第一章13「夕暮れの思い出 その3」
秋川美優が、バスを乗り間違えてから数十分が経った。
夕焼け空は、次第に夜の帳を迎え入れ始めており、周りが暗くなりつつある。
街灯も無い田舎道なので、あの夕焼け空だけが、このバス停を照らす頼りない灯火となっている。
「明則君に、ここで待ってるように言われたけど……」
バスに乗り間違えたことを明則君に連絡し、その流れで現在位置を彼に教えた。
すると、明則君は「すぐ迎えに行くから!」と、こちらが返事をする前に家を飛び出してしまった。
「大丈夫かな……。やっぱり、アタシ一人で明則君の家に向かう方が良かったんじゃ……」
ここから彼の家まで、かなり距離がある。
曲がりくねった長い山道を登ることにはなるが、彼の家まで向かうのは不可能ではない距離だ。
確かに、バーベキューの時間には遅れるだろうが、それでも明則君が家を飛び出して、アタシを迎えに行く必要は無いように思える。
「無理しないでよ……。アタシ一人でも大丈夫だったのに……」
明則君は優しい。
でも、彼は優しすぎて、よく心配になるときがある。
恐らく明則君は、一人で危険な田舎道を歩こうとしたアタシの身を案じて、心細くないように迎えに来てくれようとしたのだろう。
ホント、昔から人が良すぎるよ、明則君……。
でも、悔しいけど、少し嬉しいと思っちゃう……。
彼の優しくて不器用な性格は、昔から大好きだ。
結局は振られちゃったけど、あのとき、自分の想いを口にすることも全く抵抗が無かった。
それくらい、アタシは彼に夢中になっていたんだと思う。
そして、今も……。アタシは……。
そう思っていると――。
「きゃ!?」
突然、バス停の背後の茂みが大きく揺れた。
「え、な、何……?」
こういう山の中は、どんな生き物がいるか分からない。
しかも、辺りが薄暗いので、少しの物音でも余計に恐ろしく感じてしまう……。
こ、怖い……。もし、クマとかヘビだったらどうしよう……。
恐怖で息を呑みながら、恐る恐る茂みを覗くと――。
「た、タヌキ……?」
茂みの中には、子どものタヌキがいた。
そのタヌキはアタシに顔を向けると、怯えたのか、すぐ森の中へ逃げていった。
「よ、良かった……」
とりあえず、危険な動物ではなかったことに安心する……。
しかし、薄暗い山の中にあるバス停に一人だけという状況は変わらない……。そのため、次第に恐怖心が芽生えてくる……。
「早く来て、明則君――」
そして、そこから更に数分後……。
どんどん辺りは暗くなる一方で、よく目を凝らさなければ、どこに道があるのか分からないくらいだ。
「明則君、大丈夫かな……」
アタシがこうしている間にも、彼はこんな薄暗い山道を歩いているのだ。
「やっぱり、もう一度連絡したほうが――」
心配になってきたので、スマホを取り出す。
しかし――。
「えっ、ウソ……」
運の悪いことに、スマホの充電が切れてしまっていた。
「そ、そんな……。これじゃあ、明則君と連絡できないよ……」
それを理解した瞬間、一気に怖くなった。
このまま、この薄暗い山の中に取り残されてしまうのでは……。そんなネガティブな想像ばかりしてしまう。
しかも――。
「きゃあ!?」
また茂みからガサガサと音がしたと思ったら、今度は、そこから大きなヘビが顔を覗かせたのだ。
そのヘビはアタシを見るなり、獲物を狙い定めるように、じっとこちらに顔を向けてくる。
ウソ……。あんな大きなヘビ……。もし、噛まれでもしたら……。こ、怖い……! 嫌だ、死にたくない……!
ヘビとの対峙……。少しでも体を動かせば、あのヘビは容赦なく、アタシに牙を向けてくるだろう……。
このまま、アタシはあのヘビに噛み殺されてしまうのだろうか……?
