特務長官も国防長官の主張に賛成した。
「対外特務庁も国防省の意見に賛成です。理由は次の通りです。詳細は御手元の資料を御覧ください。概略を述べさせていただきます。
第一に、経済的な側面。満州の開発には莫大な初期投資が必要で収益が上がるには時間が掛ることです。馬賊などの治安対策などの行政費用も莫大になります。そして、満州は一見、豊かなようですが実態は違います。満州の人口は少なく、その割に収穫量が多いので豊かに見えるだけです。
第二に、第一の点とも関連しますが満州に日本帝国が直接、進出して農民を入植させれば最悪の事態となります。漢民族だけではなく、満州族の反発も招きます。農地を日本人が大量に取得して、農業用水を使用すれば忽ち満州の住民は圧迫されます。そうなれば、満州族も漢民族も反発して、中国、ロシア、アメリカなどの介入を招きます。嘗ての幕府のように、厳格な入植管理を行うのは政党政治が行われている以上、無理です。満州族や漢民族をアメリカインディアンのように居留地に押込めるか中国に追放しない限り黒字は不可能です。道義的に其のようなことをしてはなりませんし、戦略上も好ましくありません。
第三に、漢民族で強まっている排外主義は民族主義運動の隠れ蓑でもあります。清朝は事態を楽観視していますが、漢民族の諸派は清王朝の打倒を目指すことが確実です。多数派の漢民族が中国の政権を握れば、清王朝以上に攻撃的な姿勢をとるのは確実です。よって、将来的に清朝は打倒され、満州は漢民族の征服の対象となります。中国との対抗上、日本帝国は満州民族を支援した方が戦略上、得です。
以上のことから、日本帝国は満州民族と対立するのを避けることが望ましいです。よって、満州の開発ではアメリカを前面に出して日本帝国が反発を受けない様にしておくことが不可欠です。当然、清王朝を打倒しようとする漢民族のグループを支援しません。また、日本帝国内に来た場合は清国に引き渡します。つまり、従来通りの対中政策を堅持します。満州民族の王朝である清朝を打倒しておいて満州民族との友好や連携を求めても満州民族が本気にするわけはないからです」。
以上の説明で、枢密院議員達も政府の提案を全面的に支持した。明治天皇も明確に支持した。連携しつつも、異なる視点で情勢を分析して判断する国防省と対外特務庁が同じ結論だったからだ。こうして、日本帝国もセオドニア・ルーズベルトの提案に、基本的に同意した。こうして、日露両国がアメリカの提案に同意したことで、協議は大幅に進展した。アラスカのアンカレッジでの秘密協議で日露両国の代表団は妥協できる点から協議を進めていった。日露両国とも歩み寄ってきたが、完全な合意には至らなかった。奉天要塞が陥落しておらず、ロシア陸軍が戦局を逆転できる可能性もあったからだ。両国の代表団は満州の戦局を横目に見ながら協議を進めていった。
アラスカのアンカレッジで協議が進む間も、第3軍団の奉天要塞攻略は進展していた。7月15日までに第3軍団は第2次防衛線の大部分を制圧していた。第3軍団は大型トーチカよりも塹壕線の占領を優先した。ロシア陸軍部隊が大型トーチカに籠ってくれれば、第1攻城師団の砲兵隊で大打撃を与えることができるからだ。奉天守備軍も第3軍団の意図は理解しており、大型トーチカには最小限の兵員しか配置していなかった。
しかし、塹壕線のロシア陸軍の兵士達は疲弊し始めていた。塹壕は快適ではなく(どの国の塹壕もだが)、日本陸軍部隊による絶え間ざる砲撃や狙撃がロシア陸軍兵士達を疲弊させていた。奉天守備軍では定期的に兵員を交替させて奉天市街などで休息させていた。しかし、日本陸軍が第2次防衛線を突破してくると其れもできなくなった。このため、第3軍団の攻勢は順調に進展した。
8月までに第3軍団は第3次防衛線に食い込み、3個の大型トーチカを陥落させた。8月4日から第3軍団は第3次防衛線に対する本格的な攻撃を開始した。最早、劣勢は明らかであり、奉天守備軍の兵力も消耗していた。防衛線を守備する兵力が不足していた。このため、ステッセルは降伏を検討していた。これ以上、降伏を遅らせても奉天守備軍の犠牲者が増えるだけだった。第3軍団はロシア陸軍部隊の抵抗が弱まってきたので、奉天守備軍の兵力が消耗したことを察知した。このため、6個師団を投入して総攻撃を敢行することにした。
