満州での激闘
11月10日、ロシア陸軍は攻勢に移った。狙いは日本陸軍の右翼だった。日本陸軍部隊は西から沈旦堡を中心に第2軍団が、沙河堡を中心に第3軍団が、第3軍団戦区から陶山子にかけて第4軍団が展開した。第1軍団は遼陽の北に位置する煙台を中心に展開していた。どの軍団にロシア陸軍が攻勢を仕掛けても精鋭の第1軍団が駆けつける態勢だった。ただし、配置に意図的だが隙を作ってあった。
陶山子と本淫湖の間が手薄だった。本淫湖には第14師団が展開していたが、陶山子の間には第5騎兵旅団が展開しているだけだった。大谷陸軍参謀総長は、ここにロシア陸軍を誘い込むことを意図していた。ロシア陸軍は、第5騎兵旅団を突破して第4軍団を前後から挟撃しようとする筈で、そこに第1軍団を急行させて突破したロシア陸軍部隊を撃破する計画だった。西の第2軍団を攻撃してくることも考えられるが、第2軍団の側面には渾河があり、渡河の手間を考えると可能性は低かった。第2軍団の戦区は第1軍団にも、総予備が展開している遼陽にも近い。
第2軍団に攻勢を行ってくれた方が日本陸軍にとっては好都合だったが、クロパトキンは其処まで間抜けではないだろうと予想された。この作戦だと前後から挟撃されかねない第4軍団が危険だが、クロパトキンに大胆な攻勢を実行させるには他の手がなかった。第4軍団には第15師団が増強されていたが、危険であることに変わりはなかった。
しかし、当時は無謀な作戦ではなかった。当たり前だが、当時は機甲師団も機械化歩兵師団もない。主力は歩兵だった。歩兵の走る速度に対応すれば良いので、充分に救援は間に合うと見積もられていた。騎兵部隊が歩兵部隊に勝つことは極めて困難だった。それに、ロシア陸軍の騎兵部隊は下馬戦闘も偵察も苦手だった。ロシア陸軍騎兵部隊は乗馬突撃を主任務として訓練されていた。日本陸軍部隊が動揺しなければ撃退は容易だった。下士官や准士官も志願兵である日本陸軍部隊の実力を陸軍参謀本部も信頼していた。
このため、この作戦が採られた。大谷陸軍参謀総長は何時も通り、各軍団の軍団長などと協議を重ねて意思疎通を徹底させた。特に、第4軍団の黒木為朝中将とは入念に協議した。こうして、日本陸軍は万全の態勢でロシア陸軍を迎え撃つことになった。
ロシア陸軍は予想通り、11月10日から本淫湖と陶山子の間を突破して第4軍団の背後を突こうとした。ロシア陸軍の2個騎兵師団は第4騎兵旅団の警戒網を突破して第5騎兵旅団の防御線を突破しようとした。ロシア陸軍騎兵部隊が颯爽と進む。第4騎兵旅団の騎兵部隊はロシア陸軍騎兵部隊を確認すると、信号弾を発射して退却した。しかし、第4騎兵旅団の部隊や第5騎兵旅団の部隊が立ち塞がる。日本陸軍騎兵部隊は下馬戦闘を行った。騎兵部隊員達が下馬し、馬を遮蔽物の陰に隠す。騎兵部隊員達は膝射の姿勢で小銃を構えて待機する。
距離が約500mになると、機関銃と小銃の銃撃が始まる。ロシア陸軍の騎兵が薙ぎ倒されていく。再集しようとするロシア陸軍騎兵部隊に日本陸軍の騎兵砲部隊が発砲して最集を妨害する。日本陸軍騎兵部隊はロシア陸軍騎兵部隊の動きに合わせて展開し、下馬戦闘を行って撃退した。特に、機関銃部隊が大活躍してロシア陸軍騎兵部隊の突撃を粉砕した。最初からクロパトキンの計画は躓いた。
騎兵部隊は後の機甲部隊のような働きは無理だった。ロシア陸軍の騎兵部隊が散開して戦線の後方に浸透しようとすれば結果が少しは異なっていたかもしれないが、そんな訓練をロシア陸軍は行っていなかった(他国の陸軍も正式には行っていない)。このため、乗馬突撃を密集して敢行し、機関銃と小銃の銃撃に薙ぎ倒された。何とか第4軍団の後方に回ろうとした騎兵部隊も第9師団の防御線に引っ掛かる。
まず、第9師団の野砲部隊が次々に発砲する。榴弾がロシア陸軍騎兵部隊の隊列に飛び込み、次々に炸裂する。ロシア陸軍騎兵が次々に吹き飛んでいく。更にロシア陸軍騎兵部隊が進むと、山砲部隊も砲撃を開始する。そして、第9師団の歩兵部隊の小銃兵達が膝射の姿勢で発砲し始めた。機関銃部隊も射撃を開始する。機関銃と小銃の銃撃がロシア陸軍騎兵部隊を薙ぎ倒していった。
2個のロシア陸軍騎兵師団は苛立っていた。数で劣る下馬騎兵に自軍の騎兵部隊が薙ぎ倒されていたからだ。ロシア陸軍の2個騎兵師団はそれぞれ1個連隊を下馬させ、砲兵隊と併せて日本陸軍の下馬した騎兵部隊を攻撃させた。そして、残りは援護を受けながら強引に突破した。ロシア陸軍騎兵が薙ぎ倒されるが、下馬騎兵部隊が伏射で射撃し、砲兵隊が日本陸軍部隊に榴散弾を浴びせる。日本陸軍騎兵部隊員達は榴散弾の炸裂に伏せ、下馬部隊の銃撃にも応戦する。
その間に、ロシア陸軍騎兵部隊は次々に突破する。ロシア陸軍の騎兵部隊は第4騎兵旅団と第5騎兵旅団の防衛線を相次いで突破した。しかし、日本陸軍の増援部隊が相次いで到着する。急行してきたのは第1騎兵旅団、第3騎兵旅団、教導騎兵旅団だった。日本陸軍の騎兵部隊は下馬する。将校の命令で騎兵部隊員達は隊形を組む。ロシア陸軍騎兵部隊が距離500mにまで迫る。下馬した騎兵部隊は膝射で射撃を開始する。騎兵部隊所属の機関銃部隊も射撃を開始する。ロシア陸軍の騎兵部隊は機関銃と小銃の銃撃で薙ぎ倒されていく。
ロシア陸軍騎兵部隊は各所で突撃を敢行するが、その度に銃撃で薙ぎ倒された。下馬してもロシア陸軍騎兵部隊は、機関銃を装備している日本陸軍騎兵部隊を突破できなかった。その上、第4軍団の日本陸軍部隊も騎兵部隊の支援に駆け付ける。ロシア陸軍の2個騎兵師団は大損害を被り、退却した。ロシア陸軍の騎兵部隊で第4軍団の後方を突こうとの試みは失敗に終わった。
しかし、後続としてシベリア第3軍団とシベリア第4軍団が出現した(当時のロシア陸軍は2個師団を基幹としていた)。同時に、ロシア陸軍は全戦線で攻勢に出た。しかし、ロシア陸軍の主攻は日本陸軍の第4軍団の戦区だった。シベリア第3軍団とシベリア第4軍団は進撃する。第5騎兵旅団などの日本陸軍騎兵部隊は騎乗すると退却した。ロシア陸軍部隊は第9師団を突破しようとした。しかし、南に正面を向けていた第9師団の防御線を突破できなかった。ロシア陸軍の砲撃が第9師団の各部隊に降り注ぐ。しかし、塹壕に籠る第9師団の各部隊に効果はなかった。続いて、ロシア陸軍歩兵部隊が迫る。
今回の戦闘からロシア陸軍部隊は、やや散開した横隊で攻撃してきた。後にクロパトキン陣形と呼ばれた陣形だった。各人の間隔を5mとり、8人8列の小隊で、横隊で突撃してきた。従来に比べれば散開していたが、横一線の横隊に変わりはなかった。ロシア陸軍歩兵部隊が約500mにまで迫ると日本陸軍歩兵部隊の銃撃が始まる。機関銃と小銃の銃撃でロシア陸軍兵士が薙ぎ倒されていく。山砲部隊とストークス臼砲部隊の近距離砲撃も始まる。特に、ストークス臼砲部隊による砲撃は伏射しているロシア陸軍歩兵にも効果抜群だった。
