第一章4「異世界戦士・ブリュンヒルデ その1」
美術室から忘れ物を取り、古川明則は、ようやく学生たちの帰宅ラッシュへその身を混ざらせた。
しかし、その途中――。
「あれは、松森さん……? 何やってるんだ?」
僕の視線の先には、松森紗哉さんが、学内の大きな樹木を無言のまま見上げている。
もしかして、昨日のあの小学生みたいに、松森さんも木に何かを引っ掛けてしまったのだろうか?
そう思って、彼女に近づくと――。
「えいっ!」
「……!?」
なぜか松森さんは、いきなり樹木を登り始めたのだった……。
ただ、勢いよく登ったのは良いものの、途中で怖くなったのかストップしてしまう。
しかも――。
「はっ……!?」
松森さん、やめろ……! 見える、見えるって……!! もう、色々と見えちゃうって……!
松森さんは気づいていないのか、短いスカートのまま木に登ろうとするので、その……。そこから見てはいけない布が、姿を現しかけていたのだ……。
僕は何も見ていない……! 断じて白いパンツなど見ていない……! その証拠に、すぐ目を両手で覆ったからな……!
そう思っていると――。
「明則、何してるの?」
「う、うわああ!!」
僕の存在に気づいた松森さんが、いつの間にか、すぐ隣に立っていた。
彼女は不思議そうな顔のまま、小首を傾げてくる。
「や、やあ、松森さん……」
「明則、両手を目で覆ってた。もしかして、目、痛かったの?」
「ま、まあ、そんなところかな、あははは……」
あなたのパンツが見えそうだったから、咄嗟に視界を手で覆ったんだよ……とは、口が裂けても言えないな。
良かった……。彼女に僕のラッキースケベがバレるところだった……。もしバレていたら、どうなっていたか……。
そう思っていると――。
「目、痛いのなら、すぐ眼科行ったほうがいい。私、良い眼科知ってる!」
「あ、ありがとう……。でも、もう治ったからいいよ。あはははは……」
ううっ、その真っ直ぐで純粋な親切さが逆に心に来るんだよ……! ああ、僕はなんて穢れた存在なんだ……!
と、とりあえず、落ち着け僕……。ここは適当に話題を変えて、ごまかそう……。
「そ、そういえば、何で木になんか登ろうとしたんだ?」
そう訊くと、なぜか松森さんは僕に人差し指を向けてくる。
「明則のマネ、したかった」
「ぼ、僕のマネ?」
どういうことだろう……?
まさか、僕がよく木に登るサルみたいだとでも言いたいのだろうか?
確かに、昨日、木に引っかかったサッカーボールを取ろうと木に登ったけど、日頃から木に登る習慣なんて無いぞ……。
そう思っていると、松森さんが――。
「昨日の明則、すごくかっこよかった! "異世界戦士・ブリュンヒルデ"みたいにかっこよかった! だから、私、明則のマネ、したい!」
そう語る彼女の瞳は、キラキラと輝いていた。
「僕のマネをしても何も起こらないよ……。というか、異世界戦士・ブリュンヒルデって……」
このとき、僕の脳内に電流が走った。
「そう、異世界戦士・ブリュンヒルデ! 私の大好きなアニメ!」
「えっ、松森さんもブリュンヒルデ好きなの!? そのアニメ、僕も大好きなんだよね!」
異世界戦士・ブリュンヒルデ……。キャラクター間のやり取りと、熱い信念のぶつかり合いが面白くて人気のある作品だ。
原作は漫画だが、アニメ化やゲーム化もされていて、限定コラボグッズも多い。
まさか、松森さんも好きだったとは……。
「明則、そのアニメ、知ってるの?」
「もちろん! なんなら、ブルーレイ版や小説版、漫画版とか初回限定版も全部コンプしてるよ!」
そう熱く語ると、松森さんがメッチャ話題に食いついてきた。
「私もコンプしてる! それに、今やってるコンビニコラボグッズ、全部集めた!」
松森さんは華麗にサムズアップを決める。
「えっ、まだコラボしてから一日だけど、もう全部集めたの!? 僕はあと一種類だけでコンプなんだよね……。あれ、一週間限定でコラボしてるから、早く手に入れないと……」
そう口にすると、急に松森さんが僕の腕を掴んできた。
えっ、何これ……? なんで僕は松森さんに……。
そう思っていると――。
「私、これからコンビニ行く! だから、明則、一緒に来て!」
「えっ、ちょ――」
僕が言い終わるよりも前に、松森さんは超スピードでコンビニへと駆けていった――。