夜明けと同時に、多数の煙幕弾が塹壕線に撃ち込まれ、第2線に砲撃が集中した。すると、驚くべきことが起こった。第1線を突破したところまでは何時も通りだった。日本陸軍部隊は第2線を簡単に制圧して、第3線にも多くの部隊が突入に成功した。第3線でロシア陸軍部隊は抗戦を続けたが、やがて退却していった。この日の戦闘で第3軍団は奉天守備軍の兵力が消耗したことを確信した。ロシア陸軍部隊が容易に突破を許したのは前線の連隊長の判断ミスだったが、最早、兵力不足だったことが一番の原因だった。日没後に、ステッセルは幕僚を集めて降伏することを伝えた。幕僚達は揃って反対した。しかし、降伏しかないことを内心では承知していた。
8月10日、午前7時、奉天守備軍の軍使が第3軍団の前線を訪れた。そして、第3軍団の司令部に通されてステッセルの書簡を渡し、降伏の意志を伝えた。乃木中将は降伏を了承して、準備砲撃を止めさせた。第3軍団の全部隊は現在の位置で待機するように命じられた。休戦が決まり、14時から両軍の代表者達が降伏条件について会談した。その間、両軍部隊はロシア陸軍の負傷者の収容、両軍の戦死者の埋葬などを行っていた。15時に会談は終わり、16時に降伏式が行われた。
こうして、奉天要塞攻防戦は正式に終了した。両軍の損害は次の通り。日本陸軍の戦死者は約1万、負傷は約3万。ロシア陸軍の損害は戦死が約2万、負傷と捕虜が約4万(他に民兵部隊や警官などが約200戦死、約640名負傷)。大谷亮介陸軍参謀総長は奉天要塞が陥落した翌日、第3軍団司令部を訪ねた。
大谷陸軍参謀総長は乃木中将が気落ちしていることに気づき、幕僚達を執務室から退席させて二人で話し始めた。大谷「乃木中将、君は御見事だ。奉天要塞は最低でも1年以上は持ちこたえるとの評判だった。君が率いる第3軍団は本格攻勢開始から約4か月で陥落させた。しかも、攻者3倍の法則に達していない兵力でだ。これは大いに誇るべきことだぞ。もう少し、威張りたまえ」。
乃木「しかし、参謀総長、私は多くの兵を死なせてしまいました」。
大谷「あのなあ、乃木中将、セバストポリ要塞は約1年間も持ちこたえたのだぞ。普仏戦争の事が念頭にあるのかもしれないが、あの戦争では要塞を攻略する必要は無かった。フランス陸軍の主力がプロイセン陸軍に敗北し、援軍や補給の見込みが皆無だったからだ。奉天要塞は警察官や補助の兵などを除いてもロシア陸軍部隊が約7万も立て籠もっていたのだ。それに、ロシア陸軍による救援作戦の可能性は高かった。奉天要塞を陥落させなければ、戦局は苦しくなり戦死者は増えただろう。
それに、普仏戦争の要塞は榴弾砲で集中砲撃すれば陥落させることができる旧式の要塞だ。奉天要塞は大型トーチカをベトンで完全防護した上に、塹壕線が連なっていた。ロシア陸軍部隊が長期間、持ち堪えたのは塹壕線でロシア陸軍部隊が粘り強く抗戦したからだ。大型トーチカに籠っていてくれれば、第1攻城師団の砲撃で充分だった。後は煙幕弾の砲撃で支援された工兵隊と歩兵部隊が突撃すれば占領できた。1ケ月で充分だっただろう。しかし、現実にはロシア陸軍部隊は塹壕線に展開して抗戦した。こんなタイプの要塞戦は世界戦史でも初めてのことだ。君、第3軍団、第3軍団に配属された部隊は確かに、素晴らしい功績を挙げたのだ」。
乃木「参謀総長閣下、部下達を讃えていただいたことを感謝します。しかし、私は讃えられる資格はありません。第1軍団は旅順要塞を短期間で少ない犠牲によって攻略しました」。
大谷「乃木中将、君が戦死者に申し訳ないと思う気持ちは理解できる。しかし、第1軍団の場合、要塞のロシア陸軍部隊の兵力は奉天要塞の約3割だ。しかも、コドラチェンコ少将が出撃を繰り返してくれたおかげで我が軍の砲撃と銃撃の有効性が際立ったのだ。奉天要塞の場合とは全く異なる。そして、君が意気消沈していることは日本帝国陸軍の将来にとって有害なのだ」。
乃木「参謀総長閣下、どういう事でしょうか?」。