日本陸軍の野砲部隊と榴弾砲部隊の砲撃を開始する。多数の榴弾が着弾し、炸裂する。後続のロシア陸軍歩兵部隊が薙ぎ倒されていった。第4軍団の狙撃班も活躍した。第9師団以外の師団からも狙撃班が抽出されていた。効果的にロシア陸軍部隊を足留めし、ロシア陸軍部隊の将校を狙撃した。ロシア陸軍部隊は将校が死傷すると、固まって動かなくなるか突撃する傾向があり被害を拡大させた。
日本陸軍の各騎兵旅団は下馬戦闘で効果的にロシア陸軍部隊を足留めした。ロシア陸軍の野砲部隊からの砲撃で全ての馬を失った中隊もあったが、銃撃を続けてロシア陸軍の歩兵部隊を足留めした。シベリア第3軍団とシベリア第4軍団は戦線の突破に苦労していた。その間に、第1軍団が到着した。
第1軍団には近衛師団と教導砲兵旅団も増強されていた。シベリア第3軍団とシベリア第4軍団は第1軍団に攻撃された。第12師団と第23師団はシベリア第3軍団とシベリア第4軍団を南部から攻撃した。第1軍団の到着と共に本淫湖でロシア陸軍の1個歩兵師団と数個騎兵連隊に足止めされていた第14師団も反攻に転じてロシア陸軍部隊を攻撃した。シベリア第3軍団とシベリア第4軍団は逆に包囲されそうになり大急ぎで退却した。クロパトキンは他の戦線でもロシア陸軍部隊が突破できないので総退却を指示した。
11月11日、大谷陸軍参謀総長は第4軍団に戦線を維持させながら前進させ、第1軍団によるシベリア第3軍団とシベリア第4軍団の包囲を支援させた。第2軍団には小新民屯を占領して鉄道線に到達することが目標だった。各軍団にはロシア陸軍部隊の撃滅が目標だと指示された。主に、第1軍団と第4軍団による東部のロシア陸軍兵力(特にシベリア第3軍団とシベリア第4軍団)を撃破することが目的だった。
このため、第2軍団と第3軍団にはロシア陸軍の逆襲を警戒して前進速度を落とすように指示された。第2軍団と第3軍団の追撃はロシア陸軍部隊に対する牽制だった。大谷陸軍参謀総長は戦力が分散して逆襲を受けやすい両翼包囲を嫌っていた。まだ、航空偵察がない時代であり、敵予備兵力の位置が分からなかったからだ。実際、第2軍団の北からムイコフ隊(2個師団)が第2軍団の第1師団に攻撃を仕掛けて第2軍団の進撃を阻止した。第2軍団は戦線を整理して進撃速度を控えめにした。
一方、第1軍団と第4軍団はシベリア第3軍団とシベリア第4軍団を追い詰めていた。両軍団の各師団が圧迫を加えてロシア陸軍の両軍団は崩壊寸前になった。両軍団に属していない第15師団がシベリア第3軍団とシベリア第4軍団の背後に回り、退路を断とうとした。
ところが11月12日、クロパトキンの投入した2個師団による攻撃で阻止された。第15師団の東を進撃していた近衛師団にも1個師団と騎兵部隊の残存部隊が対峙して防御線を展開し始めた。このため、シベリア第3軍団とシベリア第4軍団を包囲撃滅することはできなかった。しかし、第1軍団と第4軍団は両軍団の部隊に攻撃を続けて両軍団を潰走に追い込んだ。クロパトキンは必死に戦線を立て直し、最後の予備の2個師団も投入して自らロシア陸軍左翼を指揮して日本陸軍の第1軍団と第4軍団などの進撃を阻止しようとした。
11月13日、クロパトキンはロシア陸軍右翼をステッセルに任せて奉天要塞への退却を指示した。北部の鉄道線を一時的に日本陸軍が占領しても構わないと指示した。奉天要塞には充分な備蓄があるし、日本陸軍部隊の間隔が広がれば反転攻勢のチャンスとなるからだ。しかし、第2軍団は大谷陸軍参謀総長の指示で深追いはしなかった。クロパトキンは空いた兵力を次々にロシア陸軍左翼に投入して左翼の退却を支援した。また、逐次、蛸壺型の一人用の塹壕を掘らせて銃撃を行う様に指示した。少しでも日本陸軍部隊の進撃を遅らせるためだった。ロシア陸軍歩兵部隊が塹壕から射撃を行う。日本陸軍歩兵部隊は伏射で攻撃する。ストークス臼砲部隊と山砲部隊も砲撃して支援する。しかし、ロシア陸軍部隊も予備隊を投入して銃撃を続ける。しかし、日本陸軍の野砲部隊と榴弾砲部隊が調整した砲撃を開始する。
観測兵部隊により砲撃が誘導され、次々に榴弾が着弾して炸裂する。ロシア陸軍部隊の塹壕は急造であり、調整された榴弾による砲撃には無力だった。塹壕のロシア陸軍歩兵達が榴弾の炸裂で死傷していく。信号弾が日本陸軍歩兵部隊から上げられ、砲撃の着弾地点がロシア陸軍の第2線に移された。ストークス臼砲部隊と山砲部隊の支援もあって着実に日本陸軍歩兵部隊は前進する。特に、ストークス臼砲部隊は弾幕をロシア陸軍の塹壕に浴びせ、射撃を妨害した。日本陸軍歩兵中隊は2個小隊が射撃し、2個小隊が前進した。日本陸軍の機関銃部隊も同様の戦術で小銃部隊に随伴して進撃する。日本陸軍の銃撃は的確で塹壕のロシア陸軍歩兵は効果的に応戦できなかった。機関銃や小銃の銃撃で塹壕に隠れるか身を乗り出して死傷していった。ロシア陸軍歩兵部隊は日本陸軍部隊の射撃と砲撃で撃ち竦められた。
典型的な日本陸軍歩兵中隊の制圧例は次の通り。塹壕に接近した日本陸軍歩兵の2個小隊は次々に手榴弾を投擲する。塹壕のロシア陸軍歩兵が爆発で死傷していく。日本陸軍歩兵部隊は塹壕を手榴弾で制圧していった。2個小隊と機関銃部隊は銃撃で援護し、塹壕のロシア陸軍部隊を塹壕に押込める。ストークス臼砲部隊と山砲部隊も塹壕を砲撃して効果的にロシア陸軍部隊の射撃を封じた。特に、ロシア陸軍の機関銃部隊を優先して砲撃した。援護を受けた日本陸軍歩兵部隊は側面や後面に回り込み、ロシア陸軍の塹壕を半包囲する。それから、日本陸軍将校が攻撃を停止させる。小銃と機関銃による一斉射撃が浴びせられた後、降伏が呼び掛けられる。負傷していたロシア陸軍歩兵は相次いで降伏した。しかし、残りのロシア陸軍歩兵は抵抗を続け、殺害されていった。次は援護していた2個小隊が前進し、同じように援護を受けながら制圧していった。ロシア陸軍部隊の薄い防御線は崩れ始めた。
しかし、ロシア陸軍部隊も犠牲覚悟で戦線を維持し続けた。直ぐに新たな戦線が形成される。ロシア陸軍歩兵部隊が塹壕を掘り、射撃を続ける。日本陸軍部隊も砲兵隊の支援がなければ、犠牲が出る。このため、砲兵隊が展開するまで待つことになり多くのロシア陸軍部隊が脱出していった。結局、クロパトキンの防御により包囲は失敗し平手押しに近い追撃となってしまった。
しかし、日本陸軍の第1軍団と第4軍団などの勢いを止めることはできなかった。日本陸軍部隊は砲兵隊の支援を受けながら進撃する。榴弾砲部隊と野砲部隊から榴弾が降り注ぐ。榴弾が着弾して次々に炸裂する。浅い塹壕にいるロシア陸軍歩兵が吹き飛ばされていく。日本陸軍歩兵部隊が接近すると信号弾が上げられる。観測兵部隊の誘導で榴弾砲部隊の砲撃がロシア陸軍の後方の防衛線に集中される。野砲部隊は前線の山砲部隊やストークス臼砲部隊が発射する発煙弾を目標にして、歩兵部隊の進撃方向の側面のロシア陸軍部隊を砲撃する。
