9.勇者、魔王、その娘
今は勇者の家で暮らしている。
人間の言葉や礼儀作法を勉強しながら。
父の死を聞かされると同時に、勇者は家族になろうと言ってくれた。
まずは養子として。
その先のことは、また大人になってから考えようと。
"その先"という言葉の意味は、勉強した今でもよくわからない。
魔王は討たれたけれど、人間と魔族が争うことはなかった。
むしろあのときよりも平和、人間と魔族は有効的な関係を築きつつある。
そんな現在に至ることができた要因は主に2つ。
一つは魔王の遺言。
魔王は勇者に敗北したときに解かれる封印を施した箱に遺言書を残していた。
魔王の遺言、それは人間への完全降伏。
人間の王の御言葉に服従せよと、守れぬものは魔族の法を以て処刑すると書かれていた。
もちろん、いくら魔王の遺言とは言え素直に聞き入れる者ばかりではない。
それでも暴動が起きなかったのはもう一つの要因、人間の王おかげだった。
人間の王、つまり勇者の父親はとある声明を全人間と全魔族に表明した。
勇者が魔王を打倒したこと、そして新たな法律の立案について。
法律の内容は"魔族に人間と同等の権利を与える"こと。
さらに法律立案に至った思いとして、世界平和に対する思いの丈を語った。
人間の王は妻が人間に殺されたという真実すらも告げ、あまりの迫真の演説に反対の意を示すものは誰も居なかったという。
そうして世界に本当の意味での平和が訪れた。
「おかし、つくって?」
「じゃあ一緒に作ろうか」
「つくる。リスタさま、おかしつくれるおんな、すき?」
「……そうかもな。聞いたところによると、お菓子を作れる子に悪者はいないらしい」
少女らにとっての平和は、母が生きていた頃の日常。
そんな日々を思い出し、ふと母との会話が頭を過った。
幼い頃は深く考えなかったけど、今は自分の考えを持っている。
「けどそれ以上に毎日一緒にお菓子を食べてくれる、平和な日常をずっと側で生きてくれる子が好きだ」
「それ、とくい。むふー」
「それはよかった」
思わず頬が緩むような浮ついた会話。
優しさに溢れた、見せかけの幸せ。
男は思い悩む。
少女にとっては本当の家族がいない世界。
自分は少女に寂しい思いをさせていないだろうか、と。
少女は思い悩む。
男が気を遣ってくれているのは伝わってくるけれど、男の心が読めない。
男は意図して自分に対して心を閉ざしているのだろうか、と。
二人の関係が変わってしまったのは……魔王が居なくなったあの日から。
◇
◆
「決着、か」
「そのようだな」
「魔王よ。最後に一つ教えてくれんか」
「……良いだろう。何でも聞くが良い」
「お主は言っていたな。条件が整った、だから戦おうと。その条件とはなんなのだ?」
「心残りだったのだ。あの子のことが」
「ああ……娘か」
「母親が亡くなってから、あの子は拠り所を失ってしまった。我が死ねばあの子を守る者はいなくなる。人間と和平を結んだあとも、あの子は魔王の娘として虐げられるに違いない。だから……勇者が魔王の娘を守っても不自然のない状況を作りたかった」
「確かに、リスタにあの娘を見捨てる選択肢はない。お主が勇者に成り代わったとしても娘を守るのは当然じゃな」
「ああ。あの子は随分勇者に懐いてくれた。怖いと避けられてきた我でも、勇者の姿なら懐いてくれるかもと夢見たものだ」
「ふむ……魔王よ。リスタがお主に言いたいことがあるそうじゃよ」
「勇者の器が?」
「――――魔王。お前はあの子の心の声を聞いてそう思ったんだな?」
「ああ。そうだとも」
「ならそれが思い込みだったら?」
「……なに?」
「クララは僕の心の声を聞いても、人間語だから全ては理解できなかったそうだ。あんたは……心の声だけで娘の全てを理解できたのか?」
「…………今更考えてももう遅い。あの子の"父親"が死ぬことはもう確定したのだから」
「それもそうだな。もう時間も待ってくれないみたいだし」
「ああ、終止符を打とう。5000年間続けてきた不毛な争いに――――」
◆
◇
あれから7年の月日が流れた。
私は変わらず勇者の家で育てられた。
正しい日本語、正しい礼儀作法を学んだ。
今では貴族社会の交流会に出席できる立派な淑女と自負している。
社会にも変化があった。
街の結界は撤廃され、魔族は堂々と出歩いている。
すべての人間が受け入れてくれているとは思わない。
それでも建前だけでも対等に扱ってくれている。
そして今日、一つの大きなパーティーが開催される。
人間と魔族の両方が参加する。
主役は勇者と魔王の娘。
私は今日、勇者の妻になる。
「盛大な結婚式ですね」
「ああ。たくさんの人が祝ってくれている」
言葉を学んで、昔のような辿々しい会話はない。
すると勇者の父が接近してきた。
「やあリスタにクララ嬢。二人の晴れ姿、親として鼻が高いよ」