大谷「単純だ。今回の奉天要塞攻防戦での功績が讃えられなければ、君が司令官でなければ奉天要塞は簡単に攻略できたとの印象を与える。しかも、素人の間だけでなく陸軍や国防省などのプロの間でもだ。奉天要塞攻防戦は戦史上初の塹壕線を防衛の中心にした要塞戦だ。数多くの戦訓も得られた。
それが無視され、要塞の特定の場所を攻略すれば良かったと思われてしまうだろう。次の戦争における要塞攻防戦や塹壕線では戦訓を無視した戦術が行われ、戦闘にも戦争にも敗北する。だから、君の態度は有害なのだ。第3軍団や第3軍団に配属された部隊の名誉のためにも、君は大いに誇りたまえ」。
乃木「参謀総長閣下、諒解しました。しかし、感情として誇るのは難しいです。できるだけ、努力します。部下達には、栄誉と褒賞を御願いします」。
大谷「君も栄誉を受けるのに相応しいのだ。幕府の教訓集にもあるように、未来の人間には現在の人間は誰でも愚か者に見えるのだ。御察しの通り、私と君の個人的な仲は最悪だ。はっきり言って、性格が合う要素がないからな。しかし、軍人としての評価は別だ。君は、素晴らしい将軍だ。部下達の名誉のためにも、後世の人間達の判断を狂わせないためにも君は大いに誇りたまえ」。
乃木「参謀総長閣下、光栄です。できるだけ、卑屈にならないように努力します」。
大谷「さて、この話は是までにしよう。今回の奉天要塞攻防戦での戦訓について、君が思うことを話してくれ」。
二人は暫く奉天要塞攻防戦の戦訓について話し合った後、幕僚達のいる部屋に戻った。このように、大谷陸軍参謀総長を始めとする陸軍上層部は第3軍団の乃木中将や幕僚達を讃えた。国防省や内閣も同様だった。このため、第3軍団と第3軍団に増強された部隊は讃えられた。戦訓も正しく伝わり、その後の日本帝国陸軍の要塞攻略戦や塹壕線に活かされることになった。特に、ロシア陸軍部隊の位置を把握することの困難さが認識され、国防省は偵察に革命を齎す航空機の開発に全力を挙げることになる。併行して、陸軍も航空機の運用や地上部隊との協力などの戦術について熱心に研究していく。
本格攻勢開始から約4か月で、奉天要塞が陥落したことは各国に衝撃を与えた。殆どの国は奉天要塞が1年間は持ちこたえることができると予想していたためだ。日本帝国陸軍にとって厳しい要塞攻防戦だった。しかし、結果として比較的、早期に要塞を陥落させることが出来た。このことは日本帝国の威信を高めた。各国は日本帝国が有利だと認識した。一方、ロシア政府は奉天要塞が陥落したことに狼狽した。奉天要塞が1年間は持ちこたえると予想していたからだ。未だに救援軍は準備を整えていなかった。奉天会戦で大損害を被ったので躊躇している間に、奉天要塞は陥落してしまった。
ロシア政府は正式に講和を受け入れた。ロシアは北部満州からの陸軍の撤退と清国への領土返還にも合意した。その代り、賠償金は払わないで済むことにしてほしいと提案した。日本帝国の代表団は本国の指示を仰いだ。林内閣は閣議で検討を重ねた。北部満州からロシア陸軍を駆逐しようとすると、戦費の更なる増大、戦争の長期化、戦死者の増大などの事態を招くことから提案を受け入れた。元々、日露戦争の目的はロシアの脅威を取り除くことにあったので提案を受け入れることにした。国防省、対外特務庁とも日露戦争の戦争目的は達成されたとして賛成した。枢密院も同意した。こうして、正式な講和会議に向けた環境が整った。奉天要塞の陥落が満州からのロシア撤退を決定づけた。
8月12日、正式に休戦が発表された。アラスカのアンカレッジで秘密協議を重ねていた日露両国の代表団はアメリカのポーツマスに移動した。10月8日から正式な講和会議が始まった。既に、協議が重ねられていたので両国の代表団は全権委任状を確認すると、秘密協議の合意を次々に文書化していった。両国の代表の高松通商外交省大臣とヴィッテが到着するまでに会議は進展していた。ただし、日本帝国はロシアの満州からの完全排除に拘った。つまり、ロシアが実効支配している満州北部からもロシアの利権を完全に除こうとした。しかし、ロシアはできるだけ残そうとした。