日本陸軍歩兵部隊は機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊の援護を受けながら進撃する。日本陸軍の歩兵中隊は2個小隊が交互に前進し、一方が援護射撃をして距離を縮めた。機関銃部隊の銃撃、ストークス臼砲部隊と山砲部隊の砲撃もあってロシア陸軍部隊の銃撃は封じられた。特に、ストークス臼砲部隊の弾幕射撃は効果的でロシア陸軍の機関銃部隊を殺傷し、銃撃を困難にした。日本陸軍歩兵部隊は接近すると、次々に手榴弾を投擲してロシア陸軍の塹壕を制圧していった。ロシア陸軍の後衛部隊は日本陸軍部隊の攻撃に抗しきれず、総崩れになった。
後衛部隊を突破した日本陸軍歩兵部隊は後退していたロシア陸軍砲兵隊にも攻撃を加えた。シベリア第3軍団とシベリア第4軍団などの、日本陸軍の第4軍団を攻撃した部隊は野砲と榴弾砲の殆どを遺棄して退却せざるを得ない程だった。なお、この間、日本陸軍の騎兵部隊は文句を言いつつ、任務に従事していた。師団所属の偵察騎兵部隊だけでなく、騎兵旅団も1個連隊を交代で抽出されて歩兵部隊を支援していた。それも、歩兵部隊に弾薬などを補給したり、負傷者を後送するなどの任務だった。日本陸軍の将官達は陸軍参謀総長以下、騎兵部隊が歩兵部隊に無力であることを得利寺会戦で再認識していた。元から騎兵部隊が歩兵部隊に無力であることは認識されていたが、得利寺会戦で決定的となった。このため、騎兵部隊は追撃任務も外されて歩兵部隊を支援するのが主任務とされた。戦闘中なのに、旅団長や連隊長が抗議の使者を各司令部に送った。しかし、得利寺会戦での第1騎兵旅団の惨状を説明した覚書を渡されて追い返された。
騎兵部隊を除いて、日本陸軍部隊は優勢であり全戦線でロシア陸軍部隊を圧迫していた。クロパトキンは渾河の橋を渡らせてロシア陸軍部隊を退却させた。順次、ロシア陸軍部隊は旅順要塞に逃げ込む。11月15日、日本陸軍の第15師団は撫順を占領した。クロパトキンは奉天要塞をステッセルのシベリア第1軍団を基幹とする部隊に守らせて主力を北方に退却させた。
第2軍団は馬三家子を占領して鉄道線の寸断を目指していたがロシア陸軍の4個師団、約1万のミシチェンコ騎兵集団が迎撃してきたので進撃を断念して防御に移行した。第3軍団は奉天要塞の外周に達したところで追撃を断念して第2軍団の援護に部隊を抽出した。第1軍団と第4軍団なども奉天要塞の外周に迫ったが、要塞を急襲で占領するのは無理だった。このため、大谷陸軍参謀総長の指示で日本陸軍の各軍団は追撃を中止して戦線整理に着手した。
こうして、11月16日、沙河会戦は終わった。両軍の損害は次の通り。日本帝国陸軍の損害は戦死が約1万6千、負傷が約4万。ロシア陸軍の損害は戦死が約3万7千、捕虜が約7万、負傷が約4万。日本帝国陸軍はロシア陸軍に大打撃を与え、奉天要塞を孤立化させることに成功した。国際的にも日本帝国の優位が改めて印象付けられた。
ロシア陸軍は奉天の北の鉄嶺まで退却した。クロパトキンは解任され、リネウィッチが極東ロシア陸軍の総司令官に任命された。リネウィッチはクロパトキンを非難していたが、自分が同じ立場になると弱気になった。ロシア陸軍を前進させるのを躊躇った。一方、日本陸軍は奉天要塞を完全に包囲した。しかし、ロシア陸軍の逆襲を警戒して鉄道線を破壊した上で反包囲状態に移行した。奉天要塞の攻略には最低でも半年は掛かると予想されていたので今から攻略戦を始めても冬期になってしまう。
満州で冬期に歩兵を行動させると大量の犠牲者を出すのは確実だった。万種の厳寒な冬では体力を大幅に消耗し、凍傷者も大量に発生する。日本陸軍の冬季装備は万全だったが負傷すると死亡する確率が高まる。要塞攻略や塹壕線の突破では遮蔽物の陰に隠れて待機しなければならない。歩兵の体力が消耗すると前進は困難だし、負傷すれば後送中に死亡する確率が高かった。このため、冬期の要塞攻撃は最悪であり、野戦も避けたかった。更に冬期の満州では地面が固くなり、塹壕を掘るのが困難になる。要塞攻略戦では突撃壕を掘って敵陣地との距離を詰めるのが基本なので致命的だった。これらの要因から、大谷陸軍参謀総長は奉天要塞に威力偵察や嫌がらせの砲撃を加えつつ、春を待つことにした。
奉天要塞を完全包囲しなかったのはロシア陸軍の冬季攻勢を警戒したためだった。要塞を完全包囲すると日本陸軍の兵力が包囲網の形成に取られてしまう。ロシア陸軍が犠牲無視の攻勢を行った場合、戦線が崩壊する恐れがあったからだ。また、ロシア陸軍の救援軍が現れた時に奉天要塞のロシア陸軍部隊が出撃してくることも期待していた。そうなれば、要塞攻略の手間が省けるからだ。
しかし、大谷陸軍参謀総長を始めとして日本陸軍の将官達はロシア陸軍の冬期攻勢を期待はしていたが、可能性は低いと判断していた。前述の様に歩兵部隊が攻撃の主役である以上、冬期攻勢は攻撃側に不利な点が多い。ロシア陸軍は大損害を被っており、さらに犠牲の大きい冬期攻勢を行うのが不合理なのは明白だった。ロシア陸軍は春まで戦力を蓄積してから反撃を行う方が良いのは明白だった。ロシア陸軍の多くの将官も同じようなことを考えていた。しかし、ニコライ2世は冬期攻勢の困難に対する認識が足りなかったし(ナポレオンによるロシア侵攻を撃退した時も冬期にロシア陸軍兵士も多く死亡しているのだが)、国内的に現体制への信頼が揺らいでいたのでリネウィッチに早期の攻勢を強要した。
1907年1月1日、ロシア陸軍は反攻作戦を発動した。今度の目標は日本陸軍の左翼だった。リネウィッチの作戦計画は単純で奉天要塞の西部を固めている第2軍団と第3軍団の撃滅を狙った作戦だった。まず、第3軍団に平手押しの攻撃を加える。ただし、砲撃を中心とする。第2軍団に対しても牽制攻撃を加える。この日は突破を目指さなくて良い。
2日目に、日本陸軍右翼の第4軍団と第5軍団にも攻撃を加える。主に第4軍団を攻撃すると共にミシチェンコ騎兵集団(約1万)を戦線後方に送り込んで日本陸軍の予備をロシア陸軍左翼に引き付ける。日本陸軍の予備が急行してきた場合は防戦に転じること。
3日目に、日本陸軍の第2軍団と第3軍団に平手押しの攻撃を加えて正面を拘束し、両軍団の境界線に馬家三子と大房身を総攻撃する。奉天要塞の籠城軍にも牽制攻撃を加えさせる。馬家三子と大房身を陥落させたら、戦略予備を日本陸軍の第2軍団に振り向けて奉天要塞の籠城軍と挟撃させる。これで奉天要塞を解囲させることができる。以上がリネウィッチの作戦の概要だった。
日本陸軍はリネウィッチの攻勢を察知しており、防御を固めていた。大谷陸軍参謀総長は、今回もロシア陸軍に主導権を譲ることにした。前述の様に、この時代は防御側が情報面と移動速度(攻撃側は敵と接触すると鉄道を基本的には使えない)で有利だったからだ。防御側と接触した瞬間に攻撃側の利点は失われてしまう。なお、1月1日、ミシチェンコ騎兵集団は早くも第4軍団の偵察騎兵部隊に発見されてしまった。これで、ロシア陸軍の作戦は最初から躓いた。ただし、リネウィッチは余り気にしていなかった。どちらにしろ、日本陸軍は兵力を自軍の右翼に割くと思ったからだ。
