過ぎ去りし日の記憶
生まれる時、誰かに強く望まれて生を受けた。
それは父の願いか母の祈りか。それとも、この異世界に転生する前の記憶の断片か。
『ーーーー○○』
呼ばれた名前はグチャグチャと聞き取りにくく、自分で思い出そうにも霞がかって思い出せない。いつだって前世の記憶はひどく曖昧で疑わしい。
それでも立ち並ぶ高層ビルや現代的な家屋の記憶や歩いて見た景色の思い出の断片が、自分自身をこの世界の異物だと認識させる。
「リーシャ、起きて。スープ出来たよ」
自分の名前を呼ぶ女性の声に意識が引っ張られて瞼の裏に広がっていた前世の映像が霧散する。
まだ重たい瞼を開きゴシゴシとこする。
「おはようリーシャ。寝癖とってあげるから、ごはん食べちゃいな」
「んん・・・おはようリリアナ。今日もおねがいするよ」
まだ眠り足りない体を起こして腕を上げて伸びをする。大きなあくびをひとつしていると聖職者姿の他の仲間がスープの入った容器を手渡してきた。
「今日はお寝坊ですねリーシャ。体の疲れが残ってたら言ってくださいね。成長痛以外なら癒す事ができますから」
「ありがとうロシウ。疲れはいつものことだから、そんなことで祈りを使わないでいいよ」
俺は遠慮しながら今朝の朝食をズズッと飲み込む。
それを横目に見るもう一人の仲間は口は開かなかったが頬が緩んでいる様子だった。
腕に数字の入った犯罪者を判別するための刺青が彫られた大男ではあるが、子供の喜ぶ姿が好きな、見た目が怖いだけで根は優しいヤツだ。
「今日のスープも美味しいよハング。これ何入ってるの?」
「・・・ああ。それは」
「無駄だよハング。リーシャの馬鹿舌じゃ、どれがどの食材の味かなんてわかりっこないんだから」
「そう言わないでやりなさいリリアナ。知りたいた思う気持ちが大切なのですから」
「そうだそうだ。俺にも知る権利があるんだぞ」
この他愛のない仲間達との食事中の談笑は、強行軍のように各地へ転々と旅をする俺達にとって数少ない心休まる一時。家族のようなかけがえのない仲間達と過ごせる時間だ。
だがそれも束の間。旅をして野営するからこそ危機とは常に突然やってくる。
冗談を言いながら俺の寝癖を直してくれていたリリアナの動きが止まり、それに気付いた仲間達も食事の手を止めて食器を地面に置く。
「三方から囲まれてるなぁ。数は9。もう動けそう?リーシャ」
俺は頷きながらすぐそばに置いていた剣を鞘から抜き放つ。
ハングとロシウもそれぞれの武器を手に今すぐにでも戦い始められる様子。
それを確認したリリアナは背負っていた弓を構えながら俺の頭上を背後から飛び越えながら矢を2つ放ち、ロシウの横に陣取った。
バタバタと倒れる音が聞こえると共に、俺の背後から仲間が攻撃されて驚いたオオカミが飛び出てきた。
それを俺は振り向きながら剣を横に薙いで切り伏せる
「のこり6!」
それを合図に周りを取り囲んでいたオオカミの群れが藪のなかから飛び出てくる。
ハングが手に持った大斧を一匹に振り下ろすとその衝撃で鮮血と砂塵が舞う。
視界を奪われたオオカミはたまらず横に逸れて砂を避けようとしたところをリリアナの矢が的確に射抜く。
俺は残りのオオカミを視認すると剣に魔力を流し込みながら構えて標的目掛けて反り上がるような斬撃でオオカミを切り上げた。
「月山昇刃ッ!!」
それは自分にだけ使いこなすことの出来る魔力を帯びた剣技。一振で三つの斬撃を放つ必殺の一撃。
射線上にいた3匹のオオカミを的確に捕らえたのだった。
俺は剣を鞘に戻しながら体の力を抜いて一息入れた、その瞬間にどこからかもう一匹のオオカミが飛び掛かっていた。
俺は気付いて振り返りながら再び抜刀しようと剣を構えたところ、そのオオカミはハングの斧によって横薙ぎに斬られ地に落ちた。
「いつも背中ががら空きだなリーシャ」
ハングはふんすと鼻息を吹きながら注意してきたが、しかしその眼差しはまるで『心配したぞ、怪我はないか?』と言うような慈愛の眼差しにも感じ、俺は彼に礼を言うのだった。
「いつも、は余計だよ。ありがと、ハング」
そのハングの後でロシウは倒したオオカミをつまみながら「毛皮を剥げば高値で売れますかね」と値踏みをし、それを弓をしまいながら実行するリリアナに「この生臭神父め」と笑われていた。
今度こそ安全を確認した俺は鞘を腰に戻しながら、地面に置いていた砂埃の混ざったスープをグイっと飲み干すと仲間達と目を合わせ、準備が出来ていることを確認すると目指していた目的地へと向けて歩き始めるのだった。
これは剣と魔法、勇者と魔王の戦い。そのありし日のありふれた日常。
リーシャという子供が勇者として異世界を救う旅をしていた日々の追憶である。