「ありがとう父さん」
「ありがとう存じます。本当に、ここまで育てていただいて……」
「気にする必要はない。それにしてもクララ嬢を見ていると思い出すな。数度しか会っていないけれど……君のお母様の面影を感じるよ」
「……はい。嬉しいです」
義父の心からの言葉に昂ぶりかけた感情を抑え、別れる。
人間の心も正確に読めるようになった。
相変わらず彼の心は読めないけれど、それでも彼は聞けば教えてくれる。
そのおかげで魔王の、父親の最後を知ることができた。
「君の父親は自分が死ぬべきだと言って聞かなかった。僕の体を強引に奪うこともできたのにな……」
「そうですか……私は最後までお父様のことが分かりませんでした。お父様が私をどう思っていたのかも……」
ずっと聞きたかった話だけれど、どうしても暗くなってしまう。
折角の祝いの席だと言うのに。
父を想い沈んだ顔をしていると、勇者は何気なく言ってきた。
「なら聞いてみるか?」
「え……?」
「――――憑依許可」
勇者の言葉の意味が分からず戸惑う。
すると彼は纏う雰囲気を変えた。
いつもの彼とは違う、どこか懐かしいその人は……。
「久しいな。クララ」
「お父……様? そこに、居るのですか……?」
「あの日勇者にな……強引に取り込まれて死に損なったのだ」
死別し、もう会えないと思っていた父が目の前に居ると言っている。
その現状だけは分かったけれど、感情が追いつかない。
「なぜ……そこに居たなら、何故今までずっと話してくれなかったのですか? もしかして……私に会いたくなかったから、ですか……?」
「っ……それは違う!」
勇者の姿ではあるものの、焦ったように取り乱す父を初めて見た。
「今まで出てこられなかったのは……ひとえに下らぬプライドが災いしただけだ。勇者に説得され続けたが、年甲斐もなく反発してしまってな。生涯5000年、最大の恥だ……恥に負ける情けない父で申し訳ない。しかしいい加減言葉にしなくてはエイラにも愛想を尽かされてしまうからな」
父が何を考えているのか、理解できたことは一度もなかった。
けれど今は分かる。
それは私が成長したのか、父が変わったのか、心を読めずとも伝わってくる。
「ずっと愛していた。そしてこれからは……お前の夫になる者が愛してくれるだろう。クララ、お前の一生は愛に溢れている」
愛。
例え心を読んでも理解できない概念。
言葉にされることで初めて伝わる、ずっと欲しかったモノ。
「ありがとう存じます……お父様っ……」
堪えきれず、溢れる。
膝から崩れ落ち、男は抱きとめてくれる。
しばらく立ち上がれず、ひとしきり泣いた。
今まで愛してくれた男で、これから愛してくれる男の胸の中で。
嗚呼、なんて温かい。
……………………。
…………。
……。
私は母になった。
「お母様! 今日のお菓子は何ですか?」
「はしたないですよセイラ。まったく……」
子が生まれ、家事をするようになった。
娘の名はセイラ、人間と魔族の混血。
昔の自分と比べわんぱくでよく笑う、愛しい我が子だ。
「戻ったよ。間に合ったかな?」
「あっお父様! おかえりなさい!」
勇者は今や国王として国を治めている。
想像以上の仕事量だったのか、趣味のお菓子作りが中々できないと嘆くこともしばしば。
今では作ってもらうよりも、作ってあげることの方が増えた。
食事や、家庭も。
「お帰りなさいあなた。ちょうどシフォンケーキが焼き上がりましたよ」
「やったシフォンケーキ! お父様と同じくらい好きー」
「ケーキと同じか……微妙に喜びにくいな……」
「お父様はセイラのこと好き?」
「ああ好きだとも。いつも構ってやれなくてごめんな?」
「うん……でもセイラ我慢できるよ」
「ははっ偉いぞー」
嬉しそうに頭を撫でて娘と戯れる父。
母を失い、父との関わりが少なかった自分たちだからこそ、子との時間は大切にしようと二人で決めた。
それに、愛する伴侶との時間も。
「……あなた。私は?」
「それはもちろん……その、愛してる、というか……」
「ふふっ。ありがとうございます」
言葉にしなければ伝わらない。
言葉にして欲しいことも言わなければ伝わらない。
言葉が自由に使える今ならなんだって伝えられるのだから。
伝えられる今を、一生大事にしたい。
「私も敬愛しております。あなた」
『今日も今日とて平和じゃのう。まったくもってつまらん』
『本人たちが幸せなら良いではないか。無粋なことを言うものではない』
『ワシだって邪魔するつもりはないぞ。まあこうして話相手がいるだけでもマシじゃな』
『その相手が元宿敵とは、5000年前は考えもしなかったがな』
『それは確かに……長生きしているもんじゃな』
『本当に、我らは長居し過ぎたな……あとは最後の時が過ぎるまで、我々の作った平和な世界を見守るとしよう』