しかし、余り陽動にはならなかった。大谷陸軍参謀総長が派遣したのは教導騎兵旅団、第6騎兵旅団、海兵隊3個旅団だけだった。日本陸軍では騎兵部隊は基本的に脅威にならないと日露戦争で再認識していた。日本帝国が参戦したアロー号戦争で清国軍の騎兵部隊は無力だった。幕府軍時代でも幕府陸軍歩兵部隊(幕府海軍海兵隊、幕府軍所属の外人部隊も)が騎兵部隊単独の攻撃で負けた例はなかった。外国の戦例でもクリミア戦争、南北戦争、普仏戦争で騎兵部隊は歩兵部隊に勝てなかった。このため、騎兵部隊が側面や後方に回っても日本帝国陸軍の将官達(日本帝国海軍の海兵隊の将官達も)が脅威に思うことはなかった。
ただ、騎兵部隊が後方の砲兵陣地や補給所などを襲撃すると作戦遂行上の障害になることは知られていた。ボーア戦争でボーア陸軍がイギリス陸軍を馬に乗ったコマンド部隊による襲撃で苦しめていたからだ。しかし、ロシア陸軍の騎兵部隊は密集した乗馬突撃を主任務としていたので脅威と見做されていなかった。このため、騎兵部隊と海兵隊で充分だとされた。そして、実際に充分だった。
ミシチェンコ騎兵集団が進む。進路を下馬した日本陸軍の騎兵部隊が塞ぐ。ロシア陸軍騎兵部隊は半分を下馬させ、攻撃させる。日本陸軍の騎兵部隊員が伏射で小銃の射撃を始める。ロシア陸軍部隊は膝射で応戦する。当然、姿勢の低い日本陸軍騎兵部隊が有利だった。ロシア陸軍の騎兵部隊は射撃戦が苦手であり、伏射は殆んど訓練していなかった。更に機関銃が配備されておらず、日本陸軍騎兵部隊は余裕で防戦した。
下馬部隊の銃撃に合わせてロシア陸軍騎兵部隊が突撃する。しかし、日本陸軍騎兵部隊の機関銃がロシア陸軍騎兵を薙ぎ倒していった。ロシア陸軍の騎兵砲部隊も日本陸軍の騎兵砲部隊との砲撃戦に忙殺されて効果的に支援できない。一向に、突破できないのでミシチェンコは日本陸軍の騎兵部隊を迂回させて日本軍の後方拠点を攻撃させた。幾つかの後方拠点を襲撃した。日本陸軍の兵站部隊の兵士達も小銃で応戦して持ちこたえた。
しかも、海兵隊が列車で逐次、増援として到着した。海兵隊は到着すると、ストークス臼砲部隊と山砲部隊を展開させた。次々に榴弾が撃ち込まれ、ロシア陸軍騎兵部隊が薙ぎ倒されていく。海兵隊の歩兵部隊も展開して銃撃を加える。慌てて、ロシア陸軍騎兵部隊は退却する。ミシチェンコ騎兵集団を教導騎兵旅団と第6騎兵旅団が海兵隊の支援を得て攻撃した。第1海兵隊旅団の砲兵隊(榴弾砲部隊を増強)が砲撃する。日本陸軍の騎兵旅団は下馬戦闘で攻撃した。ミシチェンコ騎兵集団は退却した。
その後、第4軍団の後方に向かったが日本陸軍の2個騎兵旅団も攻撃を続けたので戦闘に貢献できなかった。鉄道で海兵隊も順次、増援に駆け付ける。ロシア陸軍騎兵部隊は小部隊に分かれて後方に浸透する訓練を受けていなかった。このため、日本陸軍部隊が対処するのは極めて容易だった。ミシチェンコ騎兵集団は退却を余儀なくされた。
11日は日本陸軍の第2軍団と第3軍団にロシア陸軍の第6、第17、第10の各軍団が砲撃を中心として猛攻を行った。しかし、日本陸軍の第2軍団と第3軍団は楽に防戦できた。というのも、ロシア陸軍部隊の砲弾の大半が榴散弾だったからだ。榴弾も含まれていたが、生産が間に合わなかった。日本陸軍の塹壕は深く掘られており、塹壕線もカミナリ型の構造(直線部分も凹凸が続く)で最低でも三線になっていた。このため、ロシア陸軍の砲撃は全く効かなかった。ロシア陸軍砲兵隊が次々に発砲する。唸りを上げて榴散弾が日本陸軍の塹壕に向かう。次々に榴散弾が炸裂し、散弾が降り注ぐ。
しかし、貫通力がない。日本陸軍部隊は全員がヘルメットを標準装備している。見かけの派手さとは裏腹に、全く効果がなかった。日本陸軍砲兵隊の逆襲が始まる。日本陸軍の観測兵部隊が偽装トーチカなどから砲撃を誘導する。まず、発煙弾が撃ち込まれ、観測兵部隊が風向きを確認する。それから試射が始まり、観測兵部隊の指示で「効力射」が指令される。日本陸軍砲兵隊が猛射を開始する。多数の榴弾が発射され、次々にロシア陸軍砲兵陣地に着弾する。次々に炸裂して、ロシア陸軍砲兵隊の大砲と兵士を吹き飛ばしていく。
ロシア陸軍の砲兵隊は大損害を被り、砲撃の勢いが衰えた。砲撃戦は日本陸軍砲兵隊が圧倒的に有利だった。日本陸軍の砲兵部隊の陣地は入念なカモフラージュが施されていた上に、防御も堅固だった。ロシア陸軍砲兵部隊の大砲の大半は野砲であり、砲弾も榴散弾だった。上からの砲弾の脅威が少なく、貫通力も殆どない榴散弾なので防御は楽だった。しかも榴弾砲の攻撃を想定して防御工事が施されていた。
ロシア陸軍は攻勢側なので陣地を入念に造る時間がない。しかもリネウィッチは急襲を重視して砲兵隊の防護を充分にしなかった。ロシア陸軍の攻勢は最初から躓いていた。
ロシア陸軍の歩兵部隊も日本陸軍の塹壕線に攻撃を開始する。距離500mになると、日本陸軍歩兵部隊による小銃の銃撃が始まる。山砲部隊とストークス臼砲部隊も砲撃を開始する。砲撃と銃撃でロシア陸軍歩兵部隊が薙ぎ倒されていく。観測兵部隊の誘導で、榴弾砲部隊も砲撃を開始する。ロシア陸軍の後続部隊が砲撃で吹き飛ばされる。ロシア陸軍部隊の攻勢の勢いは忽ち衰えた。ロシア陸軍部隊は後退して態勢を立て直し、攻撃を続行する。銃剣突撃は控えめにしていた。
しかし、満州の冬の地面は固くて歩兵が壕を掘れなかった。このため、損害が増え続けた。固い地面により、榴弾の爆発のエネルギーが地面に逃げず破片効果も増す。爆風と破片でロシア陸軍兵士が次々に死傷していった。ロシア陸軍歩兵の死体が平原一帯に散らばった。日本陸軍の第4軍団と第5軍団の戦線でも似たような状況だった。極度の寒さにより、ロシア陸軍の負傷者も次々に死亡した。この日は牽制攻撃だけだったが、それでも損害は大きかった。このため、ロシア陸軍の参謀達や軍団長達は早くも攻勢中止を主張した。しかし、リネウィッチは大言壮語した手前、攻勢の続行を命じた。
1月2日、ロシア陸軍の第1~4軍団などは日本陸軍の第4軍団と第5軍団に攻撃を集中した。作戦通り、第4軍団に攻撃を集中し、撫順を迂回して第4軍団の背後に回ろうとした。第4軍団は第9師団の1個旅団に戦線を延ばさせて阻止行動をとらせた。第4騎兵旅団も下馬戦闘を行ってロシア陸軍部隊を足留めした。ロシア陸軍部隊が距離500mまで迫ると、日本陸軍部隊が銃撃を始める。小銃の銃撃で密集した隊形を組んでいるロシア陸軍兵士が次々に倒れていく。同時に、ストークス臼砲部隊と山砲部隊も砲撃を開始する。次々に榴弾が炸裂し、ロシア陸軍兵士が薙ぎ倒されていく。第4騎兵旅団の騎兵砲部隊も砲撃し、ロシア陸軍歩兵部隊に榴弾を叩きこむ。ロシア陸軍将校も狙撃で次々に倒れていく。
ロシア陸軍歩兵部隊は伏射で応戦する。しかし、射撃が下手な上に、冬期迷彩で白い軍服を着用して散開している日本陸軍部隊に殆ど当たらない。一向に、日本陸軍部隊の銃撃が衰えない。その上、ストークス臼砲部隊の弾幕射撃は頭上から榴弾が降り注ぐ。固い地面で壕も掘れないので伏射でも損害は増える一方だった。苛立ったロシア陸軍歩兵部隊は縦列で銃剣突撃を敢行する。日本陸軍の機関銃部隊が銃撃を始め、ロシア陸軍歩兵を薙ぎ倒していく。
