カナデの秘密
工房塔の3Fにある商会用レンタルスペース301号室は、銀の獅子商会が以前から抑えていた。ディグダムが慌ただしく工房塔の貸し出し受付や職人ギルドを往復している。スタンピートとヨハンは共用機材や設備を配置していた。
なんとなくそれがあらかた終わった頃、スタンピートは受付カウンター用の椅子でコクリコクリと舟を漕いでいた。ヨハンはそんな彼の隣でノートパソコンのキーボードを忙しそうに叩いている。
「ピートさん、マイルームで寝た方がいいですよ」
「くはっ。あぁ、よだれが……。すんませんーー独りになると不安が押し寄せてきて眠れないんです……」
ーー確かに、その気持ちは分かる。自分も不安から逃れるためにずっと書類を作っているのだから。ヨハンはペットボトルのお茶をひと口飲んだ。
「ちゃんとした仮眠室を作った方がいいですね。レンタル受付で確認してきます。ディグダムさん、何か欲しい機材とか設備はあります? あっと……お休み中でしたね」
床に直置きした畳に座っていたディグダムは、ちゃぶ台に突っ伏して小さないびきをかいていた。デルフィはNо.3の刻印がついたインスタントカメラで、そんなディグダムを試し撮りをしている。
デルフィはログアウトできないと分かった時、現実世界に帰れないという苦しみから逃れるためにマーフたちに手伝いを申し出た。それを聞いたマーフは、相談したいと言って銀の獅子商会の執務室に彼を招いた。
「デルフィさん、サブ職業をまだ決めていないなら、商人にして我が商会に入りませんか? 」
「え? こんな大規模商会に俺が入ってもいいんですか? 」
「はい。ヨハンから、あなたは信頼できると聞いていました。それに副団長の私がーー。いえ、現状は、団長になりますね……。その私が言ってるのですから、問題ないです。我々の仲間になってもらえませんか? 」
デルフィは以前からフレンドだったヨハンに信頼できると言ってもらえた事がとても嬉しくなった。ーー悩む必要はない、その信頼に答えたいと心から思った。
「ぜひ、お願いします。銀の獅子商会に入れて下さい! 」
マーフはにっこりと笑うと、執務室の共有倉庫からプレゼントボックスを取り出してデルフィに渡した。
「ヨハンと同じように調査であちこちに行ってもらおうと考えてます。その時、これを使って下さい。ーーちなみに、うちの商会にしかない代物なので誰かに聞かれたら、うまくはぐらかして下さいね」
アイテム名称を見たデルフィは驚愕した。プレゼントボックスを開けた後も、目を見開いたまま食い入るように見つめている。
「箱庭で初めて、カメラを見ました! しかもこれ、メイドインルードベキアなんですね! ーーこんなものを作れるなんて……。あの人、やっぱり凄い。ーー俺の杖、彼の作品なんです! それと、騎乗とーー」
ルードベキアのファンだというデルフィは嬉しそうだ。少し興奮気味になったのか頬を紅潮させながら語っている。さらに、ヨハンではなく、ルードベキア調査隊に入りたかったと言ってマーフを笑わせた。
「ーー喜んでもらえたようで嬉しいです。本当は私が使うようにと渡された物だったんですけど、使う機会がないと思って保管してたんです」
「あの……ちなみに、このカメラの値段っていくらぐらいなんでしょう? 」
「それは……聞かない方がいいですよ」
マーフが苦笑いをしている。かなり破格だと察したデルフィは、値段についてあれこれ考えるのを止めた。
デルフィは舟を漕ぐスタンピートをスクープと思いながらシャッターを切った。その他にも、ノートパソコンとにらめっこしているヨハンや部屋の内観など、インスタントカメラに慣れるためにあちらこちらを試し撮りしていた。
ーー思ったより、枚数は撮れないんだな。で、いらないデータはここで削除するのか。プリントアウトはこのボタンか……。
ふとマーフは笑っていたのに、悲しそうな目をしていたことを思い出した。ーー自ら課したとは言え、彼の重責は如何ほどなんだろう……。少しでも軽くすることはできないだろうか。デルフィは撮影しながらそんなことを考えた。
