テンペスト
スラプト地方にあるシリル川キャンプ場は、200人は収容できるほど広大な敷地にあり、テントの他にバンガローや温泉などの施設がある人気スポットだった。しかし、あちこちに釣り具やキャンプ用品が散乱し、テントや施設は……ぐちゃぐちゃに破壊されていた。
ディスティニーは、昨日、シリル川で釣った魚をこのキャンプ場で塩焼きにして美味しく食べたことを思い出していた。変わり果てた施設を悲しそうな瞳で見つめている。プレイヤーどころか、キャンプ場の管理人NPCの姿すらどこにも見当たらない。
周囲を見渡したルードベキアはディスティニーの隣で驚愕した。
「なんだよこれ! ……ヴィータがやったのか? ディスさん、キャンプ場って安全地帯だろ? 」
「そう、ですよね。どういうことなんでしょう……」
カナデはショックで茫然としている。それに気が付いたミンミンがカナデの肩をゆすった。
「カナデ君、大丈夫? カナデ君っ」
「ミ、ミンミンさん……」
我に返ったカナデは涙目でミンミンにしがみついた。ルードベキアとディスティニーは顔しかめながら笛吹ヴィータを探している。
「ディスさん、ヴィータは、まだ近くにいるんじゃないかな」
「ルードベキアさん! あそこにーー」
川をまたいだ向こうに人影が見えた。ルードベキアはウエストバッグから銀色の丸いボールを出すと、人影をロックオンしてから投げた。何ですそれ? と言ったディスティニーの目の前にビデオカメラを搭載したドローンが出現した。
「こんなものをいつの間に……」
「試作品はずいぶん前からあったんだよ。動画を撮れるヤツが欲しくてね。でも、消耗品扱いの物しかできなくてさ。ーー時間切れで落下したら、回収しないとダメなんだよ」
カナデは尊敬のまなざしでルードベキアを見つめている。ビビは奏のようなビルダーでもないのに、プレイヤーの職人開発スキルだけでこんな物を作りだした事に感心した。ーー絶対にルードベキアを守ろう。ビビは心に誓った。
ドローンはロックオンした相手の射程内に入らないように、望遠カメラで動画を撮っていた。ディスティニーは、川を渡るためのボート型騎乗を具現化しようとしている。
ミンミンはヴァイオリンを手にしたまま考えていた。ーーキャンプ場のこの様子を見るからに、迂闊に近づくのは危険な気がする。
「ルーさん、ここから写真撮った方がーー。え? ちょっと! ルーさん! 」
カメラのシャッターを押していたルードベキアがいきなり走り出した。
「ディスさん、ボートを出して! 早く! 」
「え? 」
ディスティニーは言われるがままに、ミンミンとカナデを置いてボートを発進させた。ルードベキアは険しい顔をしている。カナデは放り投げられたカメラを拾った。
「ルードベキアさんは、どうしちゃったのかな。ねぇ、ミンミンさん? 」
「そうだね。なんかやばそうな気がするからーー」
ミンミンはヴァイオリンを弾いてパーティメンバーに防御とスピード増加のバフを付与した。
「あんなに離れているメンバーにも、バフが付くの? 」
「そうだよ。距離は関係ないからね」
「すごいや! 」
目を輝かせるカナデにミンミンがニカッと笑った。
ボートが対岸に着くや否やルードベキアは駆け出した。ディスティニーは何が起きたのか分からないという顔しながら、ルードベキアを呼び止めようとする。
「ルードベキアさん! あんまり近づくと危ないんじゃーー」
ルードベキアにディスティニーの言葉は届かなかった。彼はひたすら走り叫んでいる。
「マキナ! マキナ、行くな! マキナっ! 」
「……ルー? 」
マキナの姿は笛吹きヴィータと何度も交互に入れ替わり定まらない。目からは赤い涙が流れている。彼は苦しそうに頭を抱え、前のめりになり、うずくまった。ルードベキアが慌てて駆け寄ろうとする。
「マキナ! 」
「ルー来るな! 俺は、今の俺は……。うわああああああ! 」
天を見上げたマキナは両手で目を覆った。その瞬間、地に伏せてないと飛ばされそうになるほどの風が吹き荒れ、暗雲が上空に立ち込めた。稲妻が周囲に容赦なく次々に落ちる。
ヴィータが戦闘テリトリーを展開したと分かったディスティニーは日本刀を抜いた。ルードベキアは地面を掴みながら何度もマキナの名を呼んでいる。
笛吹きヴィータの姿になったマキナはゆっくりと起き上がった……。ルードベキアを手招きしている。
「ルードベキアさん! くっ、風が……、立っていられない……」
ディスティニーは身をかがめたまま後退すると、急いでボートに乗り込み、風に流されるまま、ミンミンとカナデのいる対岸へ戻った。ミンミンは時間切れで落ちたドローンを拾っている。
カナデはパソコンのファンが急速に回転しているような音がビビから出ていることに気付いた。ーー何かが、あそこで起きている?