逃げようにも、ヘビに睨まれたカエルの意味の通り、アタシは体が動かせなくなっている……。
ただ、唯一動かせる口だけで、アタシは無意識に、今一番会いたい人の名前を口にしていた。
「助けて……。明則君……!」
まさに一触即発の事態……。
そして、アタシが口を動かしたことに反応したヘビが、こちらに向かって、その鋭い牙を見せた。
その瞬間――。
「秋川さん!」
突然、アタシの腕を誰かが引っ張った。
そして、その後すぐに、さっきまでアタシがいた場所に、あのヘビが飛びかかっていた。
間一髪のところで、アタシは助かったのだ……。
「だ、大丈夫、秋川さん……!?」
アタシを助けてくれたヒーロー……。それが誰なのかは、言うまでもない……。
彼の姿が目に入った瞬間、今まで押し殺してきた感情が溢れ出し、アタシは崩れるように泣いてしまった。
「こ、怖かった……! うう、ぐすっ……」
「ご、ごめん、待たせてしまって……」
「ううん、いいの……!」
零れてくる涙を拭って、改めて彼に顔を向ける。
「さあ、帰ろうか、秋川さん――」
「明則君……! 明則君……!!」
「うわあ!?」
アタシは、恥ずかしさよりも自分の気持ちを優先した。
だから、アタシは思いっきり――彼の胸に飛び込んだ。
そして、彼の鼓動をすぐそばに感じ、それが心地良くて眠るように目を閉じる。
「あ、ああ、秋川さん……!?」
突然、アタシが抱きついたことに、彼は困惑しているが、それでもやめてあげない。
「もう少しだけ……。もう少しだけ、このままでいさせて……! 今、二人だけ、だから……!」
今だけは、アタシが彼を独占している……。
昔から彼が大好きだった……。あのとき振られても嫌いになれず、ずっとモヤモヤした気持ちとともに彼を想い続けてきた……。
おかしいよね……。振られても、まだ未練がましく彼のことが好きなんて……。新しい恋を見つけたほうが、効率がいいことは分かってるのに……。
ただ、それでも――彼のことが諦めきれなかった。
だから、こうして、彼を独占できていることが嬉しくて、余計に涙が止まらない……。
すると、突然――。
「秋川さん……」
アタシの頭を、彼が優しく撫でてくれたのだ。
その事実に、アタシは頭が真っ白になってしまう。
あ、アタシの髪を、彼が撫でてくれてる……!? それも、躊躇うことなく……。
今までの頼りない彼からは考えられない行動だ……。
だからこそ、アタシは身に沁みて理解できたのだ。
――いつの間にか、彼が成長していたことに。
いつもの彼なら、女の子に抱きつかれてパニックになり続けていただろうが、今は違う……。
だから、アタシは自然と頬が緩んでしまった。
「ふふ……。知らない間に、大人になっちゃって……」
「えっ? それってどういう……」
「ふふふ、可愛い」
彼は自覚が無いだろうが、アタシにはハッキリと見える……。彼が、一回り大きくなって見えるのだ……。
これだから、アタシは彼のことが諦めきれなかったんだろうな……。
そう思っていると、彼が――。
「よ、よく分かんないけど……。と、とりあえず、バーベキューに間に合うように、近道使って帰ろうか」
「え、近道?」
彼が言った言葉に、アタシは疑問符を浮かべてしまう。
すると、彼は――。
「実は僕、このあたりの道には詳しいんだよ。だから、このあたりに抜ける近道があるのも把握済みなんだ」
「そ、そうなんだ……」
ああ、だから、あんな自信たっぷりにアタシのことを迎えに行く、と言ったのか……。
確かに近道があるのなら、その分、ここに着くのも早いし、土地勘があるなら、この辺りを歩くのは怖くはないだろう。
ふふ、やっぱり頼りになるなー……。じゃあ、これならどうだ……?
少し意地悪だと思いながらも、アタシは彼に手を差し出す。
すると、彼は――。
「な、何? どうしたの?」
突然のことに理解できないといった具合に、キョトンとしてしまう。
その顔を見た瞬間、アタシはおかしくて涙が引っ込んでしまった。
「もうー、せっかくいいとこだったのにー……。アタシ、この辺りのこと知らないから、家までエスコートしてって意味だよー!」
「あ、ご、ごめん……! 案内するから、ついてきて――」
「違う違う!」
「へ……?」
「ちゃんとアタシの手を引いて、その……。王子様みたいに、エスコートしてよ……」
「ええ!?」
全く……。こういう少し抜けているところは、彼っぽいな……。
――でも、そういうところも"好き"だよ。
こうして、彼に手を引かれながら、アタシたちは薄暗い田舎道を歩き出す。
その途中――。
「……ふふ、七十点ってとこかな?」
「な、何が?」
「今日の明則君!」
「え、何か勝手に点数つけられたんだけど……」
「ふふ、あはははは!」
これから、楽しいバーベキューだ。
でも、アタシは他の二人よりも少し得をして、今日のバーベキューに臨むのだった。