ヨハンが仮眠室を作る話をした時、デルフィは銀の獅子商会の一員として役に立ちたいと思って声をあげた。
「ヨハンさん、俺も一緒に行っていいですか? 」
「もちろんですよ、デルフィさん。立派な仮眠室を作りましょう! 」
彼らを眠たい目で見送ったスタンピートはカウンターに頭を乗せた。ひんやりとして気持ちがいい。ぼんやりとしながら、パキラを想った。
「……パキラ、どうしてるかな。もしかして、ログイン出来なくなったのかな。ーーそれなら、その方がいいかも……」
スタンピートは手を引かれてふわふわと歩く夢を見た。そして柔らかくて心地よい感触に身を委ねてぐっすりと眠りについた。
「え? ここどこ!? 起きたと思ったのに、まだ夢の中なのか! 」
隣のベッドでスタンピートが慌てている様子を見たディグダムは笑い転げた。ディグダムは豪華な仮眠室について説明をしたが、スタンピートは信じられないという顔をしている。
「嘘だぁ……。これが仮眠室? どうみてもホテルでしょ! 」
「あはは。俺も最初ここに入った時、そう思いましたよ」
2人が仮眠室から出ると、デルフィとヨハンが忙しそうに受付にきたプレイヤーの対応をしていた。
「ハルデンとヴィータが現れました。ピートさんは、デルフィさんと一緒にダンジョンへ行ってもらえますか? 私はヴィータの様子を確認してきます。ディグダムさんは、ここにるプレイヤーさんから被害状況の詳細を聞いて下さい」
ヨハンは慌ただしくランドルの街からフィールドに出ると、赤いスポーツカーの騎乗を具現化した。その様子を白牡丹の髪飾りを売ろうと街をぶらついていたカンナが見ていた。
「あれれぇ? ヨハン君ってば、あんなに慌てて、どこに行くのかなぁ。うふふっ。お金の匂いがするぅ」
カンナはアップデート当日は躊躇していたレンタル騎乗ペットを、金に糸目をつけず最速で走れるものを借りた。
「確か……こっちに行ったな。それにしても……何でこんなものが最速なのよ! 」
キモいを連呼するカンナを乗せた白い大根は、筋肉で盛り上がった白い腕を力強く振りながら、ヨハンが通った街道を駆け抜けて行った。
その一方、カナデは隠し部屋の警備員室モニターで、フィールドにいる笛吹きヴィータを発見していた。ヴィータは逃げるプレイヤーを執拗に追いかけて、果物狩りをしているかのように、首をもぎ取っていた。
「何であんな事を……。いくらデスペナが無いとはいえ、惨すぎる」
「怖いにゃ。ブルブルにゃ」
「ビビ、止めに行くよ。そして、ここで保護しよう」
カナデはコートのポケットにビビを入れるとポータルを開いて飛び込んだ。
到着したフィールドは、かつて森だったであろうという光景が広がっていた。樹木は枯れているか、根本から切断されている。大地はところどころ青紫に変色していた。
「これはひどいな……。ヴィータは何処だ? 」
「あそこの森に入ろうとしてるにゃ」
ビビがポケットから頭をちょこっとだけ覗かせて前足で差した。ヴィータは時々マキナの姿に変化しながら、ゆっくりと歩いている。
「待つんだ、ヴィータ! 」
カナデは、地面を軽く蹴ってウィザードがテレポートするように瞬時にヴィータまで詰め寄った。
「ルー? いや、違う。お前はルーじゃない。……ルーは、俺がーー」
「あはは! 何を言ってるんだ。それは私に命じられた役割じゃぁないか! あぁ、そうだ。クエストを配布しなければーー」
「……違う。俺は、ヴィータじゃない。俺は! 」
笛吹きヴィータとマキナが1つの身体の中でせめぎ合っているようだった。自問自答のような会話が繰り返されている。マキナは苦しみから逃れようとして、大木を殴って薙ぎ倒した。
ーーこのままでは、マキナの精神は壊れてしまう。早急に隠し部屋に連れて行かないと。カナデはヴィータの腕を掴んだ。
「私に触るな……」
ヴィータは冷たい目を向けながら、カナデの手を大きく振り払った。トランクケースを乱暴に地面に投げ捨てる。ヴィータは魔法のラッパを双剣に変化させると、ニヤリと不気味に笑いながら構えた。
「しまった。武器はーー」