ここで、セオドニア・ルーズベルトが北部満州にアメリカ陸軍を展開させて、ロシア権益の保護とアメリカ陸軍によるロシアの監視を行うことを提案した。高野は是に同意した。アメリカが満州に本格的な関与を行うことになるからだ。高野はアメリカが日本陸軍による満州派兵の際に、アメリカが資金援助を行うこと、侵攻してきた敵国に対して経済制裁や武器および軍需物資の禁輸などを自動的に発動することを条件として同意した。こうして、後は細部を詰めていく協議となった。
ただし、是に時間が掛った。ロシア人の警護問題、条約の条文、ロシア企業の事業形態と監視体制などを両方の代表団が延々と協議したからだ。両方の代表団とも今後の満州における自国の利益が懸かっているので必死だった。ただし、大枠では既に合意していた。このため、会談は表向きとは裏腹に順調だった。日露両国とも講和が望ましいことでは一致していた。
まず、日本帝国は戦費の増大とインフレに悩まされていた。特に、日本帝国陸軍の砲弾の消費量は凄まじかった。各種火砲の砲弾を約1億1千万発も使用していた。これ以上、日露戦争を継続すると経済の悪化や財政赤字の慢性化が起こる恐れがあった。ただし、兵站の状況は良好で各部隊の兵員も充足していた。下級将校も元から予備役将校が多かったし、志願兵の准士官も高度な訓練を受けていたので戦時昇進させて死傷した下級将校の穴を埋めていた。
一方、ロシアは兵站の状況は漸く改善していた。しかし、奉天会戦を始めとする戦闘で大量の戦死者と捕虜が出ていた。深刻だったのは、戦死者の中で下級将校の比率が高かったことだ。日本陸軍の狙撃班が大活躍した。狙撃兵以外の兵士達も初弾は将校を狙うように命令されていた。このため、ロシア陸軍は補充された下級将校の練度の低さに苦しめられていた。当時のロシアの下級将校の予備役は少なく、急遽、徴募した下級将校達の練度は劣悪だった。このため、ロシア陸軍部隊の練度が低下し、一連の敗北もあって士気が低下していた。それに、シベリア鉄道での補給に起因する根本的な問題は解決していなかった。補給の関係で日本陸軍のような猛砲撃を行うことは困難だし、激戦になると兵員の補充問題が再燃する恐れがあった。
何よりも、これ以上の戦死傷者はヨーロッパ方面でのロシアの安全保障を脅かしかねない。講和が必要だった。同盟国のフランスもロシアが日露戦争を継続するなら露仏同盟の破棄も有り得ると警告した。ロシアとしては国内向けに多少の面子を保った形で講和したかった。しかし、両方の代表団とも本音を言うわけにはいかないので交渉は長引いた。両国とも英仏の要請で、アメリカに仲介を依頼したという形をとっていたからだ。このため、協議は長引いた。
漸く、協議が纏まったのは12月11日だった。細部の調整を済ませた上で、1907年12月15日、ポーツマス条約が調印されて日露戦争は正式に終了した。概ね、秘密交渉で、纏まった線で講和条約が成立した。
講和条約が成立すると、互いに捕虜の送還が始まった。市川国防大臣は捕虜になった兵士達が誹謗中傷を受けない様に、国防省として一連の対策をとった。言論統制期間の延長、下級将校以下の兵士に対する言論の規制の新法、捕虜になった兵士達および家族の移住の補助などだ。その他にも日本帝国を悩ませたのが講和条約に対する国民の不満だった。元から林内閣は日露戦争の目的がロシアの脅威の排除に絞られていることを説明していた。しかし、不満は大きかった。政府は、膨大な戦費が負担になっていること、インフレの懸念、日本帝国軍がサンクトペテルブルクやモスクワを占領することが不可能であること、満州進出の危険性などを広報したが不満は消えなかった。このため、戒厳令を発動するしかなかった。
それでも、大阪や江戸などで暴動が発生した。内務省軍は砲撃も含めて情け容赦なく武力を行使し、全ての暴動は半日で鎮圧された。内務省軍の指揮下で陸軍部隊も投入された。死傷者は約3千(死者は約1千人)となった。このため、折角の戦勝が気まずくなってしまった。戦勝祝賀の式典も全て中止された。
1908年12月23日、ワシントンで日米協商条約が調印された。日本国内では事前に、戒厳令が発動された。内務省軍および各県警の警察と第1軍団などの陸海軍の精鋭部隊が全国で厳戒態勢を敷いた。このため、違法なデモが散発的に起きただけで混乱は無かった。