リネウィッチはクロパトキンと違い、銃剣突撃を抑制させることができなかった。壕が掘れないこともあってロシア陸軍部隊は我慢できず、積極的に銃剣突撃を敢行した。このため、日本陸軍の機関銃部隊に薙ぎ倒されていった。ロシア陸軍砲兵隊が援護のために砲撃を開始する。榴散弾だが、今回は日本陸軍部隊も急な展開で陣地の防護が充分にできない。数も上だ。このため、ロシア陸軍砲兵隊の砲撃も其れなりに効果的だった。飛来した榴散弾が次々に炸裂し、散弾が降り注ぐ。日本陸軍砲兵隊員が散弾で死傷していく。悲鳴、負傷者の呻き声、「衛生兵!」の声が響く。それでも日本陸軍砲兵隊は屈しない。「砲手交代!」の号令で砲手達が配置に就き、砲撃を再開する。日本陸軍砲兵隊の大砲は白く迷彩されていた上に、ロシア陸軍の観測兵部隊の技量が高くなかった。このため、旅団所属の日本陸軍砲兵隊は反撃を続けることができた。
日本陸軍歩兵部隊も砲撃に晒された。しかし、白い迷彩の軍服を着る日本陸軍歩兵を砲撃するのは難しかった。このため、日本陸軍歩兵部隊は銃撃を続けた。機関銃も小銃も白い布を巻いており、機関銃は細目に移動して射撃を続けた。日本陸軍の山砲部隊は榴散弾の砲撃で退却を余儀なくされたが、ストークス臼砲部隊は目立たないので分散しつつも砲撃を続けた。ロシア陸軍部隊も進撃するが、日本陸軍部隊も粘り強く抗戦を続けた。
その間に、総予備の第19師団が列車で順次、到着した。第19師団の砲兵隊が砲撃戦に加わり、ロシア陸軍砲兵隊の勢いを弱めた。ストークス臼砲部隊と山砲部隊も前線に進出し、砲撃を加える。第19師団の歩兵部隊が前線に展開して銃撃を始める。ロシア陸軍部隊の攻勢は行き詰った。第5軍団の第13師団も列車で到着する。第13師団は迂回したロシア陸軍部隊の側面を逆に迂回して側面攻撃をかけた。第13師団の砲兵隊が砲撃を始める。榴弾がロシア陸軍砲兵隊に降り注ぐ。次々に榴弾が着弾し、炸裂する。ロシア陸軍砲兵隊は側面からの砲撃で態勢が整わず、苦戦した。
第13師団の歩兵部隊は機関銃部隊、ストークス臼砲部隊、山砲部隊の支援を受けて進む。ストークス臼砲部隊と山砲部隊が砲撃を始め、ロシア陸軍歩兵を次々に吹き飛ばしていく。第13師団の歩兵中隊は2個小隊が進撃する間、2個小隊が射撃した。第13師団の機関銃部隊は効果的に支援を行い、ロシア陸軍歩兵部隊を撃ち竦めた。ロシア陸軍歩兵部隊は銃撃戦で劣勢になり、苛立って銃剣突撃をしては銃撃と砲撃で薙ぎ倒されていった。ロシア陸軍部隊は後退を余儀なくされる。
予備として待機していたミシチェンコ騎兵集団は第13師団を背後から急襲しようとした。しかし、第5騎兵旅団と教導騎兵旅団がミシチェンコ騎兵集団を阻止した。両騎兵旅団は下馬戦闘を行った。下馬した日本陸軍部隊が小銃で銃撃し、騎兵砲部隊も次々に発砲する。ロシア陸軍騎兵部隊が苛立って突撃してくると、機関銃部隊が薙ぎ倒していった。下馬したロシア陸軍騎兵部隊の援護も効果的でなく、ロシア陸軍騎兵部隊員の死体が増えるばかりだった。その上、列車で日本海兵隊3個旅団が順次、到着して戦線に加わる。日本陸軍の騎兵部隊で足止めされ、列車で日本軍の予備隊が機動して対応する。ミシチェンコ騎兵集団は退却を余儀なくされた。第9師団は危機を脱した。戦線の状況は安定した。
しかし、ロシア陸軍の攻撃は熾烈だった。新たな攻勢が発動された。撫順と第5軍団の中間にある渡架橋に対して連続した攻勢が行われた。総予備の第20師団と第21師団、教導歩兵旅団が列車で順次、到着した。第5軍団の第14師団は攻勢を撃退し続けた。しかし、ロシア陸軍部隊の数が多く、第1線の塹壕線を放棄した。教導歩兵旅団が戦線に到着する。第1線の塹壕線に取りついていたロシア陸軍歩兵部隊に攻撃を開始する。日本陸軍の砲兵隊が奪われた第1線の塹壕線に正確な砲撃を激烈な勢いで行った。元々が自軍の塹壕なので正確な座標が判明しており、試射も修正も不要だった。塹壕線に榴弾が正確に着弾し、次々に炸裂する。ロシア陸軍歩兵が爆発で吹き飛ばされ、次々に死んでいく。余りに砲撃が的確だったので、パニックに陥った数十名のロシア陸軍歩兵が塹壕を飛び出した程だった。当然、死ぬのを早めただけだった。
教導歩兵旅団は前線に到着すると、信号弾を上げて砲撃を停止させた。日本陸軍砲兵隊は標的を後続のロシア陸軍部隊に移した。ストークス臼砲部隊が塹壕線に弾幕射撃を浴びせ、ロシア陸軍部隊の射撃を妨害する。日本陸軍の山砲部隊は煙幕弾を発砲し、歩兵部隊の側面を遮蔽した。日本陸軍の機関銃部隊が掩護射撃を行い、日本陸軍歩兵部隊が接近する。日本陸軍歩兵部隊は手榴弾を次々に投擲する。塹壕で爆発が起こると、次々に塹壕線へ雪崩れ込んだ。手薄な地点を制圧した日本陸軍歩兵部隊は銃剣で防御しつつ、手榴弾で塹壕を制圧していった。
第14師団も反撃に転じる。第1線に突入したロシア陸軍部隊は正確かつ多量の砲撃で大損害を受けており、簡単に制圧された。第20師団も順次、到着して戦線に加わる。ロシア陸軍部隊の攻撃は完全に行き詰った。その間に、後続の第21師団が到着して戦線の穴を完全に塞いだ。その後、ロシア陸軍は攻撃の手を緩めた。犠牲が多すぎたこともあったが、日本陸軍の総予備を充分に吸収したと判断したからだ(希望的に推測していた)。
実際は、第1軍団と近衛師団の精鋭部隊が無傷で待機していた。日本陸軍は鉄道を使って予備隊を各地に急派しており、予備を残していた。大谷陸軍参謀総長は沙河の会戦が終わった後から、全力で戦線後方の鉄道敷設に取り組んでいた。特に、第4軍団と第5軍団の戦区は迂回の余地が大きいので鉄道線の建設と拡充に力を注いでいた。工兵部隊だけではなく、他の兵科の部隊も作業に協力させられた。こうした努力が実を結んで、今回の戦闘で予備兵力の効率的な移動が可能になった。
また、こうした予備兵力の機動的運用には日本陸軍が構築させた有線の通信網も大きく貢献していた。電信だけではなく、電話も完備していた(電話線は限られていたので使用は緊急時のみ)。このため、ロシア陸軍部隊が攻撃した場合、直ちに情報が上級部隊に伝えられて素早い対応が可能になった。そして、日本陸軍の砲兵隊の的確な砲撃も通信網を利用して観測兵部隊が砲撃を的確に修正できたことによる。これも大谷陸軍参謀総長の命令であり、繰り返し訓練も行われて通信体制が確立されていた。
また、日本陸軍砲兵隊は会戦の前に試射と測量を繰り返し、標定を済ませていた。このため、今回の会戦では発煙弾を発砲して風向と風速を測定するだけで「効力射」に移ることが出来た。試射が省略できるので迅速な砲撃を浴びせることができた。そして、性格だった。今回の会戦における日本軍の優位な点だった。ロシア陸軍部隊は日本陸軍の戦線も突破できず、予備兵力を反対側の戦線に拘束することもできなかった。