カナデはふいにボーノを思い出した。パラディンの大楯を大地にガツンと突きさし、右手にメイスを持った。突進していたヴィータは突如出現した大楯の前でカクンと進路を変えて、カナデの左腕を双剣で切り裂いた。
ーー速い……。カナデは苦痛で顔を歪ませた。大楯とメイスを捨てて白いスネークウィップを出すと、力強く振り回しヴィータの身体に絡めて動きを止めた。
「あとはスタンガンの要領でーー」
マキナが魔法を使っていたイメージで指を鳴らす。スネークウィップに縛られて藻掻くヴィータに稲妻が落ちた。彼は天を仰ぎながら沈黙している。しかしーー。
「あはっ、あはは、あははは! あははははははっ!」
ヴィータは大声で楽しそうに笑った。彼の身体に食い込んでいた白いスネークウィップは徐々に青紫に変色しーーボロボロに崩れた。
青紫の何かは生き物のように、スネークウィップのハンドル部分まで侵食していく。カナデは慌ててハンドルから手を離した。落ちた先の地面に食い荒されたような青紫の円ができた。
無表情のままヴィータは大きく目を開けた。大地を力強く蹴ってジグザグに移動しながら、カナデの両肩に双剣を振り下ろす。
回避する暇がなかったカナデは、もろにその刃を身体に食い込ませてしまった。ヴィータは笑いながら突き刺した双剣を素早く抜くと、カナデの首を狙った。
ガキン。ーー金属同士がぶつかるような音が響いた。それと同時にヴィータの双剣の刃が折れて粉々になった。
「捕まえた」
カナデは腰を落とし、ヴィータの背中に手を回して身体をロックした。ヴィータは壊れた双剣の代わりに、刃が赤くて柄が黒い片手剣を出して、カナデの背中を何度も刺した。ガキンガキンという金属音が響いている。
「元に戻って、マキナさん」
「……グランドマスター? 」
ヴィータは攻撃を止めて手をぶらりとさげるとカナデにのしかかった。
「違います。マキナさん、僕はカナデです」
「……カナデ? ここはどこだ? ルーは? 俺は診療所にーー」
手からするりと片手剣を落としたヴィータは頭を抱えた。
「マキナさん、ルードべキアさんも僕が絶対に助けますから、このまま一緒にーー」
「ううぅ……。頭が痛い。鈴の音がーー。耳が壊れそうだ。ーー俺は……こんにちは、冒険者さん。私の依頼を……。違う! 俺はヴィータじゃない! 」
ヴィータは激しい痙攣を起こしながら、うあああああ! と叫んでいる。
「ビビ、ポータルを開けて! 」
ビビがポケットから顔を出した瞬間、暴れるヴィータを押さえていたカナデの身体が大きく揺れた。
「ふにゃあああん! 」
ヴィータは転がり落ちた子猫をにゅっと右手を伸ばして掴んだ。慌てたカナデは、彼の右手首を両手で締め上げた。
「ビビを離せ、ヴィータ! 」
子猫のビビを手から解き放ったヴィータは、ふらふらと後退り……マキナの姿に変化した。彼は赤い涙を流しながらブツブツとつぶやいている。
「総司、許してくれ……。死ねない俺を許してくれ……」
マキナの姿をしたヴィータがトランクケースを拾うとーーあっという間に黒い霧が辺りに立ち込め……カナデの視界を奪った。しばらくするとクリアな世界に戻ったが、マキナの姿はどこにもなかった。
「マキナさん……。僕は貴方を治すアイテムを作ります。絶対にーー」
カナデはプルプル震えているビビをそっとコートのポケットに入れるとポータルを開けてマイルームに帰った。
ヨハンはこの光景の一部始終を、ルードべキアから渡されていた消耗品型ドローンで撮影していた。ーーカナデさんは、いったい何者なんだ? 推測や憶測、さまざまな疑問がヨハンの頭を駆け巡る。
「マーフさんと話をしてから考えようーー」
時間切れで落ちたドローンを2つ回収して振り返ると不自然な動きをしているモンスターが目に止まった。目を凝らすとそのモンスターの後ろに白い大根と、ピンク色の髪がチラリと見える。
「まさかーーカンナさん? 」
カンナは隷属獣を置いたまま、白い大根に乗って脱兎のごとく逃げて行った。
「移動石は相変わらず使えないのか。ーー何か厄介事を起こさなきゃいいけど」
