勇者の産声
産まれた瞬間の記憶を鮮明に焼き付けている。それは決して綺麗とは言えず、薄暗くところどころ穴の空いた木造家屋の中だった。
はじめて目に映る体外の風景と美しいブロンズの髪の女性。息を乱れさせながら安堵の表情を浮かべながらこちらを愛おしそうに見つめる顔に、この人が自分の母親なのだと直感的に判断した。
次の瞬間には視界が動く。
赤ん坊の体を持ち上げられて抱き寄せたのは黒髪の小太りで伸びた無精髭の小汚ない風貌の男。これは認めたくないが父親であった。
その父親が歓喜の声を上げながら自分の名前を呼ぶ。
「リーシャ。リーシャ。俺の子だ。俺にもガキが出来たんだ」
興奮した声で呼び掛ける名前こそ抗うことの出来ないこの世界での自分の名前だ。
リーシャ、女の子の名前。そうか、俺は女の子に産まれたのか。そうかそうか。
朧気にある前世の記憶で男であった自分が今度は女の子として生を受けたのか。
ぼんやりとする思考に次に飛び込んできたのは産婆の、その子は男の子だよ、という声と驚愕する父親の声。
産まれて最初についた名前は神からの贈り物に等しく決して変えることの出来ないものだと知ったのは、物心がついた頃だ。
前世の記憶を持って生まれたのは王都から歩いて半日ほどの小さな農村集落。穀物を主に生産する地域だった。
リーシャとして生を受け3年。母親の背中でおぶさりながら見た家庭事情は、やはりひたすら貧しいものだった。
母親は近所の女性達と畑作業に勤しみ父親は木こりとしてたまに森に向かい、日々わずかな食料をスープにしてかさ増しして腹を満たす。栄養がある食事とは言えない。
父親は勤勉ではなく家に居ることが多く、収入のほとんどを母親が担う。父親は飯を食い、農作業で疲れた妻を抱き、たまに森へ赴く。
それはリーシャが歩けるようになり、母の手伝いをするようになっても変わらなかった。
その頃になるとリーシャは手伝いの間の楽しみを見出だしていた。
魔法だ。
この世界は目に見えない魔力が満ちていて才能次第で魔法が使えたのだ。
リーシャは魔法が使えた。自分の手から出る火や電撃の魔法の虜になり暇を見つけては魔法の練習をしていた。
それを父親は面白く思わなかった。
リーシャが魔法を使っているのを見るて怒声を上げながら走ってきて頭を殴られたことが日常茶飯事であり、しかしリーシャは懲りずに魔法で遊ぶのを止めなかった。
4歳になった頃には近所の男の子達といい感じの棒を拾ってきてチャンバラごっこをしたりもした。それも父親は怒ったがリーシャはやはり懲りずに続けた。
もとからリーシャは働き詰めの母を労らない父親の言葉など聞きもしなかった。
5歳になった日の朝、ガシャン、ガシャンという騒々しい足音と共に目が覚めた。眠たい眼を擦りながら起きてきたリーシャの目に映ったのは家の扉の前に佇む軽装の騎士姿の大人達と父が何やら話している光景だった。
騎士の一人が手に書状のような物を持ち淡々と言葉を述べたのち、隣の騎士が中身が詰まった袋を2つ父に渡した。
父が中身を開けて覗いているあいだに一人の騎士がリーシャに近付いて抱き上げた。
「お迎えに上がりました、さあ行きましょう。」
騎士がそう言ってリーシャを抱え外に停めていた荷馬車の荷台に乗り、他の騎士も続いて乗り込んだ。
全員が乗る頃になって早朝から畑仕事に出ていた母が腹が膨れ身重になった体を気遣いながら戻ってくるのが見えた。
母は父に何かを言おうとしたが口もとを押さえてうずくまり、父はリーシャに背を向けたまま立ちすくんで、荷馬車は動きだしその姿をどんどんと小さくさせていった。
