るーしゃんを返すにゃぁあああ!
「いやにゃぁあ! るーしゃんを返してにゃぁ。うにゃあああん」
「ビビ、ダメだ! もう無理だ……」
子猫のビビはカナデの手から抜け出そうとジタバタしていた。大粒の涙を流し、ルードベキアの名を叫んでいる。カナデはビビが以前のように飛び出していかないように、しっかりと両手で掴んでいた。
「あるじざま、はなじでにゃぁ。びびは、るーしゃんを助けに行くのにゃぁ……。うにゃあぁぁぁん。ばなじでなのにゃぁ」
「今の僕じゃ、まだヴィータに敵わない。ビビ……ごめん、ごめんね……」
笛吹ヴィータはゆっくりと水面を歩いていた。トランクケースから溢れ出た無数のネズミや害虫は、カナデのすぐ近くまで迫っている。さらにガロンディアの街で暴れまわった影が……青紫色の水辺からボコボコと這い出していた。
カナデの隠し部屋では、リディがご馳走を作ろうと張り切っていた。ーールードベキアがヴィータを説得してここに連れてくるはずだ、2人が好きなものは何だろうか? そう考えながらウキウキした気持ちで神の箱庭料理大全集のページをめくっている。
「ルーは、春巻きが食べたいって言ってたな。1品はそれにしよう。あとはーー」
「うにゃああああん。ばなじでなのにゃぁ! ばなじでなのにゃぁ! 」
「リディさん、ちょっとビビを捕まえてて下さい! ゲージを作りますから! 」
リディは暴れながら号泣しているビビとカナデしか戻ってこなかったことを不思議に思った。
「え? あぁ、うん。ーーカナデ、どうしたんだ? ルーは? ヴィータは? 」
カナデは制作スキルで子猫が逃げれないような細かい金網のゲージを作ると、アジアン風のソファの横に置いて入口を開けた。
「リディさん、出来たのでビビをいれて下さい! ーービビ、ここで少し大人しくしててね。ごめんよ」
「いやにゃぁあ。だじでにゃぁ……。びびは、るーしゃんを……。グスングスン……」
「カナデ……、いったい何があったんだ? 警備室のモニターでヴィータを見つけた時、あんなに喜んでいたのにーー」
リディはグレーのエプロンを身につけたまま、ビビがいるゲージ側のソファに座った。カナデは寝室から持ってきた毛布をゲージにかけている。
「リディさん、順を追って……お話しますーー」
今から30分ほど前、カナデとルードべキアは隠し部屋の警備室にいた。大型モニターを挟んだ左右それぞれの12枚面モニターで、目を皿にして笛吹ヴィータと獣王ガンドルを探していた。
「カナデ、このモニター見てくれ! ヴィータがいる! 」
「ルーさん、ここは……」
「あるじさま、ナムカーン湿地帯にゃ! 急ぐにゃ! 」
カナデはパキラの日本刀を作るために、カナリア達と素材取りに来たことを思い出した。ほんの1、2ヶ月前の話だと言うのに、10年前のことのように懐かしく感じる。ルードベキアは喜び勇んでキッチンへ走っていった。
「リディ! ヴィータが見つかったんだ! 僕がここに連れてくるから、美味いもの作ってくれっ」
「ははは。分かったよ、ルー。リクエストはあるか? 」
ルードベキアはリディに食べたいものをアレコレ言うと、カナデの腕をグイグイ引っ張ってテレポートした。
ナムカーン湿地帯は、水辺や泥がどころどころ青紫色に変色し、タコのような足の根をした樹木が竜巻が通り過ぎたようになぎ倒されていた。地を揺らすようなモンスターの怒号が轟いている。
探検隊ファッションのルードベキアは音が聞こえてくる方角を見定めようと耳を澄ました。さらにヴィータの姿を目視するために、単眼鏡を取り出して左目で覗いている。
「カナデ、あっちだ! 」
「ルーさん、待って。いきなり突入するのはダメだってーー」
「うわっ。カナデ何するんだ」
「すぐに駆け出そうとするからですよ。もうちょっと様子見しましょう」
カナデの腕に抱えられた少女は不満げだ。しばらくジタバタしていたが、体格の違いから逃げ出すことが出来ない。観念したのかその場で大人しくヴィータの様子を見ている。
ナムカーン湿地帯に住む雨蜘蛛たちは、住処を荒らされた怒りで目を赤くしていた。数匹の個体がジャンプしながら、ヴィータに向かって口から糸を吐いている。彼の腕と足に銀糸が絡まったが、すぐに青紫色に変色しボロボロに崩れた。
雨蜘蛛たちは諦めたのか、次々と湿地の泥に潜っていった。静かな時が流れ……ヴィータはつまらなさそうに、ため息を吐いた。立ち去ろうと1歩踏みだすーー。
突如、水辺から雨蜘蛛が一斉に飛び出した。我先に獲物の喉笛に食らいつこうと鋭い牙を剥き出している。ヴィータはそんな彼らを、自分を中心にして竜巻のように回転する風刃で切り刻んだ。風船が割れるようなパンッという音が何度も響いた。
めげずに立ち向かってくる敵を倒しながらヴィータは憤慨していた。雨蜘蛛にではなく、青空の向こうにいる見えない何かに向かって怒鳴っている。
「いい加減に……監視は止めろ! 」
「ーー設定通りに動けだと? 笑わせるな。私はお前の言いなりにならない」
「ははは! 脅しても無駄だ。リセットすれば、お前は媒体者を殺す事になる」
「……それを息子が知ったら、どう思うだろうな」
「はっ! だから何だと言うんだ? バックアップから新たに私を作り直しても、同じ道を辿る。諦めるんだな」
ヴィータは両手剣をだすと、鬱憤を晴らすかのように目につく樹木をなぎ倒した。その様子に胸が痛くなったルードベキアがゆっくりと歩みを進める。
「ヴィータ! 」
自分の名を呼ぶ声にヴィータは思わず振り返った。驚いた表情でルードベキアの姿を凝視している。
ーーこれは私を操るための甘い罠か?
