少年の旅の始まり
王城を出たリーシャは背後で重々しく閉まる城門の音に振り返ること無く歩き去る。
すれ違う兵士達の喧騒の中には、先ほどまで勇者だった少年に気付きその名を口に漏らす者や、どこへ向かうのだろうか、と話し合う声。彼らはまだリーシャが勇者であると信じて疑わず、その小さな双肩に人々の希望を乗せているのだ。家族や友を失った彼らの縋る想いは、今のリーシャにはあまりにも受け止めきれるものではない。気付けばリーシャは走り出していた。
城下町を出て街道に入りしばらくした頃、ようやくリーシャは走る足を止めた。
もはや城は遠く丘陵の向こう。行き交う人々が踏みしめて草のない地面だけがかろうじてそれが街道だとわかるほど、既に周囲は人の手が入っていない自然の草原地帯にまで来ていた。
胸が張り裂けそうなほど息を切らしていた肺を落ち着かせるように新鮮な空気を吸い込み、やがて落ち着いたときには、その胸の内が空になりむなしくなっていた。
足早と駆け抜けた日々がまるで無かったかのように、今リーシャの周りには彼の背中を急かす者も、まだ幼いその手を引く者も、自らを突き動かす使命も無くなってしまった。
そっとその胸に手を当ててみれば手が入り込んでしまうのではないかと感じるほど、幼い少年の心にはポッカリと大きな穴が出来てしまった。
いっその事、心のない言葉を投げかけられれば。行き場のない怒り、嘆き、憎しみを、多くを守りきれなかった自分に投げつけてくれればこの心はどれだけ震えただろうか。
もし仮に今も勇者であるならば、再び自分を奮い立たせて魔物の討伐に躍起になって各地へ飛び回る理由になっただろう。ただの一人の少年にはもうその理由さえない。むしろ解放されてしまったのだから。
転生して父親に売られ使命感で駆け抜けた日々。そのあとにいったい、何が残ると言うのか。
そう自らに問うリーシャの背中を一陣の風が吹き抜けた。
風は少年の背中を押し広大な世界を駆け抜けて行き、遥か彼方へと消えていった。だがそれは全てを失った少年に新たな世界を示した。
青々と生い茂る草原。景色を遮る森林。遥か向こうに霞んで見える山々。それらすべての背景に広がる青空。流れて行く真っ白な雲。風は遠く彼方へ駆けて行く。
脇目も振らずに駆け抜けて見落としていた世界がすぐそこにあった。
リーシャの目からはホロリ、ホロリと涙が流れた。もう枯れ果てたと思った涙は、心の内から湧き出る感動は、少年を世界へと誘った。
誰かに決められた道筋ではなく、自分の選択した先へ歩んで良いのだ。もうそれを阻むものはない。
今度は自らの心が少年の足を突き動かした。
足取りは軽く、心は弾み、等身大の少年のような心で大自然に身を投じる。
こうしてリーシャは勇者としての旅から一人の少年として再び世界に挑む。
未だ未知なる異世界の果てへ、その手を伸ばし駆け巡る。