1月3日、ロシア陸軍の第1、第8、第6、第17、第10の5個軍団を中心とするロシア陸軍右翼は第2軍団と第3軍団に集中攻撃を加えた。しかし、例によって準備砲撃は殆ど効かなかった。ロシア陸軍歩兵部隊が接近する。距離500mになると、日本陸軍歩兵部隊による小銃の銃撃が始まる。山砲部隊とストークス臼砲部隊も砲撃を始め、多くのロシア陸軍歩兵が吹き飛ばされていく。ストークス臼砲部隊の弾幕射撃は伏射を行っているロシア陸軍歩兵にも有効だった。地面が固くて壕も掘れず、爆発と砲弾の破片も地面に吸収されない。このため、ロシア陸軍歩兵の死傷者は増大した。例によって、苛立ったロシア陸軍歩兵部隊は銃剣突撃を敢行する。日本陸軍の機関銃部隊が射撃を開始し、ロシア陸軍歩兵を薙ぎ倒していく。
日本陸軍砲兵隊の砲撃も開始される。観測兵部隊からの指示で発煙弾が撃ち込まれ、観測兵部隊が修正を伝達すると、激烈な砲撃が始まった。榴弾が降り注ぎ、次々に炸裂した。固い地面の御蔭で効果も増大し、ロシア陸軍兵士達が吹き飛ばされていった。ロシア陸軍の後続部隊は砲撃で遮断され、攻撃の勢いは衰えた。一旦、ロシア陸軍部隊は後退する。既に、大量のロシア陸軍兵士の死体が雪原に転がっていた。
それでもロシア陸軍は攻勢を続けて突破を目指した。今回はロシア陸軍が保有する榴弾が惜しげもなく使われた。このため、観測兵部隊の誘導で砲撃が修正されると次第に砲撃の効力は増した。ロシア陸軍砲兵隊が次々に榴弾を発砲する。日本陸軍の塹壕線に多数の榴弾が着弾して炸裂する。しかし、野砲が砲兵隊の主力であることもあり、効果は見掛けほどではない。また、日本陸軍部隊の塹壕は当初から榴弾による攻撃を想定して造られていた。
それでも今までとは有効性が違った。日本陸軍兵士が次々に死傷し、衛生兵達が走り回って救護活動に当たる。また、前線付近の山砲部隊が集中的に砲撃される。多数の榴弾が着弾し、山砲部隊の陣地で炸裂する。日本陸軍兵士達が吹き飛び、山砲が破壊されていく。砲撃が収まると「砲手交代!」の号令が行われ、砲手達が交代する。負傷者達は後送される。しかし、山砲部隊の打撃は大きく後退命令が出される。
ロシア陸軍砲兵隊は日本陸軍の山砲部隊に大打撃を与えて沈黙させた。日本陸軍砲兵隊もロシア陸軍砲兵隊との砲撃戦が優先だった。ロシア陸軍砲兵隊は堅固な砲兵陣地から砲撃する日本陸軍砲兵隊に苦戦していた。しかし、砲手を交代させながら粘り強く抗戦を続けた。また、ロシア陸軍歩兵部隊も銃剣突撃を控えめにして伏射を行いながら接近した。ロシア陸軍の山砲部隊も前進して近接砲撃を行う。ロシア陸軍の山砲部隊が直接照準で日本陸軍の塹壕線に発砲する。塹壕線に多数の榴弾が命中し、日本陸軍兵士が死傷する。ロシア陸軍の歩兵部隊も日本陸軍の戦術を真似して攻撃する。半分が射撃している間に、もう半分が前進する。それを繰り返して日本陸軍の塹壕線を目指す。日本陸軍部隊よりも密集していたので損害は大きいが、それでも進撃できた。
日本陸軍歩兵部隊の機関銃と小銃の銃撃が続き、ストークス臼砲部隊の弾幕射撃も続く。多くのロシア陸軍歩兵が倒れる。狙撃班の狙撃でロシア陸軍将校も相次いで倒れた。しかし、ロシア陸軍の砲撃と銃撃で倒れる日本陸軍兵士も出る。ロシア陸軍の歩兵部隊が工兵隊と共に進撃して鉄条網を爆破する。日本陸軍の銃撃やストークス臼砲部隊の砲撃に妨害されつつも、ロシア陸軍工兵隊が爆薬を仕掛ける。数か所で爆発が起こり、鉄条網が破壊された。ロシア陸軍歩兵部隊が雪崩れ込む。しかし、日本陸軍部隊の小銃と機関銃による銃撃が続く。
そして、「手榴弾一斉投擲!」の号令でロシア陸軍歩兵が迫っていた日本陸軍の歩兵分隊の半分が手榴弾を一斉に投擲した。手榴弾が次々に炸裂し、ロシア陸軍歩兵達が吹き飛ばされる。ロシア陸軍歩兵の勢いが止まる。残りのロシア陸軍歩兵は銃撃されるか突入して銃剣で片付けられた。しかし、そうしたことが繰り返され、日本陸軍歩兵部隊にも死傷者が増えていく。
信号弾と伝令で後退命令が伝達され、日本陸軍部隊は第2線の塹壕に後退していく。狙撃班が後退を援護して、ロシア陸軍部隊を足留めする。ロシア陸軍部隊は第1線の塹壕を占領する。しかし、直ちに日本陸軍部隊の反撃が始まる。観測兵部隊の誘導で日本陸軍の榴弾砲部隊が砲撃を開始する。誤射を避けるため、まず鉄条網に試射が行われる。続いて、第1線の塹壕に猛烈な砲撃が始められた。多数の榴弾が着弾し、次々に炸裂する。多数の榴弾が有効範囲に当初から着弾した。ロシア陸軍歩兵は塹壕で榴弾の爆発と破片により次々に死んでいく。
後続のロシア陸軍部隊は日本陸軍の野砲部隊に砲撃されていた。多数の榴弾が着弾し、次々に炸裂していく。ロシア陸軍兵士が次々に吹き飛ばされ、後続部隊の移動が阻まれる。ロシア陸軍砲兵隊は日本陸軍砲兵隊との砲撃戦で打撃を受けて充分な援護ができない。更に、極度に寒い気温で砲兵隊員達の体力が消耗し、動きが鈍っていた。極度の寒さで負傷者も次々に死亡して士気も低下していた。こうして、第1線に突入したロシア陸軍部隊は榴弾砲部隊に撃たれ続けて大損害を被った。
日本陸軍歩兵部隊の要請で榴弾砲部隊の砲撃が停止される。日本陸軍の榴弾砲部隊は目標をロシア陸軍の山砲部隊に移した。ストークス臼砲部隊が砲撃を始め、弾幕射撃を第1線の塹壕に浴びせる。日本陸軍の山砲部隊が前線に再進出して煙幕弾を撃ち込んで、歩兵部隊の側面を遮蔽する。援護を受けた日本陸軍の歩兵部隊は塹壕線のロシア陸軍部隊の駆逐に着手した。巣日本陸軍の機関銃部隊も掃射を浴びせ、日本陸軍歩兵部隊が接近して手榴弾を次々に投擲する。塹壕で爆発が起こると、日本陸軍歩兵が次々に塹壕へ滑り込んだ。ロシア陸軍歩兵の殆どは日本陸軍歩兵が突入すると、降伏した。塹壕線のロシア陸軍兵士の多くは負傷しており、日本陸軍部隊に降伏しなければ死ぬことは確実だったからだ。
日本陸軍部隊は呆気なく塹壕線を奪回した。日本陸軍部隊は歩兵中隊ごとに、1個小隊、1個機関銃分隊、2個狙撃班を警戒部隊として第1線の塹壕に残して第2線に撤退した。第1線の警戒部隊はロシア陸軍部隊が塹壕線に迫ると、第2線に撤退した。しかし、第1線を占領したロシア陸軍部隊は的確な砲撃で大損害を受け、第2線を突破できなかった。ロシア陸軍部隊は攻勢を継続した。日本陸軍部隊の注意を逸らすのが目的だったからだ。ロシア陸軍右翼の牽制攻撃は午前11時まで続いた。
この間、奉天要塞の守備隊も第2軍団などに牽制攻撃を加え続けた。午前11時5分、ロシア陸軍の第8軍団が大房身と馬三家子を総攻撃した。大房身と馬三家子の日本陸軍守備隊(1個連隊ずつ)は部隊の増強を受けながら持ちこたえた。ただし、両拠点の間の塹壕線は突破された。塹壕線の日本陸軍部隊は退却したためだ。このため、ロシア陸軍部隊は大房身と三家子の間から日本陸軍戦線の後方に雪崩れ込んだ。
しかし、第1軍団が逐次、到着していた。第1軍団の部隊は次々に列車から降り、ロシア陸軍部隊に向かう。進撃するロシア陸軍部隊は意気揚々だった。日本陸軍部隊の防衛線を突破したので自軍が優勢だと思っていたからだ。ロシア陸軍部隊に発煙弾が撃ち込まれる。発煙弾は日本陸軍砲兵隊の常套手段なので直ちにロシア陸軍部隊は散開する。試射の後、本格的な砲撃が始まった。榴弾が次々に着弾し、炸裂する。ロシア陸軍兵士が吹き飛ばされていく。日本陸軍歩兵部隊が展開するのも見える。ロシア陸軍部隊は驚愕した。日本陸軍部隊は全く慌てておらず、迅速に対応してきたのが明白だったからだ。