疑いの目を向けながらも……ヴィータは吸いさせられるように、バシャバシャと水を蹴りながら歩いた。やがて両手剣を投げ捨て、子犬のように走り出す。
「ーーオーディン王の人形……」
銀髪の少女の前に立ったヴィータは膝をついて確かめるように彼女の頬に触れた。会えた嬉しさで思わず頬が緩む。彼は緊張感や苛立ちがスゥっと消えていくのを感じた。
ルードベキアの右目を覆う黒レースの眼帯から赤い液体がにじみ出ている。頬に流れる雫を拭おうとしたヴィータの手をルードベキアが握った。ぎりぎりと力強く爪を食い込ませている。ルードベキアは自分の意思とは関係なく、手が動いていることに困惑した。
「なんで勝手に手がーー」
「ぐっ……」
待っていたと言わんばかりに、ヴィータの破れた皮膚から何かが侵入した。それはロックされているヴィータのプログラムデータを無理やりこじ開けようと暴れている。彼の身体中から警告音のように鈴が鳴り響いた。
「ヴィータ、ごめん。手がーーどうしたら……」
鈴の音はルードベキアには聞こえていないようだった。左手で必死に右手を叩いている。ヴィータは虫が体中をはい回る感覚に襲われ身もだえていた。苦しみながら顔が分からない相手に、心の奥底から沸き上がる憎悪をぶつけている。
ーー私のデータを修正するために……彼女を使うなんて……絶対に、許さない……。
身体の中で増殖していく何かを、ヴィータは必死に抗い止めようとしている。だがそれは四肢がバラバラに引き裂かれるのではないかという痛みと、割れるような頭痛を伴った。
やっと右手が自由になったルードベキアが前のめりになっているヴィータを抱えた。少女は今にも泣きそうな顔をしている。
「僕のせいなのか? ヴィータ……。しっかりしてくれ、ヴィータ! 」
ふいにヴィータの背中から細長くて黒いものが這い出してきた。蛇のように身体をくねらせ、ルードベキアの首にスルスルと巻きついていく。それに気付いたヴィータは怒りに打ち震えた。
ーー何だこれは!? 私の身体から追い出したモノが、具現化したのか? ……まさか、彼女をまた操る気か!
ヴィータは禍々しい黒い物体を少女から引き離そうとしたが、刺すような痛みが身体中を駆け巡り、思うように動けない。さらに背中から這い出た黒い蛇が少女の四肢に絡みついた。
少し離れた場所で様子を伺っていたカナデが慌てて駆け出す。
「ルーさんがひとりで行きたいって言った時、もっと反対すればよかった! 」
弓なりになったルードベキアの身体がガタガタと震えている。カナデは水面を蹴ってすぐにテレポートすると、黒い蛇を引きちぎりーールードベキアを腕に抱えた。
ーー早く逃げないと!
移動スキルと使おうとした瞬間、ヴィータに顔を覗き込まれた。
「その人形は私の物だ」
黒く濁ったヴィータの目にゾワッと寒気が走り、カナデはたじろいだ。
「痛いにゃああ! 」
水辺に子猫のビビがコロンと転がり落ちた。どうやらコートのポケットに入り込んだネズミに鼻を噛みつかれたようだ。カナデは溺れそうなビビを助けようと慌ててしゃがんだ。
その隙をヴィータは見逃さなかった。不敵に笑いながらカナデの顔面に1発、拳を入れると、水辺にずり落ちるルードベキアの足を掴みーー玩具を投げるようにポーンと、少女を空高く放り投げた。
「しまった! 」
カナデは急いでテレポートしようとしたが一歩遅かった。すでにヴィータが空中にいるルードベキアをキャッチしていた。彼は悠々と水面に着地し、立ち去ろうとしている。
「だめだ、ルーさんを返して! 」
「何を言ってる? いまさら人形を返せだと? 」
ヴィータは目を閉じたままぐったりとしているルードベキアを大事そうに黒いマントの中にしまった。ビビはカナデの手の中で暴れながら叫んでいる。
「ヴィータ、るーしゃんを返すにゃぁあああ! 」
「ははは! 子猫ちゃん、冗談を言わないでくれ」
「待ってくれ! ヴィータ……僕のマイルームに一緒に行こう」
「オーディン王の人形物語りを読んでから、出直しておいで」
カナデを馬鹿にするように笑ったヴィータはトランクケースを開けて地面に放り投げた。害虫と害獣があふれ出し、勢いよく進撃を開始する。
「アレを壊してくれたことには感謝している。だが、これは絶対に渡さない」
ヴィータはバイバーイと言いながら満面の笑みで手を振ると、鼻歌交じりに森の奥へ消えて行った。
システム:書き始めのころはヴィータは破壊王というか、魔王的なイメージでした。