「カナデ君、ダメだ。あそこはヤバイ」
走り出そうとしたカナデをミンミンが捕まえた。戻って来たディスティニーが撤退した方がいいと叫んでいる。カナデはミンミンの腕の中でもがいた。
「でも、あそこにはルードベキアさんが! 」
「死んでもデスペナないから大丈夫。逃げよう! 」
ミンミンは最速で走れる馬型の騎乗を出すとカナデをすぐに乗せて走り出した。ディスティニーも同じ騎乗を出して逃げた。カナデはミンミンに抱えられながらカメラを握りしめている。ーー本当に、大丈夫だよね?
その頃、強く吹き荒れていた風は穏やかな状態に戻っていた。ルードベキアは招かれるままヨロヨロとヴィータに近づいている。
「マキナが笛吹きヴィータなのか? なんでだ? 何があったんだ……」
ヴィータは満面の笑みを浮かべながらルードベキアの右手を取ると、左手を挙げて魔法のラッパを出した。それはゆるやかな曲を演奏しはじめた。
音楽のリズムに合わせるようにルードベキアの身体の奥にあった箱が震えている。
「なんだ? 胸が……苦しいーー」
ヴィータに右手をしっかりと握られたままのルードベキアは、前屈みにになりーー膝をついた。身体の中にある何重にもかかっていた箱の鍵が1つずつ開いていく。
「やめるにゃ! やめてにゃあああああ! 」
カナデの頭にしがみついていたビビは、叫びながら上空にジャンプすると、さっきまでいたシリル川へ向かって猛スピードで走っていった。ミンミンはディスティニーに合図をして騎乗を止める。3人は小さなシルエットになったビビを目で追った。
フンフンと鼻息を荒くしながら飛ぶようにビビは空を駆けぬけている。そして赤く光る小さな珠を3つ、身体から出した。それらは、ビビの身体を中心にして円をかくように周回し、ヴィータの魔法のラッパをロックオンした。
「絶対にルードベキアを守ると誓ったにゃ! ヴィータ、止めるにゃ! 」
ビビが尻尾で、何かをはじくような仕草をすると、3つの赤い珠が目にもとまらぬ速さで魔法のラッパに向かった。もう少しで破壊できる! ビビがそう思った瞬間ーー箱のフタが開いた。
ドーン! 耳をつんざくような音とともに爆発が起こった。シリル川を越えた辺りにいたビビは、爆発に巻き込まれ……対岸の河原まで飛ばされた。
ミンミンとディスティニーは、様子を確認にしようとシリル川へ近づいていたが、爆発音と大地に響くような叫び声を聞いて立ち止まった。
「うあああああああ! ルゥゥゥ! 俺が、俺が、俺のせいでえええ! あああああ! 」
ヴィータは自身の身体を抱えながら、自分に呪いの言葉を吐いて泣き叫んだ。その声はシリル川から遠い位置にいるカナデたちの耳にも届いた。
「こんな俺は嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。死にたい、死にたい……」
ガチャリという鍵の音が響き、ヴィータの傍にあったトランクケースが開いた。そこからネズミの大群とおびただしい数のムカデ、ゴキブリなどの害虫が溢れ、周囲を蹂躙し始める。ヴィータを包み、草むらや木々を枯らし、モンスターを食いつくしながら、シリル川や大地を青紫色に変えていった。
さらに河原に転がるビビを飲み込み、カナデ達の方へ進軍していく。ミンミンは大地の色がこちらに向かって変色し始めていることに気が付いた。
「なんかやばそうだぞ。ディスティニー、逃げろ! 」
カナデはミンミンが操る馬型の騎乗に振り落とされないようにしがみついている。ーー僕は守られてばかりだ。なんで何もできないんだろう……。ルードベキアとビビを想いながら悔しくて泣いた。
「やばいやばいやばいやばい! なんでこんなに戦闘テリトリーが広いんだよ! 」