第7師団、第12師団、第23師団がロシア陸軍部隊の進撃を喰い止めた。第5師団と近衛師団は第2軍団の戦区から大房身に進撃する。ロシア陸軍の進撃路を分断して突破したロシア陸軍部隊を撃滅するのが目的だった。第5師団が大房身を目指して進撃し、近衛師団は第5師団に追随した。教導砲兵旅団が両師団に分割して配属された。進撃する日本陸軍歩兵部隊は、中隊ごとに2個小隊が射撃し、2個小隊が進撃した。是を交互に繰り返し、機関銃部隊の支援もあってロシア陸軍部隊を圧倒していった。ロシア陸軍歩兵部隊は小銃と機関銃の銃撃で撃ち竦められた。ストークス臼砲部隊と山砲部隊も砲撃してロシア陸軍兵士を吹き飛ばしていった。日本陸軍の砲兵隊は前線部隊の要請(多くの場合は歩兵部隊の要請で山砲部隊が各種色の発煙弾で目標を示した)に従って砲撃を行って援護した。ロシア陸軍部隊は側面を衝かれた上に、進撃を優先していたので簡単に突破された。ロシア陸軍の第10軍団を主力とするロシア陸軍部隊は背後を遮断されそうなのに気づいて、全力で脱出しようとした。しかし、第1軍団の第7、第12、第23の各師団がロシア陸軍の第10軍団などを攻撃し続けて拘束した。
第10軍団からの複数の伝騎からの救援要請がリネウィッチに伝わったのは夕刻のことだった。リネウィッチの司令部では前線の様子が把握できず、突破したからには作戦成功だと思っていた。ところが、日本陸軍の戦略予備が現れ、第8軍団などの進撃が喰い止められたとの報告を受けて驚いた。そこで、ロシア陸軍の第10軍団に大房身を、第17軍団に馬三家子を攻略するように指示した。突破口を広げるためだった。
ところが、第2軍団も第3軍団も両拠点を守り抜いた。ロシア陸軍は密集した隊形で攻撃する。大損害を受け、地面が固くて塹壕が掘れなかった。逆に日本陸軍砲兵隊の榴弾は地面が固いので爆発のエネルギーが地面に吸収されず、爆風と破片効果が増大した。両拠点とも孤立した時もあったが、第2軍団と第3軍団は騎兵旅団に下馬戦闘を行わせてロシア陸軍の先鋒を足留めし、鉄道で増援部隊を送り込んで砲兵部隊の援護で拠点との連絡を回復した。
日本陸軍部隊は電話と電信で状況を的確に把握でき、鉄道で予備戦力を投入できた。第2軍団と第3軍団に日本陸軍の総予備の第21、22、24,25師団が送られた。戦線右翼に送られて防戦に努めていた第21師団も含まれていたが、ロシア陸軍の稚拙な戦術もあり防戦に活躍した。第2軍団と第3軍団の防戦でロシア陸軍部隊の突破口は広がらず、ロシア陸軍は窮地に陥った。
一方、伝騎による連絡を主とするロシア陸軍の対応は遅れた。このため、日本陸軍部隊が第10軍団の後方を遮断しようとしているとの報告を受けてリネウィッチは驚愕した。このため、第10軍団に脱出を指示すると共にロシア陸軍の右翼の軍団に突破口を死守するように指示した。ロシア陸軍の左翼の軍団には日本陸軍の第4軍団と第5軍団への牽制攻撃を指示した。日本陸軍が総攻撃に出るのを防止するためだった。日本陸軍の第5師団、近衛師団は照明弾を打ち上げながら夜間も進撃した。
日本陸軍の歩兵部隊は是までと同じだった。中隊ごとに2個小隊が射撃し、2個小隊が進撃した。そして、夜間射撃にも熟達していた。夜間は照準を高めにしてしまうので、照準を目標の下部や照準店の下に合わせる必要がある。また、夜間は距離感覚も狂う。小さな物は実際よりも遠く見え、大きい物は近く見える。是を認識して夜間は両目を使って照準する必要があった。両目を使って照準すれば、光の受容度が上がるからだ。こうした訓練を受けていないロシア陸軍部隊の射撃は殆ど、命中しなかった。他の日本軍部隊でも夜間射撃の訓練は行っていたが、第5師団や近衛師団などの精鋭部隊は夜間射撃が特に上手だった。
加えて、機関銃部隊による援護が効果的だった。日本陸軍の機関銃部隊は機関銃用のトーチカに籠ることは殆どなかった。空冷の信頼性を活かして移動して射撃する訓練を重ねていた。低姿勢の三脚を装着していたおかげで、歩兵部隊を的確に支援することができた。ロシア陸軍の歩兵部隊は地面が固くて塹壕が掘れなかったこともあり、日本陸軍の歩兵部隊の機関銃と小銃の射撃に薙ぎ倒された。加えて、日本陸軍の山砲部隊とストークス臼砲部隊が的確に前進を支援した。日本陸軍の山砲部隊は照明弾を発射し、ロシア陸軍部隊を照らし出した。日本陸軍部隊は照明弾が上がっている時は、前進を停止した。また、将校達は照明弾が輝いている間に、ロシア陸軍部隊の情報をできるだけ把握した。
対照的に、多くのロシア陸軍歩兵は照明弾の光から逃げようとして走り回った。このため、日本陸軍部隊の機関銃と小銃の銃撃で薙ぎ倒されていった。ロシア陸軍部隊は夜間戦闘に長けた日本陸軍部隊の攻撃に対処できなかった。第5師団と近衛師団は順調に進撃した。1月4日の午前10時7分、第5師団の第1旅団と、第3軍団所属の第6師団の第2旅団が合流して包囲が閉じられた。第2軍団と第3軍団も両師団に呼応して大房身と馬三子家の間の塹壕線を奪還した。ロシア陸軍の第10軍団は必至で包囲を突破しようとした。
両軍の砲兵隊が撃ち合う。しかし、ロシア陸軍砲兵隊は榴弾を使い切っていた。砲弾が榴弾である日本陸軍砲兵隊に対して榴散弾で砲撃するロシア陸軍砲兵隊は不利だった。土嚢を積み上げ、全員がヘルメットを装備している日本陸軍砲兵隊は榴散弾による打撃が少なかった。しかも、日本陸軍観測部隊の技量が高く、砲撃は的確だった。ロシア陸軍砲兵隊は態勢を整える時間がなかったこともあり、砲撃されて大打撃を受けた。しかも極度の寒さで負傷者も次々に死亡し、暖房のための燃料も充分でない。急速に士気が低下した。平原をロシア陸軍歩兵の大軍が迫る。
距離500メートルにまで迫ると、例の如く日本陸軍部隊の攻撃が始まる。歩兵部隊の小銃による銃撃が始まり、山砲部隊とストークス臼砲部隊も砲撃を開始する。ロシア陸軍歩兵達が銃撃と砲撃で薙ぎ倒される。日本陸軍砲兵隊もロシア陸軍の後続部隊に砲撃を開始する。発煙弾が撃ち込まれ、観測兵部隊の指示で試射が開始される。その後、「効力射」が指令されて砲撃が本格化した。多数の榴弾が着弾し、次々に炸裂する。ロシア陸軍兵士達が吹き飛ばされていく。壕が掘れないので伏射しても次々に死傷していく。狙撃班に狙撃されてロシア陸軍将校も次々に倒れていく。
このため、ロシア陸軍歩兵部隊は相次いで銃剣突撃を敢行した。日本陸軍の機関銃部隊が射撃を開始し、ロシア陸軍歩兵部隊が薙ぎ倒されていく。ロシア陸軍歩兵の死体が平原に散らばるばかりだった。第1軍団の第7、第12、第23の各師団も攻撃してロシア陸軍の第10軍団を敗走状態にした。ロシア陸軍の右翼の各軍団は第10軍団の脱出を支援しようと猛然と攻撃をかけた。砲撃が続き、ロシア陸軍歩兵部隊の攻撃が繰り返される。日本陸軍部隊の砲撃と銃撃で多くのロシア陸軍兵士が死んでいく。しかし、ロシア陸軍部隊の攻撃が余りに多くの地点で実施された。日本陸軍の第2軍団と第3軍団も対処が困難になり、大房身と馬子三家の間の塹壕線が放棄された。