1909年4月27日、日米協商条約は枢密院の承認と両院協議会での採決を経て、批准された。なお、後の選挙でも議席に変化はなかった。陸海軍の徴集兵士達は当然のことながら、戦争が早期に終結した方が良かった。将校達や志願兵達もロシアの脅威排除が日露戦争の目的だと認識していた。このため、奉天要塞が陥落し、満州から撤退するなら戦争は終結すべきだとの意見が大半だった。兵士達が帰国すると、世論の風向きは変わった。
日本陸軍も楽勝だったわけではなく、過大な要求で戦争が長引くことは大量の戦死者を出すことになりかねないことが広く認識されたからだ。また、政府の方も開戦後から言論統制を強め、世論が過熱しないようにしていた。元から保守派は満州に進出する気がなかった。そして、ナポレオンが劣勢になっても妥協できなかったのは自分の権威が失墜するためだったことを正確に認識していた。ナポレオンは自己の宣伝で国民に過大な期待を懐かせていたことが足枷となった。
こういうわけで、保守派は当初から世論を抑制していた。こういう時のために、職業軍的な性格の強い帝国陸海軍を育成してきたからだ。保守派は移り気な世論に安全保障政策が左右されることを嫌った。自由民権派の大陸進出論や朝鮮介入論などで保守派の不信感は極めて強かった。このため、元から世論の支持を求めなかった。求めたのは黙認だった。
開戦の経緯から明白なように世論の支持を求めず、枢密院を納得させて議会には同意だけを求めた。枢密院とは完全に情報を共有していたが(枢密院の権限からして無視することは不可能)、貴族院にも衆議院にも殆ど説明していなかった。貴族院の憲政党および帝国党の有力な幹部には概略だけが説明されていた。このため、世論は完全に不意打ちを喰らった。開戦になると、厳重な言論統制で世論は抑制された。憲政党は陸海軍の徴集兵達の士気を心配していたが、特に問題は発生しなかった。下士官以上を志願兵で固めていた日本帝国陸海軍は内閣の命令に従って任務を遂行した。このため、政府は適切な目標を設定して大陸に深入りするのを避けることができた。
日本帝国陸海軍の兵士達の雰囲気は後のキッチーナ陸軍に類似していた。日本帝国陸海軍の兵士達は志願兵の准士官と下士官に率いられ志願兵部隊のように平時も訓練し、有事も戦った。そして、徴兵された兵士の中には志願兵の選抜試験や訓練課程で落第した者も多く、徴集兵達の雰囲気も志願兵に近くなった。また、政治家、将官、将校も彼らの信頼に応えて戦死者を最小限に留めるため、平時も有事も多大な努力をした。これにより彼らはキッチーナ陸軍と違って壊滅せず、日本帝国の基盤は盤石だった。
このため、政府は賠償金や領土割譲などがなくても軍隊を引き揚げることが出来た。戦時中の陸海軍の兵士や国内向け宣伝でも諄すぎる程、日露戦争の目的がロシアの脅威を排除しておくことだと説明された。このため、前述の様に兵士達が帰国すると世論の風向きも変わった。その後、エドワード・ハリマンを社長とする満鉄が高収益を上げ、財政収入が増加したので多くの日本帝国国民も歓迎するようになった。結局、保守派の主張の正しさが証明されたわけで大陸進出は日本帝国の国益にならなかった。
当時は、陸軍を上陸させることだけが相手国に決定的な打撃を与える手段だった。ロシアが野心を諦めない以上、不本意でも陸戦を行うしかなかった。日露戦争の結果、沿海州に港が建設されることもなくなり、日本海での脅威は考えなくて良くなった。満州南部から鉄道が撤去されたことで朝鮮半島からの侵攻の危険もなくなった。
満州にアメリカが権益を持ち、陸軍を展開させたことでロシアや中国が沿海州や朝鮮半島に進出しようとすればアメリカと対立することになる。朝鮮半島は日本帝国と清国が共同で管理する属国であり、開発を制限しているために悪路のままだった。このため、日本帝国に対する侵攻基地としては直ちに使用することはできない。仮想敵国のアメリカは満州に利権を持っていて日本帝国と気軽に対立することはできなくなった。以上の様に、日本帝国の脅威は著しく減少したわけで日本帝国内は安堵感が支配した。こうして、日本帝国は暫くの間、平和を楽しむことになる。