「ミンさん、あそこに境界が見えます! 」
駆ける馬の後ろ脚ぎりぎりまで、ネズミと害虫の大群が押し寄せていた。ミンミンとディスティニーは競馬の騎手のように身をかがめた。
「よし、抜けた! 」
ミンミンが叫んだ。振り返ると境界線の向こうの大地はすべて青紫色だった。ネズミと害虫の大群は潮が引くように去っていく。
「あ、危なかったですね。テリトリーから出られない系じゃなくてよかったです」
「デスペナが無くなったとはいえ……あれに飲み込まれたくないよな」
「ミンミンさん、ルードベキアさんはーー」
「ランドルの教会に戻っているんじゃないかな」
「ミンさん……、スマホのフレリスト見てください」
「え? ーーちょっ。……なんでルーさん、ログアウト表示なってんだ? 」
「……カナデさん、そのカメラって、ルードベキアさんのですよね? 」
「はい、ルードベキアさんのです」
ディスティニーが怪訝そうな顔している。ミンミンは事の重大さに気付き、青ざめた。3人は騎乗から降りてカメラを注視した。
「なっ……。これは絶対にやばい」
「馬鹿な……。こんなことあり得ないです」
「なんで? これ、どういうことですか? 」
Nо.0のカメラの帰属者名がーーカナデになっていた。
「拾った時は、ルードベキアさんの名前だったんですよ……。なんで……」
「カナデ君、それの写真データ……見れないかな。確かね、ここのボタンを押すはずなんだ」
カナデがミンミンに言われた通りにボタンを押すと、カメラは画像データを何枚かプリントアウトした。それをディスティニーが拾った。
「ミンさん、これ見てください。マキナさんです」
「そうだ、ドローン! 映像データってどうやって見るんだ? 」
ミンミンは斜めがけしていた大きなバッグから丸い銀色のボールを出した。カナデがボタンのようなものを押すと、ボールの上に小さなモニターが現れた。マキナが笛吹きヴィータの姿と何度も切り替わる様子を映している。
「ーーあぁ……。ってことは、笛吹きヴィータはマキナさんってことか? なんでプレイヤーがNPCになってるんだよ。しかも戦闘能力がーーテンペスト級じゃないか! 」
「あの……境界線、無くなったみたいですけど、行ってみます? 」
ディスティニーは3人で移動できるサイドカー付きのバイクを具現化した。カナデはサイドカーの前の座席でカメラの望遠レンズを使いながら行く先を確認した。ミンミンはその後ろでマーフになんて伝えたらいいか悩んでいる。
青紫だった大地は少しずつ元に戻っていた。シリル川にたどり着くと、河原にビビが転がっていた。外傷はないようだったが、目を閉じてピクリとも動かない。
ディスティニーは対岸の様子を見ようとボートで移動している。ミンミンは泣いているカナデの頭をそっと撫でた。ーーカナデが泣き止んだ頃にディスティニーが戻って来た。
「笛吹きヴィータはいませんでした。ルードベキアさんも……。カナデさん、一緒に向こうにいって現場をそのカメラで撮ってくれませんか? 」
ボートで移動した先には、深さ15cmほどで直径が2mぐらいの青紫に変色した穴があった。カナデはそれをカメラで撮った。ディスティニーは変色した地面をしゃがんで見ている。
「取り合えず……、ランドルに戻ってマーフさんに報告しよう」
ミンミンに促されたカナデは、動かなくなったビビを抱きかかえながら移動石を握った。
システム:ビビと……ルードベキアが……。作者は感情移入しすぎて涙目で書きました。ヴィータは魔王的な怖いイメージになっています。
何度も読み直しているのに誤字脱字が……。そしてこれは26日にアップする予定でした(苦笑)