包囲網に穴が開いた。しかし、脱出する多くのロシア陸軍歩兵達が正確な砲撃で吹き飛ばされた。元々、日本陸軍の塹壕線なので正確な座標が判明しており、正確な砲撃を行うことができた。日本陸軍の第2軍団と第3軍団は他の地点の突破を許さなかった。他の日本陸軍部隊も攻撃を続けてロシア陸軍部隊に損失を与え続けた。第1軍団の第7、第12、第23の各師団も猛追してきたのでロシア陸軍の劣勢は明らかだった。ロシア陸軍の第10軍団の兵士達は続々と日本陸軍部隊に降伏した。最早、部隊が崩れて勝ち目はなく、塹壕を掘ることもできなかった。負傷者は体力を消耗し、死を待つばかりだった。負傷者を見捨てた部隊もあって士気が急速に低下した。追撃する日本陸軍部隊の進路には多くのロシア陸軍兵士の凍死体が転がっていた。
日本陸軍部隊が追いついく。日本陸軍将校が機関銃と小銃の一斉射撃を指示する。一斉射撃で、ロシア陸軍兵士が十数人、倒れる。残りのロシア陸軍兵士は伏せる。その後に降伏を呼びかけると、殆どのロシア陸軍兵士は降伏した。一斉射撃の後に、降伏勧告を受けたロシア陸軍部隊の殆どは降伏していった。日本陸軍のストークス臼砲部隊や山砲部隊が砲撃することも少なかった。急速にロシア陸軍の第10軍団は崩壊していった。寧ろ、苦労したのは捕虜となったロシア陸軍負傷者の後送だった。第10軍団で脱出できた部隊は僅かだった。リネウィッチは14時、全軍に退却を命令した。
大谷陸軍参謀総長は数人の作戦参謀を前線に送って状況を確認させた後、奉天要塞の部隊を阻止していた第6軍団に追撃を命令した。近衛師団、教導歩兵旅団、教導騎兵旅団、教導砲兵旅団も後に続いた。なお、他の日本陸軍の軍団はロシア陸軍の猛攻で疲弊していたことから奉天要塞を完全包囲するように指令された。日本陸軍の多くの兵士達もロシア陸軍の猛攻で疲れ切っており、休息が必要だった。負傷者の収容や捕虜の後送も必要だったし、冬季装備が万全でも兵士が極度に疲労していると凍死者が大量に発生する恐れがあったからだ。また、鉄道線が接続されていないので補給が続かない恐れがあったからだ。この時期に冬季装備、医薬品、食料や水の補給が途切れると大量の死者が発生しかねなかった。
ただし、塹壕線で戦闘するか鉄道を利用できた日本陸軍の兵士達に比べてロシア陸軍の歩兵は徒歩を長く歩いて熾烈な戦闘を行っていた。このため、極度の疲労による凍死者が多く発生した。負傷者も手当や後送が間に合わず多くが死亡した。第10軍団のように、鉄道線に着く前に負傷者を見捨てた部隊もあって士気が急速に低下した。日本陸軍部隊が追いついて最大火力で攻撃する。歩兵部隊の小銃と機関銃の一斉射撃が行われ、十数人のロシア陸軍兵士が倒れる。ストークス臼砲部隊と山砲部隊も猛然と砲撃を開始する。次々に榴弾が着弾し、炸裂していく。地面が固いので伏せてもロシア陸軍歩兵の死傷者は増えていく。日本陸軍の砲兵隊も砲撃を開始する。観測兵部隊の態勢が整わないので、正確さはない。5分ほど、こうした攻撃を続けられる。その後、日本陸軍将校が白旗を持ち、4人の兵士を従えて降伏勧告に向かった。ロシア陸軍将校は降伏に応じた。日本陸軍部隊に追いつかれたロシア陸軍部隊の多くは降伏した。
リネウィッチはクロパトキンに比べて指揮能力が低く、鉄道による部隊の収容が混乱したこともあってロシア陸軍の損害は拡大した。1月6日、第5軍団も再編成を終えてロシア陸軍部隊の追撃に出発した。残りの軍団は疲弊していた。更に両軍の死傷者を後送しなければならない。再編成と休息の合間に工兵部隊を支援して鉄道線の接続と拡充が行われた。第6軍団、近衛師団、教導の3個旅団はロシア陸軍の足留め部隊を攻撃しながら追撃を続けていた。しかし、鉄道を使用できるロシア陸軍の方が速くて思ったほど戦果は挙がらなかった。更に厳寒であり、進撃速度を早くできなかった。それでもロシア陸軍部隊の死傷者は多く、降伏する部隊が相次いだ。
1月8日、日本陸軍は鉄嶺に到達した。鉄令は強固な陣地で防御されていたので日本陸軍は物資の蓄積を待つことにした。後続してきた第6軍団が1月10日、威力偵察を加えるとロシア陸軍の主力が撤退中していたことが判明したので鉄嶺を占領した。大谷陸軍参謀総長の命令で追撃は中止された。こうして、奉天会戦は終わった。両軍の損害は次の通り。日本陸軍の損害は戦死が約1万、負傷が約3万。ロシア陸軍の損害は戦死が約11万、捕虜が約9万、負傷が約10万。ロシア陸軍は許容限度を超える大損害を受けた。このため、ハルビンまで退却した。こうして、日本陸軍は奉天要塞を攻略することに専念できるようになった。国際的にも日本帝国の優位を際立たせた。最早、ロシアが勝つと思う国はなくなった。ロシアの戦時国債の値段も下がり続けていくことになる。ロシア国内でも講和を求める声が強まった。
大谷陸軍参謀総長が追撃の停止を命じたのは厳寒期に無理をさせると大量の死者が出る恐れがあったからでもあるが、奉天要塞の攻略を優先したためだ。奉天要塞が救援される見込みはなくなったので、冬期に無理をしてロシア陸軍を追撃する必要はなかった。奉天要塞を放置したまま、進撃するのは無理があったからだ。奉天要塞の守備軍の総司令官であるステッセル中将はリネウィッチの作戦が愚かだと判断していたので、指揮下の軍に攻撃を控えさせていた。このため、兵力が温存されていた。
これを放置しておくわけにはいかない。ロシア陸軍との決戦を考えると、包囲に1個軍団が拘束されるのは手痛い。政治的にも奉天要塞が陥落しないと、日本帝国が苦戦しているかのような印象を与える。講和条約を有利にする必要があったし、そもそもニコライ2世に講和を決断させる必要があった(ニコライ2世は勝利を諦めていたが、体制に対する信頼が失墜することを怖れていた)。そしてロシアの戦時国債は相次ぐ敗北で売れ行きが悪くなっており、ロシアの悩みは戦費の調達だった。インフレも進行しており、ロシアは財政難から敗北する可能性が高かった。奉天要塞の陥落は強烈なインパクトを諸外国の金融市場に与えることは確実だった。許容限度を超える大損害を受けていたので流石にロシア陸軍が攻撃してくる可能性は低かった。
一応、日本陸軍は備えていたが流石にニコライ2世も攻勢を発動させなかった。奉天会戦で大損害を受け、既に鉄嶺を占領されていたので奉天要塞を救援できる見込みもなかったからだ。奉天会戦を受けて、フランスはロシアに和平を強く迫った。フランスは奉天要塞が陥落する前に講和するよう勧めた。しかし、ニコライ2世は奉天要塞で日本陸軍が苦戦している間にロシア陸軍が勝利を収めれば有利な講和ができると考えた。セバストポリ要塞の先例から奉天要塞が1年は持ちこたえることができると推測したからだ。その間に、ロシア陸軍の戦力を回復させて奉天要塞を救援することも可能だと信じた。このため、アメリカの仲介も拒絶した。結局、日本帝国陸軍が奉天要塞を陥落させてロシアに講和を強制するしかなかった。