リーシャは自分に何が起こっているのか、この騎士達が何者なのかを知らないまま荷台で揺られて日が高く上る頃に王都へとたどり着いた。
着の身着のまま家を連れ出されたリーシャは王都の中心に位置する王城へと連れてかれ、謁見の間に招かれた。
産まれ育った田舎と違いレンガ作りの街並、城、王様。いよいよファンタジー世界と言う新しいものに目をきらめかせるリーシャの眼前。数段高い床に鎮座された金で作られ宝石をちりばめられた豪華な椅子に座る白い髭をたくわえた老齢の王はリーシャを見るなり小さく唸る。
王の横に後ろ手に組ながら控えていた大臣は王の唸り声を遮るように咳払いをし、手に持っていた書状を読み上げる。
「汝、リーシャ。そなたにはここに、勇者の称号を与ん。これより人の剣となり盾となり戦い、世に仇なす魔王を討伐する任を与える」
大臣がそれを読み終えると共に部屋の端に控えていた神官風の白装束を身に纏った女はリーシャに近付き、その両の手に持っていた金の鞘に納められた剣を差し出してきた。
「勇者様にはこれよりこの剣、"勇者の剣"で魔王討伐に勤しんで頂きます。どうか、その手で魔王を討ち滅ぼしてください」
女から渡された剣を持つとリーシャは謁見の間から別室へと連れていかれる。
そこでは優しげな表情の神父の青年、筋肉質な体に数字の刺青を入れた大柄な男、動きやすさを重視した軽装に身を包んだ少女が待っていた。
彼らがリーシャと旅をする仲間たちであった。
彼らは自己紹介もそこそこにリーシャの装備を見繕い、追い立てられるように王城あとにした。
突然の出来事の連続に心の整理がつかないまま未成熟な体に重い鎧兜は着せられないとし、気休め程度の胸当てを装着したリーシャはこうして3人と共に、世界を救う勇者の旅に出たのであった。
その道のりはとても慌ただしく、しかし子供の足のリーシャに合わせた旅路は遠方の国々の領地に足を踏み入れることなく、自国内で国民に危害を加える魔物の討伐が主だった。
神父は後衛で回復に徹し、筋肉質な戦士はリーシャの露払いをし、少女は探知魔法を得意とする弓術の使いで常に動き周りながら戦闘し状況報告をした。
そしてリーシャは勇者の剣を手に、勇者にのみ使用できる剣技を用いて魔物を凪はらっていった。
魔物の群生地を制圧し移動、見付けた魔物を討ち進み、魔物の被害に苦しめられる国民のため、各地を転々としながら戦った。
その日々は余所見をしている余裕のない戦闘に次ぐ戦闘の連続であまりにも目まぐるしく、リーシャは新しく着いた町や森、湖や洞窟を堪能する余裕もなく剣を振る毎日だった。
たまに長居した聖域と呼ばれる場所さえ、そこの聖女の娘の儀式に護衛として同行。終わればまた次の場所へと足を進めて、その日々にリーシャは少しずつ疲労を溜めていった。
そんなリーシャに神父は夜営の時に優しい言葉をかけて心をケアした。戦士の男はぎこちなく不器用なりに気遣い、リーシャと比較的歳の近かった少女は実の姉のようにリーシャに接してくれた。
彼らの優しさや人間性に振れながらリーシャは来る次の戦闘へと歩みを進めて続け、そして2年の月日が流れたある日のこと。
その日は王都の近くの街道を徘徊する魔物を討伐していた。
戦闘にも慣れて剣と魔法を駆使して戦うようになったリーシャは、魔物を倒して周囲の警戒をしに視線を動かしたとき、視線の先の王都に大地と空を覆う黒い影が。魔物の大群があるのが見えた。
他の仲間もそれに気付き、リーシャの声に応えて全員が王都に向けて駆け出した。
上演
その言葉がどこからともなく聞こえたが勇者達は足を止めることなく、やがて煙の上がり始めた王都へと辿り着いた。
よければいいねとブックマーク、レビューをよろしくお願いします。