ランドルの街にたどり着いたヨハンは工房塔の情報ギルドではなく、銀の獅子商会本部の執務室にいるというマーフの所へ戻った。
ヨハンから報告を受けたマーフはドローンの音声付き映像を見終わると、ソファから立ち上がり窓際まで移動した。
「ヨハン、少し頭の整理をさせてくれないかな」
マーフは窓の外をしばらく眺めていたが、リディが愛用していた椅子に深く腰掛けた。ヨハンは心臓が不安を告げるために動いているんじゃないかと思うぐらい胸が苦しくなっていた。沈黙が彼の不安を増長させ、心が落ち着かない。
「あの……マーフさん」
「ヨハン、この件は私に預からせてもらえないだろうか。そして内密にしてほしい」
「えっ。……分かりました」
ヨハンは不満げな顔をした。それを察したマーフが言葉を続ける。
「ヨハン、団長を探し出して助けるには、カナデさんの力が必要になると思うんだ。ログアウトが出来ない問題も、解決してくれるかもしれない」
「それなら、みんなにこの事を伝えてーー」
「そうしたらカナデさんは、どうなると思う? 」
「プレイヤーは、彼にいろんな要求をして縋るだろう。要求に応えなければ、暴言や乱暴を働くかもしれないし、彼を恐れて村八分にする可能性もある。そしてーー追い詰められた彼は、我々の元から去ってしまうかもしれない」
「このことは誰にも知られてはダメだ。ーー私は彼の秘密を守りたい。ヨハン、協力して欲しい」
ヨハンは納得したが、すぐに気まずそうな顔をした。
「マーフさん、あのですね。ーー現場にカンナがいました。俺よりもかなり後ろにいたのでヴィータとカナデさんの会話は聞こえてはいないと思うんですけど……」
「ヨハンは聞こえる位置にいたのかな? 」
「いえ、俺はイベント会場で買った、地獄熊の耳を使っていたからーーあっ……」
「彼女も使っていただろうね。まぁ、会話を聞いたぐらいじゃ、証拠も何もないし商品として売りさばくのは難しいだろうからーー取引をうちに持ちかけてくるかもしれないね。様子を見ようか」
「たぶん、俺の跡をつけていたんだと思います。すみません」
ヨハンは注意を怠った自分を責めて暗い顔になった。
「ヨハン、プレイヤーがどこに行こうと自由なんだから仕方ないよ。それに、カンナ1人が騒いだところで、他者が聞く耳を持つとは思えない。うちの銀の獅子商会の方が信用も信頼度も高いから、何とかなるんじゃないかな」
「そう、ですね。ーーそろそろ、情報ギルドにデルフィさんたちが戻って来たかもしれないので行きますね」
「私も行くよ。ハルデンを発見できたなら、話しを聞きたいからーー」
マーフとヨハンが銀の獅子商会の執務室でドローンの映像を見ていた頃、ゴミだらけのマイルームにかけ込むように戻って来たカンナは大笑いしていた。
「すっごい、会話を聞いちゃった。何あいつプレイヤーをNPCに変えれちゃうわけ? マジかよ」
カンナは冷蔵庫からお好み焼きを出してがっついた。手に付いたソースを眉間にしわを寄せながら白いフリルのワンピースの裾で拭いた。床にあったチルドカップを拾って、そこに少し残っていたジュースをストローで勢いよく吸い上げる。
「あたしもぉ、クイニーみたいなぁ、美人NPCにしてほしいなぁ。ねぇ、カナデくぅん。ーーなんてな! ギャハハ! まじウケる」
ひとしきり笑うと空になったチルドカップをゴミの山に向かって投げ捨てた。冷蔵庫からオレンジジュースの缶を1本取り出して、ピンクのマニュキュアをした爪をプルトップに挟んで開ける。
「何かさぁ、それって異世界転生ってやつぅ? ゲームの世界で永遠の命を得る……。アリじゃん、折って、はべって、ヒゲ剃っちゃうやつじゃん! ぎゃははっ」
「あれ? 違ったかな。……確か何かの授業で。動画だったっけかな。あ~、学校なんか行ってねぇし、どうでもいいか」
ピロンと言う音と同時に、カンナの視界を遮るように小窓が開いた。
「くっそ、もう強制ログアウト時間かよ。面倒くさ」
カンナは食べかけのお好み焼きとジュースの缶を壁に力強く投げて、ストラ~イク! と叫んだ後に、ログアウトボタンを押した。
システム:カナデは徐々に成長しています。